caguirofie

哲学いろいろ

#41

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

付録 オホタタネコ・デモクラシの歴史的な展開

四 学問の方法の転換

本居宣長はそのライフワークである《古事記伝 1 (岩波文庫 黄 219-6)》のなかで――と丸山真男は書いている――

古より今に至るまで 世の中の善き悪しき 移りもて来しさまなどを験(かむが)むるに みな神代の趣に違へることなし 今ゆくさき万代までも思ひはかりつべし
(三之巻)

凡(すべ)て世間(よのなか)のありさま 代々時々に吉善事(よごと)凶悪事(まがごと)つぎつぎに移りもてゆく理(ことわり)は・・・(中略)・・・悉(ことごと)に此の神代の始の趣に依るものなり
(七之巻。ゴシック(原文は傍点)は丸山)

として 未来をふくむ一切の《歴史の理》が《神代》に凝縮されているということをくりかえし主張している。この命題は一見するほど非歴史的ではなく むしろ具体的文脈のなかでは 《意図しない結果の出現》とか 出来事の《意味》の歴史過程のなかでの逆転とかいった 歴史哲学のうえでも重要な問題に触れているのだが その点に立入るためにここに引用したのではない。

  • このように論じ始めて 丸山は オホタタネコ・デモクラシの歴史的な展開の問題について 言い及んでいる。いくらか あとを継いで この論稿の出だしを引用しておこうと思う。

上の文に必要な変更を加えるならば――
具体的にいえば 宣長が歴史の実質的な内容の問題としてのべている《理》を 歴史的出来事についての日本人の思考と記述の様式の問題におきかえるならば――この小稿も やはりこれと相似た命題を前提として出発するからである。つまり 主としていわゆる記紀神話 とくにその冒頭の 天地開闢から三貴子(アマテラス・ツクヨミ・スサノヲ)誕生に至る一連の神話に たんに上古の歴史意識の素材をもとめるにとどまらず そこでの発想と記述様式のなかに 近代にいたる歴史意識の展開の諸様相の基底に執拗に流れつづけた思考の枠組をたずねる手掛りを見ようというわけである。
丸山真男:《歴史意識の〈古層〉》のまえがき・・・《日本の歴史観の歴史》の第一章 丸山真男編《日本の思想〈第6〉歴史思想集 (1972年)》解説)

この論文の内容をもはや 具体的に紹介しようとは思わないが さりとて これまでのわれわれの見解を補強するために これを取り上げようと言うのでもない。この論文の結論らしきものをかんたんに今取り出せば 次のように考えられるであろうか。
《執拗な持続低音( basso ostinato )》ともいうべき《歴史意識の〈古層〉》は まず 《永遠のいま――正確には いまの永遠――》つまりわれわれのことばで イントラ・フェストゥムのオモロ(思惟)が その基本形式(または 不定法=不定詞形)だと言うのである。
さらにつづけて ところが 《つぎつぎに移りもてゆく〔理〕》が この《永遠のいま》と両立しないわけではなく たしかに動態的なイントラ・フェストゥムが その不定詞形の実際なのだが この動詞の活用は たとえば《神代》なる《思考(オモロ)の枠組》(おおむね 共同観念)の存在によって 世界史的に特異なかたちで 展開される。

  • われわれのことばで この《神代》は オホタタネコ・デモクラシの第三展開例である。つまりこの形態としての国家の視点から見た《神代》なるオモロ構造という要素が強い。

つまり 《復古》といったいわばポスト・フェストゥム的な動詞活用の主張は 展開のかたちとして 異質的もしくは異端であって――ポスト・フェストゥム=祭のあとという部分の存在にかんして そのぶんだけ そうだという また そのように ヤシロおもろの危機意識・時代の危機の時にのみ 時にそのような声があがるという意味あいであって―― これに比べれば 未来の目標に向かって進むところのアンテ・フェストゥム的な活用の見解は なおさら異端であるという。つまり それが存在しないというのではなく 《古層たる持続低音――オモロ構造の枠組――》から見れば そうだと見られがちだというのである。

  • もともと=つまり《歴史意識の〈古層〉》では イントラ・フェストゥム=つまりこの場合《永遠のいま》という意識が 基調となっているという。つまり 《持続低音》として つねに鳴り響いていると。われわれから見れば このイントラ・フェストゥムは スサノヲ市民のオホタタネコ・デモクラシとしての《まつりのさなか》ではなく すでにタカマノハラ思想によるアマテラス圏主導の《まつりごとのさなか》だと考えられる。だから 丸山も この祭のさ中を 必ずしも《永遠の現在》ではなく 逆に《現在の永遠》というような意識だと言っている。そして ともあれ このイントラ・フェストゥムが あたかもセヂ連関の意識として基調であるならば あとのまつり(ポスト・フェストゥム)も前夜祭(アンテ・フェストゥム)も スサノヲ市民の意識として 異質的で 異端でさえあるという。そのような議論である。

言いかえると 事の実態は 必ずしも日本的な《祝祭のさなか》が停滞的なものではなく たしかに実質的に活用されていると見る限りで そうならば この動態は 《つぎつぎに移りもてゆく》事態を《つぎつぎになりゆくいきほひ》のしからしめるべきこととして 追認してゆくオモロ形式がそれだというのである。そして これは確かに特異である。
これは わたしの言葉で整理してみたものだが 大筋において誤っていないものと思う。つまり 丸山は例によって 具体的にはきわめて広範囲な例証をもって その内容を論じているのだが 丸山自身の主張は 上にのべたようなところにあるのだと まず解釈する。
もしこれが しかし 丸山の結論だとすると――もっとも 《ぼくは現代論はやらないことにしてるんだけれど》(《日本の思想〈第6〉歴史思想集 (1972年)》別冊・加藤周一との対談)との発言を無視するわけにはいかないけれど―― もしここで 批判点のみを記さなければならないとしたなら やはりこれを アカデミズムの幣としてはっきりさせなければならないと思う。
日本的なアカデミズムと言わなければならないかも知れぬ。
いまは 《日本の歴史観の歴史》にかんして 《歴史意識の〈古層〉》を摘出して論じるその内容を 批評・批判するのではない。学問の方法を――したがってまた 生活におけるオモロ形式を―― 問題としなければならない。
結論を先に言うならば このように《つぎつぎに移りもてゆく理》にかんして 持続低音としてのまた《思考の枠組》としての――つまりこの思考の枠組を《たづねる手掛り》を丸山は提出しているわけだが――その《理》を このアカデミズムは 拭い去るべきならまだ拭い去ってはいない 少なくともまだ対象化していないと言わなければならないのではないだろうか。つまり その鏡を見ているのであって 鏡そのものを見て捉えることは まだほんとうの対象化ではないと言わなければならない。
言いかえると 自己還帰ではなく まだ自己の目鼻立ちをとらえて描いたというアカデミズムである。
たとえば 《善事も一言 悪事(まがごと)も一言 言離(ことさか=言い放つ)のカミ カヅラキのヒトコトヌシ》(古事記)の《独り神》としての観念的な形態――《独り神》とか 《純男》とか言うとき そこには《性》はある もしくは中性化されている―― ここから この学問が出発していると思われてならない。
わたしが このように ひとことで言うことは タカマノハラなるヒトコトヌシを 観念的に上に戴かないゆえである。丸山真男の手法は このタカマノハラ・デモクラシの内なるそれ自身に対する歴史認識――鏡に映った像の認識――なのである。しかも はじめに 《独り神》の想定 性倒錯のハジメがあって 成り立っている。鏡をとおして見るのではなく 鏡そのものを見ている これを内外のアマテラス語理論(文献資料)のもとに たんねんに分析して位置づけている。日本の歴史(また歴史意識)という動詞の不定法が 性の存在しないオホタタネコ・デモクラシの 観念的な《独り神》化のもとに置かれている。このタカマノハラ・デモクラシは すでに二階建てのヤシロを築きあげたあとのスーパー日子のオモロとしての《思考の枠組》であり その認識なのである。これは 自己還帰ではなく あとから事実をとらえての自己追認である。思考の枠組=共同観念オモロは オホタタネコ・デモクラシを享受するための仮りの共同主観から出たものなのである。第三の展開例では この転化が 転倒となり 性倒錯した 言いかえると はじめに性倒錯した地点から 転倒の共同観念オモロをすべての領域にわたって展開するのだ。
われわれの批判は 不当なもの・いわれのないものであって 一見 詭弁を弄しているように見える。また オホタタネコ・デモクラシという原理の視点をはずすなら すべてが崩壊するようなあやぶいものである――そして このオホタタネコ視点は 仮説にすぎないものであった――と 反批判者は言うことができる。
けれども さしづめ 《すべて世間のありさま 代々時々に吉善事凶悪事つぎつぎに移りもてゆくデモクラシは ことごとにカミヨの始めのオモロに依るものなり》という命題に対して これを《前提として出発する》という点 この点を吟味することは不可欠である。もし《前提として》捉えうるほどのものであるなら この《カミヨの始めのオモロ》を明確に形式として認識せねばならない。前提でもなんでもないというなら 新しい歴史(また歴史観)を始めていなければならない。アカデミズムは ついに この点をあいまいにしたのであり 学問的・科学的・客観的であるとオモッテいる。ちょうど蚕が繭をつむぐように 鏡に映るあらゆるものごと(動詞の活用形態)を捉えて描き出したなら そのはじめの不定法(前提としてのオモロ形式)を 科学的に対象化し得たと――または 少なくとも学問の仕事は そこまでであると――オモッテいる。

  • 丸山真男のごとく 日本のヤシロの歴史を 鏡に映った事柄としてだが 描いた学問は まれだと思う。

わたしたちは 新しい後史に立つと言っても 前史に寄留するとも言ったのであって そのことにおいては これら提出された研究成果を読み替え書き換えて出発するのだし すでにそうしていると言ったことになる。このような方法論を間接的に述べてきたつもりであるが この議論をいま問い求めるべきだとわたしたちは 主張したい。
このときの自己認識の結論が はっきりと 性倒錯 セヂ連関の観念共同化のオモロ形式の発生にあると述べたのである。この明確なオモロ形式の回転を通過して 従来の学問を相続しようと主張したい。(この回転は すでにタカマノハラ・デモクラシなるオモロで 一度回転しているから それを元に戻す再回転でもある。)これが 時のいきほひだと言うのは 詭弁であるが このいきほひを人は あの第三のスサノヲの受け容れの歴史の中に 原理として(オモロの原形としてまた史観として もし何なら 歴史意識の古層として)すでに培ったのではないかというのが わたしたちの見解である。
このオモロ原理を舞台のようにして その上に あのタカマノハラ・デモクラシが 形態としての国家の時代を形成してきたのである。これが 性倒錯だというのは――批判されるべき一点としてそうだというのは―― ヒトコトヌシ‐オホタタネコ‐オホモノヌシなるセヂ連関を アマテラス語観念共同化して ヒトコトヌシのタカマノハラ思想第一のもとに その性の存在しない原理を形態化したゆえであると。その後のアマテラス語オモロ形態――つまり 学問・理論――も これタカマノハラ・デモクラシのもとに人びと一般がセヂ連関を形成した歴史を見ている。そのようなものとして 共同主観の仮りの国家形態化のもとに歌われたこのタカマノハラ思想の中で 歴史を捉え分析することは 肯定的なものでも否定的(批判的)なものでも 理論が神話となっている。観念的な理論に 性が存在しないからといって――それは 性が存在しないのではなく むしろ性を知らない(知らないというのは 本心からかどうかを別として 憎むというのとほぼ同義である)という姿勢を 《独り神》なる秩序要因として 欲するからであって―― 現実の性関係・セヂ連関を この理論的なタカマノハラ・デモクラシなる核の傘の中でいとなんで行こうと観念共同化(道徳化)するに等しい。
わたしたちが そうではなく 性を知ろうと言っていると反批判するのは 不当な言いがかりなのであって 性の存在しない視点に立つ(その確かに 霊的な)セヂ連関が 現実であると いばって言ったのである。ただちにわれわれが その当のヤシロ資本主体だと言うつもりはないが つまり弱さを誇らねばならないというごとく それを強弁しているつもりはないが 史観はここにあると言おうと言っていることになる。
もしここに立って 或る種の仕方で 不当な批判を与えることをゆるされるなら これまでの学問の方法が 母斑の世界の原始心性を温存してきたと言うつもりは おおいにあるのである。
この付録の不首尾を批判する余地はおおいにあるけれど このような新たなオモロを歌い出す必要があると考えた結果の議論なのである。
なお ここからの新たな出発は 一つに 現代が法による共同自治を 基本的なヤシロ資本形成過程としているとするならば 基本的なオモロ構造としての法理論 ヤシロ資本全体にとっての法律なるオモロ形式の位置などを 新たに模索していく必要がある。言いかえると 現実のセヂ連関(つきあい・経済活動 要するに生活)の中で 法というものが どのような役割を占めるかといった議論から出発してのそれであると。
たとえば 動態としてのセヂ連関のなかで 人がものを所有するということ――そして殊に その行為の権利とか義務とかといった法の概念――が どのような形式(=内容)でどのように現実に過程するものなのか これにかんする人間のオモロ構造の問題である。
もちろんここには 愛によって生き動き存在する人間が この愛を享受するために どのように前史・母斑の世界を用いるかという視点が存在しなければならない。そうして この視点のもとに やがて――あるいは 方向として―― 形態としての国家 タカマノハラ(ヒトコトヌシ)のオモロ形態が オホタタネコ・デモクラシの仮りの共同主観形態であったとして アマクダリし縮小して行くであろうと見られるとき 同じく仮りの共同主観形態として 法というオモロ形式は残るであろうと考えられ これを新たに再編成することは 一つの基本的な課題だと考えられるからである。
これが 具体的な一議論として ルネサンスの謂いであり このような《次つぎに移りもてゆく歴史》を疑ってはならないし またそれに絶望すべきだとは思われない。ただわたしたちは そのために或る一個の理想的なヤシロ形態をオモイ描いてすすむアンテ・フェストゥムなるオモロは うたわないのであった。
(つづく→2006-10-29 - caguirofie061029)