caguirofie

哲学いろいろ

#37

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第四章 ゑけ あがる三日月や

第八のおもろ 愛としてのセヂ連関

せぢの物語は 男の女に対する関係(かつ その前史から後史への移行)であった。
ここで その動態の基本にかんしては 女性・《こで》としての主婦(したがって その夫)の役割を充分に基軸としてきたつもりであるが 沖縄のオモロでは おなり‐ゑけりの関係つまり 姉妹兄弟の関係が一つの基軸でもあった。さらにこの点に 誤解があってはならない。
倉塚曄子は 前掲書《巫女の文化 (平凡社ライブラリー)》で 日本にも この《兄と妹の物語》が十分に歴史としてあったことを論証している。詳しい紹介を省くのだが その一つに サホヒメ‐サホヒコの兄妹の物語をとらえ さらにこの物語では ミマキイリヒコ(崇神)の子で次のアマテラスとして立ったイクメイリヒコイサチ(垂仁)の妻となったサホヒメが 夫とのセヂ連関(愛)と兄サホヒコとのセヂ関係のきづなとの間で 動揺することを描いており ついに 後者を選んで 兄もろとも滅ぼされなければならなかったというのだから ちょうどこのカシハラ・デモクラシの共同主観形成の以前の以後とでは セヂ関係が おなり‐ゑけりのそれから 新しい夫と妻とのそれへ移行したと見られるということを論じている。

サホヒメ物語が ヒメヒコ制(おなり‐ゑけり連関なる資本形成のオモロで 殊に 根ガミ・根ヒトまたは根子ではなく 按司段階として アマテラス化した日女日子)の終焉をかざ〔り〕・・・それは 記紀があたかも 崇神・垂仁朝をその歴史の終焉の時代であるかのように語っている。
巫女の文化 (平凡社ライブラリー) 4)
巫女の文化 (平凡社ライブラリー) 

もう少し引くと こうである。

神武から 国家的神祇制度を整えその功業のゆえにハツクニシラシシスメラミコトとたたえられた崇神に至る過程は 古事記の語る歴史においては 王権が諸豪族(按司)の《ヒメ》を貢上させることによって 祭祀権(非制度的なまたは時に密教的に制度的な小アマテラシテ聞こえ大君)を集中させていく過程でもあった。その過程を経ずして王権(アマテラスおよび制度的なアマテラシテ)を確立させることはできなかったのだ。
すなわち ヒメヒコ制を終焉させることによって初めて《ハツクニシラス》ことが可能となったのだ。崇神・垂仁・景行三代の系譜にヒメヒコの関係を示す対の名の同母兄妹が集中し それ以後は稀になるというのも 記紀の編者にとってこの時期がヒメヒコ制の一大転期として認識されていた証拠であろう。それは ヒメヒコ(兄妹)にとっての重大な危機であった。。だからこそこの(サホヒメ・サホヒコの)話は他のどんな時代でもないまさに垂仁朝の物語であったのであり その時点における人間的な物語として結実し得たのである。
巫女の文化 (平凡社ライブラリー)

わたしは 少し別な観点を用意したいと思う。またすでに提出していたと思う。
もし イザナキにとって妻であったその確かにイモ(妹)のイザナミが はらからであったとするなら――ということは もともと セヂ連関が 兄妹関係として基本であるとオモロされていたとするなら―― たしかに この兄妹のセヂ連関が カシハラ・デモクラシなる新しいオモロによって 否定されたのだと思う。

  • いまは 近親婚が 問題なのではない。大昔に近親婚があったことを否定しないし もとより いまに近親婚が禁止されたというオモロの展開が いまの問題ではあるのだが。

しかし ミマキイリヒコの新しいヤシロ形態の発足は オホタタネコ・デモクラシであったのであり オホタタネコは人間であり――かれが 巫女ないし一種の聞こえ大君として 女性であったという説もあるが 仮りにそうであったとしても 人間もしくは 自己の発見 というよりはそれへの到来であったことに変わりはない―― セヂ連関が 人間または自己としての互いの関係において認識されオモロされてゆくことになったと見なければならないし 言わなければならない。
ヒメヒコ制(おなり‐ゑけり連関なるオモロの基盤)の終焉が オモロされたのではない。オホタタネコ原共同主観のセヂ連関形式が オモワレたのである。サホヒメ・サホヒコの物語――記紀は後世から垂仁の時代に当てているが それは 一つの仮託であったかも知れないし あるいは実際その頃であったとも考えられる――によって ヒメヒコ制の終焉がオモロされたとしても このことによって セヂ連関そのものがオモワレなくなったのではない。人間オホタタネコの 共同主観・セヂ連関がオモワレるようになったことを意味しなければならず――また このカシハラ・デモクラシが フヂハラ仮象デモクラシでは 性倒錯のセヂ連関となったと基本的には見出していた―― 人間と言っても 男であるか女であるかであるから 当然のごとく この男の女に対する関係は 夫と妻の関係形式にかんして オモロされる契機をもったであろう。

  • そして 一夫一婦なるセヂのオモロ形式がとなえられたのは ヨーロッパのオモロの影響が大きい。ただ これを受け容れる素地は ここで出来ていったのであろう。古事記では オホクニヌシの物語の中で スセリヒメの歌に そのような形式がオモロされている。

したがって 問題は ヒメヒコ制――制度ないし慣習としてである――がなくなってからのセヂ関係 また ヤシロ資本連関はどうかにある。ここで すでに繰り返すまでもなく 基本的には 現代に至るまでの基調としても われわれの人間オホタタネコ原セヂ連関形式は 生きるであろう。まずこう考えられなければならない。その具体的な展開をもう少し 検討しておくべきであるのだろう。

  • 中西進は 《創世神話試論》(《國語と國文学》1960・6)で イザナキ・イザナミのセヂ関係またこの国土創世神話の各主題の全体にかんして 中国の――または 中国の地の非漢民族のあいだにおける――《女媧(じょか)・伏羲(ふくき)》なるヒメヒコのオモロの影響を論じている。そうだとすれば つまりもし後世から別の外来の物語によって ヒメヒコのオモロを語らなければならなかったとするなら その時には 少なくともアマテラス圏では このヒメヒコ制がなくなっていた すなわち かつてはそれが存在していたと考えられる。

沖縄では キミ‐ノロ‐カミのオナリ神のオモロが その神女組織としてはなくなり その制度においても かつての独身制からそうではなくなり しかも おなり‐ゑけり連関(ある種のヒメヒコ制)はオモワレている。いづれにしても これらに関して どう考えるかが いまの問題なのだが まず わたしたちは 主婦(神女でもあるが)の《コデ》の存在に注目していたと言うことができる。
つまり 問題は 広くヤシロ資本連関の形式またその動態であるが じっさい――オホタタネコ共同主観にかんして―― セヂ連関としての愛とはなにか いや もっと端的に言って 愛とは何かにあるということになるのではないか。
つまり これまでの論議に沿って言いかえると 言うまでも無くオホタタネコ共同主観オモロにおいて ヒメヒコまたは おなり‐ゑけり連関の形式が ただ排除されたというのではなく どう変わったかにある。
わたしは 結論的に言って タカマノハラ(ヒトコトヌシ)・オモロと オホモノヌシ・オモロとを綜合するミマキイリヒコの共同主観において 人間あるいは自己には 性が存在しないと思われるようになったのだと思う。
これは 一方で 人間が男あるいは女としてしか存在しないからには この男女両性とも 実体的にその性がなくなるということを意味せず 他方で かと言って 《人間なるもの》あるいは《自己自身とか 原自己とか》というアマテラス語概念においてそうなのだと言おうとするものではない。
人間のつまり実際には 男ないし女の 交わりには 性は存在しないという共同主観に立って――後史に入って――後ろ向きに 男ないし女という性のセヂ関係にのぞむというのが ただしい。そうではなく 共同主観の構造の中では垂直的にタカマノハラ・ヒトコトヌシのオモロ(思惟)によってのみ むしろカシハラ・オホタタネコ・デモクラシを捉え 形態化させるなら 国家・ヤシロ資本連関の共同自治方式が 優勢であろうし あるいは 横の関係でオホモノヌシのオモロのみによって思惟して行くなら 沖縄のように おなり‐ゑけり連関の存続かどうかを別として 下(スサノヲ圏)から前向きの 一般セヂ連関の形成の――つまりたとえば 女による男に対する権威回復のであるとか 女を含めた一般市民によるアマテラス公民に対するスサノヲ圏の権威の実現への要求であるとか 権利追求によるセヂ連関形成の――形式が より強いことになると思われる。ということは どちらも同じ一つのヤシロ資本形成連関を意味しており どちらもアンテ・フェストゥム的であり また ポスト・フェストゥム的でもあることにならざるを得ない。
したがって 祝祭に向かって 前へ 進む(そして それは ほとんど 《あとの祭》を見ているのと同じことである)のではなく 祝祭(イントラ・フェストゥム)の中から このセヂ連関を捉えるという道が 存在すると言わなければなるまい。これが 愛であると思う。
このことを わたしは 人間または自己には 性が存在しないという表現で述べた。


サホヒメ・サホヒコの物語はたしかに そこで おなり‐ゑけりのセヂ信仰が否定されたのだと思う。しかし問題は――沖縄でそれをよく保ったというほどに―― このある意味でイザナキ・イザナミの時からの共同主観形式が ここで 制度的に法律的に たとえばイクメイリヒコイサチ・アマテラス(垂仁)によって 禁忌とされたということではないと思う。それ(禁忌)が確立されるのは のちに形態としての国家が出来上がってからであろう。このことには 注目すべきであると思う。サホヒメ・サホヒコの物語のような歴史があったということと 制度的にかつアマテラス語理論=法律(禁止)的に そう強制されたということとは 違うと思う。
ミマキイリヒコ・アマテラスは オホタタネコを用いた。それは 制度的にであったかも知れない。ただ このオホタタネコ・デモクラシの共同主観を 形態的に法律として それによって ヒメヒコ制を禁止していったのではないと考える。また 沖縄の国家は 形態としてつくられたときにも 聞こえ大君と王との関係にまで ヒメヒコ制が逆に用いられた。これらの歴史過程には 愛なる共同主観を見てよいように思うのである。また 後者の沖縄では そのゆえに であっても なくても 大君と按司添いに対して 主体的なオモロをうたって ヤシロ資本形成の実践におもむいたことが知られる。
このようなセヂ連関――新しく思われたセヂ連関――の出発と過程には 愛が存在し そこには その主体のそれぞれ自己として 性は存在しないのだというふうに考えたい。つまり 視点の回転 新しい史観(セヂ連関観としてのオモロ)の生起が 存在したと考えるのである。
これは ヤシロ資本形成(要するに 生活)の共同自治にかんして なお形態としての国家を第一位に置かなかったときには アマテラス語理論・法律また共同観念の網によって セヂ連関を律してゆくやり方から 自由であったと考えられるし あるいは 形態としての国家のもとでは アマテラス語律法には スサノヲ語のおなり‐ゑけりなるセヂ連関形式が 沖縄ではそのまま・そして日本では 中性化したような形(人格としてのアマテラシテ象徴の想定)で その基調として当てられたと考える。禁止したのではなく おそらくだが 中性化したのだとも考えられる。また それにちなんで これらの場合には 必ずしも下からの権利追求というようなスサノヲらの運動が 無縁・無用とされたということでもあったのではないか。
ただ これらの愛はすべて はじめの(または 古い)オモロが 構造化され 国家なる構想のもとへ拡大されて行く方向での動きであった。また この一条件をただちに付け加えないと 上の議論は 過去の歴史がすべてと言ってのように 正しかった 礼讃すべきであると言ったかに見える。問題は 見えないセヂ連関の基本 また それにも発展があるときのその基本動態の形式 これにかんして いくつかの条件のもとに たしかに腑に落ちるものがあるかどうか ここにあって 日本なら日本というヤシロロジの一単位体において むしろ自由に オモロし見出してゆかなければならないのだと思う。
条件をつけるということは それらの論議が いま現代の地点に立って 読み替えられてのようにオモワレるということを意味するのであって 過去の歴史が これは行き過ぎたとか これは基本形式に達しなかったとか 論難してゆくことを意味しない。また 同じ程度で 見えないセヂ連関の基本をまったく度外視して 過去の歴史をありのままに捉えるということにもなってはならないであろう。
したがってこのような議論・史観の視点も 愛の問題であると考えるのである。それは まわりもどって ヤシロ資本主体つまり歴史の登場人物ないしそのオモロの構造に 性は存在しないと言うということを物語るように思われる。
けれども それは いわゆる客観語アマテラス概念による理論であるから 性は存在しないというのではなく また実際にはいづれかの性において存在する人びとが ただそのセヂ連関の実践においてそのまま自己の性を対象化して捉え表現しているから そうなのだということでもない。
性が存在しない基本的なセヂ連関に立って 人は――つまり後史に立って―― なお性のからまるセヂ連関 時に前史の母斑の世界に 寄留して生き動き存在しているのだと考える。わかりにくいが これに尽きる。だから このような歴史(時間・生活)を アマテラス語理論しつつ分析することによって 他界や死の世界あるいは永遠の現在・つまりそのような性の存在しない自己 これらをかいまみるようにして 生きてゆくのでもないと考える。沖縄のように 制度的にもしくは日常の慣習的に つまり日常的にしかし形態的に オタケ(御嶽)のオモロ信仰をとおして 日から日へ 性の存在しない世界との往来をなしているから それが セヂ連関の基本であるとも ただちには 言い難い。
だから 愛なのだと思う。そう言うべきであろう。方法が 愛であり 資本形成の愛であり 生のすべてが 愛であるのだと。
もし 愛の語が抽象的であるとするなら この生が 夢の中・まぼろしの中にみなあるというところを むしろ死の中にあると言いかえるとよい。そして この死が前史から後史へ変えられて 生へよみがえっているのだと。そのとき 一瞬でも 性の存在しない我れなる存在をかいまみたであろうか。見えざるセヂ連関については 思弁的にないし観想的に このように そしてまた ここまで 表現して進むことが出来たとわたしは考える。
また 終わりにあたって 一つのオモロをもう一度とりあげるなら ここで 次のがその定位置を得るとおもうのである。

ゑけ あがる三日月や
ゑけ かみが かな真弓

と。しかし これらすべて 神秘的な世界にのがれての議論であるとするなら 観念の運河なる夢の中の論理をも捉えて進むという木村敏のプシコロジ・オモロに 軍配を上げなければならないであろう。

  • 四章・各八節 四百枚の予定で書いてきたが(第二稿で百枚増えたけれども) 次に 付録として これらの議論に与えるべきあとがきのようなものを記すことにした。

(つづく→2006-10-25 - caguirofie061025)