caguirofie

哲学いろいろ

或る和解?

http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2834126/

さて。

またまた「善悪」のことをテーマに(←これで何度目になるんだか、毎度のリサイクル質問w)、

またまた自説の「公理」ありきの頑として主張を御開陳中の爺さんと、その常連お仲間さんたちへw

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7671611.html?pg=0

しゅねーゐとへんどの ヤッホー。



たとえば、まさに「自然本性」の原点そのままの存在である赤児を指して、「善」か「悪」かを言ってもしょうがなかろう。


「自然本性」は存在することが良いことだと見なすからって? そんな悠長なもんか?w


「砂上の楼閣が、よく機能すれば」だって(苦笑)

《まさに「自然本性」の原点そのままの存在である赤児を指して、「善」か「悪」かを言ってもしょうがなかろう。》

  • そうかなぁ。

《「自然本性」は存在することが良いことだと見なすからって? そんな悠長なもんか?w》

  • 《悠長なもん》ぢゃあんめーか。

《「砂上の楼閣が、よく機能すれば」だって(苦笑)》

  • 悪は存在しない。にもかかわらず 善の損傷という中身で 現象としては起きている。まさに砂上の楼閣のようではないか? という分析視点が 砂上楼閣であっても それがよく機能すれば いいわけぢゃん。




まあ、この爺さんの場合も、人格障害者等に顕著に見受けられるところの、

ぜったい!反省したくない!!

謝りたくない!!

という心根から、実は、「悪」というものはないのだぞ、という主張になっているのかいなと思われるがw

  • 言い過ぎ! 言い過ぎ! 言い過ぎ! ですよ。
  • しかも そうですよ。そのとおり。
  • ところが 結論が ただしいと来ている。反省しなかったからこそ 得ることが出来た。反省していたら 何もかも初めからやり直さねばならない。
  • ただし これは 相手によりけり。の話。こういう中傷を平気で言う手に対しては 謝るということの意味が現実のものではなくなる。





爺さんに言わせれば(あ、そうそう、なぜか、ここのブロガーのアナゴも同じこと言ってたなw)、

それは、むしろ、傷ついたほうが同調した証拠とかいうことなんだそうで、だから、そっちこそが「悪」と呼ぶべきなのだ云々、とかいう、ヘンなコジツケぶりにも窺え。ww

  • 《そっちこそが》の部分だけ マチガイ。どっちがどうってことはない。《同調》を問うのではなく 《やましさ反応を振り切ったこと》を誰についてでも 悪と呼ぶ。



どうやら、爺さんは、この私を「悪」としたいのだとすればだが、もちろん、そういう意味では、私は「傷ついた」とか「損傷を受けた」とは言えない。だって、私の持って生まれた気性は、基本的にそのままなのだから。

(後段に、そのへんの理由も述べてある。)

  • 話は 核心の部分に入って来た。

《そういう意味では、私は「傷ついた」とか「損傷を受けた」とは言えない。》

  • では どういう部分で傷ついたのか?





しかし ま、なんだって、あの爺さんの質問に登場する回答者の多くは、一人称がコロコロ変遷すんのだかな。しかも、同じ回答ナンバー枠のなかでだよ。

「僕」と言ったり「わたくし」と言ったり。この現象は、当の質問者の爺さんもそうなんだよなー。わたしと言ったり、わたくしと言ったり。

何が基準なんだかしらないけど。





そういえば、あ○ガ○パの「愚拙事件」を思い出したw

  • あれっ。

どういう部分で傷ついたのか?

  • は どうなったの?



以前のプロフと同様、どっから借りてきた写真か知らないが、あのイカニモな、俗なプロフ写真見たあとに突如として

「愚拙」

と きり出されたひにゃ。。。ひょっとして、これ、ギャグなのかなぁ?と思った

  • われ局外にあり。(あ○が○ぱさん ごめんなさい。この掲載について。これまでとの継続性やその関連性からして 省略しませんでした。)







さてと、

ある人たちの回答で言うところの「表裏」という単語よりは、アスペルガーなどのことを言うときに用いる

スペクトラム

という単語で表現したほうが的確だろうと思う。

  • 話は 終わったのかいな?



大概、なんでもそうだけど、つまり、「過剰」が、すなわち「悪」と呼ぶべき現象となるだけだというのであれば、その「過剰」言い換えればエスカレートの手前で、どうにかすればいいだけ。

そのカンタンなりくつを、私が何度言っても分からなかったのが、あのカルト連と、そのシンパ連中だ。

  • ということは みづからには《過剰》すなわち《悪と呼ぶべき現象》がなかった。というわけのようですね。





私が、「サディズム」という「悪」が楽しいらしいカルト連・シンパ連を見ていて、内実は、

彼らこそがマゾヒスト

なのだなと思ったのは、本質が自虐、まさに、

自分の「やましさ」をこそ楽しんでいるらしいからだ。

  • なんですか。



そこが、その反面において特徴的な、いかにも安っぽく、みょうなウェットさ、醜悪なまでの自己愛的憐憫・感傷性にも結び付く原因なのだろうと思われる。

  • そうなんですか。





もっとも、「サイコパス」の場合となると、べつだん楽しいというのでもなく、「悪」を「悪」だともサラサラ思っていなくて、それが、ごくアタリマエのこととして淡々とやってるだけなんじゃなかろうかと思えるけど。

だから、恐らく、悩まないし、葛藤もしないはずだと思う。

  • これは わたしも分からないのですよね。





いずれにしても、およそ、私の趣味ではないw

だから、あの連中とは、私は豪もソリが合わないのww

  • ということを 《警告》として語っていらっしゃる?





あのstomachmanは、自分は葛藤なんかしないし、他人が楽しいと思ってやってる遊びを、私が やめさせる権利はない、とか言ってたけどさw

おっさーん、どこまで得て勝手にズレとんのか?と思ったわぃw

  • 《過剰》すなわち《悪と呼ぶべき現象》について警告を発しておられる。





ただ、なにも「サイコパス」とまで言うほどでなくても、多分、ある種の発達障害に属す人には、その特有の限界性から来る無自覚ゆえに、また、日常生活の積み重ねのなかで溜まっていった、本人にとっては不条理でしかないであろう劣等意識と不安感ゆえに、指摘を受けたり注意されたりしたときには、逆に、被害意識を持って猛反発してしまうことも多々あるようだ。

  • だから《猛反発》はおさまった?

こういう事例は、このサイトのブロガーの、ある女性にも見受けたことだ。

そして、実に皮肉なことに、ご本人自身、思想とかポリシーとしては、「他者への思いやりと、その実践が大事」という考えを、一般のレべル以上に、しっかりと持っておられるようなのである。

当の本人としては、往々にして、それこそ、「良かれ」と思って、とった選択だったということが殆どなのではないだろうか。

  • けれども 《過剰》すなわち《悪と呼ぶべき現象》が その人の中で起きていた?





実際、こういう人には、なるほど、その事情を一応は知っている周囲なら、まして、あかの他人は、腫れものに触るように、恐る恐るな、気を遣った忠告の仕方になってしまうだろう。あるいは、早々に匙を投げてしまうか。

  • 《警告》が効かないというか その人その場にとってふさわしくなく このましくないときがある?





もっとも、カルトのババさまの

「どりゃあああ!!わたしの背後にまわるな!!!」

という、意味不明な突然の噛みつき等が、何かしらの善意ゆえだったとしても、私には、とうてい不可解だけどw

  • 《意味不明》であれば 局外にあるわたしは 沈黙。



以前のエントリーの『奇しくも同じ月日に』だったかで、追記として、「フレネミー」というものの例を加えておいた。

  • ・・・。





『「天知る、地知る、われ知る、人知る」13 』

http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2801608/

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〜 ★ ご自身の質問スレで、ご自身「かかわりがない」はずの他人の噂を頻りにせずにいられないとしたら、なぜですか???
 ☆ 悪いが 気にしたこともなければ 噂をしたつもりもない。ふつうに応じているのみ。〜
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こういうのを、噂というのです、ふつうはね。

おたく自身は、自分が、こういうかたちで、公開のネタにされて、なにも不快に思わないですか?違うでしょう。〜

  • 今回 《不快に思った》という振りをして こうして記事に応答しているのであります。



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〜 noname002 さんもよろしかったら 〔【Q:《言語記号の恣意性》は 神話である。】に〕どうぞご見解を寄せてください。(ときさんも わたしの友人ですが 過去のいきさつを超えてお二人とも いまは親しみを感じます)。〜
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そんな気になってもらえると思う、おたくが、ふつうでないほどに、ずうずうしいのです。
上記のようなことがあったあとで、そんな手前勝手な感傷はとおりませんわね。

《過去のいきさつを超えて》を《超えて》のご発言でございますね。

  • それは 《相手の悪に同調もしていなければ みづからにも悪はない》という場合にも成り立つ?

このままでは、あなたの手前勝手な、安っぽい感傷でしかないのです。
一言、「あのときは、ついカッとなってしまい、失礼しました」と添えるべきです。

それだったら、私も考え直して、あなたの質問に参加してあげたかもしれません。
だいたい私は、独り善がりな安っぽい感傷というものが、ただでさえ嫌いなのです。

《感傷》になると見るとすれば すべてそのように・その見方からものごとが見えてしまうでしょうね。



『「天知る、地知る、われ知る、人知る」14 』

http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2801631/

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ははぁ、恐いのですか?「たたられる」のが。

もしかして、すでに「たたられて」いるのですか?

  • 生霊(いきりょう)というのもあるのです。幽霊としてのお化けだけではないということ。すごいですよ。
  • だいたいのことを言えば けっきょく自分が苦しみ悩んでいるその姿その中身を そっくり相手に輸出するわけです。相手の税関もものかわ そのタタリ光線は かんたんに相手のふところ深く分け入ってしまいます。

私はね、筋を通して、初めて、それからですよ、ご自分の話を信用して、受け入れてもらいたいならば、と一貫して言ってきただけです。

ただでさえ、おたくと、「OKウェイブ・教えて!goo」での、おたくの周辺の面々には、オカルト宗教っぽい何かの謀りごとの臭いがプンプンしてるのです。

《はかりごと》って 羹に懲りてなますを吹くってやつぢゃないの? 《善の損傷は なかった》のでしょう?

じゃあ、聞きます。
「人間以前」とは、「罵倒」ではなかったわけですか?

  • もし罵倒であったとすれば それは――わたしの場合には―― 売り言葉に買い言葉として繰り出す応答の仕方です。さもなければ 相手の文章の内容について・そしてまたは時には相手の人柄や性格やさらには人間性について わたしが反応した限りでの真実を述べています。
  • 反論・批判すれば済む問題だという意味です。

おたくの質問に、たしか、『ザビーヌさん事件』云々というのもありましたっけ、あのなかで、おたくは、
「本人自身も楽しんでいた面があったのであれば」とか言ってましたね。それを見たとき、正直言いますが、私は、「ふん、しょせん、ただの男だわな」と思ったものでした。〜

  • その《ただの男》は 《ただの・ふつうの人間》のことでもありましょう。







『人が 人のあやまちを赦すことができる?』

ブ爺:

「わたしは できません。“聖なる甘え”なので わたしは できませんが あなたは すべきです」(←爆 これが、爺さんの宣伝文句である自称「能天気」と言うのか、本音である。間違いない!w)

  • 意味が・つまりその文脈がはっきりしない。





おなじみの大根役者勢揃いの、この茶番スレw↓

『なぜ けんかをしては いけないのか』

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7353850.html

〜よかったら、その欠席裁判というもののリンクをはっていただけるとありがたいのですが。

投稿日時 - 2012-03-13 23:53:38

お礼

 もし内に省みて そういう答えが返って来るのだとしたら それで かまいません。

投稿日時 - 2012-03-14 05:02:05〜

  • そういうもんです。



〜はあとまいんどさんも たしかあの欠席裁判に参加していましたよね。
 その事実によれば その参加はとがめられるべきだとわたくしは考えますので その咎が晴らされたあと 初めてふつうの対話ができるようになります。〜

  • そういうもんです。




プッ、あははっこれぞ、自分棚上げ方式種族の面目躍如だねえ!(呆)

ああ、既視感。。。w



こういうのとかかわるってのは、すなわち、ペンペン草も生えない「不毛」だってことよ。

  • 言いっ放し。つまり 例証も理由説明もない。





『「日韓基本条約」に潜んでいたかもしれない欺瞞 』

http://schneewittchen.iza.ne.jp/blog/entry/2541926/

〜被害者が、プライドや誇りゆえであろうとなかろうと、敢えて騒がないのは、加害者にとって、最高の好つごうである。それは当然だ。〜

  • これは われは局外にある。