caguirofie

哲学いろいろ

#13

もくじ→2007-04-16 - caguirofie070416

第四章b 歴史の明け方――やはりスサノヲ物語――

日本人の新しい歴史が始まるというとき つまりこれまでの日本人の歴史を総点検するというとき したがって実際には 疑いを克服するというに際して この精神の王国への転入(錯覚)を まづ最初に戒めなければならない。それは 《天使に仕えること》である。しかも いづれわれわれは 林達夫の研究成果をも用いて進むことが出来るであろう。たとえばただちに一例として 林がこの《歴史の暮方》なる小論で言いたかったことは その次のようなエピグラフに明らかである。これをわれわれが用いることができる。

なかなか伝説どころの話ではないのだ。
ランボー:歴史の暮方 Soir Historique)

すなわち スサノヲやオホクニヌシのミコトの物語は 《なかなか伝説どころの話ではないのだ》から この生きた歴史を 紹介することもしくは精神において認めることによってではなく この精神を わたしが用いうるということによってなのである。
言いかえると 精神を精神において認めるのではなく 精神(具体的には一人ひとりの主張・感情・意志など)をあたかも精神の胃袋によって呑み込むことによってである。
誰もがこれを為しうるのではなく また 疑いつつ呑み込むなら 嘔吐をもよおすことは請け合いである。しかしあなたがたは わたしのように自由な第二のスサノヲになりなさい。スサノヲのように復活することは なかなか伝説どころの話ではないのです。また 第二のスサノヲは 第一のスサノヲの泣きいさちったり非行を犯すことから自由なかれより優れた存在となるであろうことは オホクニヌシの歴史が保証している。林さんが言いたかったこと または 見ようとしていたこと それは このようなことです。
それは わたしが保証します。かく言うわたしを きみは うたがうことが出来るが スサノヲやオホクニヌシや その関係をとおしてアマテラスを含めて の歴史をうたがうことは出来まい。またそのことは 自由な議論において争われるべきことです。この点はすでに大前提でありました。


   ***


林達夫の文章は 通りすがりに触れておしまいとするわけには行かない。上の議論でその基本をわたしは言い得たと思うが つぎのように補強しておくべきであるだろうか。心重いのであるが次のように。

私がこの世紀のドラマに何を見たかと言えば 最も悲惨な人間墜落の comédie humaine だけである。人目を打つかも知れない他の公形などはほとんど目にもとまらぬほど 心の網膜にそれだけが強く焼きつくように映って片時も離れない。
歴史がのっぴきならぬ賭であることは私とて知っている。しかし堪らないのは その一六勝負を傍から眺めながら それに寒々とした懐中物を賭けて固唾を飲んでいるお調子者である。私は山師たちの必ずしも排斥者ではない。だがケチな山師根性だけはどうにも我慢がならない。哲学とか文学にも charlatanisme があってもよいと思う。だが 今日のそれは? 《誠実》とは由来 山師根性とは切っても切れぬ悪縁のあるものだ。
林達夫:歴史の暮方)

林もこう言うから つまり 《山師根性》または《ペテン師》のごとき口調を必ずしも排斥しないから ここで林の文章を引き合いに出したのではないのだが 《ケチな山師根性》=疑いの常習犯に対するこのような批判には 正直言うとわたしは 嘔吐をもよおす。すなわち つづけてこう言う。

私思うに 現代のような逆説的時代には 真の誠実は絶対に誠実らしさの風貌はとりえない。現代のモラリストは 事の勢い上 不可避的にイモラリストとなる。残念ながら 現代日本では イモラリスト的な風貌をしていたと思われた思想家や作家までが最近けろりと申し分ないモラリストの姿勢に扮装更えしてしまっている。これも日本的特殊性として称賛すべきことの一つであろうか。
(同上)

と言うから――と言っても まだわたしの話は要領を得ないかも知れないが―― ペテン師ふうの言い方を上にしたわけではないのだが このケチな山師根性への批判の帰結するところは 上にも散見したように あらためて次である。

生きる目標を見失うということ 見失わされるということ――これは少なくとも感じやすい人間にとってはたいへんな問題である。われわれは何のために生きているのか 生き甲斐ある世の中とはどんなものか――そんな問いを否応なしに突きつけられた人間は しばらくは途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめくものだ。
《よろしくやってゆける》人間は仕合わせなるかなだ。
だが そんな人間のあまりにも多すぎるというそのことが 私にとってはまた何とも言えぬ苦汁を嘗めさせられる思いがして堪らなくなるのだ。
林達夫:同上)

わたしが言ったのは 《疑いを 自分自身で晴らし切ることの自己の無力》 従って これによってわたしが死なしめられる つまり 《途方に暮れて一種の眩暈のうちによろめく》だけではなく すべてから見放されること これを通ってでなければ 愛の王国は――少なくとも《何のために生きているのか》の問い求めの場の発見は――生起しないのだと観想したということだ。
これを《わが神わが神 なにゆえ私を見捨てられるのか》と発語するのだとも表現した。スサノヲやオホクニヌシはこれを通過したと考えたにすぎない。これを日本人の歴史――その新たな始まり――と言ったのだ。林はすでに見出した すでにこれを受け取ったなら ペテン師になってのごとく 言い出すべきであって これを精神の王国へのまたその王国からの展望として 言っていることは たしかに後史に立ったのだとしても その自己を誇ることにしかならない。つまり じっさいには 《まだ受け取っていない。もっと欲しい》と叫んだことにしかならないのだ。
歴史の明け方に立ったなら立ったと何故はっきり言わないのか。さもなければ それは ペテンである。このような事情がじっさい林の文章には付いて回ると批判したのである。《それも日本的特殊性として称賛すべきことの一つであるだろうか》とはわたしは言わない。しかし 日本的一般性は 死からの再生であるとわれわれは聞いたゆえ 聞いたとおりに語る。
われわれの言った自由な論争とは この土俵ないし土俵際に立ってでなければ 生起しないのかも知れない。本論の第一章としてわれわれはこのように語る。

   ***


林の文章から 大岡信は 《道化の称賛論》へみちびかれて行ったという(林達夫:文芸復興 文庫版への大岡信の解説)。

道化ではいけないのだ。道化とは 《途方に暮れて眩暈にみまわれ》 そこで躊躇しストップしてしまった前史と後史との二重性なる精神 つまり仮面の後史である。文字通り 仮面の 道(前史から後史への回転の過程なる道)なのである。
けれども 大江健三郎のように 

林の文章は時事に深く根ざしながら いったんそのように書かれてしまうと 原理・公理のような性格をあらわして けっして古びてしまうことがないのである。
林達夫:思想の運命 文庫版への大江健三郎の解説)

というのであっても 読者は 時に林とともに 精神の王国へ拉っし去られて行ってしまうことにしかならない。《原理・公理》とは取りも直さず 道のことであり 本史たる愛のことである。《のような性格》というのであるから この道には 前史から後史への回転の動態があるとこのままでは言い張ることが出来ないのである。そのように(言い張るべきことをそのまま)書かなければいけない。この精神を精神の胃袋に呑み込んででなければ 歴史が始まらない。
わたしがこう言えるのは わたし自身 前史から出発したからである。そして 大江がこう言うのは 大江ともども人はみな 後史あるいは本史を実際には 見ているからである。と今言い足すことは ペテン師に輪をかけたことになるであろうか。人はこのような議論を精神によって精神をとおして――つまり心の内なる眼によって――理解し判断するのであるが この精神が 人間の本史であるのではない。人間の生の推進力であるのではあるまい。じつに人は この愛の推進力そのものではないが かれをつまり愛をこの世で分有しうると スサノヲの物語は 《なかなか伝説どころの話ではなく》 語ったのである。
ランボーの原詩にもかれの史観を見よ。その前史から後史へ回転する過程を観想する姿を見よ。
(つづく→2007-04-29 - caguirofie070429)