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哲学いろいろ

一般および個別絶対性理論

――普遍神およびその信仰とは?――
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9659489.html


1. 《絶対》とは 経験事象としての有る無しを超え因果関係から自由な場ないしチカラである。《非経験の場》とよび そう想定する。

2. 非経験の場は 認識のあり方として 《非知》である。

   経験事象
     可知
       既知(間違いだったと分かることもある)
       未知(いづれ既知になるであろうと推察されている)
     不可知(未知でしかも知り得ないと証明し得たものごと)

   非経験の場
     非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ。未知や不可知と一線を画す)

3. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において――心に受
け容れたとき(つまり 信じたとき) わが心には《非思考の庭》が成る。ヒトたる生物
の身と心とから成る自然本性に ぷらす α としてやどる何ものかの自覚が起きる。

   【 α : 霊我】:信じる:非思考の庭:ヒラメキ・良心
   −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
   【心:精神】:考える:思考の緑野:コギト 
   【身:身体】:感じる:感性の原野:センスス・コムニス

4. 非思考の庭は 受け容れる器(ミクロコスモス)とその対象(非対象:マクロコス
モス)との一体性として示される。類型として梵我一如とよぶとよい。

  A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモス。霊我

  B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如(=無神論
   無梵:空(シューニャター)・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

  C. ブディズム:仏仏一如(=有神論)
   仏:アミターバ・ブッダ阿弥陀如来
      / マハーワイローチャナ・タターガタ(大日如来
   仏:タターガタ・ガルバ(如来蔵)・ブッダター(仏性)

  D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

  E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

  F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

  G. ユダヤイズム:霊霊一如
   霊:ヤハヱ―;(エローホ=神)
   霊:われ

  H. イスラーム:霊霊一如
   霊:アッラーフ(イラーハ=神)
   霊:われ

5. したがって 非経験の場 ないし 非知なる神は そのまま普遍神である。名が
違うのみである。また それら有神論に対して 《無い神》と名づける無神論も いづ
れも普遍神についての互いに同等の説明である。
――これが 一般絶対性である。

6. 個別絶対性とは ひとりの人の信仰 すなわち 《普遍神とわれとの関係》をめ
ぐっての説明となる。

7. というのは 普遍神をよぶ名前が異なっているだけではなく 個人ごとの信仰が
――〔非〕対象である神は 普遍神ひとつであると想定されるにもかかわらず―― 互
いに同じであるか どう同じであるかが 人間には分からないからである。

8. それは いわゆる証明抜きの公理として持たれる信教・良心の自由という内容に
つながっている。目に見える現象としては互いに異なるところがあると言わねばならな
いはずだが その信仰は 個人ごとの個別絶対性として捉えられる。また それとして
とうとばれる。

9. ちなみに 信仰から得られた観想を 倫理規範としまた世界観としたのは 宗教
のオシヘである。一般にこのオシヘをかかげ 無条件に受け容れなさい(つまり 信じ
なさい)と説く宗教は いまのこの理論の外である。オシヘは 思考の緑野の中におさ
まり 《考える》ものである。《信じる》とは 何の関係もない。



☆ 以上が 標題についての仮説であり 問い求めのためのたたき台です。吟味・検証
しつつさらに推し進めて行ってください。自由なご批判をどうぞ。