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哲学いろいろ

非知


信仰の対象と信仰する者との関係性》とは 人間たるわれにとって《最もわたくしなるわれ》における《わが固有の時》だと捉えられる。

非経験としての《感性が外部の現象を認知しない状態》とは ものごとについてふつうに知覚される《有る無し》を超えているということ。また したがっての如く ものごと〔自体をも知覚していないのであるが〕の原因と結果の関係からも自由な場ないしチカラを 想定したかたちである。

有無を超えている《非経験の場 = 非知なるナゾ》ゆえ 経験世界の言葉では 神が有る・または無いという表現で受け留めるかたちになる。

因果関係から自由な場(チカラ)としての非知なるナゾを 経験世界の言葉に翻訳すると 極端な例として《神がこの世界を創造した》であったりする。



Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie