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哲学いろいろ

デカルト

 ○ 対戦リスト
 http://homepage1.nifty.com/kurubushi/fightlist.html#デカルト

ねむりねこ 2015/03/15 20:41

デカルトの運動量保存の法則についてちょっと調べてみたんですが、
デカルトの運動量保存の法則というのは、現代の物理学の運動量保存則とはかなり違っていますね。
違うだけなら可愛いんですが、ハッキリ言って間違っている(笑)。
私たちが今日、運動量保存則として知っているものは、デカルトのそれではなく、ホイヘンスの運動量保存則のもののようですね。
大学の物理学の先生なども、結構、間違って覚えているらしい。
そして、「デカルトが運動量保存則を発見した」と大々的に宣伝している。


デカルト大先生の運動量は、「大きさと方向を持ったベクトルでなく、大きさだけを持つスカラーであるというような」というそんな可愛いレベルの間違いではなく、致命的な間違いを犯している。


デカルト先生、どうやら、物質の衝突の実験をして、自身の説が正しいかどうかの確認をしていない。
アリストテレスとあまり変わっていない。
科学的実証精神が欠如している(笑)。


この人は、頭でっかちの人で、自身の理性の力を過大評価していたに違いない。
自然を見ていない人だったんじゃないですか。


デカルトは超〜有名人ですから、こういう勘違い、誤解が世の中にまかり通っているようです。
ライプニッツの批判は的を射ていますね。
デカルトは実験をして自身の説が正しいかどうか確かめる人ではなかった。
コギトの人だから、たぶん、実験は要らないんでしょう(笑)。
デカルト大先生がそうだと思えば、たぶん、自然はデカルト大先生が考えた法則に従ってくれるに違いない!!

bragelone 2015/03/15 21:07

 あぁ これも言わばバズーカ砲ですね。
 
 でもわたしが言うわけには行かない。コピペーするわけには行かないでしょう。


 そもそもは 次の命題的発言から始まっているのですが。:
 ◆ (【Q:ヒラメキ・・・】うりがだい回答№8) 〜〜〜〜〜〜〜
 そしてデカルトは前にも言ったように、哲学者である前に、何よりも数学者・自然学者(自然科学者・物理学者)だったので、17世紀の「科学革命」の立役者でもあったのです。

 解析幾何学創始者であったばかりでなく、「慣性の法則」の発見者でもあり、それまでのアリストテレスの「自然学」の世界観、地上の空間が四層に分かれていて、互いに違った法則で運行されていて、地上の空間と天上の空間が別な空間と考えていたのを地上の空間も天上の空間も、同じ一様で無差別な空間と考えることでニュートンの絶対空間の考えを先駆けてそれを地ならしした人なんです。


 デカルトがいなかったら、ニュートン古典力学もなかったし、私たちの考える、天体観・宇宙観もなかったのです。

 あなたは「デカルトって、そんなに偉い人だったのかなあ」と言いましたが、偉い人だったのです。
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

ねむりねこ 2015/03/15 22:12

ネットにある
佐藤公一
デカルトの運動量保存の法則とライプニッツの批判をめぐって
という論文が参考になると思います。


非常に良く書かれていると思います。


運動量 デカルト


などで検索をかけると、この論文のpdfファイルをダウンロード先が出てきますよ。
これを読むと、デカルトは、かなり神さまがかっていて驚いてしまう。
で、たぶん、
brageloneさんがお探しのものの答えの幾つかがこの論文に書かれている、
と思います。


さらに、
運動量保存則の勘違いについては、
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~saito/job/writing/utyu/decartes/decartes.htm

に出ています。


先の論文にも書かれていますが、あれは分かり難くても駄目。


それに、同じ「力」という言葉を使っていますが、
 デカルト 運動量 mv
 ライプニッツ 運動エネルギー mv^2
 ニュートン 質量×加速度=ma
ということで、
それぞれ、意味する内容が異なっている、ということを念頭において読まれたほうがいいと思います。
同じ力という言葉を使っていても、三者三様、それぞれ違う意味で使っている。
物理学で使う「力」の意味がこの時代には定まっていなかったんですよ。


で、今日の物理学で採用されているのは、ニュートンの定義のもの。
ニュートンの「力」は保存しないけれど、デカルトライプニッツの意味の「力」は保存する。

ねむりねこ 2015/03/15 23:33

ライプニッツは、『形而上学叙説』の17で
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
一般に当代の新しい哲学者は、あの有名な法則、すなわち神は常に世界において同一の運動量を保存するという法則を採用している。じっさい、この法則は非常にもっともらしいので、かつて私はそれを疑う余地のないものとみなしていた。
(中略)
デカルト氏がこの点で誤謬におちいったのは、氏の思想がまだ十分熟していなかったのに『それを過信したからにほかならない』。だが、その後、氏の学派の人々がこの誤りに気づかなかったことに驚いている。そこで、私が恐れるのは、彼らが逍遥学派の人々を軽蔑しながらも徐々にそのまねをしはじめて、理性や自然よりも師の書物に頼ってしまうのではないか、ということである。

世界の名著「スピノザ・ライプニツ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と書いて、デカルト学派を強く批判している。
『』は、ネムネコがつけました。


というライプニッツであったが、
続く18などで、スコラに逆戻りするかのような頓珍漢なことを述べたりしている。デカルトなどが科学から追放した目的因も大切だという。


この時代の人は、中世的教養に色濃く染まっているから、やっぱまだ中途半端の感がしますね。
少なくとも科学や物理学を語るとき、神様はいらないと思うんですがね〜。
デカルトライプニッツの活躍した時代、幾らなんでも、三平方の定理の説明に神さまを引っ張り出す人はいなかったでしょうから(ニコニコ)。