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哲学いろいろ

国家・6

日本人の歴史に即してさらに 述べます。神話と入り組んでいますが その趣旨を採っていただければと思います。

 日本人の思想(生活態度)は オホタタネコを市民の代表とし 市民からの推挙を受けて立った崇神ミマキイリヒコイニヱを市長としたミワ(三輪)市政に始まると思います。(紀元300年ごろ 奈良・三輪山麓纏向(まきむく)あたり)。

 §1 シントウ(みち)の原形またその確立
 ――《ネコ‐ヒコ》連関 あるいは《イリなる歴史知性》の誕生――

 三輪山に祀ったオホモノヌシなる神が 聖霊となって イクタマヨリヒメに生ませたのが オホタタネコだと言います。ある時 疫病が出て困り 市長は このオホタタネコを探し求めたそうです。祟りという認識でしたから 祀れば平らかになるだろうというものでした。(この同じ系譜のスサノヲやオホクニヌシの記述には 薬草を求め医療に熱心であったともあります)。

 けれども 《ネコ》は 根子で大地の子であり 《ヒコ・ヒメ》は 日子(彦)・日女(姫)で太陽の子です。これは 一人の人における身体(=ネコ)と精神(=ヒコ)とに当てはめられるでしょうし あるいは 市民政府として 市民一般(=ネコ)と市長および公務員(=ヒコ)とに やはり当てはめて捉えてもよいと思います。つまり 社会形態としても そのように確立し始めたと考えられます。

 つまり この《ネコ‐ヒコ》連関は 基本的に一人の人間において 《身体‐精神》の総合なる存在を表わし また かれ(かのじょ)が 社会的にも 《市民(わたくし)‐公民(おほやけ)》の両要素の連関から成る存在であると主張します。
 そしてそのような内容をもって 《イリ(入り)》なる歴史知性の誕生を見たと捉えます。

 崇神(いわゆる天皇としては 第十代ですが)ミマキイリヒコイニヱのミコトの名にある《イリ》であり 《ヒコ》のことです。そういう歴史知性であり これは 人の自然本性(=つまり《ネコ( S ) ‐ ヒコ( A )》連関 )にそのまま《入り》したというその自己還帰のことです。
 市民のほうは その代表として あたかも概念として《オホタタネコ》(⇒一般的に言えば スサノヲ)が当たります。

 §2 歴史知性の以前――《ヨリ》なる歴史知性=原始心性――
 
 《オホタタネコ ‐ ミマキイリヒコ》連関の社会の以前では イクタマヨリヒメというように《ヨリ(憑依)》の知性だったわけです。アニミスムもしくはシャーマニスム(たとえば 卑弥呼を想え。つまり崇神ミマキイリヒコの少し前の三世紀のことである)であり 何ごとにも寄り憑くというべき歴史知性以前の知性です。
 原始心性とも言います。これも シントウの原始的なかたちだろうと思われます。その《何ごと》は 《かみがみ》と呼ばれたのですから。

 人は 《イリ歴史知性》の自覚のもとに ものごとに対して 《ヨリ原始心性》としての寄り憑くことが少なくなった。このように 歴史的な自然本性に自己が到来した。――つまり 農耕のように 種蒔きから実のりまで時間の経過を人も共に生きるそのような時間的な経験的な自然本性に自己が到来した。これは ひとが死を――眠りに就くのとは違って――死として知ったことだと考えられます。
 そのように自然本性に到来したなら 人間の生活は そしてさらには人類の社会と歴史は すでにふつうに営まれていくと言えると思います。(そこでは ひとに与えられたすべての潜在能力が ただちに現われようとして待機している状態にまで来たと言えるでしょう)。

 §3 《イリ》歴史知性からさらに《ヨセ》なる超歴史知性の出現

 イリなる歴史知性に基づきつつも まだ昔のヨリ(憑依)なる原始的知性の状態にある人びとは 残っていました。これを導こうとして 自らの力のもとに かれらを《ヨセル(寄せる)》ということを行なう人間が出ました。
 すでにその原形が 卑弥呼(ヒメのミコトの ヒとミとコで 中国の史書に載ったか)のシャーマニスムでした。アニミスムの親分というような性格の心性です。
 しかも こんどは すでに 歴史知性に芽生えたあとの《ヨセル》です。これは すでにイリ歴史知性にもとづきつつも その知性の能力にものを言わせて言わばアマガケルところのスーパー歴史知性です。アマアガリとも言えると思います。たぶん まづ想像の産物として観念の国を持つのでしょう。これをすでに いの一番に 思い描くのでしょう。
 イリ歴史知性に観念の羽根が生えたというわけです。

 ミマキイリヒコから百年も経たないところで 神功皇后オキナガタラシヒメのときに この《ヨセ》の記事はあります。

   《オキナガタラシヒメのミコトは 当時(そのかみ)神を帰(よ)
   せたまひき》(《古事記仲哀天皇のくだり)

 その後も かのじょの子孫の系譜に見られるという意味で この《ヨセ》なる超歴史知性を 広くアマテラス族と呼びます。あたかも社会を一階上に上がらないとそういうふうには出来ないでしょうから。《タラシ》でもいいはずです。アマテラスのほうが 一般性があります。
 正確には 崇神ミマキイリヒコも アマテラス族ですから やはり それとは区別するなら スーパーアマテラスと呼ぶといいでしょう。

 §4 ひとは《イリ歴史知性》を基礎として 《ヨリ原始心性》および《ヨセなる超歴史知性》と共存する

 アマテラス(天照らす)というのは その言葉どおりに もともとは ヒコ(日子)と同じであろうと考えます。人間の精神であり 理性の光であり 社会的な役割としての公民です。
 崇神イリヒコなるアマテラスの系譜には のちにタラシ系統(スーパーアマテラス)から出た雄略ワカタケによって 謀略に遭い殺されたイチノベノオシハのミコがいます。その双子のオホケ・ヲケは 命からがら逃げて あとで身分を明かし名告り出るといった歴史があります。そのあと 市長となったとき(顕宗ヲケ=弟そして仁賢オホケ=兄の順序でなったとき) 父の仇の雄略ワカタケの陵墓から ほんの少し土をけずって復讐に代えたという逸話があります。
 つまりふつうのイリヒコ系アマテラスと ヨセ=タラシ系のスーパーアマテラスとのちがいを 見たいという主観(えこひいき)です。
 したがってというほどに 後者の《ヨセなる超歴史知性》は けっきょくそのヒコ=アマテラスなる指導者の地位を 専門化させます。――それはそれは もともと秀才でもありましたが人一倍も二倍も勉強し努力しました。その結果 社会から単独分立し もともとの市民政府ではなく その上に社会的な第二階を築きそこを 自分たちの住み処としてしまいました。市民たちは 《国譲り》をして かれらに好きなようにさせたのでした。

 §5 では 何が問題か
 
 ですから ここから オホタタネコの父親とも言われる神(霊)なるオホモノヌシは けっきょく 第二階に住むスーパーアマテラス族のための神となったかも知れません。(あるいはそうではなく 三輪山に 元のまま あがめれているとも思われます)。また もともと やはり 市民たちの宮であった伊勢神宮(その前身の外宮)も かれらのための制度となりました。(この伊勢神宮については むしろ崇神ミマキイリヒコの時代の制度発足として記事があったりしますが どうでしょう)。

 この二階建て社会が国家の問題だと考えます。
 この国家の問題は 天武オホシアマ天皇の――六七二年の乱を経ての――改革によって 一定の収拾を見ました。市民が主役であるという考えをできるだけ採り入れようとしました。(八色の姓万葉集過半数は 無名の作者です)。国家という二階建ての形態は その後も残ったわけです。

 ちなみにすでに 崇神イリヒコのときに あたかもスーパー歴史知性による《ヨセ》としての統治ではないかと思わせる記事があります。
 やまとから日本の四方八方の各地に《四道将軍》を派遣して 王化の徳を及ぼそうとしたと書いてあります。つまり 服属させたわけです。
 やはりえこひいきして言えば これほど素晴らしい《イリなる歴史知性》を自覚した人びとが ほかの隣人たちに伝えてやりたいと思って やったことでしょう。それほど奇異なことではないように思います。《宣教という愚かな手段》(パウロ)のことです。
 
 かくして社会は 平屋建てではなくなり スサノヲ市民圏( Susanowoschaft )とそしてアマテラス公民圏( Amaterasutum )との二階建て形態が いくらかの期間――むろん世界史においても――つづいております。

 《わたしは無宗教です》というように 現代の日本人は もう崇神ミマキイリヒコの社会を忘れているのだと思います。無宗教であっても イリ歴史知性のことを忘れなければ いいわけですが この社会は 神話としては スサノヲのイヅモの国でのスガの宮のことだと考えられます。
 これは のちに子孫のオホクニヌシの代になって アマテラス国から 服属の要求を受け かれは非戦論であったので 国譲りをしています。主戦論も非戦論も 人間の弱さから出ると考えたからです。
 アマテラス公民天国という事態は 伝統ではありません。わたしたちは 何が何でも自分たちが一番だというスーパー歴史知性に対して 好きなようにさせたのだと考えます。長すぎました。そばが延びてしまいました。そういう情況にあると考えます。

 §6 補遺

 その昔 そして今も(?) いわゆるスーパーアマテラス族の人間類型は――ガリ勉かどうかは別としても―― それはそれは 努力の人でした。指導者を目指すのですから しかも同時に 謙虚です。少なくとも表向きは 謙虚のかたまりです。
 人間的になり ますます人間的になり もうこれ以上は 人間的になれないというほどの人間になったとき 周りを見渡すと だれも この謙虚と見識の深さに重きを置いていないと気づく。勝手にやっていることだというわけです。(頭で考えてその理性の力でやっているに過ぎないという感覚だったのだと思われます)。そして自分自身も この《徳》の高さは けっきょく 相対的なものであって みなが どんぐりの背比べであると覚ります。
 ここから ふつうの《イリ歴史知性》に立ち戻れば よかったのですが(そして そうした人びとも いたでしょうが) そうではなく 既存の秩序は守らねばならぬと考え 既得利益については失いたくないという方向へ走りました。
 一般のスサノヲ市民の中からはむしろ これら超歴史知性なるスーパーアマテラス類型へと靡いていく人びとが出ましたし(ゆすり・たかりと言って 官民の癒着が見られました) これらの勢力が 現象としては 有力になっています。

 当面は このお二階と一階との関係に焦点が当たるのではないでしょうか? 逆立ちを元に戻すという方向です。
 もしいまのままでいいという意見が多数を占めるなら 
 ★ どうして人類は「国家」を無くせないの?
 ☆ という問い求めは お遊びになります。どうなんでしょうね。
 ちなみに このお二階さんにも就かず一階にも身を置かず たましいがさまよっているという人間も 昨今には見かけるようになっています。みんなで おまえはゾンビだよと声をかけてやることが 人間への復帰のきっかけになることでしょう。おれにかまうなという答えが返ってきたときには 放っておけばよいでしょう。ほろびるにまかせましょう。