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哲学いろいろ

#82

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Scythopolis

Pompée et les romains rebâtirent Beth-Shean en 63 av. JC et la renommèrent Scythopolis ("ville des Scythes;" Col. 3:11). Elle devint la capitale de la Décapole et fut la seule à l'ouest du Jourdain. La ville continua à grandir et prospéra lors des périodes romaine et byzantine jusqu'à sa destruction par tremblement de terre le 18 janvier 749. Des douzaines d'énormes colonnes tombées dans la même direction témoigne de l'incident.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第四十五章a 《異言( unbekannte Sprache )》によって母斑を用いる場合(水田洋:《現代とマルクス主義》)

――§39――


思うにわれわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。その一は肉体(ボディ)であり その二は知能(マインド)であり その三は霊魂(スピリット)である。
しかして人間の理想的生活といえば ひっきょうこれら三のものをば健全に維持し発育させて行くことにほかならぬ。たとえば からだはいかに丈夫でも あたまが鈍くては困る。またからだもよし あたまもよいが 人格がいかにも劣等だというのでも困る。されば肉体(ボディ)と知能(マインド)と霊魂(スピリット) これら三のものの自然的発達をば維持して行くがため 言い換(か)うれば人々の天分に応じてこれら三のものをばのびるところまでのびさして行くがため 必要なだけの物質を得ておらぬ者があれば それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべきである。・・・
河上肇:貧乏物語 一の二)

だが 《しかし知能(マインド)とか霊魂(スピリット)とかいうものは すべて無形のもので からだのように物さしで長さを計ったり 衡(はかり)で目方を量ったりすることのできぬものであるから 実際に当たって貧民の調査などする場合には 便宜のための貧乏の標準を大いに下げて ただ肉体のことのみを眼中に置き この肉体の自然的発達を維持するに足るだけの物をかりにわれわれの生存に必要な物と見なし》(同上 承前)てゆくのであって ここに 《経済学》が成立するという。
だが しかし そうであるだろうか。
はじめの《貧乏人》の定義は 人間の前史であると見なし あとの《経済学》は 多種対立的なヤシロロジ理論と政策の一環であると インタスサノヲイストは考えるであろう。
なぜなら 貧乏の克服は つねに――学問とは無関係というほどに――行なわれており ある意味ですでに達成されつつある部分もあり(だから 学問の問題でもあるわけだが) こうなると 河上の言う経済学が必要でなくなると言うからではなく そうではなく こうなっても いまだなお 河上の言う経済学が または その経済学としてのヤシロロジの方法が 依然として A圏とS圏との《あいだ》に存在すると主張するかのようであることが 問題だからだ。
共同主観としてインタスサノヲイストとなること・そのやしろ資本家へのアマアガリの推進力と そうして 経済学者となること・そのヤシロロジストへのアマアガリの推進力とは あたかも別のものであると河上は思っているようである。
《貧乏人》を定義するかれと 《経済学》を定義するかれとのあいだに 断絶はなく 両者たがいに綜合されているかに見える。けれども 《道を問い求めること》と《その手段・生活の前提》とは 領域が違うというのは 明らかに誤謬である。つまり 《人はパンのみにて生くるものにあらず》《されどまたパンなくして人は生くるものにあらず》という両者の差によって 《全体を貫く著者の精神の一》をかれは見ている。

  • わたしは 河上のヤシロロジ経済学それじたいの理論・政策を 問題にしているのではない。しかし この理論のために わざわざ その方法を これまで見て来ているように 弁明しているその内容を吟味しているのである。これは 瑣末の問題であるとは考えられない。

《パンのみにて生くるものにあらず》が 《パンなくして生くるものにあらず》を当然 包含していたように 前者つまり個体としてのインタスサノヲイストのアマアガリと 後者つまりその生活の前提とは 明らかに一つのことであり 方法であり もし差異があるとするなら それは 対象・行為領域の差ではなく 試行錯誤・多種対立性を容れるというに過ぎない。〔むろんこのような識別も ほんとうは便宜上のそれなのであるが〕 これがまづ 《全体をつらぬく精神〔といえば 精神〕》である。
なるほど この《全体を貫く精神》の《一つ》であると河上はここでことわっている。それは ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスムのことわり(道理)にかなっている。けれども もしこうであるならば かれは スサノヲ・キャピタリストとして実業家になるべきか それとも もしアマテラス者(政治家)にならないとするなら この《貧乏物語》なる著書にもいくらかは表わされているように 経済学の理論ないし政策論に徹するべきであった。それが インタスサノヲイストの道なのである。そうして ここに つまりこれらの徹するべき行き方のどれか一つにおいて 遅疑逡巡することはよいが これらの行き方のあいだで 遅疑逡巡する〔ような滞留を方法している〕べきではなかった。(むろんまた 変更はありえて 当然である)。
この後者の滞留のような行き方を かれは 方法として 弁明しているようであるが これは 方法でもその滞留でもないと知るべきである。これは スサノヲイストにしてアマテラシストのやり方に違いない。なぜなら スサノヲイスト(労働者・実業家あるいは理論や政策課題に徹する学者)でありつつ これらのどれか一つに徹することをせず むしろこのスサノヲイストらの上に アマテラシスムの弁明をおおいかぶせているに過ぎないからである。マルクスは どんな職業や立ち場のスサノヲイストであれ その方法を 井戸端会議した。
わたしが いま行なっていることは 方法における遅疑逡巡である。この方法の滞留を インタスサノヲイストが ヤシロロジに出かけるその出発点において なお 遅疑逡巡させているのである。また じつは この逡巡遅疑こそが―― 一種のモラトリアム状態であり これこそが―― その〔方法の滞留の〕確立とともに むしろヤシロロジ 新たなヤシロロジを築くであろうと考えていた。ここに 弁明 あるいは 蔽いは 必要ない。したがって 母斑を用いるのである。なぜなら 読者とともに確認するならば このモラトリアム(アマアガリの猶予)はじつに あのスーパースサノヲイスムが結果としてにしろ 促したエートスなのであって この現代人に一般的なエートスの母斑を用いるとわれわれは言ってきた。
あるいは 母斑としての行動様式のもとに成った前史としての学問 これを用いる。ここには 多種対立が存在するであろう。するであろうけれども はじめの共同主観において 一つの資本推進力に立っている。それによって促されていると 言ったのである。
わたしたちも 《昇らんがため 降りなければならない》(告白4・12・19)。けれども 研究対象・行動領域の差を見ることによって 《便宜のため標準を大いに下げる》こととは それは 微妙に違う。ヤシロロジの中の《経済学》として 後者の方法は 必要であるかも知れない。しかし この便宜じょうの方法の 経済学ヤシロロジストとしての弁明は さらさら必要ない。さらにけれども 河上は スサノヲイストがアマテラシストとなって この便宜じょうの方法を 《道》の方法に関係づけた。関係づけるなら むしろ インタスサノヲイスムとヤシロロジとは そもそも はじめに 互いに別であると言っているべきである。しかもヤシロロジにおいても 主観的な価値判断がたしかにあるとしているべきであった。
要するに 河上の《全体を貫く精神――その一つというのではなく その全体 つまり 一個の資本推進力を受けての精神としての動態――》が このようないま指摘している誤謬など述べておらず それはわたしが単に邪推したにすぎないのならば 河上は こんな方法論の弁明などすべきではなかった。不必要という以上に 自己をあいまいな領域に連れ去っていってしまう。《まつり》と《まつりごと》とのあいだ あるいは インタスサノヲイストとたとえばスーパーアマテラシスムとのあいだ あるいは もっと微妙に インタスサノヲイスト(生活者)とヤシロロジスト(学者)とのあいだに。学者が こんな方法論によって自己の存在理由を見いだすのは 明らかに間違いである。
くどいように吟味をつづけよう。これは 価値自由を言うウェーバーのスーパースサノヲイスムに 似ている。ウェーバーが 価値自由《および》価値解釈を言うのに対して これは はじめに たしかに 価値判断しつつも 自己の研究領域においては あたかも治外法権を得てのように 価値自由たろうとする。《科学》の名のもとには 価値自由でなければ 罪を犯すことになると思ったのである。それについて 河上は 弁明のことばを用意したのであろう。これは 要らない。学者は 自己の専門領域に徹するのである。
スーパースサノヲイスムのように 権威づけるのではなく 弁明したのである。神の 語と音節で味付けするのではなく なお 別のとりもちのように 一般S者とは異なる一個のアマテラシテによる弁明で 治外法権を得てしまったのである。かれのアマテラシテは 具体的におそらくやはり 《自由》とか《民権》なる象徴概念であったのだろう。インタスサノヲイスムに 治外法権などないと知るべきである。だから 逆に いかにその学問が実用的でなくとも 良心に照らして その研究対象に徹するべきである。そうすると 勝手に治外法権を その弁明もせず 自分で作り出したかのように見られるかも知れないが ここに インタスサノヲイスム共同主観が過程されると 人は 知るべきである。弁明をのべることは まだ《わたし》を死なしめられていないしるしである。
わたしたちは 弱く愚かであるから 《知恵ある者を責めよ / 教えよ かれは 学に進む》(箴言9:8−9)と聞いた。
この遅疑逡巡をもって わたしたちのヤシロロジとしたのである。このおろかを受け容れよと わたしたちは聞いた。
おろかついでに わたしたちは 次のおとぎ話を聞こう。
(つづく→2007-03-16 - caguirofie070316)