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哲学いろいろ

古代日本人は 《無い神》をいだいていたか。

Q&Aのもくじ:2011-03-26 - caguirofie

日本古代人は むしろ無神論をいだいていたのではないかという暴論を試みます。

 大野晋によると 日本語の《かみ(神)》は文献〔あるいは民俗学等々〕で分かる限りでは 次のような意味を持ったと言います。
 ○ かみの原義 〜〜〜〜〜
  1. カミは唯一の存在ではなく 多数存在している。
  2. カミは何か具体的な姿・形を持っているものではない。
  3. カミは漂動・彷徨し ときに来臨して カミガカリ(神憑り)する。
  4. カミは それぞれの場所や物・事柄を領有し 支配する働きを持っていた。〔産土(うぶすな)神・山つ霊(み)・海(わた)つ霊〕
  5. カミは――雷神・猛獣・妖怪・山などのように――超人的な威力を持つ恐ろしい存在である。

  6. カミはいろいろと人格化して現われる。〔明(あき)つ神・現人(あらひと)神〕
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 ☆ この(6)の《神の顕現 ないし 人格神》は (3)の《神憑り》――つまりいわゆるアニミズム=すなわち《ものごとにヨリ(憑り)をする》原始心性の――を一段高いところに立って再び採り入れたものと考えられます。それに従えば ほんとうは《見えない》〔つまり(2)〕けれど 仮りに姿を見せたという捉え方および表わし方をおこなった。

 つまりすでにこのように問い求めた定義からすれば われらがおや(祖先)たちは 《超自然・非経験》の領域を 何も表わさなかった。つまり強いて言えば《無い神》を立てていた。


 古事記の初めには アメノミナカヌシ以下三神が登場しますが これらは《独り神となりまして 身を隠したまひき》とあります。一般に思われているアマテラスオホミカミは もっともっとのちの神です。

 どうもこのように――わざと 無神論を見ようと――して来ると 日本人には 《表わさない》=《言挙げせず》という基本線があるのかも知れません。
 朝 日向かしの空より昇る真っ赤なおてんとさまを見て あるいは西の山の端に沈みゆく夕焼けをながめて
  ――あはっ。(ああ! Ah ! Oh ! )
 と口をついて出た。そこに 絶対の神を見たのかも知れません。見なかったかも知れません。これが言われている《ものの〈あは〉れ》であり《随神(かんながら)の道》なのだとも思われます。《隠れたる神 Deus absconditus 》。

 ▲ (柿本人麻呂 万葉集 巻三・235番) 〜〜〜
 おほきみは 神にしませば
 天雲の いかづちの上に 廬(いほ)らせるかも
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 ☆ という歌には 思想もしくは信仰が現われていると考えます。わたしの解釈では こうです。《世の中の通念は 大君が神であると言う。なるほどそれゆえ 雲の上・雷の丘の上にお住まいである。そうかもね》と。
 人麻呂には神について 絶対の概念があったからではないですか。《通念は 絶対の神と 相対の神々の世界とを混同している》と述べていませんか。人麻呂にとっては 神が《目に見えない。しかも心の目にさえ見えない》ことは当然のことだったのでは? (精神論でさえないと)。
 (ただし 外(と)つ国へ出かける友に向けては 別れのあいさつを言挙げぞすると言っています)。


 もっともカミがまったく姿を現わさないかと言えば 例外の事例があります。ヒトコトヌシ(一言主)のカミが 現実の姿になったところを 雄略ワカタケルは葛城山で見たし 話しをしたと言う。一言主の神は こう名乗ったそうです。

    あ(吾)は悪事(まがごと)も一言 善事(よごと)も一言
    言離(ことさか・言い放つ)の神 葛城の一言主の大神ぞ
    (古事記

 でも雄略ワカタケルは日本書紀では 同族を暗殺して《大悪天皇》と呼ばれている人物です。そのことを理解するために カミとヒトおよびモノとコトとの位置づけを見ておきます。

 ○ (モノとコト e = mc^2 ) 〜〜〜〜〜

 モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)
 コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主
  ↓        ↓            ↓
 自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ

 * あるいは次の図式も得られます。

 モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木
 日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)

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 ☆ つまりは 先の(6)のカミは 明つ神もしくは現人神として 《オホモノヌシ=ヒトコトヌシ》なるカミの座に人間が就いたことを意味すると考えられます。
 つまりは 神は《無い神》であって あとは仮りの分身なる神々。 §1.《境地》とも言える《知性》――この視点を視点とします。

 『「宗教」やら「科学」やらと違う手段』ということではありますが ここで《知性》という視点は持ち出します。

 コギト(思考とその建て物)とクレド(非思考の庭 =自由)とを捉える心の知性です。

 前者のコギトは そのまま《科学》に通じます。たとえば実際の建物の技術にもかかわりましょうし あるいは病気を治癒する薬草の開発につながったりします。
 後者のクレド――つまり信仰です――からは そこで得られた観想(テオーリア)を教義(テオリ=セオリ)とした組織的な《宗教》が派生した こういう事情が切り結びしています。

 §2. 知性の萌えとしての《イリ歴史知性》――あらまし――

 古代日本人の精神史を次のように類型的に捉えます。

 −1:原始心性=《ヨリ(憑り)》:アニミスム&シャーマニスム
 0 :歴史知性=《イリ(入り)》:世界への入り
 +1:超歴史知性=《ヨセ(寄せ)》:《ヨリ》を束ね 《イリ》をも 
     社会力学上(政治的に)押し並(な)べて 寄せる。

 歴史的な順序で ヨリ⇒イリ/→ヨセ の歩みを想定しています。
 イリ歴史知性 これが 現代日本人がわたしは無宗教だと言う時のふつうの知性のあり方であって それは有神論も無神論をもわざわざ自分は採りたくないといった心境を表わし得ると見ます。
 ただしそのことは ぎゃくに言って 一方で はっきりと神はいますという非思考の庭のあり方を採ることもあれば あるいは他方でやはりはっきりと神は無い(無い神がいます)という信念を導き出すこともあり得ます。
 ということは それは 良心・信教の自由にそのまま合致していますから やはり近代市民から現代人に特徴的なふつうの知性であると考えます。

 これが 古代日本人が得た哲学です。

 §3. ヨリなる原始心性から始まった(!?)

 人間には 広く《共通感覚 sensus communis / common sense 》とよぶべき人と人との関係性をこの宇宙の中で持っていると考えられる現象が見受けられます。その昔 アイヌの間でこういうことが起こったそうです。

  一人のアイヌの男が 山で遭難した。戻って来ない。
  巫女が占なった。この山のどこそこあたりに倒れていると言う。果た
 してその通りであったが そのわけは こうだと説明した。

   ――わたしが からだ全体で 山になる。その山の全体に わたし
    の体を重ねてみる。
     そうすると 体の一部が 痛くなる。その部分が 山のどこに
    あたるかを考えてみれば そこに男は遭難しているはずだ。

 おそらくこの現象は 非科学的であっても 反科学的ではないでしょう。
 神体山(かむなびやま)であるとか神木とよばれた樹木 これらにひとが身心ともに寄り憑くというのは ふつうに素朴に 原始心性だと捉えます。その山の石(いはくら)や木が神との交流の依り代になっているということのようです。
 人間の自然本性にそのような《交感 correspondance 》のはたらく余地があったのだと考えられます。アニミスムともよびますね。

 同じ原始心性として もうひとつ別の形式があり得たようです。 
 ところがつまり この共通感覚をいいことに そこからは 自分でこの現象を操作しようとする動きが出ます。シャーマンです。
 何か身のまわりのことでも或るいは広く共同体全体のことでも 揉め事があったり衝突なり戦争があったりすると もはや上のアニミストたちの素朴な対処法ではなく そうではなく このシャーマンの出番となる場合です。
 何が何でも 自己の努力によって 自己の意識を突き抜けて(トランス状態) 何ものかの世界――つまりかみがみのでしょうが――に身を置き さらにそこから 何らかの答えを得て戻って来るというのが シャーマニスムです。

 狩猟・採集・漁労といった自然経済にもとづく生活から その内の採集経済において野生植物の栽培ということが始まった。人間の手によって育てる。実が成るまで時をかけて育て 穫り入れる。この《仕事》としての時間過程とともに ヨリ憑く心性が溶けてゆく。
 §4. 農耕をとおして 時間を知る

 やがて 時間の獲得に到った。
 シャーマニズムによる人工的な歴史時間の獲得ではありません。成り振りかまわず髪を振り乱しおのれの意識を溶かすかのように人格を脱いでしまったあとの究極(?)の思考(?)によって 地球の鼓動にわが身と心を合わせるのではなく そうではなく あたかも初源のアニミズムの自然性をも取り戻してのように しかも新たな心性を 人は獲得したと思われます。
 おそらくその前にも 子どもを養い育てるという時間の過程はあったかと思われます。それが 植物の栽培という作業をとおして 実のるというコトが起こった。

 農耕をとおして・つまり麦なり稲なりの栽培の過程をとおして・つまりその種蒔きから穫り入れまでの時間の経過をとおして 人間は 自己もほかの誰かれも 時間的に過程する存在であることを知る。
 要するに 自分たちは老いるとただ倒れて眠るのではなく死ぬのだという認識を得たということらしい。この死が つまりは生と死ということがからんでいるはずです。
 時間的存在であることは ひとの心性を高めて その精神および身体において 歴史知性を獲得したと考えられます。世界へ その時間的存在なる自覚において 入った。

 §5. 生と死を知るということ

 死ぬ――これは 撓(しな)ふ・しなえるや萎(な)ゆ・なえるとつながっているでしょうか? それとも 漢語の死から 死‐往(い)ぬとして成ったのでしょうか?――ということは さらにそのあとどうなると見るかを別として 一つの節目となるのだと知った。
 身罷(まか)る――これは 罷るが 任すのマカと同じ意を持ち 自然の力や流れに身を任せるようにそのままとするの意らしい――そのあとは 別の世界となるようだと知る。どうも 或る時心を決めて 葬った者のその後の状態を見てみると その躯(むくろ)に蛆虫が湧いてたかっていた。これを見て どうも死後については あきらめたらしい。同じ世界ではないのだと。

 このように生きている時間が 生まれてから死ぬまでのアヒダ(間)としてのヨ(節・代)であると知る。限られた線分であるのだと知る。
 このヨあるいはマ(間)としてのおのれの存在をも自覚し 世界と相い向かいその世界にイリする。
 《わたし》という世界の動態を生きる。

 §6. イリ歴史知性を獲得した人びと

 日本人の思想(生活態度)は このイリなる歴史知性を基礎とすると考えます。
 それは オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱを市長としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山ふもとあたり)。

 イリヒコのイリが それであり その社会は《ネコ(スサノヲ市民)‐ヒコ(アマテラス公民)》の連関から成ります。ただし その連関形態の全体として 平屋建てです。アマテラスのイリヒコは 直接にスサノヲなるネコたちに支えられています。ムラオサ(村長)ないし市長であると考えられます。

 物語によると 三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り 市長は このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば 世の中は平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。

 けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはめられるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり社会形態としても そのように確立し始めたと考えられます。
 つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも 《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。

 そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。

 ミネルワ゛の梟は夕方に飛ぶというように この歴史知性の獲得は 弥生時代に農耕が始まってから進められていたのが やがて古墳時代生活様式が変わり始めたあたりで――つまりは弥生人のたそがれとともに――成ったと思われます。

 * ヨセなるスーパー歴史知性については アマテラス(または言わば統一第一ヒコ)の単独分立・果ては独立自存のことです。端折ってもよろしいかと。