caguirofie

哲学いろいろ

#39

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第十三章e ふたたび 国家の問題

素粒子の外面的な顔として スピンのほかに 《偶奇性(パリティ)》というものがあると捉えられている。それは いま

空間の点を記述するには 右手親指をx方向 人さし指をy方向 中指をz方向とする三次元の直交座標系(右手系)を使うのが普通だが 左手の指で同様に定義された座標系(左手系)を使うこともできる。座標軸の方向を反転して右手系から左手系に移ったとき 各粒子に固有の符号をあてはめると 強い相互作用と電磁相互作用の方程式が変わらないようにできる。このプラス マイナスを粒子の偶奇性(パリティ)と呼ぶ。
(鈴木真彦・釜江常好:素粒子の世界(前掲)2・1)

そこで この偶奇性を利用して おそらく重力の方向の転倒 性(役割分担としての性)倒錯が起こったものと考えられる。ところが この同じ偶奇性にかんして

弱い相互作用は どのように粒子のパリティを決めても 左手系と右手系で同じ形に表わすことができない。これを 弱い相互作用パリティを破ると表現する。
(同上)。

というように 弱い力としての自己(わたしたちの言う接触作用)には 性倒錯は起こらず また重力の方向法則もこれを変えることはできないものと思われる。とにかくそこに己れがいるというほどの自己には 性の存在しない力(また力学)がはたらいた形なのか 自然的な性の変形が起こらない存在形式が保たれると考えられる。これは おそらく重力――無重量の状態が当然 考えられないではないにかかわらず 重力――の法則を保つことによると考えられる。
それは 意志の法則を保存してのように 意志の回転の強さ・つまりスピンの値をも 保存すると考えられる。電磁場も この意志のスピンの値に従うことが出来る。言いかえると 整数値は整数値と 半整数値は半整数値の スピンを――仮りに互いに高官したかのようであったのならば――そこで 復活させると考えられる。これが 歴史的に 国家の問題に及ぶのではないか。あるいは もともと 交換経済社会は ただちに国家形態へ上昇したのではなく あの初めの歴史知性は 復活すべきスピンのかたちを保存し十全に活用して 歴史におどり出て来たのであったのではないか。
このような過程が あるいは過程として さらにあるいは過程をとおして 自己が・社会が 歴史し 歴史すると見通されるのではないだろうか。



そこで 素粒子の今度は 内面的な顔の一つに 《〈香り〉の量子数》というのがある。それは ストレンジネス( strangeness )=sクオーク チャーム( charm )=cクオーク ボトム( bottom )=bクオーク トップ( top )=tクオーク また アップ( up )=uクオーク ダウン( down )=dクオークである。クオークは 半整数値のスピンを持つ粒子である。力学にあづかる。ところが

現在私達の観測するクオークは 弱い相互作用で《香り》の量子数を保存しません。弱い相互作用にかんしては uクオークとdクオークは一組の仲間と考えられます。そしてuは w+(ウィークボソンの一つ)を放出するとdになり dはw-を放出するとuになります。したがって wを放出・吸収するごとに uとdの《香り》の量子数が入れ替わって保存されないことは容易に理解できます。ところが wを放出することによって sクオークとuクオークも入れ替わることができるのです。
(鈴木・釜江:前掲書5・1)

というように uやdやsやは 半整数値のスピンをもち w+やw-は ウィークボソンであって整数値のスピンを有するものであり これらの運動が 弱い相互作用では その香りの量子数といった一つの内面的な顔を保存しないで おこなわれる。これは――単なる類推解釈をでもひろうしようとおもうなら―― 弱い相互作用では その内部の粒子を入れ替わり立ち替わり運動させ むしろその一つの顔を保存しないことによって 全体として 電磁のおよび強いの両相互作用が 偶奇性(プラスとマイナスのいわば性対称的な倒錯の幻想とみる)を体シテいるそのことを 打ち破るのではないだろうか。
そうして これによってむしろ 重力の法則を保存し その意志ないし性を――性の存在しない領域で――支えている。スピンが整数値であるw+やw-などのウィークボソンが この運動のいわば弾性なる媒体(つまり性が存在しないということを 役割としては男性と称する)となっているのだと思われる。《香り》の量子数とは おもしろい命名だと言わなければならない。

強い相互作用》はすべて糊の粒子によって媒介されるクオーク間の相互作用によって説明される。複合粒子であるハドロン(陽子・中性子など)の強い相互作用がすべての量子数(顔)を保存するのは――つまり 偶奇性を保存しつつ むしろ時にその正負ないし男女を倒錯させているかのようであるのは―― クオークと糊の粒子の相互作用が量子数を保存するためです。
(鈴木・釜江:前掲書4・1)

これによって 自己の同一性が保たれる。ただし 性倒錯の状態であるかに見えるというのは おそらく 整数値のスピン(男にたとえる)の糊の粒子と 半整数値のスピン(女)のクオークとを 社会的な力としては 入れ替えたかたちで その入れ替え=交換ということが ちょうど重力の方向を転換させることであるかのように いわば人びとは その身体を空気のようなものとなす。言いかえると 上なる天使(純粋思想)はこれも人間は人間に仕えさせるのであるにもかかわらず この天使の方向へ・その地点へ まったく自分の力によって上昇し そのとき空気のような身体をもって 倒錯を完成させ 国家の上から 重力(意志・主体性・主権など)を逆方向にかけて来るのです。その始まりは 重力(万有意志・自由意志)におちえ 電磁相互作用の媒体たる光を曲げた――本心からウソをついた――ことに発するのであろう。つまり 疑いの知性の問題。

《電磁相互作用》は光によって媒介され その強さは粒子の電荷の大小に比例する。複合粒子の電磁気力は それを構成する基本粒子と光の相互作用にほかならない。ここで すべての粒子は真空分極による粒子の雲でとりまかれていることを思い出してください。その雲の密度と分布は 中心にある粒子がレプトン強い相互作用はしないもの)であるかクオークであるか 或いはクオークの複合粒子であるかによって異なります。したがってエネルギの大きな光量子・別な言葉でいうと波長の短い光を粒子にぶつけると 粒子の雲の分布や複合粒子の内部での基本粒子の様子を調べることができるのです。たとえば高エネルギの電子と陽子の散乱で 電子から陽子へと相互作用を媒介する光の波長が 陽子の拡がりよりも短かったとします。この場合には 電子が陽子の拡がりのなかにあるクオークや反クオークと個別に反応します。このような反応では陽子は光の衝撃を全体ではなく小部分で受けるので 陽子はばらばらに壊れて沢山の粒子になってしまうでしょう。
(同上)

むずかしい事態を抜きにすると これは 国家なる社会力学体が つまりその上部にあるところの力が 崩壊する過程を言ったことになります。もっとも 交換経済社会のまとまりとしての国家・その内実が 崩壊してしまうというよりは その倒錯関係がこわれるということです。

弱い相互作用》はウィークボソンと呼ばれる重い粒子によって媒介される。ハドロンの崩壊(性倒錯のままの自己同一性の存続の不可能)とは それを構成するクオーク弱い相互作用にほかなりません。この相互作用で注目すべきことは 種々の原子核の崩壊からミューオンの崩壊まで 多くの実験結果に電磁相互作用の場合と同じ普遍性が現れていることです。
弱い相互作用は偶奇性や香りの量子数を保存しませんし ウィークボソンは光と違って非常に重い粒子です。あまり重いので 現存する加速器ではつくりだせないくらいです(これが実証された)。にもかかわらず この普遍性は弱い相互作用に電磁相互作用と同じ根本的な原理が隠されていることを示唆しています。〔この原理こそ現代素粒子論の礎石となった《ゲージ理論》と呼ばれるものなのです。〕
(同上)

強い相互作用の媒体である《糊の粒子》 電磁相互作用のである《光》 弱い相互作用のである《ウィークボソン》は すでに見てきたようにみな スピンが整数値の粒子で 《原始の光》から分かれて出来たものであったわけです。ほかに《原始の粒子》が 半整数値のスピンをもって クオークレプトンになった。性の存在しない領域でと前提したうえで スピンが1/2の粒子は女に 1の粒子は男に たとえられる。両者で 三つの相互作用をおこなう。社会的な力の場として 自己の同一性保存と その自己と自己(他者)との接触と 同一性を保存し選択した上での結合。同一性保持と結合とは 香りの量子数(顔)や偶奇性(性対称性)を保存する。接触は これらを破る。逆に言うと 性倒錯しない重力(その場)の自己同一性を 糊の粒子や光は 保存する。そのような強いおよび電磁の相互作用。
ただし人間は 素粒子や原子のただの集まりたる物体として生きているわけでないから その高分子化合物の総体・主体はその身体が 時間的な力であり 朽ちるべき存在である。身体を構成する要素は 要素なりに基本的に同じものとして 推移するであろうが 《人間》はそうは行かない。おそらく ここから社会力学が――つまり人間主体の一般相対論が――問い求められるものであると考える。それは 必ずしもそのような学問を構築せよというのではなく いまその姿勢を言っているのである。姿勢や心構えだけでは何も出来ないが 姿勢が問い求められないではまた 何も始められないと考えられる。
おそらく国家は 再編成され新しい社会形態となるであろうと考えられる。そして三つの相互作用が ないしそれらと重力とが 統一的に理解され 互いに同じ原理によって成り立っているとするのならば ごく日常の生活の場から すなわちいま そのような国家の再編制は始まっていると考えられる。国家が 正当な力の正当な相互作用による形成態であるとするなら そのような視点に立って われわれの生活の場が 理解されるようになるであろう。もっとも基本的には 性倒錯の問題であると われわれは考える。これを次に引き継ぎます。
(つづく→2007-05-25 - caguirofie070525)