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哲学いろいろ

無主地の先占

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie
《草分け》って言葉をご存じですか?

 文字どおり 草を分けて その荒れた野に初めて住んだ人(家族)を言います。

 その昔日本列島は 大地は湿地が多く――それゆえ アシハラ(葦原)のくにと呼ばれていました―― 住んだところは 山の中腹だったりします。

 その土地を草を分けて拓きました。ちなみに 山の中腹でも谷地が選ばれたりしたわけですが そこには ヘビがいました。蛇も先住の動物だということで 敬意をはらって これを谷戸の神とよんで それなりにとうとびました。やと・やちが 谷地のことです。

 要するに 狩猟・採集・漁労の生活からやがて 粟・黍あるいはおかぼ(陸稲)を栽培し始めました。あるいは焼畑農耕もあったようです。

 そのような開墾の増えるにつれて 人びともあたらしくさらに集まって来て村を形成し社会生活が始まります。

 つまりこのとき 村の人びとは 先住の谷戸の神に敬意を表したのと同じように 最初の開拓者である《草分け》の家の人びとをとうとびました。あるいはつまり 生活の場を得るについての恩があるというわけです。


 かんたんな事例ですが このような人びとのあいだの人間関係としての《とうとび・うやまひ》 これが 社会的生活における共生感覚をも伴なって あるべきマジワリの道と成って行きます。

 すなわち 倫理であり ナラワシであり やがて 権利や義務とも呼ばれ 人権としての内容をも構成する生きた生活実態ということではないでしょうか。


 どなたかは さらにのちに稲の栽培が始められてからは そのための水利が村として必要であり重要でありなくてはならないことになって 集団志向がナラワシとなったと言おうとしていますが 決してそんなことはない。または そんな見方に立つべきではありません。

 なぜなら 稲作が始められる以前から 人びとは 互いにその生活をとうとび それぞれ家族をも守ろうとして生きて来ています。コメは 収穫が多いようですから――また美味しいと来ていますから――大きくそのための開拓がおこなわれて行きました。そのとき 人びとが互いにチカラを合わせて その生産の仕事に精を出すのは あたりまえのことです。それ以前から 互いにひとをとうとび・うやまって生きて来ています。

 集団としての志向がより良いことであるならば そうしますし そうではなく個人の作業が大事だとなればそういう職人の仕事も とうぜんのごとく あってそのようになされて行きます。
 (たぶんその主張者は お上にはさからうなといった《アマテラス予備軍症候群》のことか それとも 何が何でもお上になるんだという《アマアガリ・シンドローム》のことと その集団主義とを混同しているのでしょう)。

 いちいち権利・義務というぎすぎすした関係の中にいるのは あまり心地良いことではないようですね。

 草分けの家族には 無主地の先占という資格が与えられるはずです。

 あたらしい開墾の場合も そうでしょう。

 互いに人をうやまひ 互いにその生活をとうとぶなら 土地から何から 個人の所有ということが決まって来ます。

 それらの基礎には ウヤマヒとしての人権も言わず語らずに認められて行くでしょうし その人権としての自由――自己表現の自由――が ウヤマヒなる人間関係の具体的な内容として横たわっていると認識されて行きます。