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哲学いろいろ

#80

もくじ→はてな061223

Beth Shean, Scythopolis
Aussi connue sous le nom de Scythopolis, Tel Bet Shean, Tell el-Husn, 'As'annu(?), Bet Shan, Bet Shean, Nysa

Environs de Beth-Shean

Situé à 27 km au sud de la mer de Galilée, Beth-Shean se trouve stratégiquement au point de jonction entre les vallées d'Harod et du Jourdain. La fertilité du pays et l'abondance d'eau mena le sage juif à dire: "Si le jardin d'Eden est le pays d'Israël, alors sa porte est Beth-Shean." Il n'est pas surprenant que ce site ait été habité continuellement depuis l'époque chalcolithique jusqu'à aujourd'hui.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第四十四章a インタスサノヲイストが母斑を用いない場合(植木枝盛河上肇

――§12――


予かつて土佐に在り。

一日(あるひ) 板垣退助君に会して問いて曰(い)はく

今や国会の事は議論すでに進み ただに諸人の肉眼能(よ)く看るのみならず 近眼もまたよくこれを睹(み)るを得るが如きに至れり。今やあにそれ千里鏡を以て覗(うかが)うが如きものなからんか。

君すなわち応えて曰はく

善矣哉(よいかな) 問い也 居(お)れ吾れ諸(こ)れを卿に語らん。
吾れかつて無上政体(=世界連合政府)の論あり。それこの論やあえて必ずしもかくの如く遠しと謂(い)うにあらざれども 世の浅見者流のために これを言わば それあるいは望遠鏡を以て遥かに覗うが如くならんか。

と。すなわちその大意を吐けり。予これを聞くに大いに余が心に合せずと云うことなく 後更にこれを尋究しこれを敷衍して しこうして筆記することおよそ左の如し。看る官(ひと)よろしくその意を諒して閲読を下せ。
植木枝盛:無上政法論 1880)

少しくこの方法について 考察します。
その見解の内容には必ずしも触れません 例によって。つまり この論文の副題にもあるごとく 《万国共議政府(=無上政体)を設け 宇内(うだい)無上憲法(世界公法)を立つべきを論ず》という見解の内容については 保留します。おそらく 国際連合 その種々の附属機関を含むそのような 国際的なやしろ資本の連関関係にかんする共同自治の一方向 これについては 必要有益な措置であると考えられるでしょうが 上の論文の内容については 保留します。
そこで わたしたちが考察したいと思うのは 次の方法としての観点にある。《千里鏡を以て覗うが如きもの》《望遠鏡を以て遥かに覗うが如》き一方法 これであります。言いかえると このことは 単純な言葉の形容ではないと見るゆえです。
一般にスサノヲイスム(ここに おそらく 植木らの主張した《民権自由》は存在すると思われるが)が A圏ナシオナリスムのもとに仮象外部対流して スーパーアマテラシスム(たとえば 赤子たる臣民としての四民平等という仮象スサノヲイスム)となるわけでは この《展望》理論の方法は ない。――実際 植木は 若くして(三十六歳)死ぬまで S者の立ち場を保持した――さりとて ナシオナリスムに対抗するA者の スサノヲイスム仮象外部対流たるスーパースサノヲイスムにおちつくわけでもない。それらではないが その主観をS者として よく表現していると思われることが まづ 前提認識であるでしょう。
結論を先に言います。これは しかし アマテラシスムではないのか。何らかの《象徴主義――ヤシロロジとしての――》であるまいか。かんたんに言って 《民権自由》なるアマテラシテがかれにおいて 神となった。しかも アマテラス圏のいまだ流動的で――つまり 《民選議院設立建白》(1889)がなされて以後 明治憲法の発布(1890)をもって応じられるまでといったように いまだ流動的で――その内部未確立の時期に きわめてアマテラシスムのかたちで あまりにもあまりなるスサノヲイスムを掲げる方法ではないのか。
おそらくわたしたちは 当時におけるかれの・あるいはその運動の 歴史上の意義をわざと措いて考えるのですが このようなスサノヲイスムには与(くみ)し得ないのではなかろうか。
かれは やしろ資本 しかもS圏のやしろ資本を 見ていました。けれども これを見るに やしろの或る望楼から スサノヲイスムなるものを 展望してしまった。わたしたちの方法は こうではなかろう。これは 特殊なスサノヲイスムであり 母斑を用いない場合のそれ また 一つのアマテラシスムと等しいそれだと考える。
たしかにわたしたちも やしろの或るこの上なく安全な望楼に立って やしろ資本形成の過程を見ます。けれどもそれは 現在の過程であって つねにそうであって なおかつ S圏資本なるやしろの中にあって見ます。したがって なおさら A圏との連関関係を保つことは 不可欠であったでしょう。
けれども こう言うときにも わたしたちは A圏のそれじたいの内部での自己資本(互いのA者関係)の確立に対しては 不案内であり 基本的に不案内であってもよいと思われる。言いかえると わかりやすく言うなら もっぱらのA者は みづからあたかも勝手にもっぱらのA者となるのであり このスーパーヤシロへのあたかもやしろ全体としては役割をになってとも言うべきアマアガリは 実にすべて S圏・S者の資本連関(人間関係・生産関係)を 仮象として反映させたものなのであり これでしかない。スサノヲ市民が 自由を言うとき もっぱらのアマテラス者も 自由を言うということである。
このとき 当時にしても S圏やしろの中に 民権なり自由なりが――宗教のようなのかたちでにしろ――存在していたなら それを 反映させたであろうし また 存在していなかったなら やはりそう反映させたのだと言うしかない。人は やしろの第二階=A圏へアマ上がって初めて 人間となり 自由となるのではないから。
このとき――肝心なことだが―― 少なくとも上に見る植木の方法は 《民権自由》なるアマテラシテ概念にとびついたのです。
わたしのこの議論は ここまで来ると もはや 当時の歴史的文脈に沿っては 言っていないので まことに詭弁に映るかも知れないけれど もう少し聞いてください。
明治維新はなるほど 草莽(そうもう=野・S圏)と言われるようにスサノヲ者の運動として起こった〔側面が 基本に考えられると思う〕。しかしこれは スサノヲ者のではあっても ナシオナリストとしても 起こった。スーパーヤシロへのアマアガリなるもっぱらのA者によるS圏の否定を 否定しようとして 同じ政治活動としてのアマアガリによって これを敢行した。かれらは 《自由》にかつ勝手に S圏をとび越えて 自己のアマテラス化をおこなった。このとき かれらの自己の〔新たな〕棲息域すなわちA圏 の内部確立に対しては スサノヲイスムは 不案内であってよく まづその落ち着き具合いを見なければならない。(歴史をこのようにわたしたちは 論難しています)。
しかるにこのとき 植木に代表される〔かどうかは わからないとしても〕方法は なるほど A圏にそのまま入るというのではなく 新しいA圏とS圏との連関のぐあいを たしかなものにしようとして そこに自己の役割を見たかも知れない。けれどもそれは スサノヲ者のS圏情況に立つのではなく またその情況に対して 自己の新しい主観を主張しようというのではなく まっさきに《民権自由》なる一つのアマテラシテにとびついた。とびつくことが もし概念の消化であるなら そのときにはきっとS圏生活の中でそのやしろ資本の新しい形成に向かったにちがいない。
いや たしかに そう考えたのであって それゆえにこそ 新しいA圏に向かって――なぜなら それが最良の手段であると考えたからだと言ってのように―― その新しいスサノヲイスムをもって 実践していったのだと 人は言うかも知れない。はたして そうであろうか。
かれらは やしろ資本連関の或る望楼に立って 互いの共同主観を見るのではなく この望楼から 《千里眼》《望遠鏡》をもって 遠くを展望したのである。この展望の結果を A圏に樹立することを 欲した。これは もっぱらのアマテラス当事者になるのでもなく また必ずしもアマテラス予備軍になるのでもなく スサノヲ者がそのままアマテラシストとなる例である。


・・・
人に才あり力もあれど
自由の権利がない時は
無用の長物益がない
さらば人間というものは
自由で生きてこそよけれ
自由が無ければ死んだも同じ
・・・
卑屈さんすな圧制受けな
人に貧富強弱あれど
天の人間(にんげ)を造るのは
天下万人皆同じ
・・・
ここが人間の同権じゃ
権利張れよや国の人
政府は民の立てたもの
法度は自由を護るため
官的(かんて)きゃ吾儕(おいら)の雇いもの
権利を張らねば詮がない
古え今の別ちなく
悪しき政府が世に在ると
圧制暴虐やらかして
民の自由を抑え制(つ)け
・・・
なんとこれでもよい事か
これは間違い大間違い
・・・
権利張れよや自由を伸べよ
民選議院を早く立て
憲法(おきて)を確かに定め〜〜よ
これは今日(きょうび)の急務じゃぞ
やれやれやれやれ国の人
立憲自由の政体で
自由の権を張り伸ばし
学問修めて智恵磨き
職業務め働いて
文明開化の人となり
・・・
植木枝盛:民権田舎歌 1879 《民権自由論》付録)

これは 一つの真実であって 経験的な真実でしかない。ここには インタスサノヲイスム〔の方法の滞留〕は ないであろう。S圏の《まつり》は これではない。真実の愛(資本推進)を 精神をとおしてではなく 精神において 見たからである。やしろの或る望楼に立って やしろ資本形成の推進力を見たから その資本形成に参加するのではなく 精神において望楼から展望した。この展望は必要ではなく 展望がそれじたい方法となるとき スサノヲイスムは アマテラシスム〔の まつりならざるまつり。まつりごとでもないまつりごと〕に転化しうる。インタスサノヲイスムの主観共同化は ここにはない。
これは スーパーアマテラシスムでもスーパースサノヲイスムでもなく 特異な立場であって あえて識別するとするなら それは スーパーアマテラシスムへの反対者が 〔むしろ〕賛同を表わす主張なのである。わたしたちは ここに憩うことは出来ない。また このような或る種のドン・キホーテが出て来てくれたなどと言って それだけでも よしとせねばならないなどとしても 憩うことは出来ない。もっぱらのアマテラス者に対しては まづ放っておくのがよい。アマテラス予備軍に対しては ただ嘲笑ってあげるのがよい。民権自由だから。


世界政府は別としても 国際連合は 各くにやしろのA圏が――ここでもあたかもS圏の資本連関(いわゆる共存共栄)をまねてのように―― 相互に語り合って創設した機関である。あるいは S圏がその資本連関を反映させるように仕向けてのように 創設させたことになる。《官的きゃ(官人・A者)吾儕(おいら)の雇いもの》だから かれらを 前史として・あるいは母斑として用いることが出来る。いま用いることが出来る。用いていけない法はどこにもない。けれども それは このような国際連合のもとにある各A圏のそのような方向性を 展望することによってではなく S圏やしろ資本の中にあって その推進力を見つめて・あるいは受け取って生きることによってである。


わたしたちは ヤシロロジ〔の方法・その前提領域〕について さらにさまざまな事柄を語る。《遅疑逡巡》することが 結論の如き視点であるかと言ってのように。けれども わたしたちは聞いた 

知恵ある者を責めよ かれはあなたを愛する。
ただしい者をおしえよ かれは学に進む。
箴言9:8−9)

と。これ 資本推進力のことばならざらんや。
インタスサノヲイスム・コミュニスム・共同主観は 或る個体の生涯という歴史において 前史そして後史というふうにして――そこで回転しつつも―― 一本である。これは 資本(愛)の推進力に属(つ)いて 一本である。インタスサノヲイスト・コミュニスト・共同主観者は ヤシロロジスト(つまり 人生という学の自己修練者たるやしろ人というほどの意)としても 一本である。
しかし かれのヤシロロジ理論 かれ自身のインタスサノヲイストとしてのやしろにおける行動 もう一度いいかえてヤシロロジにかんするかれ自身の考え・意見 これは あたかも一人のインタスサノヲイストにおいても その生涯の時期に応じて 或る程度は変革されると言ってのように 互いに多種多様であり 相互対立的でありうる。
したがって この多様で対立的な諸ヤシロロジ理論 この学に人びとが進むのは 資本の推進力による以外にない。真実で一つの資本推進力による以外にないと考えられた。インタスサノヲイスム・主観が 一本であるから。けれども これは かれが 母斑を乗り超えることによってなのである。
母斑(たとえば ナシオナリスム)によって 母斑〔の行動形式〕にしたがって 人びとが 多種多様なやしろ人となるとき また そのようにしてスーパーヤシロ人へとアマアガリするとき それは 多様多種ではなく また一本のインタスサノヲイスムでもなく 一個の母斑に拘束されその行動がつき動かされる一個の奴隷様式であると考えられた。同じ一個の奴隷の自由である つまり前史の自由なのであると。

(つづく→2007-03-14 - caguirofie070314)