caguirofie

哲学いろいろ

#29

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章三補 《光源氏‐明石の君》なる対関係――観念の資本の《世間(差別)》形態――

世の中 〔源氏には〕いと煩はしく はしたなきことのみまされば 《せめて 知らず顔に 〔都に〕ありへても これよりまさることもや》と 〔源氏は〕おぼしなりぬ。《かの須磨は 昔こそ 人の住みかなどもありけれ 今は いと里離れ 心すごくて 海士(あま)の家だに稀になむ》と 〔源氏は〕聞き給へど・・・
For Genji life had become an unbroken succession of reverses and afflictions. He must consider what to do next. If he went on pretending that nothing was amiss, then even worse things might lie ahead. He thought of the Suma coast....
(須磨――巻頭)

章三で見たように 物語は このような書き出しに始まって 源氏の須磨への自発的な(?)流謫は もはや既定事実のように扱われている。
われわれとしては 藤壺との対関係の過程において 藤壺がひとり取った新たなステップにかれも応じざるをえないようにして 社会的な位置(共同体関係)としても 新しい局面を余儀なくされたこと ここまでを 源氏類型の基軸として捉えたのであった。言いかえれば これ以後は その類型の日常性領域へと傾斜する局面であり これを 必ずしも考察しないということであった。
ただ この須磨・明石謫居中に その土地の女(かのじょが 明石の君である)とのあいだに 新たな別の対関係が形成されると見るならば この対関係は これまでの源氏の経歴とはいくらか別の 固有の一形式を成すとも見ざるを得ない。それは 必ずしも源氏にとっての新形式ということにはならないかも知れず むしろ 女性(もしくは その家)の側から発進させられるところの一企業形式であると言ったほうがよい面もある。ここで われわれの捉える源氏類型が ある意味で 非連続となるきらいはあるのだが そしてそのことは われわれの本意ではないのだが しかしもし紫式部の視角に なおもこの一視点が存在していたとするなら それは その輪郭だけでも 省察しておくべきだと考えた。
いま これまでの類型を整理し それらとの比較の上で あらかじめ大づかみに この明石の君類型を むしろ初めに規定してみよう。
簡単に言って こう見通される。源氏類型の基本には 対(たい)藤壺関係があった。それは 政治的配慮を基本的に止揚したかたち――だから のちに政治的配慮をさしはさまねばならなかったかたち――において だから事の真正な意味でのいわゆる愛の一形式をなした。そこに 異質のものがあるとしたなら それは その愛が 生産・所有の社会的単位としての家族形態にまでは至らないという点を 特徴とするものであった。
それに対して 対(たい)紫の上関係は――次章で くわしく見るのだが―― その発端が 紫の上のまだ幼い頃の・源氏の一方的な養女宣言にあったとは言え やはり 愛の真正な形式が築かれ得た対関係であり また 藤壺の場合とは違って 家族という社会主体を形成しうるそれであった。
これらに対して もし 対(たい)明石の君関係が 特異なものを宿すとすれば それは 家族形態にまで至るものの その発端は 政治的行為に始まったということにあるだろう。だから 源氏にとっては 現代から言えば 重婚である。
これは 図式的な規定ではあるものの 初めにこのように規定して 源氏類型の中の明石の君への対関係は 一般に 消極的に見るべきだという視点を与えうると思う。また 紫式部じしんも この《わが宿世 いと猛くぞ おぼえ給ひける》(若菜上)明石の君に対して 基本的には そのような消極的な態度を隠してはいないと考える。
ただ 市民社会学にとって 対(たい)明石の君関係は このネガティヴな位置しか与えられないというのではない。明石の上とも呼ばれるようになる明石の君 かのじょの息女は 冷泉帝の次の帝(今上帝)に入内し 明石の女御となり かのじょの男子は 春宮となる。言いかえれば 明石の君は 国母の母にまでなるという。そういった明石一族の栄華は しかしながら 源氏類型の日常性局面を出発点とするからには それは 革命の初発の主体としての対関係形式ではありえないと言わなければならない。

  • 箸かフォークか どちらを使おうと ものごとの本質には かかわらない。右側通行か左側か どちらでもよい。そういうたぐいの局面から発しているという意味である。


実際 明石の君に対する対関係局面へ入ってゆく源氏には 共同観念のステレオタイプが まとわりついている。須磨に仮寓中の源氏が 明石移住を思いつくのは 幻想の世界に発する。――突如 大暴風雨が襲ったある夜 源氏の眼前に 故桐壺院が立って 《住吉の神の導き給ふままに はや舟出して この浦を去りね》と言ったというのである。その行く先が 明石という話になっていく。

・・・あかつきがたになりにけり。渚に 小さやかなる小舟よせて 人 二三人ばかり 〔源氏の〕この旅の宿りをさして来。《何人ならむ》と 〔供人が〕とへば
――明石の浦より 前の守 新発意(しぼち)の 御舟よそひて 〔御迎へに〕まゐれるなり。〔良清=〕源少納言 さぶらひ給はば 対面して 事の心とり申さむ。 The revered monk who was once governor of Harima has come from Akashi. If the former Minamoto councillor, Lord Yoshikiyo, is here, we wonder if we might trouble him to come down and hear the details of our mission.
といふ。
(明石――桐壺院の訓諭と 明石移住のくだり)

源氏の供の中に 源少納言・良清がおり かれを 土地の者である前の播磨の守・いまの明石入道(つまり 明石の君の父親である)が 知っていたというのである。明石入道は 播磨の守が果てたのちも 土地に住み しかもその野心(祈念)として 殊に住吉の神慮を頼んで一人娘を 貴人のもとに娶わせようと志していた。そこへ 源氏の須磨流謫を聞いて 住吉の霊験だと理解したという。明石入道は ある大臣の子息(実は 大納言であった桐壺更衣の父は 入道の叔父にあたる)であり 近衛中将から播磨の守になった者で この時 源氏を歓び迎えたのちは 明石の君の結婚も すべて思惑通りに事が運ぶことになる。
もっとも これらの筋の運びに対して 紫式部は すでに 若紫の巻で――この時から 八年の前 源氏十八歳のとき―― 伏線をしっかりと張っている。このことは 周知のとおりといったごとくである。このことで こののちのちのことが 単なる日常性領域に浸かるものではないことを 裏書しようとしたものかも知れない。すなわち あの夕顔との死別 空蝉との生き別れの翌年 源氏は すでに この明石入道父娘の噂を聞いているという設定である。
供の良清と源氏との会話を次に引こう。――
(つづく→2006-08-07 - caguirofie060807)