caguirofie

哲学いろいろ

言語の普遍性(1)

(2)は:2012-07-27 - caguirofie

言語の普遍性とは如何にありや?

 §1 まえおき
 1. 特定の一つの言語を取り上げる前に――もしくはそれと並行して―― 一つには 言語の起源を扱う生成の問題を掲げなければならないでしょうし もう一つには その生成の結果としての諸言語の構造を類型的に捉えておくことが必要だと考えます。
 2. 言語類型論としてかなり普遍性をもった分析内容を 一つの仮説においてわたしは得ていますが それには ひとつの前提が問題になります。
 3. ひとつの言語が諸言語のあいだでどのようにみづからを生成させ展開して来たか これです。言語どうしの影響関係を 普遍性理解の前提として解明する必要があるようです。

 §2 言語の系統はどれだけの史実か?
 4. 系統もしくは言語家族は 互いに他をよそものと思っているようだが 果たして事実としてただしいか?
 5. 東北地方語と九州地方語はともに日本語であり 沖縄語は――たとえば基本として三母音構成ゆえ 上の二つの地方語と同じ次元の日本語とは言えないけれど―― やはり基本として日本語家族である。形容詞の形成の仕方がちがうけれど 元は同じ起源から分かれたと確認できる。

 6. この日本語家族は たとえばインド・ヨーロッパ言語家族と よそもの同士として互いに隔たっているのか? あるいは 朝鮮語とは 似通ったところがあるとか 中国語とは――漢語の語彙としてはたいへん共通のものがあるけれど―― 根本的に違う言語だとか言われることは どこまで史実であるか?

 7. 仮説としての結論は おそらく基本的に言語は互いに影響し合ってそれぞれを形成したであろう。これです。

 8. 言いかえると ヨーロッパの諸言語は――バスク語およびマジャール語を除いて――すべて同じ家族であるという見方は そのまま正しいか? これに対して仮説としては 差異を持ったいくつかの言語の寄せ集めの状態から 互いに混ざり合ったのであろう。これです。
 9. 言いかえれば 言語どうしの混合の度合いに従って 家族度が違ってきている。ただ――史実としては―― これだけのことではないか。と考えます。
 10. また接触がなかったのなら 混合も起こらなかったというに過ぎないという見方です。バスク語は 接触があっても 混合をいさぎよしとはしなかった。家族度がうすい。
 〔11. フランスのバスク人(ガスコン)は ブラジュロンヌの叔父さんのようなダルタニャンらもそうだったようですが たしか国王までを出しているようですから 混合したとも言えそうですが 言語としては 影響のうすい恰好を保ち 自由な二重生活をえらんだのでしょうか〕。
 

 論証はまだですが まづ提出してみます。
 ○ 言語家族(言語の系統)は 家族性の度合いが濃いか薄いかの問題である。
 ○ ぎゃくに言えば 同じ言語家族のあいだでも 互いの差異は大きいとも言える。


書きかけの文章ですが。