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哲学いろいろ

guildford, uk


ユダヤ教の意義(=呪術の否定の意義) [聖書研究]


だから、ユダヤ教の<律法>が、「人間犠牲=呪術」を禁止したことは、共同体(人間)が、人間犠牲による食料負担の軽減に頼らず、自然の色々な災難(天候不順による飢饉・疫病の流行・天災など)を乗り越えようとしていることを意味する。
「共同体(人間)は、呪術(人間犠牲)に頼らず、自然の力に打ち克たねばならない」
(=知力/科学の力で、災難を克服すること)
ユダヤ教の<律法>は、そういう主張をしているのだ。(???の律法は、この主張の敷衍である)
そして、この主張は、 「イスラエルישראל=神(自然)と闘う者」 という言葉と同等の意味を持つ。「神(自然)と闘う」と、「人間犠牲=呪術の禁止」は、等価なのである。
しかし、「人間犠牲=呪術」を禁止すると、強制的に人口を減少させること(人間の間引き)が不可能となる。ところが、自然の力(=災難)は、容赦なく人間共同体に襲いかかる。
そして、共同体の危機が最高潮に達すると、人間共同体は、否応無しに、共同体全体の延命を図るために、強制的な人口減少策(人間犠牲)を採用せざるを得なくなる。
それこそが、「ユダヤ人虐殺」(ホロコースト)なのである。














Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie