caguirofie

哲学いろいろ

#27

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

章三 《光源氏藤壺》なる対関係――《観念の資本》の動態的過程――

(補注から入る。)

  • 王権・彼岸性・出世間・社会科学主体に関して 何故 《罪》という概念を持ち出して述べるかと言えば あらためて 次のような事情が参観される。
  • 共同主観の視点に立つなら ひと言で言って こうである。原罪つまり 出世間から離れた世間的知の旺盛が 話によると キリスト・イエスの死によって償われた。そしてそれが償われてあることが 社会科学(キャピタリスム社会)の成立とともに 構造的に《社会科学主体(公民・出世間)‐社会主体(市民・世間)》連関の中に 有機的なかたちで 組み込まれることになった。このことのゆえに 《罪》のことばを持ち出している。
  • 観念の資本主義のもとでは 同じその構造を たとえば 蓮如によれば

王法をば 額にあてよ 仏法をば 内心に深く蓄へよ。


仏法をあるじとし 世間を客人とせよ。

  • といったかたちの

《王権‐ブッディスム》
《出世間‐世間》連関

  • が代表して示すものと思われる。また この王‐仏のアジャータシャトル複合によって アジア的方式で 一般に 罪は 許されてあると考えられるからである。だから この罪または罪の許しの面でも 現代では 神神習合ないし非習合の視点が 摘出されると思われる。
  • われわれは 共同主観が 共同観念に対して 現実の歴史の動態的要因であると考えるので 信仰の有無を問わず 原罪のほうが 現代的であり現実的であるとも考える。
  • ただ 源氏が その存在じたいにおいて本質的に罪としてあるというとき これが 共同主観的原罪と 無縁ではないと見てよいか。みてよいと思う。原罪と無縁ではない。しかも 単にアジア的社会体系にのみ その視点が限られてあるとも思われない。その意味で 顕揚したいとも思う。(ここでは 公理だと言おうとしている。)
  • なお 桐壺帝像については 巻三十五・若菜下において 源氏が この紅葉賀の・先に引用した場面を思い出すくだりがある。すなわち 源氏四十七歳 妻に迎えた朱雀院の子・女三の宮に 頭の中将の子・柏木と密通されたことを知ったとき。そのとき 今は亡き父帝が若い冷泉帝を抱いてかれに示したとき 桐壺帝は その秘密を知っていたのではないかと回想するところである。 

《〔桐壺=〕故院の上も かく 御心には 〔藤壺と私との密事を〕しろしめしてや 知らず顔をつくらせ給ひけん。思へば 〔桐壺帝の〕その世のことこそは いと恐しく あるまじき過ちなりけれ》と 〔源氏は〕ちかき例(ためし)も思すにぞ 恋の山路は えもどく(似て非なるものだと非難する)まじき御心 まじりける。
(若菜下――源氏が女三の宮と柏木との密通を知るくだり)

  • これは 《桐壺帝は秘事を知らない》とすでに見た前言を ひるがえすためのものではなく すでにある意味で 自らの密教性を顕教へと回転させ局面を変えた源氏の――そして もはや藤壺は 亡くなって久しいのだが――その顕教性のさらに成熟そして衰退の過程のほうを 示していると思われる。また この段階での特殊性の推移過程を跡づけることは 市民社会学としては 日常性の領域に入ると思われる。原論としては これを控えることとする。


光源氏藤壺の対関係の発展は 次に その継続を断念する段階に飛ぶ。
巻十・賢木 源氏二十四歳 藤壺二十九歳 桐壺帝が 四年前に譲位して 弘徽殿の女御の春宮が 朱雀帝として立っており それに継いで 冷泉院が新たな春宮(皇太子)となっている。そして その桐壺院もなくなりその翌年のことである。
時は 右大臣方の権勢の世であり 源氏・藤壺は失意の日々を送っており 左大臣方は 不遇である。
スサノヲ源氏は すでに数年前からだが 藤壺とは別に 皇妃(もしくは 共同観念)への侵犯行為として 朧月夜なる女を得ている。すなわち 弘徽殿の女御の妹で 右大臣の六の君である朧月夜だ。この朧月夜との密会が のちに発覚し 右大臣方は 源氏追放を画策する。・・・けれども このいま一つの密教圏での動きを別として 藤壺とのあいだには 言わば仕組まれざる予定の路線に従って 新しい段階の動きが現われる。
事は 単純に始まった。

秘密=〕さる事の聞えありて 《わが身はさるものにて 春宮(冷泉院)の御ために 〔弘徽殿の悪意にて〕かならずよからぬ事出で来なん》と 〔藤壺〕おぼすに いと 恐ろしければ 〔源氏を〕のがれ給ふを いかなる折にかありけむ 〔源氏が〕あさましうて 〔藤壺〕ちかづき参り給へり。
(賢木――源氏が藤壺のもとにしのぶくだり)

ともあれ 三度目の接近が 始まったという。この叙述は すでに 両者のあいだに密教圏が形成されていると見たわれわれにとって 奇異なかたちで ふたたび新しい対関係形成が始まるかのように 表現されている。
これを もし善意に解釈すれば このように源氏がしばらく忘れていたのだということを示すことによって 後に冷泉帝を擁護して王権を回復しようとするかれらの政治行為が 藤壺の・あるいは源氏の《わが計らい(自力)》によるものではないといったことを 印象づけるためのものであるのかも知れない。
もっとも 王権アマテラス行為が もともと自力のものであることは 免れないのであって――だから 機関としてではなく 存在として社会科学主体たろうとすると見るのだが―― それをも 自然史過程(自然法爾)として描こうとするのなら 逆に 悪意の解釈も成り立つとは思われる。
それは 桐壺帝→朱雀帝→冷泉帝(源氏)への推移過程のすべてを 自然史過程として捉えようとするのなら それは 一般に 共同観念の幻想領域へと移行すると考えられるから。わがはからいによるのではなく また 罪の主体であることを免れた自然史過程として捉えようとするのなら もはや幻そして幻の世界となる。
いづれにしても 紫式部は 藤壺が すでに冷泉帝擁立とからんで 源氏との私的二項関係を 断念するところを描く。そしてそのモメントに選んだ思想は ブッディスムであった。よくも(一般の共同観念としても) 悪くも(共同幻想としても) 藤壺が 源氏との対関係を――そもそも ふたりの間では それが 家族形態へとは発展しえないのだから 別のかたちで―― 新たな段階へと止揚しようとした契機は ブッディスムの無限性であると考えられる。

  • それが 現代において なお動態的な要因を含みうるか否か これは 別の問題となる。
  • ただ 家族形態・一夫一婦方式に必ずしも至らない対関係形式としては 一つの行為視点を示しうる。つまり 同じ断念(拒否)であっても 空蝉の拒否を超えたそれである。と言っていいだろう。

藤壺は みたび単純に始まった源氏の懸想を受けて その対関係圏の中でだが 拒みつづけた。桐壺帝の一周忌(《国忌》――十一月の朔日)を境にして 意を決し その後 かのじょの催す法華八講(その講義が ブッディスムの共同観念世界)の終了するとともに 出家の決意を明らかにし それを執り行なう。
事は 静かな流れとして ひとり藤壺の心のうちで決せられたものであった。

  • なお この時 藤壺は すでに立后して 中宮(皇后)である。源氏は 大将の位にある。

十二月(しはす)十余日ばかり 〔藤壺中宮の御八講(みはこう)なり。いみじう尊し。・・・はじめの日は 先帝の御料 次の日は 母后の御ため 又の日は 〔桐壺=〕院の御料 五巻の日なれば 上達部なども 世のつつましさを えしも憚り給はで いと あまた参り給へり。 The reading on the first day was dedicated to her father, the late emperor, on the second to her mother, the empress, and on the third to her husband. The third day brought the reading of the climactic fifth scroll. High courtiers gathered in large numbers, though aware that the dominant faction( =右大臣方 ) at court would not approve....・・・〔八講の〕はての日 〔中宮〕わが御事を結願にて 世を背き給ふよし 仏に申させ給ふに 皆人々 驚き給ひぬ。 On the last day, Fujitubo offered prayers and vows of her own. In the course of them she announced her intention of becoming a nun. The assembly was incredulous.
(賢木――中宮の法華八講と出家のくだり)

(つづく→2006-08-05 - caguirofie060805)