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哲学いろいろ

 イの折れ の話(8)

用言の連用形は 概念法として活用したかたちである。

  • ma 目> ma-i > mä > me 目
  • ta 手> ta-i > tä > te 手

これらは 体言である。ふつうの主題――つまりは 論述のための主題ではなく 文として取り扱われる話題としての主題――をになう語が 体言である。
用言は 体言が言わば活用されるかのごとく 用いられるそのようなかたちの語である。

つまりは 上のふたつの語例に沿って捉えるなら

  • mö  守るのモ> mö-i > mï > mi > mi-ru 見る
  • tö (手)> tö-ru > toru 取る

のごとく 用言がつくられる。


そうして いまの問題は この用言の連用形すなわち概念法の活用形である。

  • mi-ru 見る( > mi-ri とは成らず) > mi(= mö-i ) 見(み)
  • toru 取る > tor-i 取り

といったふうに イの折れにかかわるかのように 母音として -i で終わる形となる。

これらは 四段活用や上一段活用だから そうなのではないか?
それでは 上二段活用や下二段活用を見てみよう。
上二段のばあいは 上一段と同じく 連用形=概念法は 母音でイの終わりである。

  • tuku (尽く) > tuk-i 尽き
  • sugu (過ぐ) > sug-i 過ぎ

下二段のばあいは どうか?

  • tugu (告ぐ) > tug-e 告げ
  • motomu (求む) > motom-e 求め

これでは イでの終わりではないではないか?
ところが この母音 -e は もともとけっきょく -e < -a-i から出来たと考えられる。(または -e < -ö-i からである)。
すなわち 用言の原形とも言うべきかたちがあって それは 体言と同じく その語末は 母音で あいまいなオの -ö であったと見るところから来る。(これは -a という末尾母音であっても ほぼ同じだと見ている)。
すなわち

  • tugu 告ぐ > 一たん tug-ö という原形に戻ってそこから イの折れもしくは概念法のイの活用をおこなう。こう見る。 > tugö-i > tuge
  • motomu 求む〔 mötö 元・本 -mu む( M の話を参照)〕 > 一たん 原形へ= mötö-mö > mötö-mö-i > motome 求め


 これらの連用形は 概念法という名のとおりに 用言でありつつ 体言ないし名詞のごとくに用いられるのである。
求め・告げ・過ぎ・尽き・取り・見・・・は みな体言としても使われ得る。ちょっと見・月給取り・運の尽き・十時過ぎ・お告げ・お求めの品・・・。
このときの 末尾母音のイは イの折れのイと同じだと考えられる。