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哲学いろいろ

#106

もくじ→はてな061223

第四部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイストの形成

第六十章b 同じことを 聖徳太子への批判として

――§17――


いつもは 例によって結論をはじめに提出するのであるが ここでは 推理小説の手法を採ることにしよう。
聖徳太子ウマヤトノトヨトミミが死ぬ前年(621)十二月 母アナホベノハシヒト(穴穂部間人)がなくなった。翌年二月二十一日 第一の妃であるカシハデノイラツメ(膳郎女)の死がつづくと その翌日 ウマヤトもなくなった。
このとき 第三の妃であるタチバナノイラツメ(橘郎女)は 《悲傷(かな)しみ嘆息(なげ)きて》 時のアマテラス為政者・推古天皇にこう訴え出た。

啓(まう)さむこと之(こ)れ恐れありと雖(いえ)ども懐(おも)ふ心 止み難し。我が大王(おほきみ:聖徳太子) 母の王(おほきみ)と〔生前に〕期(ちぎ)りし如く 従遊(ずゆ:死)したまひき。

  • 母と子ウマヤトとの間に 死ぬときは同じ時にといったちぎりがあったという。

痛酷(いた)きこと比(たぐ)ひなし。我が大王の告(の)りたまへらく

世間(よのなか)は虚仮(こけ)にして 唯だ仏のみ是れ真(まこと)なり。

と。其の法を玩味(あじは)うに 我が大王は天寿国の中に生(あ)れたまふべし。而(しか)るに彼(か)の国の形は眼に看(み)がたき所なり。稀に像を図(えが)くに因(よ)りて 大王の往(ゆ)きて生れたまへる状(さま)を観(み)むと欲(おも)ふとまうす。
釈日本紀

そこで

天皇 之れを聞こしめして悽(かなし)み 告げて曰(のたま)はく
 ――ある一人の我が子(タチバナノイラツメ。かのじょは推古天皇の孫)啓(まう)す所 誠(まこと)に以て然りと為(おも)ふ。
諸(もろもろ)の采女(うねめ)等に勅して 繍帷二張を造らしめたまふ。
(同上)

これは 《天寿国繍張(しゅうちょう)》が作られた由来であるが そのままウマヤトノミコその人を語っていると思われる。あの片岡山に飢えたる人との出会いに対して 周囲の人びとから《聖の聖を知ることうんぬん》と歌交われたように 同じくまわりの人びとによって語られるその人となりなのであると言ってよいであろう。
ところが 《世間虚仮 唯仏是真》がたとえブッダのスサノヲイスムを語っていたとしても あるいは 《現実=世間の やしろ資本連関は 偶有的にして可変的であり〈現実〉であるやしろ資本推進力のみが その土台の土台とされなければいけない》というようなことを語っていたとしても この聖徳太子の思想を インタスサノヲイスムとは断定できない要因が存在する。
王子A者であったブッダが そのA圏を離れて一人のスサノヲ者として生きたという違いを指摘することは別にしても ブッダの大いなる死(大涅槃)は もはや 母(母斑)をのり越えて S圏やしろ資本連関の中で死ぬものであったということ。《最後の旅》に出て あと三ヶ月というところで《命を捨てる決意》をし 信徒によって供されたきのこ料理をみづから取って食べ 烈しい病の中に なお旅をつづけて実践をすすめながら 死んだ。そういう形で 《世間虚仮 唯仏是真》をむしろ身体(S者性)の運動として 示し 示すかたちで死を受け容れた。(ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫))。
神の国(やしろ資本推進力・その分有)はことばではなく 力にある》(コリント前書4:20)と知る。ブッダは 最後に 身体=S者性が 無力であることのみを示したかも知れない。けれども そこから出発するべきである。もっぱらのアマテラス者は その精神の王国において つまりまたその観念の世界において あたかも永遠(息長=おきなが;天寿国)を夢見ている。今の永遠を保守すべきであると考えている。そのためには 自己の人間としての精神の力で アマアガリ=出世間すべきであると説き そのA者精神のもとに人びとを寄せていく。実際には 夕鶴つうのごとく 空を翔けるというアマガケリの実践をなしている。
もちろん 聖徳太子の為政者(社会科学主体)アマテラスとしての業績を 無視・非難することではない。ヤシロロジ領域では それとしての判断と評価がかかわる。けれども インタスサノヲイスムには 前史と後史の歴史があるのであって たとえば 《わたしが去り行かなければ 弁護者(聖霊)はあなたがたのもとに来ない》(ヨハネ16:7)と聞いたからと言って この文字どおりに 死を選ぶことではない。太子の死に対しては 妃であるタチバナノイラツメは そう取ったのである。かれは生前から 《世間虚仮 唯仏是真》と言っていたから そのことを 人びとが歌交うように 推奨し宣揚してほしいと かれの心をタチバナノイラツメは 察したのである。
つまり 疑ったほうがよいと言いたかったのである。
これは アマテラシスム(観念の交換価値の創出)である。妃タチバナのS者としての心を問題とするのではない。しかし ウマヤトもタチバナも母アナホベハシヒトも そのS者としての心(インタスサノヲイスム)が そのまま ヤシロロジ行為となるのであって(つまり 公文書にアマテラス語によって伝承される限りでそうなるのであって) このヤシロロジの一理論は ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスムではなく インタスサノヲイスムとしての観念的(ことばとしての)ヤシロロジである。
言いかえると S者市民ブッダのインタスサノヲイスムを A者がA圏に吸い上げようとしたもの・インタスサノヲイスムにおおいを掛ける結果となるもの(またその意味で 律法)であると考えられる。
ウマヤトやタチバナのまた動機(その純・不純)を問題にしているのではない。それは 問題外である。けれども 観念の資本としてのアマテラシテ交換価値を スサノヲ圏になくはなかったであろうから そこから吸い上げてのように あたかも亡霊としてのように 創造したのである。これは くにやしろ資本・A‐S連関体制(その統治)にとっては――この体制が このとき 固められつつあったのだと考えられるが―― 願ってもない《貨幣》なのだと考えられる。天寿国(その繍張)とは このことである。
なるほど 接触は 認識の目標をつくるから 太子が肉として存在していては 《やしろ資本推進力》としての内面化されるべき《アマテラシテ(光)》は 容易に人に伝わらなかったかも知れない。けれども キリスト・イエスが みづからを空しくして肉の存在とはならなかった第三のペルソナである聖霊(その意味で《アマテラシテ(光)》と言える)に譲歩したのは それが 神のみこころであったからであるとともに つまりイエス自身のこころであったからであるにもかかわらず かれは 《涙して烈しい叫び声をあげて この杯をとった》のであるにすぎず すでに初めから母(母斑)をのり超えていたことは言うまでもないであろうばかりではなく むしろ 観念の・および形態としての《交換価値や貨幣》に対して――ブッダの大いなる死からも類推しうるように―― それらを克服する力を告知し みづからがその力であって これを人びとが受け取るようになるために 十字架上の死という手段をとった。
かれは 神であったから それ以外の方法で つまり神の権能によって やしろ資本推進力を理論においても示しつつ インタスサノヲイスト党を糾合し 《商品世界》をくつがえすことができたろう。商品世界のアマテラシテ交換価値や貨幣物神に捕縛されていた人びとを そのようにしてすく(掬)いとることは わけなかった。マルクスが やしろ資本推進力の自然史過程に譲歩したように むしろイエスは 完全な人間であったから 肉としての認識の目標(その意味での・つまり宗教となったかたちの《神格化》)をつくらないために(《わたしに触れるな。まだわたしは 父のもとに上がっていないからである》(ヨハネ20:17)) 聖霊なる愛(もちろん イエスも愛である)に 譲歩した。
マルクスが 《わたしに触れるな(つまり 理論をもって 信仰の対象とするな)》と言わなかったとしたなら それは――もしわかっていたからということを除外して そのとおりであったと仮りにするなら―― 不幸であったと同時に 幸福であった。

  • 仮りにそうするのは ともあれ そのような理論信仰がまったく生じなかったとは言えないからだが。

ちょうど ブッダにきのこ料理を差し出した鍛冶工チュンダが 不幸であったのと同時に ――ブッダ自身も かれを祝福した(《ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫)》4・17)ように――幸福であったのと同じである。立ち場がちがうが そのようであるだろう。
もしマルクスが 《自分はマルクシストではない》という以上に 《わたしの理論を信奉するな》と言っていたなら あるいは チュンダの出したきのこ料理がブッダの死に関与していなかったとしたなら 人間はみな 神やブッダ(抽象的人間として)そのものになっていたであろう。じっさい そういう解釈もできる。両者とも いわゆる大往生だったんだなぁといったうわさが さらにアマテラス圏のヤシロロジ理念の中に取り入れられて A者抽象的人間として まつりあげられ続けていたであろう。
ブッダは きのこの毒にあたったし マルクスも《ヤシロロジ理論はこれを信奉するな》とむしろ言っていたなら すべてが神のことばとみなされていたろうが そうでなかったゆえ むしろ幸福であった。
そこで キリスト・イエスは 裏切り者ユダをも 弟子の一人に加えて 自分が抽象的人間(唯仏是真)として死ぬのではなく 肉(S者)における内なる人の秘蹟と外なる人の模範を すべての者のはじめ(原理――《アルファでありオメガである》(ヨハネへの黙示2:13)――)となって 告知するために ユダやそして当時の祭司たちアマテラス者を 用いた。しかし いわゆるマルクシストたち レーニンやその他のソシアりストたちは みづからが別種のアマテラス者となった。(動機は問わない)。聖徳太子は この限界の中で死んでいった。限界の中(前史・母斑の世界)で死んでいった。オホタタネコあるいはスサノヲの八重垣コムミューヌとは 無縁なのである。伝えられる限りでは。と知らなければいけない。
かれは むしろアマテラシテ交換価値を 不動のものにしょうと欲してのように 確立するために死んだ。《わたしが去り行かなければ 弁護者は来たりたまわない》と言わなかったし 言わずに去り行くことをむしろ欲していたし またこのキリスト史観の原理的な方程式を 知っていたかのように 自己の出身地アマテラス圏の永遠の存続のために 用いた。観念の資本としては これが 亡霊(それも じつに《霊》)となってのように その力をも創出したかのようなのである。
推古天皇をはじめとするA圏の人びとの歌交いそのものの中に S圏井戸端会議のおおい・蜃気楼閣として 生き 死んだ。レーニンは やしろ資本連関を ツァーリA者体制から別種の新しい形態へ移行させるのにあづかったことを除けば(――しかし その前に ソシアリスム革命の前に ともあれスサノヲ・キャピタリストによるそのような革命は成し遂げられていた――) 交換価値アマテラシテを創始するのに――スサノヲ者市民の祖国を 地上のソシアリスト国家として創始するのに――つとめたと言わないでいることはできない。
次章につぎたい。
(つづく→2007-04-09 - caguirofie070409)