caguirofie

哲学いろいろ

「落ちる」ってどういうこと(・・? [ひとこと言わねば]

https://nekodamashi-math.blog.so-net.ne.jp/2018-07-08-2

ブラゲロから次のような質問をいただいた。

☆ 人工衛星が 地球の周りを回るときは 自然の落下に任せているのではないですか?
もしそうなら その中で 石も衛星と同じように 落ちているのでは?


「落ちるとは何か、どのような現象か」という非常に難しい質問だな〜。

普通、物理などでは、

人工衛星にはたらく遠心力と地球が人工衛星を引っ張る力、すなわち、万有引力が釣り合っているから、人工衛星は地球に落ちることがなく、いつまでも、円軌道をえがきつづける

と答えるんだろうが・・・。

地球の中心と人工衛星の距離(円軌道の半径)をR、人工衛星と地球の質量をm、Mとし、万有引力の比例定数をGとすると、地球が人工衛星を引っ張る力、万有引力の大きさFは、ニュートン万有引力の法則から

  

となり、万有引力の向きは地球の中心方向になる。

一方、人工衛星が地球の円周方向にまわる速度をvとすると、人工衛星にはたらいている遠心力の大きさは、

  

で、遠心力の向きは地球の中心方向とは逆向き。

(1)と(2)の大きさが等しいから、

  

という関係が成立する・・・・

高校の物理や社会人を対象にした物理学の入門書などには、おそらく、このような説明がなされるんだろう・・・。

何故、万有引力(の大きさ)は(1)で与えられるのか。

この質問については「神さまがそう決めたから」と答えるしかないと思うにゃ(^^ゞ

それに対して、速さv、半径Rで等速円運動をする質点Pにはたらく遠心力(求心力の反対向きの力)が(2)になるのは、微分積分の知識を使うと、割と簡単に出てくる。


時刻tにおける質点Pの座標が(Rcosωt,Rsinωt)であるとすると、速度ベクトルは

  

加速度ベクトルとその大きさは

  

したがって、速さv、半径Rで質点Pが等速円運動をするためには、ニュートンの運動法則から、求心力は

  

となる。

等速円運動をするとき、求心力の大きさと遠心力の大きさは等しくいから(遠心力と求心力は逆向きの力であることに注意!!)、遠心力(の大きさ)は

  

になる。

(遠心力の発見者は、波動説で有名なホイヘンスさんらしい)

で、人工衛星や宇宙ステーション内では、遠心力と地球の引力が釣り合っている、つまり、

  

となっているから、見かけ上、地球の引力が働いていない状態、つまり、いわゆる無重力状態になるってわけだにゃ。

(4)式とケプラーの第3法則、さらに、ニュートンの3つの運動法則などを使えば、万有引力の法則(1)を導けるだけれど・・・。

ところで、俗に、ニュートンは「リンゴが落ちるのを見て、万有引力を発見した」なんて言われている。

 リンゴが落ちるのに、なぜ、お月さまは落ちてこないのだろうか?

ニュートンは、このことに疑問を持ち、万有引力を発見したみたいな話。

実は、ニュートンの時代より前の時代、地球の法則と宇宙(天、天界)の法則は異なるものだと考えられていたし、広くそう信じられていた。

地(上)の法則は不完全で、天(に近づけば近づくほどその)法則は完全なもの(になる)、と考えられていた。

しかし、ニュートンは、こうした考えを否定し、「地(球)の法則と天(宇宙)の法則は同じに違いない」と考えたんだにゃ。そして、自身が見つけた(考案した)運動の法則――さらに自身が発明した微分積分――を天(宇宙)にも当てはめて考えたんだにゃ。

このことは、天文学と物理の邂逅、巡りあいといってもいいのかもしれない。

そして、天文学は物理の一分野になってゆく・・・。

思い切り脱線してしまったので、話をブラゲロの質問に戻そう。

もし、「落ちる」というのが「地球の中心、重心に近づく」という意味であるとすれば、地球の中心と等速円軌道をする人工衛星との距離、半径は一定なので、「落ちていない」ということになるのでしょう。

また、円軌道ではなく、楕円軌道を描き地球の周りをいつまでも周回し、地球に降ってこないことをもって「落ちない】という意味であるのならば、「人工衛星は(地球に)落ちない」のでしょう。

だから、落ちないと表現してよいのではないでしょうか。


ただし、 人工衛星が上図のような楕円軌道を描く場合、ジェットコースターが地面に近づけば近づくほど速くなるように、人工衛星が地球に近づけば近づくほどその速さは速くなる(面積速度一定の法則角運動量保存則)。

このことを「落ちる」というのであれば、少なくとも、楕円軌道で地球を回っている人工衛星は「落ちては”のぼる”」ということを繰り返しているので、「落ちる」、「落ちている」という表現を使っても間違いではないのかもしれません。

隕石のように、たまたま、地球に「落ちる――正確には、衝突(・・?――」ものもありますし・・・。


ところで、

乗っているエレベーターのロープが切れて、エレベーターが自由落下するとします。

すると、エレベーターの中は、無重力に近い状態になるんですよ。


もし、永遠に落ち続けることができ、そして、そとの景色を見ることができないとしたら、その中で生まれ育ったヒトは、「自分が実は落ちている」ということに永遠に気づかないのかもしれないですね。

だって、我々は、他人(ひと)から教えられなければ、地球が自転している、太陽の周りを公転していることなどに気づきませんから。

少なくとも、私の世界(観)は、地動説ではなく、天動説に従っている。太陽や星(空)が地球の周りを、いやいや、私・ネムネコを中心に回っていると信じて疑わない。このことに何ら疑問を挟まない(笑)。





私が思うに、ddt³さんがガリレオアインシュタインの「相対性原理」の観点から何か面白いコメントしてくださるのではないでしょうか。

「エレベーターが地球の中心に向かって落ちている」のか、「地球(の中心)がエレベータに向かって落ちている」のか、どちらなのだろうか?
この両者は、本当に、区別できるのだろうか?
実は、どちらの立場、視点で現象を観察し語るかという、観測系や座標系の設定の仕方が違うだけかもしれない。そして、どちらが正しいのかという問いは、原理的にその真偽を確かめられない無意味な問いなのかもしれない。

ひょっとしたら、ddt³さんは、アインシュタイン相対性理論に大きな影響を与えたといわれる、マッハの力学、マッハの哲学の話をしてくだされるかもしれない(^^)

たとえば、↓
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/188301.html
みたいな話。


実は、ドイツの物理学会で、19世紀の終わり頃に、「原子は実在するのか」といった一大論争が行われた。マッハの立場を信奉する物理学者さんたちは「原子は存在しない」と主張した。
https://www.shinko-keirin.co.jp/keirinkan/kori/science/ayumi/ayumi17.html

原子論を死守したのは、ボルツマンという超有名な物理学者。

*

コメント 1 ddtddtddt

 プロゲラさんは言いました。

>☆ 人工衛星が 地球の周りを回るときは 自然の落下に任せているのではないですか?
もしそうなら その中で 石も衛星と同じように 落ちているのでは?

 そうですよ。だからこそ無重力状態になるのです。正確には無重量状態とですが。

 地球の地表上でジャンプしたら、ジャンプする瞬間には地面からジャンプ力と同じ力を受け、着地した時にはジャンプ力とほぼ同じ力を受けます。それは地球がほぼ不動だからです。

 いっぽう宇宙船の中では、宇宙船も自分と同じに動いていて不動ではありません(地球に対して)。だったら、宇宙船の中でジャンプしても、ほとんど力は受けません。だって宇宙船は自分と同じ速さで落下してるんですから、自分と宇宙船の間に、地球と自分の間のような宇宙船から自分への支持力はないからです。

 この事情はたとえ一般相対性理論に移行しようと同じです。今日はもう限界なので、この辺りで許して下さい(^^;)
by ddtddtddt (2018-07-09 21:38)

エルンスト・マッハ (1838-1916)

力学
ライプツィヒ, 1883年, 初版.
http://www.kanazawa-it.ac.jp/dawn/188301.html

彼は尊敬をもって、プリンキピアを分析していますが、しかし、ニュートンの絶対時間、絶対空間を批判し、その様な実在はなく、時間とは単に遅い運動と速い運動との比較にすぎず、どれかを基準単位にして時間を計測しているにすぎないとし、空間についても、そこに存在しているものの量と分布によって決定される概念にしかすぎないと主張しています。この後者の空間に関する定義が「マッハの原理」と呼ばれるもので、アインシュタインに大きな影響を与えたのでした。

bragelone

こんにちは。

こちらのテーマで答えてもらっているのを見過ごしていました。
たいへん ありがとうございます。でーでーてーさんも ありがとうございます。

けっきょくはですね。地球の引力に拮抗するだけの遠心力をつけて 人工衛星は 飛んでいる。自力で飛んでいるのだから 落ちているのではない。
――と理解してよいのでしょうか?


でーでーてーさんの説明は 人工衛星の中にいる人間について・あるいはそこで石を手から離す場合についてのことでしょうか?

石は 自力で飛んでいるわけではないので 人間の手から離れたときには 地球上でと同じように自由落下にしたがう。ただし その軌道は 人工衛星の中にある限りでその衛星と軌道を同じくする。

無重量状態になっているのは 自然落下しているから?

――いやあ。おかしいですかねぇ。わっかんないなぁ。

お騒がせしました。いつも ありがとうございます。

by bragelone (2018-07-10 )

[落ちる」ってどういうこと? [ddt³さんの部屋]

https://nekodamashi-math.blog.so-net.ne.jp/2018-07-12#comments

ddt^3です。エリアルのOPは面白いっすよ(^^)。

[マッハ先生とランダウ先生]

 前回のストーリーはこうでした。物理法則は不変なので、「みかけの力を考慮すれば」常に正しい結果を、運動方程式は出してくれる。そして「みかけの力」は正しい結果になるように、現実の作用としても現れる。ただし「みかけの力」は座標変換という幾何学的条件から現れたもので、実在する力ではない事だけはおぼえておこう(^^)。

 一見理想的なストーリーに見えます。しかしこのストーリーは理想的過ぎて問題を含んでいるのです。上記ストーリーが正しいなら、運動方程式は力の一つの測定法を与える事になります。

  F=ma      (1)

 ここにFは質量mに作用する力、aはmの加速度です。運動方程式(1)によれば、mに作用する力を知るにはその加速度aを知ればよいことになります。(1)はいつでもどこでもどんな条件下でも正しいからです。でもFは慣性力込みでした。もう一回言いますが、みかけの力は現実の効果として現れます。みかけの力は実在はしないかも知れないが、本当に現実の力として存在はするんですよ。しかもmにとっては本当の実在する力と同じです。どうやって見分けるんですか?。実在する/しないを。(1)は常に正しいが故に、見分けなんかつきません。
 (1)は常に正しいんだから、別に良いじゃないの?。何がまずいの?。・・・それは物理が力学のみでやって行けた時代の話です。扱う現象がすべて、「見えるレベル」のものであった時代の話です(^^;)。

 現在の物理は力学だけではやって行けません。力学が使う「力」を記述する「力の理論」がペアになって現れます。ニュートン力学の時代には(19世紀まで)、「力の理論」といったら「万有引力の法則(重力)」しかなかったんですよ。だからとりたてて「力の理論」を問題にする事はありませんでした。今からみればニュートン力学は、純粋な力学と力の理論が未分化な状態だったと言えます。
 今では少なくとも4つの力があります。重力,電磁力(電波の力(^^)),強い力(核力など)、弱い力(良くわかんない(^^;))。それぞれ発生源も発生機構も作用機構も違い、統一しようとしてノーベル賞クラスの研究が出る始末。後ろの三つまでは統一されたそうですが。そこへ実在しない見かけの力まで、その発生源・発生機構・作用機構を妄想・捏造する必要があったら、もう収拾なんかつきません。だから力が実在する/しないは、隠れた大問題なんです。もっともインターネットで調べたら、怪しげな力の理論がワタワタ出てきそうではありますが(^^;)。
 もう一つは、現在の物理はもう「目に見えない現象しか」扱わないからです。そこに地球があるから重力は実在する!、なんて明快な事は言えない時代なのです。その意味でも力が実在する/しないは重要です。

 マッハ先生に登場願います。マッハは非常に現実を重視した人でした。近代実証主義の開祖です。マッハ先生なら「現実を見ろ。地球があるから重力は実在する。遠心力は実在しない!」と力強く喝破してくれそうなんですが、歴史的事実は違いました。

 物理は観測がすべてだ(そうだ、そのと〜りだ(^^))。よって(1)が常に正しく重力と遠心力の違いを観測できないなら、どちらも実在の力だ!(エッ?)。そもそも実在する/しないなんて無意味な問題には付き合うな。物理はそんな形而上学とは無縁なのだ!、・・・(エッ、エ〜ッ!(^^;))。

 今現在で聞くとずいぶん危うく聞こえますが、マッハの目的は、力学からの神学的・形而上学的解釈と概念装置の排除にありました。その意味でさっきの立論には非常に重要な歴史的価値があります。また現在でも無視しえない論点も含んでいます。じっさい運動方程式(加速度)による力の測定法,質量の測定法まで体系的に述べたのは、マッハが最初です。でも時代は、「力の理論」には「万有引力の法則」しかなく、「地球があるから重力は実在するが遠心力は実在しない」と、言おうと思えば言えた時代だったのです。
 なので次のようなやり方も可能でした。ニュートンの運動法則は3つあります。
1) 慣性の法則:力を受けない物体は、等速直線運動を行う。
2) 運動法則:運動方程式。F=ma。
3) 作用反作用の法則:保存則の根拠。
 マッハは1)は不要だと言います。何故なら2)でF=0とおけば、等速直線運動を導けるからです。しかし真の力のあるなしの検討を迫られる時代に生きている我々にとって、そうは行きません。例えば衛星軌道を驀進する夢の夜行超特急があったとします。就寝中の乗客にとって、衛星軌道の寝台超特急は地上の寝台超特急と何ら変わりません。軌道超特急の寝台は、軌道軸の回りをグルグル回転し疑似人工重力を発生させるカプセルホテル形式の優れものなのです(^^)。就寝中の乗客にとっては、地上で等速直線運動してるのと同じです。彼らが目覚めた時、自分は実在する重力という力で自由落下という加速度運動をしてるとわかるのは、地上から昇ってきたという昨日の情報が、力学情報とは別にインプットされてるからです。よって我々はマッハとは異なる方向で、現実と向き合う必要があります。

 その辺りの事情をさっくりまとめてくれたのは、やはりランダウ先生だと思います。思いますが、いつもの通りさっくり過ぎて、最初は何を言われてるんだか見当も付きませんでした(^^;)。
 力を受けない物体の事を自由粒子と言います。ランダウ先生は自由粒子が大好きです。自由粒子の力学挙動には、純粋な力学の全てが詰まってるからだと思います。

[定義-1]
 自由粒子が等速直線運動する座標系を、慣性系基準系という。

 自由粒子とは、力を受けない物体の事でした(隠れた[定義-0])。自由粒子を発見する事はとりあえず可能だと仮定します。発見した自由粒子の軌道を、自分座標系で観測したとします。軌道は等速直線運動ではなかったとします。[定義-1]により、自分は慣性系でない事がわかります。しかし軌道の観測結果から、どのような座標変換を行えば慣性系に移れるかは計算可能です。つまり自由粒子を一個でも発見できれば、慣性系は発見できます。
 慣性系が何故重要かというと、そこで働く力は全て実在の力だからです。何故なら慣性系は、力を受けない粒子が等速直線運動する座標系だからです([定義-0]を思い返す)。ニュートンの運動法則1)慣性法則が正しく成り立つ場だからです。慣性系において、実在する力だけに基づいて立てた運動方程式を任意に座標変換すれば、全ての慣性力(みかけの力)を知る事ができ、本当の力とみかけの力を区別できるようにになります。問題は、自由粒子をどうやってみつけるかです。ところがランダウ先生の力学の本をよ〜く読むと、次の定義が隠れているのがわかります。

[定義-2]
 自由粒子とは、慣性基準系で等速直線運動する物体である。

 ・・・?・・・!。[定義-2]と[定義-1]は循環してませんか?。これではさっきの見分け方は全て空論です。自由粒子が先か?慣性系が先か?、の卵と鶏問題です。個人的意見では、ランダウ先生はこれらの行間で、次のように言ってるんです。

 力のあるなしは経験的に判定できなければならない。かつそれは可能である。何故なら慣性系が先に見つかるからだ。現実を見ろ。長い力学史において経験的に検証され尽くした、地球という近似的慣性系が目の前にあるではないか。その事実は、たとえ素粒子実験で強い力を観測していようと動かない。だから核力は実在の力なのだ!。
 地球が近似的慣性系である事は、惰性でスケートリンクを滑る時の事を思い出せば十分だろう(ランダウ先生はロシア人(^^))。

 こうして慣性系はみつかり、自由粒子もいっぱいみつかり、さっきの話が現実的に有効になります。そして慣性系に対して等速直線運動する全ての座標系も慣性系です。そこでは本当の力しか働きません。それがガリレイの相対性原理です。

 マッハの立論は気持ちはわかるんだけどやり過ぎだと、現在ではみなされています。それはニュートンも同じだったらしいのです。ニュートンは慣性基準系の重要さに気づいていました。だからこそ運動の第一法則として明記したのですけれど、慣性法則はニュートンの己の力学体系の基礎でした(支えるという意味で)。

 ニュートンが悩んだ状況はこんなのでした。よく引き合いに出される例として、発進中の電車の車内では、電車の発進方向とは逆向きの力を受ける、というのがあります。これも電車の発進加速度による慣性力が、実在する力である接触力に変換されて現れたものです。ニュートンは電車がもし宇宙全体だったらどうしよう?、と考えたのでした(さすがニュートン、律儀です)。
 全宇宙が発進中の電車内のようだとしたら、宇宙のいたるところでその慣性力を観測できます。その慣性力を発生させる宇宙全体を動かしていると思われる力は、実在の力でしょうか?。
 ニュートンは絶対空間(と絶対時間)という考えを持っていました。絶対空間は絶対静止系です。その中で宇宙が動きます。絶対静止系はもちろん慣性系です。よって宇宙のいたるところで同時に働く力が観測されたなら、それと逆向きの力が宇宙全体に作用していて、それは絶対静止系において作用するものだから、実在の力である事が逆にわかる事になります(発生源は不明ですが)。
 ニュートンが何を言いかったかというと、私の力学は宇宙論としても完璧だぜ、という事を目論んだんだと思います。「オイラの理論に従えば、宇宙外部の力だってわかるんだぜ」という訳です。そうするとニュートンのやるべき事は一つに決まります。
 物体の位置と速度は常に基準系からの相対値になりますが、加速度だけは絶対だと示せればOKです。それによって彼の力学は、宇宙論としても完璧になります。それがニュートンのバケツです。
 バケツに水を張ってブン回せば、水面には遠心力によって勾配が付く。これは向心加速度が化けたものだ。たとえバケツ実験を宇宙コロニーの中で行っても同じ結果になる。ほら、加速度には絶対性がある!。

 後年マッハは、絶対空間は、測量によって測定され定義される普通の空間によって置き換えるべきだと言います(まっとうだ(^^))。絶対時間は、普通に時計によって測定され定義される時間で置き換えるべきだと言います(またまたまっとうだ(^^))。しかしそうなるとマッハにとっては、慣性基準系を考えること自体ナンセンスになります(^^;)。
 何故なら、地球が近似的慣性系である事がいくら経験的に検証されたところで、経験という検証実験によって何かを証明する事は論理的に不可能だからです。(論理的には)実験によって何かを証明する事は決してできません。言えるのは「反証されなかった」ただそれだけです。言い換えると、慣性基準系の存在は、観測できないのです。では観測できないものを一切認めない、究極の慣性系である絶対空間なんてもっての他と考えるマッハは、ニュートンのバケツに対して何と言ったでしょう?。

 ニュートンのバケツから言える確実な事は、バケツと宇宙全体が相対回転すれば、遠心力が働くという事だけだ。お前はバケツの回りで宇宙全体が回転した時、遠心力は働かないという理屈を持ってるのか?。出せるもんなら出してみろ!。・・・はっはい、出せません・・・(^^;)。


 こうして眺めてみると、やっぱりランダウ先生が一番今っぽいですよね?(当たり前だけど)。納得してもらえたでしょうか?。・・・自信がない(^^;)。
by ddtddtddt (2018-07-12 19:05)

bragelone

こんばんは。のこのこと出しゃばりました。

人工衛星の中で跳び跳(は)ねたら やはりわたしは自由落下するのであるが ただし 実質的には自由落下の動きが 人工衛星の運動としての慣性の法則によって 等速直線運動に成って現われる。

――ということではないのですか?
by bragelone (2018-07-12 20:43)

ddtddtddt

 ddt^3です。

 プロゲラさんと話す時は、常に用語の違いに注意する必要があると思っています。これは責めているのではありません。例えば哲学方面の話をした時に、自分の言葉があなたの意図したものでない事は良くありました。
 まず慣性法則は慣性系でしか成立しません。今の場合なら、地球座標系です。人工衛星は回転運動という加速度運動を行う加速度系なので、慣性系ではありません。じっさい宇宙船に対して静止していても等速直線運動しても、常に遠心力の影響下での出来事なので、その慣性法則は真の力が0の状態に対応していません。

 なので「人工衛星の運動としての慣性の法則によって」という言葉の意図がわかりませんでした。状況をまとめてみます。

(1)
 宇宙船が軌道軸のまわりに回転していなければ、飛び跳ねても宇宙船に対しては、天井までとどく等速直線運動になります。自分と宇宙船は同時に地球まわりの回転をしており、無重力状態にあるからです(遠心力の影響)。
 これを地球座標系で見ると、宇宙船の地球まわりの回転運動+宇宙船に対する自分の等速直線運動になります。

(2)
 宇宙船が軌道軸のまわりに回転していれば(人工重力があれば)、飛び跳ねると宇宙船に対して自分は自由落下です。ここには地球まわりの回転による遠心力と、宇宙船の軌道軸まわりの回転による遠心力が同時に作用します。
 地球座標系では、宇宙船の地球まわりの回転運動+宇宙船の軸まわりの回転運動+宇宙船に対する自分の等速直線運動、という事になります。
 宇宙船の軸まわりの回転運動が、宇宙船に対する自由落下(のように見えるもの)の正体です。

 慣性系を重視する立場では(そこには真の力しかない)、他の座標系での表現は、すべて「見せかけだ」という事になります。少なくとも古典力学では。

by ddtddtddt (2018-07-13 08:17)

bragelone

だんけ ぜーあ。

◆ (1) 宇宙船が軌道軸のまわりに回転していなければ、飛び跳ねても宇宙船に対しては、天井までとどく等速直線運動になります。

☆ という《結果状態》は――おゆるしを得て 自由スサノヲ語でしゃべっていますが―― 飛び跳ねたわたしの自由落下が変則的に(他のチカラの影響のもとに)採るひとつのすがたなのでは?



◆ (2) ・・・宇宙船の軸まわりの回転運動が、宇宙船に対する自由落下(のように見えるもの)の正体です。

☆ これも 同じく自由落下の変容している姿なのでは?

◆ 宇宙船の軸まわりの回転運動
☆ が その場合なりの《慣性》なるチカラではないのですか?
by bragelone (2018-07-13 08:59)

ddtddtddt

>飛び跳ねたわたしの自由落下が変則的に(他のチカラの影響のもとに)採るひとつのすがたなのでは?

 自由落下を地球に対する自由落下の意味に取ります。それで良ければ、それはその通りです。遠心力に代表される慣性力は、当人にとっては現実の効果を持ちますからね。ただし遠心力を実在の力と考えなければ、という条件付きで(^^;)。


>これも 同じく自由落下の変容している姿なのでは?

 上と同じです。


>・・・が その場合なりの《慣性》なるチカラではないのですか?

 《慣性》は力ではないんですよ。《慣性法則》とは強いて言えば、運動量保存則です。
 例えば宇宙コロニーにいるアムロ君は、コロニーの外壁から飛び出そうとする速度(運動量)を常に持ちます。コロニーの外壁は、いわばそれを進路妨害する訳です。その結果、双方は双方の運動量を保存しようとして運動量をぶつけ合い、同じ速度になるように運動量を譲り合う訳です。運動量を譲り合えば、それぞれの運動量は変化します。

 ・運動方程式によれば、運動量の時間変化こそ力です。

 なので「《慣性》なるチカラ」とは、運動量という力能のイメージだと思います。そう考えれば、その通りです。
by ddtddtddt (2018-07-13 18:23)

bragelone

上に上がれば落ちる。という法則が ほかのもののチカラ(または作用)で妨げられることはあっても 消えてしまうわけではない。
――ということでいいんでしょうか?


何だか 肩透かしを食らったみたいな。・・・ありがとさんでした。



いま ひとのみち氏を ボロクソにやっつけてやっています。
by bragelone (2018-07-13 20:28)