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哲学いろいろ

#79

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L'Eglise ( Kirjath-Jearim )

En 1905, un fermier labourant sur le sommet trouva un mur semi-circulaire avec des mosaïques et autres objets. Des excavations mirent au jour une église byzantine du Ve siècle. Parmi les articles ayant été préservés se trouvent les colonnes monolithiques d'un atrium, des bases de colonnes, des chapiteaux, et des mosaïques. L'église de Notre Dame de l'Arche de l'Alliance fut construite au-dessus d'une basilique byzantine du Ve siècle par la sœur Joséphine Rumèbe en 1911. La statue de Marie se tenant au-dessus de l'arche de l'alliance fut conçue pour être visible dans les environs.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第四十三章b 母斑が用いられる

――§38――


広松渉の最近の著書 そのライフワークの第一書である《存在と意味―事的世界観の定礎 (第1巻)》(1982)は 生きた動態の主観共同化に際しての 認識の起こりうる誤謬を排除し棄てるための諸原則を 理論している。
もしこれまで述べてきたように これにもあえて異を唱えることに非がないとして 極論すれば 次のような対比となるにちがいない。それは 母斑を母斑として認識しつつ後ろ向きに進む方法と 母斑の旧い世界・その世界観体系を 母斑として見ず 現実・人格そのものであるとしてのように これを比較し批判して前向きに進もうという方法との違いにあるのではないか。母斑のありうべき可能性をすべて取り上げて これをあたかも人格そのものとしてのように対象としつつ語ることは 人間的・良心的でありつつ 全体として《事的世界観》なる《もの》の世界観にとどまると考えられたのである。
わたしたちは 旧い・《もの》にもとづく世界観を 批判するのではなく――むろん内的に棄てようとするのであるが そしてこれを 広松はたしかにおこなっているのであるが―― これを取り除こうとするのではなく これらを用いつつ進むのだと考えられる。


わたしたちは どこまでも動態的なヤシロロジが 一個の表現体系としての(または 象徴的なアマテラシテ概念としての)《もの》ではないと言いつつ またそれと同時に 《事》にもとづく世界観だとは言わないのである。それは あとから出来上がる一個の世界現実である。ちょうど 《自由(自由主義)》が それを前向きに掲げることによって 精神志向的なだけのそれ自体の王国を築くのではいけなかったように つまり そうではなく 基本的には 真理がわたしたちを自由にするのであったように 《事にもとづく世界観》を掲げることによっては すすまない。
次の文章は この点を きわめて粗雑に整理したものである。

〔ついに吾輩は一言すべきことあり。吾輩は自由主義を解釈すること実にかくの如し。(――この文章の前に《解釈》が示されている。省略した。――引用者〕
しかれども吾輩は単に自由主義を奉ずる者にあらず 即ち自由主義は吾輩の単一なる神にあらざるなり。
吾輩は或る点に付きて自由主義を取るものなり。故に吾輩は自由主義もとよりこれに味方すべし。しかれども吾輩の眼中には干渉主義もあり また進歩主義もあり 保守主義もあり また平民主義もあり 貴族主義もあり 各々その適当の点に据え置きて吾輩は社交及び政治の問題を裁断すべし。
かのスチール氏は吾輩に最良の説を供出せり。

歴史ありて今日に至るまで種々の主義は世に起これり。この諸主義はみな人間の同一なる動機より生じたるものなれば 何れも人間の真理を包有せざるはなし。ただその一個を主張するものは極点にまでこれを主張す。故に他の一と相い容れざるに至り しかして誤謬を犯して自から知らざるなり。

と。吾輩は不敏といえども請(こ)う この説を服膺(ふくよう)して以て日本国民の隆昌を謀らん。
陸羯南〔くが かつなん〕:自由主義如何 1891)

近時政論考 (岩波文庫)

近時政論考 (岩波文庫)

《日本国民》というような やしろの場の単なる現状認識 および 自由主義その他欠陥を含む何々主義のそれぞれを 平面的にならべて受け取る折衷性がおおいに見られるものではあるが 哲学・思想論などインタスサノヲイスムそのものの領域ではなく ヤシロロジとして出発しようと思うときには このような主観とその対立発展的な共同化過程は 当然のように大前提である。
この文章では 上に述べた欠陥を容れる場合には われわれインタスサノヲイスム主観共同化ということにならないが それにしても 主観(《吾輩》)を――書物の主語としてではなく ヤシロロジストとして――述べることが 肝要であると思われたのである。そうでないと 客観〔理論〕共同はあっても 主観共同は 母斑現実の中でのみおこなわれることになり それは 理論家として やしろ資本家となって立っているようでありつつ 理論家としてということは とりもなおさず いまだやしろの賃労働者(述語)となっていることを物語るからである。
母斑現実の中で 法律として建て前のみであっても すでに《わたし》が主語となっているなら 言いかえると 母斑現実はすでに現実でなく母斑でしかなく蜃気楼閣であると言うのなら この《述語》性・賃労働者性つまり奴隷制は 主語が用いるものではあっても 主語でもわたしでも主体でもない。
わたしたちはむろん やしろいすととして やしろ資本に仕える者であり この一種の賃労働者性は 基本的にS圏エクレシア資本に対してであって それは アマテラス語概念象徴なる天使たちつまり 人間の精神の真実・徳・思想・学問に対してではない(ヘブル書1:5−14)。(天使たちをも われわれ人間は用いる)。真理に対してあたかも賃労働者として仕えるとき わたしたちは 母斑を母斑として認識する・または用いるのであり この学問・精神をとおして――そこにおいてではなく それをとおして(三位一体論15・23−44)――真実を述べて あたかも後ろ向きにすすむのである。
この人間の真実が ヤシロロジとして――あたかも一個の人間が 虚言やあやまちをまぬかれないというようにして(しかし人間は 虚言を言ったり過ちをおかしたりしたときにではなく 欺かれるとき 虚偽となる〔三位一体論15・15・24〕が) ともあれ そのような含みを抱えたかたちのヤシロロジとして―― 試行錯誤でしかないと言ったのである。

  • だからと言って 経験論に還元せよと言うのではない。しかし 認識の誤謬・虚偽を内的に棄てる自己の《存在と意味》の学的体系化は――それが 目的ではないであろうが―― むしろそれがシステマティックで精緻なものであればあるほど 人間の真実を 経験論にまったくゆだねているということは ありうることだ。

さらにまた 欺かれて〔虚言を容れないわけではない〕人間の真実が 虚偽となるとき この虚偽なる自己が死なしめられてのように 自己が存在する(三位一体論15・12・21)。この自己のアマアガリ過程が 前史から後史へ移行するインタスサノヲイストのヤシロロジストとしてのよみがえりであるとしか わたしたちには考えられなかった。これと異なる方法で 自己もしくは理論を愛してヤシロロジストとして立つことは 自己の意志によって 母斑としてのくにやしろ資本に対してまだ賃労働者となって すなわち奴隷の自由において 前史を生きているとしか わたしたちには考えられない。

魂はその罪においてさえ 神の或る類似〔像〕(――したがって やしろ資本連関=社会的諸関係の総体たる自己とも解せられる――)を高慢な間違った いわば奴隷の自由によって追い求めている。

この《自己了解》(平田清明経済学批判への方法叙説 (1982年)等)――しかしそれは 《批判的な》(平田)ではなく はじめの肯定に立ったかたちとしてであるだろう――が そのことじたい ヤシロロジであるとわたしたちは 言っていることになる。

信仰や その類いのもののように 以前には精神に存在しなかったのに生起するものは 教えによって植えつけられるから 到来者のようにすら見える。しかもこの信仰は 信じられるもののように 外側にあったり また外側で実現されたのではなく 全く精神そのものの只中に存在し始めたのである。
ここで信仰とは信じられるものではなく 私たちに信じさせるものである。
信仰の対象は信じられるものであり 信仰は(――その思念は――)見られるものである。しかも 信仰は それが精神に存在し始めるゆえに或る到来者のように見えるのである。信仰は顔と顔を合わせての直視(コリント前書13:12)がひきつづき生起してもはや存在しなくなるとき 移り去ったものの中に数えられるであろう。

  • 信仰は 信仰していた対象(非対象)が 明らかになったとき なくなっている。愛は残ると言われる。

特に精神に関してくどいように言うとすると 精神の中に《わたし》の信仰の動態が――もしくは精神そのものが動態的な信仰として―― よみがえるのであって 精神において精神の中に 信仰の像・精神の徳や美を われわれは信仰するのではない。つまり前者(前半)では 《わたし》の力がすでに尽き果てているはづであり 後者では そうではない。また 後者では それ以上に その信仰の念によって 神の類似――これの回復・確立が わたしたちの目標である――への転倒した欲望を満たしているのである。転倒というのは 精神ないし頭で立って進もうとしているからである。
けれども 広松は 《あなた》=やしろ資本推進力へ向かってすすもうと欲して わたしの力つきはてることを願うのではなく ――むしろ観念的にではないのだが――信仰の動態におけるありうべき認識の二律背反ないし二者選択なる過程的段階を 経験科学そのものとして たどろうとしたのである。前史として最高の栄光であると言いうるが それは前史でしかない。
このただしい認識を持ちつつ実践してすすむ信仰の動態の《自己了解》を 平田清明は 《批判的な》ということによって つまり母斑世界に対する批判としておこなうということによって 母斑世界の外に・言いかえると精神の中に 捉えている。これは 前史から後史に入るごとく生起し始めた信仰 つまり生活 ではなく この信仰への信仰である。
広松のばあいは 経験世界が その関係主義的な――事的世界観によるということだが――共同主観性(間主観性)として捉えられ この述語が 主語となっている。平田のばあい この述語なる経験世界の外に つまり精神の中に 主語があるかのようである。信仰は 精神の中に生起して展開するが この信仰も精神も(場としての精神も) 主語=わたしそのものではない。(§45の水田洋のばあいを参照されよ。)
(つづく→2007-03-13 - caguirofie070313)