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もくじ→はてな061223
L'Aqueduc( Césarée )
Le besoin en eau douce de la nouvelle ville d'Hérode exigea la construction d'un long aqueduc amenant l'eau des sources de la base du Mt. Carmel, éloigné de près 16 km .Pour que l'eau coule par la force de la pesanteur, l'aqueduc fut bâtit sur des arches, et l'angle mesuré avec attention. Plus tard, Adrien et les Croisés ajoutèrent de nouveaux canaux sur l'aqueduc d'Hérode.
第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム
第四十三章a 母斑が用いられる
――§38――
コミュニスム共同主観は むろん思想的にスサノヲイスムであるが スサノヲイスム理論の共有にあるのではなく 生きたインタスサノヲイスムにこそある つまり 前史から後史への移行を見るところにこそあると言ってきたことになります。
スサノヲイスムの思想化あるいは哲学的な知の体系化は たとえばブッディスムがそうであったと思われるように スサノヲら個人のではなくなって スサノヲイスム思想の アマテラス〔語〕化がそこでおこなわれ アマテラシスムに《発展》する可能性につきまとわれている。普遍抽象の象徴概念を介しての観念共同または客観共同へと 勝手にアマ上がっていってしまう傾きを持つ。くにやしろ つまりナシオン国家が これにあてはめられると――もしくは 国家が 自己の・罪の共同自治方式に スサノヲイスムをあてはめると―― ナシオナリスティックなスーパーアマテラシスムとなって あらわれることが起こる。あのマルクスのスサノヲイスムも これにならなかったとは言えない。
これに対抗するようにして どこまでもはじめのスサノヲイスムを 主体のだが 精神において そのアマテラシテ象徴概念(つまりたとえば 神である)を抱く人間のエートスとして 保持しようと表現を展開し これを主義・主張として訴えるようにさえなるのは 一個の類型として スーパースサノヲイスムであると捉え 注意を促していた。
誤謬を受け持ち 試行錯誤する主観の――ただしむろん あやまちを犯せとか 欺いてよいとかというのではありえないが 多種多様の相互対立的な主観の――共同化としてのインタスサノヲイスムが ヤシロロジとして――ということはつまり インタスサノヲイスムなる方法の滞留として―― 大前提であると同時に 基本的な理論としては むろん結論である。おおまかな寸法としては S圏八重垣の動態をこのように考える。この単純な内容が やしろ資本の過程であり このようにしてやしろ資本が形成されていくのだと。
これまでは むしろこのような――前史としてではあるが――大前提の中で 《理論》的に より精緻な・またより美しい知の体系を 生産することが ヤシロロジであると考えられ この観念共同の上に立って なお再生産されていたのだと。誤謬を犯し また誤謬によって欺かれる主観のほうにこそ 生きた客観があるのだと わたしたちは 転換させるというのである。
また こうしてこそ初めて いわゆるマルクシスムのスサノヲ者相互のヤシロロジとしての福音伝道が 閉じられたインタスサノヲイスムではなく 開かれた主観共同となる。あるいは あのスーパースサノヲイスムさえ このような動態的な主観共同の過程において初めて その真実の愛が 自己の主観の実践としてよみがえるのだと。(この場合の《愛》というのは 人間関係が 観念の傘のもとで観念を介すのでないようになるという意味を言おうとして 使っています)。
そうしてそこでは あのナシオナリスムと雁字搦めになったスーパーアマテラシスムは インタスサノヲイスムにとって もはや旧い蜃気楼閣であり単なる母斑であるのだと。
あのスーパーアマテラシスムが つまり要するに国家が なぜインタスサノヲイスムの母斑に――母斑にさえ――なるのか。一般に――西ヨーロッパのやしろの歴史的情況を別として―― アジアにおけるようなやしろ情況においては インタスサノヲイスムを 或る種の仕方で この《国家》なる概念・その普遍化が 担ったのではないかと考えられる。前史だけではなく後史へ移行しうるという《常識》の《宣教 という愚かな手段》を――という意味でのインタスサノヲイスムの内容を―― 《国家》ないし《国民》なる概念現実とその普遍化が担ったのではないか。
たとい上からであるにせよ むしろ《国家(くにいえ)》もしくは古くからの《おほやけ(公)》なる概念が やしろの家なる教会(キュリアコン=チャーチ)を担い むしろ《宣教師》でさえあったのかも知れない。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スベシ。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ。等々
(五箇条の御誓文)
《智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ》というときの《皇基》は けっきょく くにやしろ資本を言っており それは S圏やしろ資本のもうひとつの仮象普遍概念であったと考えられる。
むろん これがなくても やしろ八重垣(スサノヲ共同体)のインタスサノヲイスムは 知られずとも 現実に歴史的に存在し得たし存在したと見ているのであるが だから 《愚かな 宣教の手段》であったとも考えられるのである。けれども この試行錯誤の歴史を飛び超える必要はなかろう。イエスの第一次の使徒たちも この宣教という愚かな手段(コリント前書1:21)に訴えた。ただ日本人は 一般に 一対一で布教されることを 拒むかもしくは少なくとも それに照れる。スーパーアマテラシスムのあまねわり(カトリシスム・普遍化)を経て――幸か不幸か ともかくこれを経て―― 水による洗礼(制度としての教会)によらずして 霊による・各自の良心をとおしてのバプテスマ(つまり アマアガリ)の道が開けた。これらの方式を経てきたことを 飛び越える必要はなく また その歴史の存在を指摘して認識するも それらは 母斑である。本質ではなく 黒子(ほくろ)・痣・雀斑(そばかす)のたぐいである。
したがって インタスサノヲイスムは むしろ当たり前の人間のあり方なのであるが 従来の慣習に従って これを命名しておくとすれば わたしたちは キリスト史観と言っている。シントウでもよい。ただ シントウは シントウ・スサノヲイスムの内的なそしてヤシロ的な固有の方程式を明らかにして表現してこなかった。キリスト教とシントイスムも ともに 国家とともに スーパーアマテラシスムになりえたわけであるが 理論的には クリスチア二スム(キリスト史観)のほうが 真理をよく指し示したと考えられる。また 世界史的でもある。
もっとも 真理を理論的に指し示したことが 両者の(あるいは 他のくにぐにのスサノヲイスムとのあいだの)優劣を意味しない。それは 真理は その実体として存在するとおりには理論的に思惟され得ず また思惟するとおりには理論的に表現されえないのが 基本である( Augustinus )。それでも 人間の言葉によって表現し伝達しようとするときには――真理が 表現され得るとすればであり しかも表現されたとおりの内容が 真理の実体だと言うのではなくであり これこれのように語られるのが より一層ふさわしいと心で同意されうる限りでという意味であるが―― 聖書がスサノヲのミコトを そのインタスサノヲイスムにおいてよく明らかに照らし出すことはできても スサノヲの物語をよく包括的に明らかにすることはなかった。これは 理論の差異であって 思想そのものの優劣の問題ではない。母斑(ほくろや あざ)の問題である。
ともあれ 近代市民スサノヲ・キャピタリストの時代の世界史化とともに インタスサノヲイスムの〔その思想としては〕本史〔とも言うべき時代〕が その蔽いを取り除かれてのように 明らかにになってゆくのだ。これは そう言いたければ 予言である。そのままでは 学問ではない。
問題は 資本であり やしろである。また主体として 資本家もしくは やしろ人である。さらにまた 資本家は スサノヲ(市民)・キャピタリストないし アマテラス(公民)・キャピタリストとして 同じくやしろ人は スサノヲ・ナシオナリストないし アマテラス・ナシオナリストとして それぞれ すでに現実であり現実的な概念であるのだから この新しい問題のインタスサノヲイストは 歴史的に蔽いが取り除かれてのように 自己を明らかにして生起してくることは 容易であるはづだ。
また それには 経済学的なヤシロロジ もしくは 主体的・思想的な《資本》論が 理論的にも明らかにされてくるのであろう。さらにそれらの政治経済学《批判》としての――なぜなら 福音伝道の要はもはやない――《資本》論ではなく あるいは 反省的な意識による内在的でありつつ常に分析的・仮象普遍的な《ヤシロロジ》ではないであろう。
反省的な意識によると しばしば精神の徳や美の問題に傾く。さらに この道徳的な力主義が これ(分析学としてのヤシロロジ)を むしろむなしいかたちで よくおこなうその傾向がるということを問題にしてきた。
けれども どこまでも動態的な資本論かつヤシロロジは 何らかの・言葉による学問的研究成果としての一個の表現体系なる《もの》ではないだろう。
哲学者・広松渉は 《もの》的世界観をしりぞけて 《事(こと)》的世界観を言っている。けれども もしこれにも異を唱えるとするならば いままで隠されていたインタスサノヲイストの自己顕現によって 結果 《事》的世界観があらわれるとしても 事的世界観の提唱によって また或る種の反省的な認識によって 前史から後史への移行がかなうのではない。なぜなら そう《考える〔なら 我れあり〕》の世界観に 人はまだ居続けているとしたならである。
いや そうではなく 動態的な生きた新しい世界観だと言うには たとえば広松のシンパになって初めて そうおこなうことが出来るものであり また シンパにならなくとも そうおこなっている人びとのそのインタスサノヲイスムは すでに生起していることになる。後者の人びとが わかったと言って 主観共同化するというとき 事的世界観 これを 主観共同化するのであろうか。わたしたちに 表現の必要が――つまり この動態的な資本論なりヤシロロジの表現の必要が――あるとするならば それは そのように密教的にしろすでに生起しつつあるインタスサノヲイスムを 自己のもとに受け取り認識させつつ 言葉にして表わすそのつどの過程にしかなく その過程そのものであるだろう。
広松の最近の著書 そのライフワークの第一書である《存在と意味―事的世界観の定礎 (第1巻)》(1982)は 生きた動態の主観共同化に際しての 認識の起こりうる誤謬を排除し棄てるための諸原則を 理論している。
(つづく→2007-03-12 - caguirofie070312)