caguirofie

哲学いろいろ

#24

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章三 《光源氏藤壺》なる対関係 ――観念の資本の動態的過程――

光源氏藤壺に対する関係は 次のように始まる。

源氏の君は 〔帝の〕御あたり去り給はぬを まして 〔帝が〕しげく渡らせ給ふ御方(=藤壺)は 〔源氏に〕え恥じあへたまはず。 Since Genji never left his father's side, it was not easy for this new lady, the recipient of so many visits, to hide herself from him.
(桐壺――藤壺が入内してのくだり)

藤壺が入内してまもなく 源氏が帝と一緒にいつもいるので 藤壺は会わないわけにはいかなかったというのである。源氏が 十二歳の元服のいくらか前の年のことであり 藤壺はかれより五歳年長である。
同じく 元服の前に すでに 桐壺帝の春宮(朱雀院)の母としての弘徽殿の女御と 藤壺もしくは源氏との 次期王権をめぐる対立的な広義の対関係が 起ろうとしている。広義の対関係というのは つまり双方のあいだに共同体に対して権力関係上の対立があったりする場合を言う。または簡単に 公的な二項関係とでもいうべき事態である。二項それぞれが ひと組の対関係から成り またこの一対の二人を核とした周囲の眷属をも含めて言うとよいかも知れない。

帝=〕うへも 〔藤壺〕かぎりなき御思ひどちにて・・・〔源氏は〕をさな心地にも はかなき花・紅葉につけても 〔藤壺〕心ざしを見えたてまつり 〔藤壺〕こよなう心寄せ聞え給へれば 弘徽殿の女御 又 〔藤壺〕この宮とも 御仲そばそばしきゆゑ 〔藤壺の憎さに〕 うちそへて 〔源氏への〕もとよりの憎さも立ち出でて 《物し》と思したり。


さらに こうである。

源氏が〕おとなになり給ひて後は 〔帝は〕ありしやうに 〔藤壺〕御簾の内にも入れ給はず 〔源氏は〕御遊びの折々 琴・笛の音に聞きかよひ 〔藤壺〕ほのかなる御声を慰めにて 内裏住みのみ 好ましうおぼえたまふ。

ところから かれらの対関係は始まる。
もし この後のその発展過程を知った上でとしても この両者の関係が 何の剰余も生まずに このまま推移するとも思えず もう少しの思い入れをして読むなら それは 美的な世界であって必ずしも観念的な美の世界ではなく そのあいだに何の契りもないのであって しかも全くないというのでもなく ほとんどみな客観的な叙述の中にとどまっているようであって さらにしかも その中から確かに無言のうちに その私的二項関係がすでに成り立ったかのように描写されている。とわれわれは見る。
巻五・若紫は 源氏十八歳――夕顔とは死に別れ 空蝉とは 拒まれたままかのじょが伊予の介とともにその任地に下ることになり生き別れたあとである――に始まる。
若い――のちの――紫の上を北山で見初めるくだりを端折れば 源氏と藤壺との対関係は 作者も知らないままに(!?)形成された。さらに そのただ一度の逢瀬を忘れられないまま ちょうど藤壺が 《なやみたまふことありて(病気になって)》 里に下がることになったのをきっかけにして 源氏は かのじょ付きの女房に いま一度のデートのアレンジを しつこく迫る。紫式部は 例によって どうアレンジしたかは知らないが・・・と言って この二度目の逢瀬を 次のように描く。ふたりは 共同観念に叛いて(《引きたがへ》て) 恋仲である。

いかが たばかりけむ

  • How she(=女房) did it I(=作者) do not know; but she contrived a meeting.

源氏は〕いとわりなくて 〔藤壺〕みたてまつる程さへ うつつとは思(おぼ)えぬぞ わびしきや。〔藤壺〕宮も 《あさましかりし》を 思し出づるだに 世と共の御物思ひなる

  • It is sad to have to say that his earlier attentions(=第一の逢瀬), so unwelcome, no longer seemed real, and the mere thought that they had been successful was for Fujitubo a torment.

を 《さてだにやみなむ》と 〔藤壺〕ふかう思したるに いと心憂くて いみじき御気色なるものから 〔藤壺〕なつかしうらうたげに さりとて〔源氏に〕うちとけず 心ふかう恥しげなる 〔藤壺〕御もてなしなど

  • Determined that there would not be another meeting, she was shocked to find him in her presence again.  / She did not seek to hide her distress, and her efforts to turn him away delighted him even as they put him to shame.

の なほ 人に似させたまはぬ

  • There was no one else quite like her.

を 《などか なのめなることだに うち交じり給はざりけん》と 〔源氏は〕つらうさへぞ 思さるる。

  • In that fact was his undoing: he would be less a prey to longing if he could find in her even a trace of the ordinary.

何事をかは 〔源氏に〕きこえつくし給はん。暗部(くらぶ)の山に やどりも取らまほしげなれど あやにくなる短夜にて あさましう なかなかなり。

  • And the tumult of thoughts and feelings that now asailed him ---- he would have liked to consign it to the Mountains of Obscurity. It might have been better, he sighed, so short was the night, if he had not come at all.

(若紫――藤壺との逢瀬のくだり)

このあと やはり例によって――あたかも そこにそれまで流れていた《うたの構造》に 前へ進むべき手立てを探しかね その流れを断つかのように―― 実際のうたを詠んで 時間形成を停止させるのが 見られる。

見てもまた逢ふ夜まれなる夢のうちにやがてまぎるるわが身ともがな (源氏)


世がたりに人や伝へん たぐひなく憂き身をさめぬ夢になしても (藤壺

この逢瀬ののち程なく 藤壺には 最初のデートによってとおぼしき懐妊の徴候が 現われる。源氏も かのじょとは別れてはいたが 夢判断によって(?) それを それとなく知る。・・・二人の密教的な対関係は その序幕または第一章を このようにして始めた。
だが これ以上 物語をつぶさに追うことは ここでの任務ではない。かれらの類型は このようにしてすべり出していったと まずは捉えておきたい。少し先走りして見るなら それは 現行の(顕教の)王権のもとにおける広く共同観念に対して 新しくむしろ敵対的な方向をさえ持った市民の対関係なのだと あらかじめ見通すことも 許されるであろう。
差し詰め 当面の共同体関係に直接の影響はないが(おおきく 記紀体制は まだ揺るぎもしないが) ただそれを支えるアマテラス圏(あるいは 逆に 祭り上げられているアマテラス圏)においては その公的な二項関係には 旧と新――弘徽殿の女御方と藤壺方の旧新――との二項対立的な形態が あやしく押し出されようとしているのだと そのことを 積極的に引き出しておいても 歴史を見方をあやまりはしないであろう。
(つづく→2006-08-02 - caguirofie060802)