#18
第一章 《アマテラス‐スサノヲ》体系――その神話的・黙示的世界をとおして――
第三節 《ブラフマン / ヰ゛シュヌ‐シワ゛》体系の歴史的展開
――《ヨハネ黙示録》と《リグ・ヱ゛ーダ讃歌〔の黙示〕》――
第三節・その二 シワ゛の歴史的展開としての《スサノヲ(シワ゛)の世紀》
§18b
さしあたって このように考えられ 以上の命題をまとめるとする。
[α]系列は アジア [ε]系列は 西欧(ヨーロッパ) そして[β]系列は ペルシャ(ザラトゥシュトラ宗教)をそれぞれ 示す。
[α]1. インドラは 《ワ゛ジュラを揮って悪魔を退治し 人界に待望の水と光明とをもたらす》 したがって つねに《 Brahman / Visnu - Siva 》体系のそれぞれの構造的契機と 互いにあい携えて 共存=実存する。(=《黄金律》)
2. このインドラは 《生産行為=〔社会的〕経済価値》である。
[β]1. インドラは〔あるいは インドラも〕変容する。もしくは 対マルト および 対ヰ゛シュヌの両関係において 変容する。
- 参照→
われは ここより生まるることを欲せず。こは難渋なる道なり。われは斜めに脇腹よりいでんと欲す。多くのいまだなされざることを われなさざるべからず。ある者とは戦わんと欲す ある者とは和解せんと欲す。
〔《インドラ出生讃歌》 第二句(インドラ自身の発言)〕
[ε]1. インドラは 《唯一絶対顕現神》体系においては 《黙示》録の構造的契機としては 《神》の系統に対立して 《龍‐獣‐十の角》の系列に入る。
2. これは インドラの自己分裂である。具体的には 《 Visnu = Indra 》のかたちで商品形態(貨幣価格)として および《 Marut = Indra 》のかたちで 労働行為価値として それぞれ ある。
これらの命題を これまでの論述に従って さらに それぞれ 敷衍させるなら やはり次のような点を得ることができる。
[α]3. 《生産行為=社会経済価値》としてのインドラは 《 Brahman / Visnu - Siva 》体系の中において 具体的にそれぞれ《祭祀の場(祈祷・ないし 実存の実存) / 政治行為〔者〕‐経済行為〔者〕》のおのおのを互いに結ぶ関節としてある。(生産行為 Indra が 別の意味で第一位の 汎神的存在となる)。
4. 従って ヰ゛ダタ(祭祀の場=社会経済価値の分配)については 当然のことながら この社会形態に普遍するインドラを中心として論じられる。逆に言えば インドラは ヰ゛ダタを基盤として 社会関係の全般にわたり 総体的に 実存する。
[β]2. 社会的結節点としてのインドラが 変容をこうむるのは 結節点としてのそれ自身 つまり交換過程をとおしてである。
3.〔=[α]4‐a〕その意味では しかしながら アジア的社会形態(つまり 命題[α]の系列)においては 《交換過程》が 存在しなかった。言いかえれば 《アマテラス‐スサノヲ》間の結節関係のみが インドラの交換行為(もしくは分配行為)の過程であって スサノヲどうしの間(つまり言いかえれば 個体対個体)においては 交換過程(市場)は そもそも存在しなかった。極端に言えば 《祭祀の場(分配の場)》が 社会総体的に 《市場》に代わるものであった。
4. インドラの変容は 交換過程(個体対個体のあいだのミクロ的な市場)を通るその前と後とにおいて 労働行為価値(つまり 自律的に 労働行為量。他律的に 使用価値)とそして商品形態(=交換価値)とに分かれるものであると分析される。
- なぜ 《市場》もしくは個体対個体の交換行為が現われるかと言えば それは 《政治(経済)主体=政治学(経済学)主体》なる統合構造が 各市民を支える限りにおいてである。
5.商品形態(龍)が 貨幣形態(獣)として確立されて それ以降 資本に転化してゆくというその後のインドラの自己分裂および自己増殖の過程 言いかえれば 自己の内と外とにおける長期にわたる多岐にして重層的な錯綜構造化の過程(および 或る面でその滅び)は 西欧に系譜における限りで マルクス『資本論』の分析するところである。
6. 変容インドラは 極西 Far West まで到って 変容のまま 東に戻る。そこでインドラは 元のかたちと共に 分裂変容した自己の姿を見る。(アジア的形態においても 変容はしていた)。
[ε]3. 変容インドラは 自己分裂する。分裂して自己統一する。または 長期にわたる歴史の過程において 自己回帰の旅に出る。――収奪の収奪 否定の否定。または 一人の個体の実存が 政治主体(市民)と政治学主体(公民)とに分裂して その統一が求められ 社会的に闘われる。
4.([β]5に関連して)。インドラの半身であるところの《貨幣形態》〔および その頭脳 caput; capita であり 角であると言うべき資本家的市民 bourgeois capitaliste 〕とともに 《心を一つにして》 《龍‐獣》の一系列を樹立すると言われる。
5. 前項を図示するなら 次のごとくである。{《 Indra K = Visnu = Marut capitaliste 》 - 《 Indra = Marut susanowoïste 》}
- (註) ここで Indra K は 《商品‐貨幣‐資本》形態についたインドラを表わし そうでないインドラは Marut susanowoïste (一般市民スサノヲ)に対応するもので そのまま Indra と表わす。また ここで Visnu (政治経済学主体)は いくらかの過程を経て むしろ Marut capitaliste (資本家的市民スサノヲ)の中から生まれるという形態として現われるだろう。そこで 同じ図式を 簡潔に次のように示すことにしよう。
{《 Indra K〔= Visnu 〕= Marut K 》-《 Indra = Marut 》}
- なお ここで Brhaspati( = Ahura Mazdah; 《在りて在る神》)のモメントは 上の構造の中のいづれのモメントに就いているかは 定かではない。それは と言うか 各モメントが つまり人間が 歴史的に変遷するであろうから。
以上 §17および§18は インドラの社会的形態を アジア対西欧の比較の上で つまり冒頭に述べた第二の視点として そのいくらかを基本的に捉えたものである。次には アジア的社会形態じたいの中での 第一の視点として さらにその展開を詳しく論じる番である。(→§19〜§20)
なお 西欧的社会形成態の歴史的展開を これまでの論述を要約するかたちで ここで 全体として図示してみる。
Fig.E-1 西欧的社会体系の概念
社会形成態 | 創造主 Creator | 被造物creature |
---|---|---|
アジアとの対比 | 《 Brahman(= Visnu = Siva )》 | 《アマテラス=スサノヲ》 |
社会的な主体 | 《アルファでありオメガである者》 | 《政治学主体=政治主体》 |
・ | (唯一絶対性) | ・ |
・ | 《在りて在るもの》(顕現性) | 《経済学主体=経済主体》 |
歴史的な主体 | 《クリストス(メシア)》 | 《公民citoyen=市民homme》 |
形態1-0 | Old Testament // Adam & Eve in Eden | |
---|---|---|
・ | Brhaspati-0 = Visnu-0 = Siva-0 | |
・ | Yahweh /// ↓ | |
・ | ・・・・・・Noah - Cain / Abel | |
1-1 | ・・・・・・{《Brahmanaspati-1 = Ridra》-《Brahmanaspati-1 -〈Visnu = Rdura 〉》} | |
・ | ・・・・・・・・↓ | |
2-0 | New Testament /// ↓ | |
・ | Brhaspati-0 = Visnu-0 = Indra = Marut | = Christian |
・ | ・・・・・・・・↓ | |
2-i | ・・・・・・・・{《Indra K〔= Visnu〕= Marut K》-《Indra = Marut L》} | Susanowo capitaliste & susanowoïste |
・ | ・・・・・・・・↓ | |
3-0 | (millenium)・・・? |
(つづく→2008-09-09 - caguirofie)