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哲学いろいろ

騎馬民族

賀蘭山の岩画 ―遊牧民族の古代の画廊―(寧夏回族自治区)
http://blogs.yahoo.co.jp/sakurai4391/29542993.html


☆☆(【Q:極右がもたらした代償】回答�・2) 〜〜〜〜〜
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5610296.html
ちなみに 中央アジアのチュルク系の諸民族だけではなく アラブ民族や 一般に北方のゲルマンなどを中心としてヨーロッパ民族も 遊牧騎馬民族だと捉えられています。

 ▲ (『江上波夫の日本古代史――騎馬民族説四十五年』)~~~~~~
 騎馬民族の社会〔は〕
 1.民主主義的 
 2.主知主義的 
 3.機能主義的 
 4.国際主義的
といったような 共通な特徴をもち 
 5.優れて人間中心で 
 6.すべての民族に解放的な 自由な性格の
 7.実力優先の社会であった・・・。

 このような古代遊牧民族の社会は 《有形な文明》は持たなかったが 《頭脳の文化》《無形の支配者文明》を持っていたので それがあってこそ彼らは農耕都市文明地帯に征服王朝を建て 多民族の世界国家を建設することができたので またそこにおいては東西の文化を交流させ 地方的な土着の文明 宗教の権威を打ち砕き それらの物質文明を人間中心の理念によって再編成し 様々な世界文明――古代ペルシャ文明 ヘレニズム文明 キリスト教文明 仏教=クシャン文明 アラブ=イスラム文明 ゲルマン=西欧文明などを生成する契機をつくった・・・。
 すなわちそれらの文明は ユーラシア大陸の古代遊牧騎馬民族の《頭脳の文明》 眼には見えない《無形の支配者文明》を共通の根源としてもってお・・・ったのである。・・・(1992 p.347)
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 ▲ (ヰキぺ:八正道) 〜〜〜〜〜〜
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E6%AD%A3%E9%81%93

 八正道は全て正見に納まる。
われわれが身心のいっさいについて無常の事実を知り、自分の心身を厭う思を起こし、心身のうえに起こす喜や貪の心を価値のないものと斥けることが「正見」である。このように現実を厭うことは、人間の普通の世俗的感覚を否定するものに見えるが、その世俗性の否定によって、結果として、真実の認識(如実知見)に至るための必要条件が達せられるのである。正見は「四諦の智」といわれる。
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仏教以外にも知られている、いわゆる「禅定」瞑想は、止(サマタ)瞑想と呼ばれます。観と同じく必死に集中してものごとを観察しますが、視点が観(ヴィパッサナー)とは全く異なります。止(サマタ)では、絶え間なく変化生滅し続ける現象を、その生滅する一つずつを次々に観察するのではなく、現象を「変化しないもの」と仮定して、何か一つの対象だけに集中し続け、そこに心を「留める」のです。

 何か一つのものであれば何に集中してもよいのですが、仏教ではその場合も、集中する対象が善いこと・善いものか、欲や怒りを起こさないものであるようにと工夫して、集中してもよい対象を四十種類だけ選んでいます。地要素に集中して土の壁の一ヶ所だけを見つめ続けたり、慈悲の瞑想をして「生きとし生けるものが幸せでありますように」などと頭の中をそれだけで一杯にして念じ続けたりします。

 集中している間は他の出来事に気を取られていませんので、頭は冴え、心も平静でいられます。でも止瞑想を終えて座から立ち上がり、日常生活に戻ってしまうと、その時の集中感覚もなくなってしまいますので、頭も心も、結構日常レベルに戻ってしまいます。
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 観(ヴィパッサナー)は自分の心身や外界の絶え間ない変化を観察し、その、一瞬ごとに絶え間なく変化生滅し続けている現象を、そのスピードのまま、ありのままに捉えるものです。
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 実在すると思っていたものごとが全て無常で、絶え間なく変化生滅している断片の繰り返しだけだと分かると、頭は冴え、感動して心が揺れ動くようなこともなく、いつでも平静、冷静でいられます。事実をありのままに捉えて分かってしまうので、観察を終えて日常生活に戻っても「あっ、それはもう分かっていますから結構です」という感じで、無執着・平静でいられます。
 ● (藤本 晃(慈照)文学博士・誓教寺住職:仏教的に正しい禅定の作り方 ) 〜〜〜〜〜〜〜〜
 3 禅定は誰が始めたの?

インダス文明を築いた人々は、インド土着のモンゴロイド系の人々だったようです。アジア大陸の中央部を席巻したモンゴル人の系統です。アジア東部の中国・朝鮮・日本人とも関係が深いです。

 インダス文明は紀元前二千年頃に滅びましたが、西のインダス河に対する東のガンジス河の北岸以北に住む釈迦族などのモンゴロイド系の人々には、その後も禅定の習慣は絶えず伝えられていたようです。

 インダス文明が滅んだ後、紀元前千二百年頃から、西からイラン系アーリア人が、インダス河を越えてインドに入ってきました。この人々はリグ・ヴェーダという口伝の宗教を、インドに入った頃から紀元前七百年頃までにほぼ完成しました。
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