caguirofie

哲学いろいろ

#28

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章三 《光源氏藤壺》なる対関係――《観念の資本》の動態的過程――

十二月(しはす)十余日ばかり 〔藤壺中宮の御八講(みはこう)なり。いみじう尊し。・・・はじめの日は 先帝の御料 次の日は 母后の御ため 又の日は 〔桐壺=〕院の御料 五巻の日なれば 上達部なども 世のつつましさを えしも憚り給はで いと あまた参り給へり。 The reading on the first day was dedicated to her father, the late emperor, on the second to her mother, the empress, and on the third to her husband. The third day brought the reading of the climactic fifth scroll. High courtiers gathered in large numbers, though aware that the dominant faction( =右大臣方 ) at court would not approve....・・・〔八講の〕はての日 〔中宮〕わが御事を結願にて 世を背き給ふよし 仏に申させ給ふに 皆人々 驚き給ひぬ。 On the last day, Fujitubo offered prayers and vows of her own. In the course of them she announced her intention of becoming a nun. The assembly was incredulous.
(賢木――中宮の法華八講と出家のくだり)

現代において 出家したからと言って(修道者となったからと言って) 婚姻を結べないというわけではない。
藤壺にとって 頭髪を剃り落とすということは 対関係の止揚という一つの投企を意味した。従ってこれが 《シントイスム(オホクニヌシ)‐ブッディスム》または 《ヘレニスム(ラテ二スム・ゲルマ二スムなど)‐クリスチア二スム》連関という普遍性を 持たなかったとは言えない。

  • 土着の思想(シントイスムあるいは ヘレニスム等々)が 出世間・悟りを ブッディスムもしくはクリスチア二スムに求めたという事態が 類型的に同じで 彼岸‐此岸の連関構造は 普遍的であろうという意味。

ブッディスムは それ自体に 《ブッディスム‐ヒンドゥイスム》の連関を持ち 従ってまた別に 《ブッダ(市民・仏法)‐アジャータシャトル(公民・王権・王法)》の連関が 方法として 考察されたはずである。

また マガダ国王で ヴァイデヒー皇后の息子であるアジャータシャトルも 一緒にいた。

  • と述べられる情況が示唆するようにである。あるいは 《涅槃経 または 大いなる死の教え Mahaparinibbana (ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経 (ワイド版岩波文庫))》においても 同じく王アジャータシャトルは 戦争を起こすに際して ブッダに前もって諮問するかたちの中にある。こういった事態の示唆するように。
  • さらにまた 出家 pabbajja / pravajya とは ブッディスム固有のものではなく もともとインド人(ヒンドゥイスム)の人生の四住期の最終第四の期間を表わす概念である。

《出家》は 

《願わくは この苦の滅せられ 他の苦は生ぜざらんことを》というこの目的のために
ミリンダ王の問い―インドとギリシアの対決 (1) (ワイド版東洋文庫 (7)) 第一編第一章五 出家の目的)

なされることは 言うまでもない。《苦 dukka 》とは 目的意識性(我がはからい)の自然史過程(自然法爾)への屈服であり この苦を 観念的に超えて 目的意識性を遂行することは アマテラス公民としての《難行上根のつとめ》である。一般に これが 王権としての罪を 構成する。
藤壺の出家が これらのことと無関係ではない。かのじょの対関係の相手・源氏の それに対する反応・行動は 注目すべきことである。とりあえず こうである。

源氏=〕大将の御心も動きて 《〔出家を〕あさまし》と思す。・・・〔八講の席に〕たちとまり給ひて 〔藤壺〕きこえ給ふべき方もなく 〔悲嘆に〕くれ惑ひて思さるれど 《などか 〔源氏は〕さしも》と 人 見たてまつるべければ 〔兵部(中宮の兄)〕みこなど 出で給ひぬる後にぞ 〔藤壺〕御前に参り給へる。・・・
(賢木――承前)

そこで交わされるやり取りについて 全文を引用しておきたいところであるが われわれは 初めのまとまった一節のみ掲げて 考察を続けることとする。

・・・〔源氏は心を〕いと よう思ししづめて 
――いかやうに思し立たせ給ひて 〔御身は〕かう にはかには。
と 聞こえ給ふ。
――今はじめて 〔出家を〕思ひ給ふる事にもあらぬを。物騒がしやうなりつれば 〔私は〕心乱れぬべく。 I did not want to atract attention. It might have weakened my resolve.
など 例の命婦(女房)して 〔源氏に〕聞え給ふ。・・・たれもたれも ある限り 〔悲しさに〕心をさまらぬ程なれば 〔源氏は〕おぼす事どもも 〔藤壺〕えうち出で聞え給はず。
――

月のすむ雲井をかけて慕ふとも この世の闇になほや惑はむ
My heart is with her in the moonlight above the clouds,
And yet it stays with you in this darker world.

と 思ひ給へらるるこそ かひなく。〔御身が出家を〕おぼしたたせ給へる羨ましさは 限りなう。

とばかり聞え給ひて 〔女房たち=〕人々 〔藤壺〕ちかうさぶらへば 〔源氏は〕さまざま乱るる心の中をだに 〔藤壺〕え聞えあらはし給はず。いぶせし。

大方の憂きにつけては厭(いと)へども いつかこの世を背きはつべき
Though I leave behind a world I cannot endure,
My heart remains with him, still of that world.

かつ濁りつつ。 And will he muddied by it.

など 〔返歌の〕かたへは 〔命婦らの〕御つかひの心しらへ(気配り)なるべし。〔源氏は〕あはれのみ尽きせねば 胸苦しうて まかで給ひぬ。
(賢木――承前)

年が明けて 源氏は 藤壺のもとへ 年賀に行く。髪をおろした藤壺の決意は むろん変わらず 新たな段階に入ったことが うかがわれる。わづかに この過程を突然 受け身のかたちで受け取らざるをえなかった源氏には 周りの老女房たちから 《さも類(たぐひ)なく ねびまさり給ふかな》などといった讃辞が贈られる。
《宮も 思しいづる事多かり。 Fujitubo too thought a great deal about the old days. 》といった記述によって 締めくくられるのみである。
こうして 政治的市民としての源氏が 誕生するというのである。
両者の対関係としての特殊性が その発展過程を終えていないとするならば スサノヲ的アマテラス主体として 王権回復への道が 用意されるというのである。その経過は なお源氏が――あの朧月夜との密会の露見したのち むしろ 自発的に――須磨・明石へと流謫の道を取ってから後のことに属する。いま これら以降の点については 結論的に言って あまりにも 共同観念の停滞性を頼んだ行為に属するとも見られる。ゆえに 原論の趣旨からは 一歩退くと言わざるを得ないだろう。

  • 王権回復の道が 源氏の須磨行を経由して だから 停滞的な共同観念の枠内で 求められたという一事については 市民社会学の原理論から取りあえず はずすべきだと考える。須磨行は じつは  藤壺がブッディスムの持つ幻想性をもまとうことに発すると言えるものである。
  • この間の事情は 

《須磨》巻にはいると 源氏の須磨行はもはや自明のこととして語りだされており 大殿(左大臣)や 藤壺との惜別の会話の中で この原因が語られるという手法をとっている。
後藤祥子

  • と書き出された《鑑賞への手引き》が よく整理されて示していると思われる。長きを厭わず 引用しておこう。

・・・そこに 配流是非論 真因を探る緒論等々の起こってくるいわれもある。
昔物語の貴種流離譚の定型に乗っているかぎり 須磨流離にはさしたる説明もいらなかったかもしれない。しかるにこの物語において 須磨行までの道程はきわめて周到緻密に構築されてきたのであった。

  • われわれ(引用者)も確かに これまで基本的に重要な動態性を孕んでいたと考えた。

しかし源氏において 須磨謫居は冤罪回避の方便ではない。左大臣や禊ぎ祓いの神に対しては 世俗的な意味での無実を訴えるかれが 藤壺に対しては 思い当たる節が空恐ろしいとのべ 須磨では罪障消滅のために精進の日々を送る。
とすれば 須磨謫居は みずからに課した贖罪の旅にほかならない。源氏の罪障消滅が問われるゆえんである。(今西祐一郎《罪意識の基底》――《国語と国文学》1973・5。阿部秋生《源氏物語研究序説》1961。多屋頼俊《源氏物語の思想》。深沢三千男源氏物語の形成》1972。)
とはいえ 源氏の罪障消滅は 現世における倫理的罪(冷泉帝出生を核とするところの)としては とらえがたい。・・・冷泉帝出生をさえその因果のあわれみとみる宿世なのであって 藤壺とのことも 朧月夜とのことも 強いて いえば 須磨流寓を必然化するに至った行為のすべてが 前世からの約束事なのだという思想である。(阿部・多屋・深沢それぞれの前掲書。)
加えて 隠逸礼讃の中国思想に訴える効果も見逃しがたい。謫居の風流は贖罪の色合いにまして色濃いし 都人の共感(鈴木日出男《光源氏の須磨流謫をめぐって――〈源氏物語〉の構造と表現――》――《文学》1978・7)は旧に倍して側面から朱雀帝の意識を刺激してゆくことになる。
後藤祥子源氏物語五十四帖――梗概と鑑賞 須磨》――《源氏物語必携 別冊国文学№1》1978・12。)

  • 最後の論点に関連して 繰り返してわれわれの観点を述べておこう。須磨行は 概念的には 反逆児スサノヲ性を反省し自己否定するかたちであるが このような局面として 源氏の特殊性の自立的発展が現われる。直接には 藤壺との対関係において――つまり繰り返せば 顕教としては家族形成にまで 到り得ないやましい対関係において―― かのじょが ブッディスムの無限性(ひとつの出世間形態である)に傾斜していったことの結果である。単純にそうであろう。
  • ここでは 藤壺との対関係を 源氏が 自らをも守り自己保身するように なおも継続していこうとしたということのうちに ポイントがある。また そうすることによって 精神的な出自としてのスサノヲ性を否定することになるとともに 同じく のちに アマテラス性を そこに付け加える(あるいは 回復する)ということに ある。それは 罪障消滅というよりは 罪を伴なって おのれを社会的に宥和したアマテラス‐スサノヲ連関性 ein Leidenschaftlicher Susanowo への転化の過程というべきであり 市民社会の動態性を考察する原論としては その過程は そのことの指摘までである。


光源氏藤壺なる対関係について捉えるべき基軸は さしあたってここまでであり なお原論の課題として持つべき論点が残されてあるとするなら それは 光源氏‐紫の上なる対関係であろうと考えられる。もしくは 葵の上との対関係でもあろう。すなわち 家族形態にまで到る対関係のことである。
それらは 必ずしも これまでの考察(特にこの章三)とは別のかたちの基本的な方程式を宿すというたぐいのものではないであろう。それは むしろ 藤壺類型を整理するかたちの中で生じる形式であるように あらかじめ考えられる。その意味では この章で まだ言い及ばなかった点などを合わせて 捉えるというそのような過程の中で この課題を見出していくべきと考えられる。
ただし そのときは 藤壺論を前提とした上でだが むしろ今度は この紫の上類型が 市民社会学の主要な題目となるはずである。あらかじめ 想像される。
われわれは 直接の次には 藤壺類型の変形とも言うべき明石の君との主人公の対関係論を補足して それへと向かうであろう。

(つづく→2006-08-06 - caguirofie060806)