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哲学いろいろ

#59

もくじ→2006-12-23 - caguirofie061223

Samarie (Sébaste)
Aussi connue sous le nom de Sébaste, Sebastia, Shamir, Shomeron, "maison de Khomry"

Ville sur une Colline

La ville de Samarie était située dans le territoire de la tribu de Manassé, mais resta apparemment peu habitée jusqu'au temps du roi Omri (père d'Achab). Pour les 160 années suivantes, la ville fut la capitale du royaume du nord, atteignant apparemment une taille de 150 acres (aussi grande que Jérusalem du temps d'Ezéchias). Samarie est bien localisée, avec des pentes raides de tous côtés. Cet avantage géographique écho dans l'histoire, Samarie ayant tenu sous les sièges des Araméens (2 Rois 6), des Assyriens pendant 3 ans (2 Rois 17), et des Hasmonéens pendant un an.

第三部 ヤシロロジとしてのインタスサノヲイスム

第三十三章a 諸概念・諸原則の確認

――アウグスティヌス インタスサノヲイスム(人間的友情)を語る――


わたしたちが 第一部:インタスサノヲイスム(連帯) および第二部:ヤシロロジ(社会科学)におけるインタスサノヲイスムで論じたことは 次のようであった。

  1. 人間( homme )は 社会的動物( zoon politikon )として 市民( bourgeois )=スサノヲ( Susanowo )であるであろう。
  • かれは 一義的に(〔人間〕関係の絶対性として) そして第一次的に 市民社会( bürgerliche Geselleschaft )=スサノヲ圏( Susanowoschaft )に 住む。
  • この社会を わたしたちは やしろ( Yasiro )と呼ぼう。
  • やしろにおける市民の協働( communis )関係を 共同主観( sensus communis )=常識( common sense )または 主観(主体)の共同化過程とよぶ。
  • 共同主観は インタスサノヲイスム( intersusanowoïsme )。
  • やしろのインタスサノヲイスムは 関係・連関・過程としての資本( capital )である。
  • インタスサノヲイスムは 資本連関の歴史的な動態である。
  • この動態的な過程は やしろ全体として 一個のスサノヲ者から独立した動きであるが これ(その事実の成立)と矛盾することなく かれのインタスサノヲイスト行為より成る。〔これこれの認識像が やしろ全体の資本連関過程だよと見せられても 一個のS者から独立した動きというのは その認識像がそれなのではない。個人から独立したやしろの歴史過程の存在とは矛盾することなく 個人のインタスサノヲイスト行為は成り立つ。そもそも上の認識像の把握と表現も 一個のS者がおこなうインタスサノヲイスム行為にほかならない〕。
  • インタスサノヲイストの主観共同化はスサノヲ者の持つ光(理性)によってこれをよくおこなう。
  • 光とよぶべき理性もしくは精神の普遍者は 概念として アマテラス( amatérasu )である。(こう呼ぶ)。
  • 精神の普遍概念の象徴は 同じく概念として アマテラシテ( amatérasité ;Amaterasität ; amaterasity )である。自由とか平等とかの概念・理念として ことばとしては 把握される。
  • インタスサノヲイストなる共同主観者は アマテラス者( Amatérasu )でもある。
  • このアマテラス者は やしろの役割(職務)として 公民( citoyen )。
  • スサノヲ者=市民が この公民=アマテラス者性を 有する。
  • 主観共同化は スサノヲのアマテラス化( amatérasisation de Susanowos )または アマアガリama-agari )である。(ブッディスムでは 《出世間 lokottara 》)。
  • アマアガリしたスサノヲが スサノヲでなくなるわけではない。
  • やしろの役割分担において もっぱらのアマテラス者つまり職務としての公民となること これも 通念としては アマアガリ・出世間とよばれる。
  • もっぱらのアマテラス者は やしろのスサノヲ圏から 相対的に独立(もしくは 自分勝手に分立)して 自己独自の圏域を築く。社会が二階建てとなる。
  • アマテラス圏( Amaterastum )は 第一次的なやしろであるS圏( yasiro )に対して スーパーヤシロ( superyasiro )と捉えられる。社会の第二階である。
  • A圏のアマテラス者公民は 一般に社会科学主体・ヤシロロジスト( yasirologistes )である。
  • ここで インタスサノヲイスム(社会思想)は ヤシロロジ( yasirologie / 社会科学)を含む。(理論的普遍 普遍的理論化の点では ヤシロロジが インタスサノヲイスムの諸要因を整理して位置づけ それらを含むが やしろの資本過程(生活)の動態的な要因としては インタスサノヲイスムが ヤシロロジを含む。もしくは主導して 新しいヤシロロジを形成させてゆく。S圏が 《歴史のかまど》とよばれる〕。
  • やしろ( Yasiro )は 一般に S圏( yasiro )とA圏( superyasiro )より成る。(むろん はじめの命題〔(1)〜(3)〕において S圏が やしろの全体ないし基本・基体であるが この総論に対して 上の各論が成り立つ)。
  • 一定の地域共同体(スサノヲ共同体)としてのムラ( mura )において 一個のやしろ すなわち 構成として 《S圏‐A圏の連関形態》をもつ。
  • 一定のスサノヲ共同体としてのムラ相互の〔資本関係としての〕連関は インタムライスム( intermuraïsme )である。
  • インタムライスムの資本連関は くに( kuni )をつくる。
  • 一個の《S圏‐A圏》連関から成るムラの互いに連関しあったくには それ独自の中央に位置するべきアマテラス圏をもつ場合がある。
  • くにとしてのやしろシステム(社会形態)も おおきく《S圏(インタムライスム)‐A圏(中央)》連関から成る。
  • くになる社会形態は 一般に 生物学=社会学的な一個の民族( nation )〔=言語〕の集合を その土壌としている。
  • くにとしての《S圏‐A圏》連関形態( kuni-ihé )は ナシオナリスムとしての《アマテラス‐スサノヲ》連関体制たりうる。
  • インタスサノヲイスムまたはインタムライスムとしての資本連関は くにとしてのやしろ全体に 発展しうる。
  • このようなやしろの資本連関は くにの枠組み( ihé-national )を超えうる。または はじめに 超えていた。
  • このようなやしろ資本の連関は 〔イエ・〕ナシオナリスムまたはそのA圏の主導しまた支配するところとなりうる。
  • 〔ところで〕 スサノヲのアマテラス化の歴史には 前史と後史とが ありうる。
  • それらは やしろの生活の中で 光と闇 善と悪 精神と身体 昼と夜 公と私などなどの対立する二項となる要因(また領域)について どう対処するかをめぐって 具体的なインタスサノヲイスムのかたちが争われることにおいてである。特に これらの対立する二項が 互いに相容れない二元であると唱えられるとき おおきな問題となる。
  • 言いかえると 共同主観(常識)が歴史的に変わることである。民主主義の社会に至るまでの 時代の変遷でもあった。
  • やしろ資本の連関が 主体的にはインタスサノヲイスムにおいて 客体的にはヤシロロジにおけるインタスサノヲイスムにおいて それぞれどのようかたちを歴史過程としてとっていくかである。
  • 資本形成の過程は 主体的にも客体的にも インタスサノヲイスムの問題であると考えた。(このとき 客体的なヤシロロジ視点に立ったやしろ過程が インタスサノヲイスト個人から独立して存在していても 上の視点に 矛盾はないと考えられた)〔(8)〕。
  • 言いかえると やしろ資本は はじめに(原理的に) S圏(ムラ / インタムライスム)にあると価値判断された。

〔以下は 価値判断の内容をつけ加えて述べよう。〕――

  1. くにとしてのやしろシステム すなわち広義の《アマテラス‐スサノヲ》なる二階建て連関体制は おそらく逆立しているであろう。アマテラス圏なる頭で立っているらしい。言いかえると それは 《S圏(インタムライスム連合主導)‐中央A圏(従属)》の連関制が ふつうのすがたであるだろう。

(つづく→2007-02-21 - caguirofie070221)