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哲学いろいろ


torquay, torbay

【Q:自我と真我について】

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8932698.html

No.1
回答者: bragellone 回答日時:2015/02/27 22:44
めんどうな問いですねぇ。

 アートマンと言えば ふつうの生活の中で《おのれ( self )》という意味の言葉です。

 アハンというのが 《わたし‐が》という言葉です。

 アハン( aham )は アカン akan に成り得ます。母 haha ∽ kaka 嬶と言うくらいですから。

 アカン akan は アコウ akoo もしくは アゴー agoo になります。かみ‐へ(神‐戸)が カムベになりカンベにそしてさらにコウベになります。

 アゴー agoo は 母音のアが弱くなるとエゴー egoo に成り得ます。

 このエゴー egoo がギリシャ語やラテン語で 《わたし‐が》という意味の単語です。いわゆるエゴというときの元の言葉です。

 エゴー egoo から後ろの母音が落ちると eg や ek または ekh や ech にも成り得ます。
 ここから母音をさらに変えて ik や ich というのが ドイツ語などの《わたし‐が》です。
 英語などは さらに単純化して i ( I ) だけに成りました。

 イタリア語では 真ん中の -g- や -k- を落として io (イーオ)と言います。
 スペイン語では yo (ヨ)です。


 これらのアハン≒エゴーから 抽象的な概念として《わたし つまり わたしなるもの》という名詞をつくりました。つまり エゴです。これを受け容れて日本語では 《自我》としました。つまり 《わたし》のことです。

 《おのれ=アートマン》のほうは やはり抽象的な概念として 信仰における言葉に用いました。
 宇宙の主宰神ブラフマンの霊があたかも人間にやどるというようにして(想定して) その霊をもアートマンという語が意味するようになりました。日本語では《霊我や真我》と言っています。

 つまり 梵我一如――梵(ブラフマン)≒我(霊我・アートマン)の一体――というのは 信仰の問題です。

 エゴは 自我と訳そうと何と言おうと 《わたし》のことです。

 アートマン=霊我・真我は 身(感性・肉体)からも心(理性など)からも離れています。わたしは 《非思考の庭》と言っています。

 ただし たとえばヒラメキをとおして この霊我アートマンとわれの理性および感性とは つながっているとも見られています。

 つまり 人間は神とは違う――つまりアートマンは 肉からも精神からも隔たっている――と同時に その神の霊は ヒラメキをとおして われわれ人間と・つまり身の感性とも心の理性とも つながっていると想定されています。

  一切衆生 悉有仏性

 というのも 梵我一如というのとまったく同じ想定です。それは われらが存在における《非思考の庭》にて 信仰なる動態として活きていると見られます。

 こんなふうでよかったですか?