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哲学いろいろ

Zueignung

Zueignung   Hermann von Gilm 


Ja, du weißt es, teure Seele,
Daß ich fern von dir mich quäle,
Liebe macht die Herzen krank,
Habe Dank.

Einst hielt ich, der Freiheit Zecher,
Hoch den Amethysten-Becher,
Und du segnetest den Trank,
Habe Dank.


Und beschworst darin die Bösen,
Bis ich, was ich nie gewesen,
heilig, heilig an's Herz dir sank,
Habe Dank.


竹中宏誌訳
そう、貴方は知っているんだろうか
貴方から遠く離れて、僕がこんなに苦しんでいることを
愛するということは、こんなにも心を苦しめるんだね
僕の感謝を受けとってください

かつて、僕は酒におぼれていた
紫水晶の杯を高くかかげていた時
貴方はその杯に祝福をしてくれたんだよね
僕の感謝を受けとってください


貴方は杯のなかで、悪魔をおいはらってくれた
そして汚れていた僕は、今までとは変わって
ただただ清らかになって、貴方の胸にたおれこんだんだ
その貴方に感謝したい、ありがとう

ささげたきこと
( Hermann von Gilm:Zueignung ぶらじゅろんぬ訳)


きみの思いは いかばかりだったか
いつか遠く離れることになったとき
やっとこころにぽっかり穴が開き わが想いは
わが想いを痛く覚えなければならなかった


きみはどこからかわが酒坏に口づけて
底なしの酔いどれのわが酒坏に口づけをして
あの紫水晶の祝福を われにあたえて
くれたとき


ありがとう きよらかな口づけ きみのこころ
夢うつつをさまようわが酒坏は 
はっと目覚めて きみのむねに
つばさをつけて戻りたかったあのとき あのころ


   *


 わたくしの翻訳は 意訳である以上に 原詩の時制を無視しています。
 第一連は 現在であって 第二連以降は 過去である事実を無視しています。

 一つだけ疑問が残るのです。
 第三連で自分のなかの《悪魔を追い払って》もらってその《ただただ清らかになって、貴方の胸にたおれこんだんだ》という過去があるなら 現在である第一連においてなおなぜ《僕〔は〕こんなに苦しんでいる》のか? という疑問です。
 ふたたびの悩みや苦しみが襲ったということでしょうか? けれどもその第一連第四行では《僕の感謝を受けとってください》とも言っています。
 《愛するということは、こんなにも心を苦しめるんだね》という状態になっても そのこと自体についても《感謝している》ということでしょうか?
 そうとも受け取れますから この文章は 翻訳失敗の弁でした。