日本人は どのような信仰のあり方をしていたか。
信仰は 非思考ですが その中核から 経験的な思考も 出て来るわけですから 日常生活の全般についての ものの見方・考え方が ご質問の趣旨だと思います。
ちなみに 《宗教》は この村むらの人びとが やがて 国を作って そしたまた 海のかなたから ブッダとかいう人のおしえを輸入して そのときに 全体として かつ 上にある人びとが こしらえた教えのことです。
基本的に言って モノはコトである。と捉えていたようです。
§1 まづ ひとのあり方をどのように捉えたか。
心のあり方として こうです。狩猟・採集・漁労というように自然界にあるモノを そのまま取る作業に従事して生活するときには モノに取り憑いた心でした。原始心性と言います。
やがて その心の中に 時間が流れ出します。稲であれば 野生の稲を採集するのではなく みづからが季節とともに栽培するようになった。育てるという作業とともに 時間の経過を伴なうことにより 歴史知性を獲得します。おそらく子どもを育てるという時間過程をともなう仕事が役立っているのでしょう。
その後 この歴史知性であれば 何でも出来るという超知性も現われましたが それは措いておきます。
これら三つは 順番に ヨリ原始心性(自然への寄り・依り・憑り)→イリ歴史知性(自然と歴史への入り)→ヨセ超歴史知性(イリ知性を嵩にきて 神のごとく如何なるものの下には立つまいとする寄せの知性)というあり方です。
§2 イリ歴史知性は 世界をどう捉えたか。
モノおよびコトとして認識したようです。結論として こうです。
モノ(物)―――もの(者)―――――オホモノヌシ(大物主)
コト(事・言)―みこと(美言・命・尊)―ヒトコトヌシ(一言主)
↓ ↓ ↓
自然・社会・・・・・ひと・・・・・・・・・・・・・かみ
この範式において 次の図式も得られます。
モノの木――――――ねこ(根子)――――――生命の木
日の移り行くコト――ひこ・ひめ(日子・日女)――日(光源)
モノは どちらかと言うと 質料・身体であり コトは エネルギ・精神にかかわります。
記紀には おほたたねこ(大田田根子)や みまきいりひこ(御真木入彦)が登場します。両者は 同時代の人物であり 後者は――つまり 《イリなる歴史知性》であるのですが―― 市長を務め 前者は 一市民で オホモノヌシのカミの子であったと言います。《イリヒコ歴史知性》の霊性のしからしめる認識でした。
また ヒトコトヌシの神は ワカタケなるおほきみの前に 姿を現わし 《善事(よごと)も一言 悪事(まがごと)も一言 言離(ことさか=言い放つ)の神 カヅラキの一言主の神ぞ》と名乗ったそうです。
§3 ネコ・ヒコらの生活とその後
つまり オホタタ(大田田)ネコが 田を耕し(田返し) イリヒコが その知性をもって 世界に《入り》するということは 精神を耕すというものでした。植林あるいは薬草による医学にも 精を出しました。
つまりは 一人のひとが 《根子(身体)‐日子(精神)》の連関から成る存在でした。あるいは《根子(市民)‐日子(公民)》の連関構造なる社会的存在のことです。
やがて そこへ ヨセ超歴史知性が出現し――たとえば オキナガタラシヒメ(息長足姫=神功皇后)は 《神を帰(よ)せたまひき》とあります―― 日子は 《もっぱらの公民》として立ち そのスーパー歴史知性によって やしろ(社会)を 二階建てとしたという歴史につながっていくわけです。
木から木の実を採る単純な仕事が 稲から米を育てる歴史時間をともなう仕事に移るにつれ 今度は 木の実や稲の実のほうから ものごとを捉え考えるに到ります。あたまの中で 利潤が先行するわけです。
実りを 《まつり(これは かみとの共食のことです)》において 人びとが 横のつながりにおいて 共に いただく生活から すでに二階建てになったその第二階にあって 《まつりごと(これは 天の神との添い寝だと言われています)》のもとに まつりごと(政治)をとりおこなう。ネコ市民はこれに従うという社会生活になった。やがて この剰余価値としての実のりは 巨大古墳として《結実》しました。――土木も発達したわけですが 何に活用するかですよね。
村における《まつり》のときのふつうの和の生活を 《まつりごと》は やまと(大和)の国として 上から 号令することになりました。まぁ ゆたかになったわけですけれど。
うんぬん。うんぬん。
このように ネコ市民が ヒコ(いや スーパー日子と呼ぶべき《優秀な》)公民に 道を一歩ゆづるというのも 日本人の信仰のしからしむるところであるかも知れません。もっとも ネコ市民の中には もっぱらのヒコ公民に寄っていき ゆする・たかるという習性を会得し 共犯になっているものも見かけるようです。
こうして いまは 《無宗教》と呼ばれるこころのあり方を持って来ているのが われわれであることになります。
★ またなぜ日本人は死者の顔を伏せるのでしょうか?
☆ については よく 分かりません。まつりとしての信仰を まつりごととしての宗教に取って代えたから その後ろめたさが 死に際して 現われるのでしょうか。
はてさて 日本人の信仰の行方は いづこへ向かうのでしょうか? ネコ市民は おだやかで きわめて おとなしいですからねぇ。
* ちなみに 《オホモノヌシ》の神は そうは言っても もとは 《ながもの(長者)》つまり へびのことです。三輪山の神ですが 実際 へびだという証拠もあります。ですが 現代から 編集して捉えるなら あたかも 神の子のオホタタネコを生んだ聖霊であるとも 考えられるわけです。そういう説明体系になっています。ヒトコトヌシが 父なる神のことです。粗いかたちの《三位一体》です。