caguirofie

哲学いろいろ

#81

もくじ→はてな061223

Excavations à Beth-Shean

Des excavations furent menés entre 1921-33 par l'Université de Pennsylvanie sous C. S. Fisher, A. Rowe, et G. M. FitzGerald. A l'époque, presque la totalité des cinq niveaux supérieurs furent déblayés. Yadin et Geva conduisirent une courte saison dans les années 1980, et Amihai Mazar mena les excavations d'Hebrew University entre 1989-96. Les trouvailles principales sur le tel comprennent une série de temples des Ages du Bronze Moyen et Récent.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第四十四章b インタスサノヲイストが母斑を用いない場合(植木枝盛河上肇

――§12――

自然科学(つまり生物学)から見て 母はひとりの人にとって たしかに 一人であり 母斑は 民族=言語(くに)として もしくは 人種として 類型においてまとめた概念分類のかたちでは ひとつである。たしかに そうである。しかし この一なる母または母斑を人びとがのり超えたとき 一つの資本推進力による多種多様な(それは おもに やしろの分業・その役割分担による)インタスサノヲイストのヤシロロジとしての行動様式が 過程されると考えられた。すなわち後史の自由とは これが それである。
《人はパンのみで生きるのではない》と このゆえに言われたのである。このことばを 《人はパンなしで生きる》と解するほど 人は愚かではないように 同じく《パンなしに生きることはできない》という前提をこのことばが含まないと見るほど 人は単純であるか。
ところが あたかも植木枝盛のアマテラシスムにもとづくスサノヲイスムの方法を 政治的にではなく学問として踏襲するかに見える河上肇は その著《貧乏物語 (1949年) (岩波文庫)》の序に 次のように述べた。S圏資本形成の生活としての《まつり》の中にではなく S圏‐A圏連関(この意味での共同体関係)・もう一度言いかえるとこの《連関》といった実際には曖昧な領域そのものの中に スサノヲイスムを問い求めようとした植木のように しかしこれを 政治的にではなく 学問として見いだそうとしたのが 河上の方法なのである。

人はパンのみにて生くるものにあらず されどまたパンなくして人は生くるものにあらずという〔こと〕が この物語(=貧乏物語)の全体を貫く著者の精神の一である。
思うに経済問題が真に人生問題の一部となり また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも 全くこれがためであろう。昔は孔子のいわく

富にして求むべくんば執鞭(しつべん)の士といえども吾れまたこれを為さん もし求むべからずんばわが好むところに従わん。

と。古えの儒者これを読んで

富にして求めうべきものならば賎役(せんえき)といえどもこれをなさん しかれど富は求めて得べからず ゆえにわが好むところに従いて古人の道を楽しまん。

と解せるがごときは おそらく孔子の真意を得たるものにあらざらん。孔子また言わずや

朝(あした)に道を聞かば夕べに死すとも可なり。

と。言うこころは 

人生唯一の目的は道を聞くにある もし人生の目的が富を求むるにあるならば 決して自分の好悪をもってこれを避くるものにあらず たといいかようの賎役なりともこれに従事して人生の目的を遂(と)ぐべけれども いやしくもしからざる以上 わが好むところに従わん。

と言うにある。もし余にして かく解釈することにおいてはなはだしき誤解をなしおるにあらざる以上 余はこの物語において まさに孔子の立場を奉じて富を論じ貧を論ぜしつもりである。
一部の経済学者は いわゆる物質的文明の進歩――富の増殖――のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども 余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至る事をもってのみ 真実の意味における文明の進歩と信ずる。しかも一経済学者たる自己現在の境遇に安んじ 日々富を論じ貧を論じてあえて倦(う)むことなきゆえんのものは かつて孟子の言えるがごとく

恒産なくして恒心あるはただ士のみよくするをなす 民のごときはすなわち恒産なくんば因(よ)って恒心なく いやしくも恒心なくんば放僻邪侈(ほうへきじゃし) ますます道に遠ざかるを免れざるに至る。

を信ずるがためのみである。
ラスキンの有名なる句に

There is no wealth, but life.
(富何者ぞただ生活あるのみ)

ということばがあるが 富なるものは人生の目的――道を聞くという人生唯一の目的 ただその目的を達するための手段としてのみ意義あるに過ぎない。しかして余が人類社会より貧乏を退治せんことを希望するも ただその貧乏なるものがかくのごとく人の道を聞くの妨げとなるがためのみである。読者もしこの物語の著者を解して 飽食暖衣をもって人生の理想となすものとされずんば幸いである。
著者 経済生活の理想化を説くや 高く向上の一路をさすに似たりといえども 彼あによくその説くところを自ら行ない得たりと言わんや。ただ平生の志を言うのみ。しかも読者もしその人をもってその言を捨てずんば 著者の本懐これに過ぐるはあらざるべし。
河上肇貧乏物語 (1949年) (岩波文庫) 1917 〈序〉)

  • なお なにゆえ このように引用ばかりするのかという声に対しては すでに触れたが ここでは やはり 文章の内容を要約して伝えるのではなく 文章そのものすなわち文体( le style )つまり人間かれ自身に 接するべきだという理由による。とともに この第三部においては 明治から戦前あるいは戦後まもなくにかけての文章には 理論知の共有をめざす客観共同に重きをおくのではなく その各自の主観が より一層すぐれてあらわされていると信じるからである。
  • たとえば陸羯南の理論が顕揚されるべきだとは思わないが その主観のまっすぐさが顕われており 理論の欠陥は容易に 主観共同において 指摘しあえるであろう。むろん羯南がそのあと どうするかは かれの自由であるが それにしても 理論と主観(行動)とはかれにおいて別個のものではなかったろう。ただし 学問における理論のための基礎領域の研究について この限りでないのは言うまでもない。
  • また 《小説アウグスティヌス》としては 引用をつづけたほうが 面白いと思う。

河上肇のここに表わされた立ち場 これはウルトラ・ナシオナリストやスーパーアマテラシストのそれではなく また 必ずしも精神主義的な二元論によるアマテラス予備軍つまりスーパースサノヲイストでもない。しかも S者のまつり・生活の中にあるのではなく さりとてむろん上に言ったように まつりごと・A圏主義を標榜するのではない。しかも 《まつり》と《まつりごと》との《あいだ》に 自己を見ているのである。植木枝盛と同じように。
もし一歩ゆづってなら 《人はパンのみにて生くるものにあらず》という大前提の福音伝道の立ち場なのである。これは だとしても ヤシロロジそのものをもって 一個の唯一のインタスサノヲイスムとしたに過ぎない。
しかしわたしたちは 河上は 植木と同じ方法によっていると言うであろう。

《民であると士であるとを問わず いやしくも 恒心なくんば放僻邪侈にして ますます道に遠ざかるを免れざるに至る》をもし 《信ずる》と言うならば それは 学問的にして《放僻邪侈》なのだと答えてあげなければならないからである。そんなものを信じるのならば 自身が放僻邪侈になっていなくとも 放僻邪侈の生活を避けるというのが 根本となっているに過ぎない。それを避けるなら 恒心があると言っているに過ぎない。
河上は 《士》のばあいは たしかに そういうこと(放僻邪侈におちいること)はないと言っている。この問題は 措くとしよう。(へえぇ そうですかとでも言うしかない)。しかしながら 《道に遠ざかる放僻邪侈》は 悪しき精神によって(つまり 徳をそなえつつも悪しき考えや振る舞いに陥る場合はありうるから その場合に)――《恒産》のあるなしとは別途に―― しかもその精神は 人間の自由意志であるというその意志と精神によって 好まれるばあいがある。。《恒産なく恒心ない》場合にも 《道を聞き道に属(つ)く》ことがありうるし 《恒産も恒心もある》場合にも 《道を聞きて しかも 道から離れる》ことがありうる。
だから 河上は 自己の経済学という学問の仕事にかんして このようなスサノヲイスムじつはアマテラシスムによる弁明をなしているべきではなかった。不必要という以上に 植木枝盛と同じく 実際には わたしたちが参加しえないところでその主観を述べたにとどまる。経済学の研究に参加しうることと 生活のまつりに参加していることと 同じであると思ってはならないであろう。
まつりと まつりごとの《あいだ》に 自己は参加していると幻想したのである。これは A圏のまつりごとに実際には賛同する・しかもその反対者スサノヲ類型なのである。
かれの主観による主張が A圏の政策に反映するか否かを 問うべきではない。反映して その新しい政策に功あったとするなら かれは その具体的主張の弁者として スサノヲ者であり かつ アマテラス者の一員でもあったというにとどまる。その行為事実のみなのである。ここに 方法はないから やれこれ弁明しているべきではなかった。ところが この弁明が――アマテラシスト流のスサノヲイストのこの弁明が―― 一つの学問ないし実践(植木枝盛のばあいの政治)の方法だと錯覚され得た。
しかるに なにゆえ この《貧乏物語》の序に言うところの《全体を貫く著者の精神の一つ》を 表明もしくは弁明しなければならないのか。
これは いかにもA圏とS圏との《橋渡し》の役およびその方法を求めるような精神であるかのように見受けられる。そうだとせよ。もし そうだとしても かれはこの《橋渡し》の役に 《道》を問い求めた あるいは 見いだしたというのではあるまい。それは 《道》が問い求められる《場》としてのやしろにとっての一つの役割に過ぎない。この役割についてわざわざ弁明しているべきではなかった。このような――このばあい――《経済問題》は 《真に人生問題の一部》であろう。平面的にいくつかある中の一部ではあるだろう。
かれは 自己の主観のヤシロロジ理論として これを著わしたと言っているか あるいは さもなくば 経済学としてのヤシロロジの領域において――あのマルクスのように―― 自己の共同主観者としての立ち場 すなわち インタスサノヲイスムを その覚え書きとしてのように 表現したと言っているか どちらかするべきであった。インタスサノヲイスムは 過程であるから そのつど 自己における到達度合いを報告することがありうる。
これら両者のあいだに 方法領域はなく それがあるとするなら それは スサノヲイスムを標榜する幻影のようなアマテラシスムにとどまるべき《運命》にある。《自由民権家》となること あるいは 《経済学者》となること そのような方途にあって そこでは 一個の《アマテラシテ象徴》が かれらを誘導している。すなわち やしろにとっての役割としての《自由民権》あるいは《道》なるアマテラシテ象徴が むしろ 誘導しているのである。《道》というからには わたしたちの目標でもある《アマアガリ》の問題であるようだとは 留意しておくべきかも知れない。
インタスサノヲイストは これに与(くみ)しない。
一個の資本推進力に立つ(《アマアガリ》としての)インタスサノヲイスムと ヤシロロジとしての多種対立的なインタスサノヲイスムとの 合わせてそれぞれの方法の滞留は 微妙であると考えなければならない。このことばは 《人びとを恥ぢいらせるために 言ったのである》。

(つづく→2007-03-15 - caguirofie070315)