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もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223
第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成
第六十四章b 意志の科学は 交換〔価値〕を ヤシロロジする――母斑の世界では 人間つまりかれのやしろにおける立ち場(ときに神々)が 交換されている――
――§39――
上宮聖徳太子 竹原の井に出遊(いでま)しし時 龍田山の死(みまか)れる人を悲傷(かなし)びて作りましし御歌一首
家にあらば妹が手巻かむ 草枕 旅に臥(こや)せるこの旅人あはれ
(万葉集 巻三・415)
- あの片岡山に飢えたる人の物語とそこでうたわれたという歌とに ほぼ同じ趣きであり それをも参照されたし(§60)。
および
柿本朝臣人麻呂 香具山の屍(かばね)を見て 悲慟(かなし)びて作る歌一首
草枕 旅の宿りに誰(た)が夫(つま)か 国忘れたる 家待たまくに
(万葉集 巻三・426)
結論としてわたしたちは 太子のうたに アマテラシスムを そして人麻呂のうたに スサノヲイスムを それぞれ捉えて読むというところまで述べた。415番のうたは いわゆる――いわゆる――思いやりに満ちている。そうして 426番は 屍に対してさえ その生命を思いやっていると。
《かなしび》を《悲傷》と書こうと《悲慟》と書こうとどうでもよいかも知れないが 《あはれ》と感じるこころと 《くにといえを忘れていないか》と感じるこころとでは ちがいがあるまいか。共同の観念のもとに刷り込まれた母斑のような反応と そして つねに動態である共同主観の発現とである。
このことは 原文表記を見ると わかりやすいかも知れない。(つきあいついでに この最後の雑談にも おつきあい願いたい)。
415番:家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人可怜
(《可》は りっしん偏がついているのがほんとう。)
426番:草枕 覉宿尓 誰嬬可 国忘有 家待真国
《可怜(あはれ)》が 《客(たび)》の共同性(あるいは 巡礼の旅にも似たこの世の生活における共存性)のもとに ただしつまり そのA語客観化させた観念共同の中に 催されるものであることは 自明である。これに対して 《国を忘れたのか 家人が待っているだろうに》というときの《国》が 《真国》と表記されたくにであることは インタスサノヲイスムの真骨頂であるでしょう。
やしろ資本連関なる《家(社会)》は いわば《覉(たび)》であります。《客(たび)》でもよいかと思います。このたびの《宿り》の家(夫婦・家族)として つまり 屍の男の《嬬(妻)》が かれと 八重垣を築けなかったのかと思いやっている。
やしろ資本推進力を忘れていないかと――すでに しかばねであるがゆえに すでに死んでしまっているがゆえに―― 人麻呂は こころが《悲しみ慟泣した》のであります。
《草枕》に《安らに臥せれ》と言った(祈った)。あるいは 何も言わなかった。
片岡山に飢えて臥せる人に 衣服を着せてやって聖徳太子が その男に 《安らに臥せれ》と言ってことばをかけたのは しかしながら まだこの男が生きていた時なのであった。
ここでは(415番のうたでは) 《草に枕する尓(爾:なんぢ)は客であり 客として臥せる。可怜である=怜(あわれ)む可(べ)し。憐れんであげよう》と言っている。これは――つまりそのように色眼鏡で見てしまうような表記をしているとき これは―― アマテラシスムすなわち アマテラス語客観観念共同なり。
社会の中を 日本人であるならば当然かくあるべき情感をあらわすべしというその交換価値アマテラシテが 人びとの心理関係において網の目のごとく運河のごとく また 手形としてのように つらなり つながり やりとりされているその意味での商品かつ商人の世界における共存共栄なる栄光!!!?
この世界では 公人(公民)としては つまりS者市民の中のアマテラス者性としては みな 《客》なのであり――自分の家とやしろにおいて そんな必要はないはづなのに 《謙虚にも》《お客さん》となっており―― 私人としてのS者市民が わづかに 《妹の手を纒く家にある者》として 主観・主体(もしくは 通俗的に言って 主人)なのである。
これは A者とS者と 公と私と 昼と夜と また善と悪との 《私を――むしろ精神主義的に――背むきて公に向く》という二元論の世界ならんや? ここに虚偽がないと誰が厚かましくも言うであろうか。むしろ やしろにおいて わたしたちは おのおの自由にかつ対等に 主人であるのではないか。
だから 聖徳太子は 良心に訴えて 死人を客と見たゆえに 《悲しみ 自分の心が傷つけられた》と言ったのであります。この《叫び》は 前史のもの すなわち《母》のくにの中の《かごめ(籠の鳥)》の叫びでなければならない。
《覉旅》に出るヤシロロジストと 《覉の宿り》にて《妹が手まかむ》インタスサノヲイストとは 別の《われ》ではない。《妹が手を纒く》ことが つつしまれるべきとは思われない。しかるのちに――そう言ったのちに――愛をもって 公では 慎まれるべきである。
けれども 《覉(たび)》とは 《たづな・きづな》のことである。すなわち やしろ資本連関 そのような生産関係・人間協働関係 また 愛である。《客》ではあるまい。あるいは 客観的・価値自由的なアマテラス語理論(これに甘えさせる甘え)のことではあるまい。
いったい誰が――雑談のゆえ おゆるしを!!―― 心は《悲傷》しつつも 《旅人》を《客》として扱い かれに《あはれ》みの 覆い(九重なる蜃気楼・幻影の十字架)をかけようとするのか。
それではというので この《あはれ》を《あはれ》なるエートスとして 価値自由に 価値解釈はすると言いつつ価値判断を抜きにして 依然として アマテラシテ交換価値とその共同観念おおいを ていよく否定しつつ(かれらA者予備軍は 現行のアマテラシテ交換価値の弊害を口では指摘しその現行を否定しています) その母斑の公式にのっとり アカデミックな科学に 旅の憂き身をやつすのか。
だれが インタスサノヲイストの《悲慟》にあはれみの覆いをかけようとするのか。アカデミックな科学は 人麻呂を 《歌聖》とした。歌聖として一つのアマテラシテにまつりあげて 文学的・社会学的・歴史学的に かれのうたを分析し鑑賞しています。
現代市民ヤシロロジストとしての万葉集のルネサンス あるいは 新しいヤシロロジとしての現代市民の万葉(いや億葉)のうたが起こっていいときではないか。隠れていたうわさ・井戸端会議が 生起してきてもいいではないか。客でないなら。
わたしは 英霊(わたしたちの誰もが それであった)の屍を見て そう言っているのだ。いまだからこそ そう言えるのだが いまそう言えるのだからこそ 《ことだまのさきはふ国 言挙げせぬ国》(万葉集 十三・3250)においても 言挙げすべきではないだろうか(万葉集 十三・3253−3254)。
葦原(あしはら)の 瑞穂(みづほ)の国は
神(かむ)ながら 言挙げせぬ国
- 《ヒトコトヌシ‐オホタタネコ‐オホモノヌシ》の三位一体なるやしろ資本推進力を 密教的なインタスサノヲイスムとして共同主観していた。しかし 三位一体論の神学 資本論のヤシロロジというかたちで 必ずしも アマテラス語理論して来なかった。しかし ラフカディオ・ハーンが それでも あるいは しかるがゆえに 《神国》と認識した。
然れども 言挙げぞわがする
《事(こと)幸(さき)く 真幸(まさき)く坐(ま)せ》と
《恙(つつみ)なく 幸く坐(いま)さば
荒磯波(ありそなみ) ありても見む》と
百重波 千重波しきに
言挙げす我れ 言挙げす我れ
反歌
磯城島(しきしま)の日本(やまと)の国の言霊(ことだま)の幸(さき)はふ国ぞ ま幸くありこそ
(柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰はく 万葉集 十三・3253−54)
《言霊の幸はふ国》だから《言挙げせぬ》というのは 霊的な共同主観によって 霊なるやしろ資本推進力に固着してすすむということです。《然れども 言挙げぞ我がする》のは それと同時に 試行錯誤の言挙げとして 経験科学としてはヤシロロジするということであるでしょう。
《荒磯波(ありそなみ←あらいそなみ)》は 同音の《あり》にかかる枕詞でありますが そのまま意を汲めば 《荒磯》とは 《現石(あらいそ)の意》で 《海中や海岸に露頭している岩》(大野晋)のことであるから 《母》の海を 木の船(霊なるやしろ資本推進力)に乗って母斑をのり超えつつわたるというのであります。この《岩の上に わが自由都市連邦を建てよう》(マタイ16:18)と言われた。
この母斑の海の波をかぶるであろうが 母なる客観の旅人ではなく 覉旅にある主観者として 《出る杭は打たれる》のことわざに抗おうという。もしくは そのことわざは 放っておこうと。
《赤信号 みんなで渡れば こわくない》と言うが 《赤信号》は 《悲傷してあわれむ 魂の二重の死》に直面する人びとであり わたしたちはすでに ふたたび恐れに落とし入れる奴隷の霊を受けたのではない。すでに 一度死んでいる。《志貴嶋の倭の国》のやしろ資本連関の《覉(きづな)》のもとに ヤシロロジ(共同自治)の《覉(たづな)》を わたしたちインタスサノヲイストの手に取り戻そうと思う。なぜなら 聖徳太子の以前の時代には 二元論は二元論ではなかった。《客》である市民などというのは いなかったのである。新しい人びとが渡って来たときにも むろん客ではなかったし それらの人びとを客扱いしたわけでもない。なぜ 客の問題が生じたのか。
新しく渡ってきた人びとは 気位が高かったのである。また やまとの地からも アマテラス族が現われて来ていたのである。だから そのように
- つまり《ヒトコトヌシ‐オホタタネコ‐オホモノヌシ》なる言霊を むしろ アマテラス語客観化しみづからの精神の力として あやまってアマアガリした人びとが ふつうのスサノヲ市民から離れてしまった自分たちの姿を見て 客であると思ったのである。自分たちが客となってしまったと思ったのである。そのようにして
その《客観としての立ち場 また 自らが客であるという思い》を どうにかして解こうとしたとき そして自分たちが あたかも自分たちにふさわしいという第二階=A圏をきづきあげたあと このアマガケリした(浮き上がった)客の立ち場と思いとを S圏にとどまった人びとと 交換したのである。共同観念とその心理的な運河というのは そのような現実であった。取り替えばやなる心理共同の世界となっていた。
だが この交換の二元論は もういい。いまとなっては 誰が新参者で 誰が浮き上がってしまったか 誰が先住民で 大地に足をつけてささやかな王道を歩んだのか わかるまいし わかったとて その交換の原罪が認識されるのみである。(一般スサノヲ市民も アマテラス族を 敬遠し 第二階つまり神棚にまつりあげて 解決を避けたのである)。反省的な意識 意識的な反省は 《あはれ》を説くのとあまり変わりない。
このかごを脱け出て 《客人》性を止揚するのである。新しく外(と)つ国からやってきた人びとを《外人》として 〔まつりあげつつ〕よそもの視すること これをも止揚していこう。これは アマテラス語理論では 実現するのはむつかしいし 客観的な反省とその意識とでも なかなか むつかしい。インタスサノヲイストとしてのヤシロロジストと自らがなっていくのが 道だと思う。
むろん 聖徳太子以前の時代に 歴史を戻そうというわけではない。新しい道を模索しようと言う。先住市民たちが 新しい渡来者を迎えて かれらの客人性・よそもの性を 自分たちの主体性と交換してしまったのである。こころやさしいゆえ。そこで アマテラス語客観観念なる覆いと運河を 共同自治の手段としてしまったのである。そのことを許す弱さをも誇ったのである。
けれども スサノヲ共同体の先住市民オホクニヌシは 主体的に国譲りをしたのであるから――古事記によるとそう書いてある―― 交換の主体性は留保されている。したがって 交換の交換が 新しいヤシロロジ実践である。
(全四部のおわり)