caguirofie

哲学いろいろ

#35

――やしろ資本のおもろ――
もくじ→2006-09-17 - caguirofie060917

第四章 ゑけ あがる三日月や

第六のおもろ 前史から後史へ

一 聞得大君ぎや
  鳴響む精高子が
  巌子島(首里〔に〕) 鳴響(とよ)〔ん〕で
又 おぼつ世(タカマノハラの世)の 真高さ
  かぐら世の 真高さ
又 おぼつ よためかちゑ(揺り動かして)
  天地 よためかちへ
又 与那覇浜〔に〕 依り降れて
  雪(よき)の浜 依り降れて
又 京の内ののろのろ(祝女
  もちろ内ののろのろ
又 御世立ちや(玉)は(を) ぬき上げて
  世立ちやは 押し上げて
又 如何(いきゃ)る なまたにや(未詳語)か
  如何る あよなか(未詳語)か
又 君よ 輝(かが)あらちへ(輝いて)
  主よ 輝あらちへ
又 肝(きも) 立ち居れども
  肝(あよ)は 立ち居れども
又 首里杜 ちよわる
  真玉杜 ちよわる
又 成さい人(きよ)思い按司添い
  吾が掻い撫で按司添い
又 明けの露〔に〕 おさちへ(濡れて)
  霜の露 おさちへ
又 巌子島(いつこしま) 揃ゑて
  此の御島 揃ゑて
又 君田降り〔せぢが〕 しよわちへ
  主貢(ぬしかまゑ)(貢物) 取りよわちへ
又 巌子命 継ぎよわちへ
  くはら命 継ぎよわちへ
又 誇て誇て 知られれ
  そこてそこて 知られれ
又 てるかは(太陽)が 御差し(御命令)
  てるしのが 御差し
おもろさうし (同時代ライブラリー―古典を読む (334)) 一・39)

《誇て誇て / そこてそこて 知られれ》というのは このようなオモロをもって聞こえ大君と王(=成さい人思い按司添い / 吾が掻い撫で按司添い)の《真高いおぼつ世 / かぐら世》に生きているそのことを 誇って喜んで 知られよ・申し上げよというのである。
このおぼつ世が 真高く 誇りに思えるというのは 人びとにとって どこから来ているのであろうか。洗脳・マインドコントロールといったことを想い起こさせるのだが。
まず この沖縄のヤシロ史のオモロ構造としての最高潮の時期において 構造の頂点である聞こえ大君と王に至るまで オモロ連関は 筒抜けであったようである。このことに注目しなければならない。もっとも 頂点のアマテラシテ / アマテラスは 筒抜けであると同時に=つまり 頂点のさらに上なるおぼつかぐら / てるかは・てるしのの御差しの方を 人びととともに向いていたと同時に 主貢を受け取る主として 人びとスサノヲの方へも向き直っていたという二重の方向性を指摘しなければならないが これら全体の構造の中で 稀有な例として もしこのオモロが単なる表面的な形式に終わらないものであるとしたなら このかたちの限りで せぢ連関が生きていたと看做さなければなるまい。

  • 共同の主観であったオモロが 共同の観念また幻想になってしまうという《洗脳》だけでもなかったようなのである。

そうして 大きく日本のヤシロ諸連関でも 実際には このようなはっきりしたオモロが歌われないでも 第三のスサノヲを受け容れて つねに韓招ぎのカグラを唱える要があったにしても そんなにかけ離れてはいない筒抜けの構造を宿しているのではないか。
このとき――もしこのように考えるとき―― 実は 何が 非人間的な洗脳(マインドコントロール)であり 何が人間(オホタタネコ)的な洗脳でないかということは 不確かなものだというよりも 人間的なオモロと そうでないところのオモロの洗脳とは きわめて分離のし難く相互に入り組んだものであると言わねばならないというのは 素朴な公理だ。
非人間的な――韓招ぎするというその韓神の排除=祟り神の遷却の論理による――洗脳は 一般に 祓いと呼ばれる。これは 言われているように 公害の垂れ流しの論理である。ハラヒという語そのものに悪はないであろうが ヤシロ連関においてそのような論理を帯びているものと思われる。
人間的であるかどうかを別として 洗脳は――古いオモロの新しい回転は―― ミソギ(禊)と呼ばれた。ミソギは 少なくとも 韓招ぎ=韓神の排除をしないところの・自己のオモロの反省に立つものであるだろう。(ただし ミソギの結果――変な論理だが―― ハラヒに移ることはありうる。)
いったい オホタタネコの静かなるオモロの再生デモクラシとは 何だろう。わたしは 自己のオモロが 前史から後史へ移ると言った。後史は 前史の世界と紙一重だと捉えた。このとき 後史は 前史・母斑の世界を乗り超えつつ 前史の世界に寄留しているのである。依然として カグラ歌・ノリトによるミソギ・ハラヒ・また沖縄のオモロの世界に まず とどまっているのだと。しかし この中では 沖縄のオモロが すぐれて 前史から後史への回転をむしろ 指し示してはいないだろうか。ヤシロ資本の連関全体をみつめ その権威・権力者をも愛し 内なる静かなるオモロの再生をおもい かつ 即座に実践しているのだと。

  • このとき 権力者のかたくなな態度に接して――むろんこれから遠ざかる方法もあるのだろうが 接するばあい そうして――なお 愛をつらぬく道を選んだばあい かれは 阿=おもねる態度を余儀なくされるかも知れない。これによっては わざわざ外形的なミソギをしなければならないほど 身体も精神も汚れなかったと人は 知らなければならない。と言ってよいだろう。これは 外から来るものであり 姦淫とは看做されず 容易にゆるされるのだと思われる。この一見 卑屈と見える愛をつらぬくことは 人生にとって偉大なことなのであると思う。
  • ただし カグラ歌は すでに 阿をとおり越して 権力者のかたくななタカマノハラ主義の論理に染まっているように見える。

後史とは いま言ったように 前史にむしろ寄留しているという動態であり そして そのほかのことではないように考えられる。
洗脳(ヒトコトヌシ共同観念による制約。しがらみと言ったりする)と洗脳からの脱却とは むしろこのような関係 動態としてのセヂ関係以外のことではないと言わなければならないのではあるまいか。そうでないなら 洗脳を洗脳だと捉え分析し 言わばこのセヂ連関の外に立って なお 別個の洗脳 超洗脳をとなえて行くことになるのではあるまいか。これをつまり こちらの外側からの別個の洗脳オモロ これをわたしは アマテラス予備軍と名づける。かれらは スサノヲの愛を 観念 つまり 普遍的だが抽象的にして論理的な観念アマテラス語の愛に置きかえたのである。後史とは このことではあるまい。オホタタネコ・デモクラシの祝祭を知りつつ ヒトコトヌシ(または フヂハラ)仮象デモクラシを 批判しつつ そのまつりごとに奉仕しているのだと。
あるいは それでは 《前史から後史へ》というときに通底するような《本史》とは なにか。オホモノヌシ(資本連関)であろうか。ヒトコトヌシ(その動因)であろうか。それとも オホタタネコ(人間)であるだろうか。あるいは これらの三位一体であるだろうか。
わたしは これに対するこたえを保留しなければならないと思う。というよりも すでに表現してきたこととも思う。
人間は いわゆるその《本史》を問い求めなければならないが これを かれ自身は 前史から後史へ変えられつつ 問い求め実践して行くものであると思う。本史の知解と 後史としての自己認識=実践とは ちがうと思う。というより 本史を 一個の体系的な理論のもとに捉えたというのは うそだと思う。本史は それが存在するとおりには 思惟され得ず 思惟するとおりには 表現され得ないものだと考えられる。ここでわたしが 判断停止・不可知論に陥ったとしての誤解があってはならない。すでにわたしは もっとも愚か者になってのように 祝祭を見た そして この祝祭のさなかにあると言ってきた。祝祭の原理たる本史を見まつったと述べてしまった。
したがって 自己のオモロは 前史から その母斑をのり超えてのように 後史へ移し変えられた。けれども この後史にあっては 前史の世界に 愛をもって 寄留している。《ヒトコトヌシ‐オホタタネコ‐オホモノヌシ》なるオモロ表現をとおして 本史を見まつって 寄留し 進んでいく。
アマアガリする(観念の・仮象のではなく 後史の目標としてのごとくのアマアガリの)ためには 降りて行かなければならない。誰もが 愛の力によってでなければ 降りて行くことは かなうまい。この愛が 本史ではあるまいか。この力を ヤシロ資本推進力と呼びまつることは なお原始心性に埋没していると言うべきだろうか。
ところが 先の沖縄のオモロの知者は この原始心性をのり超えてのように しかも このヤシロ資本推進力を固定的な神の宗教にまつりあげることなく 自己に問うて こう歌った。《君(女)よ 輝あらちへ 主(男)よ 輝あらちへ 御世立ちやは / 世立ちやは(ヤシロ資本主体を) ぬき上げて / 押し上げて》すすむわたしのこの生は 《如何る なまたにやか 如何る あよなか(心のうち)か》と。これは オホタタネコ・デモクラシを継いでいる。動態している。
このとき 容易にわれわれは次のように問うことができる。きみよ 本史の力を見たであろうか。きみは ヤシロ資本推進力を見たか。誰が 愛を見たであろうか。誰がいったい 祝祭の原理を飲みまつったか。
わたしは思う。正当にも 判断停止に陥らないで 本史を無限に追求する原理論(歴史法則論)の人びと きみたちは 可知論を好んだのではなく――推進力を問い求め知ることを愛する可知論によってではなく―― むしろ不可知論を嫌ったのではないか。不可知論というより 知らないことを嫌ったのではないか。人びとは アマアガリするという・スサノヲのアマテラス公民化をとおっての市民主体となること この目標を すでに 自己がもともと知っているゆえに これを問い求め つねに実践に促されているのではないか。ならば アマアガリを求めるのではなく――アマアガリは 自己の目標であり問い求めるべきである―― すでに降りて行かなければならない。前向きに上がっていくのではなく 後向きに前へすすむのでなければならない。
このとき きみは 歴史の原理 オホタタネコのヤシロ資本デモクラシを見まつったかという問いが 発せられるのだと。
しかし 沖縄のオモロは すでに こう発していた。《ゑけ あがる辺のみづかわ・・・》《ゑけ あがる三日月や ゑけ 神ぎや かな真弓・・・》。
この原理(はじめ)を 質料なき形相(イデア)たる神と言うこともできるが 形相なき質料たる物質ということもできる。しかし 文字は殺すと言われたのなら オモロの作者の生きたセヂ連関を見なければならない。かれらは 不可知論を嫌って知ろうと欲したのではなく 生きることを欲して知ることを愛したゆえ このまったく新しい歴史に立たしめられたのである。
しかし 現代のプシコロジの成果は この《知ること(知ることを愛すること)》が まだ外形的な理論や コトあるいはモノへの支配の知であってはならず 自己の内なる生の知でなければならないと考えた。コトもモノも オホタタネコ=人間の内にあって反映している内外のセヂ連関のデモクラシ動態であると この精神分析学は 前へ前へ進んでのように 予表している。わたしたちは ひとり得たりとして この予表しているものを いばって 後ろ向きに表現しようと欲した。精神分析学が なおその成果を大切にし 自己を誇ってのように(――なぜなら 患者が異常で 医者ないし正常一般と区別している――) 健常者の側の集団としていばって実践するかのようなオモロ形成の現状に対してである。
(つづく→2006-10-23 - caguirofie061023)