caguirofie

哲学いろいろ

#23

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708)

章三 《光源氏藤壺》なる対関係 ――《観念の資本》の動態的過程――

これまでに 次のような事が明らかになった。
(1)市民社会学は 対関係としての特殊性の自立的発展 die Entwicklung der selbständigen Besonderheit を 基軸として これを考察する。
(2)自立的発展をたどるその原型的な対関係は これを オホクニヌシのいくらかの対関係形式に捉えることができる。中で《オホクニヌシ-スセリヒメ》類型は 抽象的にながら単婚の理念を持ち 対関係が 《経済的な――したがって 政治的な――配慮》によって左右されないような初めの相互の約定によって形成されていると見た。つまり これが 原型である。
(3)ただし われわれは このオホクニヌシ‐スセリヒメ類型の自由な発展の成就されたとする究極的な理想社会を 必ずしも描かない。同時に 逆に 夕顔であるとかあるいは浮舟であるとかといった この類型のひとつの固定的な猶予形式――その意味で 停滞性――から自由であることを望む。
この意味で 夕顔や浮舟を越えることを志向する。またそれが 共同主観からする対関係の理論と 合致すると信じる。
(4)以上の理念――そしてその動態的な過程――は 大づかみに言って 源氏における対関係類型に これを求めることができると見た。


そして
(5)上の(4)の具体的な証しは これをあらかじめ 《光源氏藤壺》という対関係として仮説した。
ここでは――この仮説を論証しようというのでなく―― 物語の中に ともにその進行の過程を たどっていこうとしている。
それは 原論であるからには 概念の類型として 理論的に考察するべきだとは思うが 対関係の過程を 考察の対象としては 措定したくない気持ちがある。(さんざ やってきたが その仲をいちいち詮索しようとは思わない。)また 
(6)われわれの念頭にあることは 基本的に 対関係の形成が 偶有性のもとにあるといったいま一つ別の前提的な事項であり これをも仮説していた。このことは ここで まずもって 
(7)対関係としては 観念の資本の再生産の形式形成およびその過程が 市民社会学の主眼であったことに発し また 同時に そこに帰結するということ これらの前提にも立って 物語は その豊かなテオーリア(観想としての理論)を用意するものであると 重ねて考えられる。対関係の二人およびそれを取り巻く人びとの うたを交わすその構造 これが どのように再生産されその形式をあらためていくか。


さてわれわれは 対関係の単一形式を 個体にとっての企業(事業・ライフワーク・ひとつの生涯)において 必ずしも固定的なものと見ないで 反倫理的な愛欲をも排除しないとすれば その意味で――西欧的な表現を用いれば――原罪を背負って なおかつ出世間 lokottara を求める過程のうちにある。
ブッディスムの用語からいけば 輪廻 samsara(=《流れ》を原義とする生死の回転)あるいは 無常 anicca = anitya / das Vergängliche は このエロスなる動機を容れた起伏のある――やはり西欧の言葉で 弁証法的な――過程ということになる。いま 積極的に一つの無限判断をなすなら 一生涯における対関係の弁証法過程はむろんのこと 前世から来世へとつながって そのような否定および 否定の否定という段階を経ての推移において歩まれるものであるかも分からない。
だが そうは言うものの このような領域までは 市民社会学のよく判断するところではない。一個人の一個の世代において その特殊性の自立的発展を 見るのみである。ここでは それを 概念的に 市民社会の変遷にかかわると思われる限りの範囲で 考察してみたい。
ちなみに 対関係の協働の価値生産的側面は これを市民社会学の経済的領域として 生産態勢(企業)を基軸において――経営学というジャンルを立て―― 考察することになる。


源氏および藤壺にとっての原罪は 藤壺が源氏にとって父の妻であるということとともに その父は アマテラス社会科学主体であったという事情のもとにある。つまりそれが市民社会の一つの進展にかかわるというのは 源氏が はじめに 臣籍に降下した者として――その意味でスサノヲ圏にあって―― 藤壺というアマテラス王権に属すひとりの女と対関係を結んだという事情の中にある。
臣籍にある源氏が 必ずしも 純正なスサノヲ圏の住民であるというのではない、しかしながら なお 一般市民スサノヲ圏の彼岸 Jenseits としてのアマテラス圏に頭から浸かる住民でもないこと そのことによって 一つの時代の一定の共同体関係を揺さぶるモメントが――ミクロ的にだが――そこに 無しとは しない。
たとえば 浮舟の相手としての匂宮は 全面的に そう(アマテラス人)であった。そのちなみに 宇治十帖は スサノヲ的アマテラス アマテラス的スサノヲであった光源氏の後史的な継承として 薫および匂宮の二人を登場させ あたかもこれら二人が 分割して連関し合う一人の光源氏像のごとくして描かれた。あたかもそのように 光源氏が まったくのアマテラス圏の住民ではないことは 多少とも 影響を及ぼしているかも知れない。
つまりこれは もとより 社会階級闘争の歴史ではない。しかし もし 仮りに社会的に見て共同観念の優位によって成り立つ社会が存在するとして その限りで この共同観念市民社会の動態性の一つは――ずいぶん古典的なかたちのではあるが―― この源氏‐藤壺の対関係という特殊性の発展のうちに見出されると考えても それほど筋違いではないだろう。
少々飛躍するが 概念的に見て 実在の源氏(つまり この場合 頼朝)が その後 それまでのアマテラス圏に代わって 実質的な社会科学主体として新たに登場する歴史を持ったからには――それが想像のいたづらのように見えて しかも―― それほど甘い見方でもないであろう。実際 スサノヲ圏が さらにその後の歴史において まったく不活発だったとは言えない。
あるいは実際に 王権からの臣籍降下の系譜であるかどうかを仮りに別としても しかしそうでない場合も そう自ら名乗って その後の社会科学主体(武家政府)は立ち それぞれ新しい共同体関係(アマテラス‐スサノヲの連関様式)を 開こうとし続けた。記紀体系・律令体制として伝統的なアマテラス圏そのものが 解消したということも いまだ 聞かない。しかしながら 現代において すでに そのような王権への〔たとえば 姻戚関係による〕侵入・参画を必要とすることなく 実質的な社会科学主体とその機関を 形成しうる段階は 現実である。
国家機構・法律制度としての律令体制からは 自由である。現代にあってはである。それは アマテラス圏が 記紀体系という側面つまりアマテラスのアマテラスであることの根拠 Amatéracité ; Amaterasität ; amaterasity と 分けて考えられていることを意味する。またその意味で 政権機関としてのアマテラスは 現に スサノヲ圏から輩出するところの《市民政府 le Gouvernement susanowoïste 》形態のもとにある。

  • その身近な淵源を 明治政府に求めれば それは 《草莽の臣――スサんだ草原のなかから出てアマテラス主体となること――》によって築かれたことになる。

また 今度は 全く新しい角度から そもそも共同体関係じたいに対する市民の対関係の第一次性が 唱えられ それが過程的実現としての形態へと いまの《市民政府》が 形成されそこへ移行して行かないとも限らない。政府の形態も どんどん変わるはずである。

  • これは ソウモウの臣あるいは市井の臣であるに限らず ソウモウ・市井の中にあって スサノヲがスサノヲであることにおいて同時にアマテラスであるという市民の協働関係の形成の問題である。市民社会が すでに主要な舞台だと考えなければいけない。
  • われわれは それを株式の分有=共有また市民社会なる株式の総有に求めることになるが 差し詰めそれは 存在論的には スサノヲのアマテラス化 l'amatérasisation de Susanowos という概念をもって 規定しておきたい。

そして このモメントは 大袈裟に言えば このスサノヲ源氏とアマテラス藤壺との対関係形成――ここでは既に たとえばオホクニヌシ‐スセリヒメ類型におけるような政治的意味あいが 揚棄されている――を原点とするとさえ言いうるであろう。
源氏は 藤壺女御とのあいだに一子をもうけて それを帝に立てて 自らは院政を敷こうといったようなかれ自身の特殊性のありようから かのじょに近づいたのではない。そもそも子が生まれたことが 偶然であった。この子に 春宮(皇太子)の地位につけた後 冷泉帝としての即位を見ようとするのは 源氏の父の・藤壺の夫の桐壺帝のほうであった。
ただ 事が 市民の対関係の次元にのみ限られたことではなく 明らかにかれらの社会的存在の位置から言って共同体関係の絡み合った情況の中にいるからには かれらの対関係が 政治的支配・被支配の文脈から全く自由であったわけではない。
それは やはりただ 止揚されているのであって のちの冷泉帝を擁立しようとした藤壺は――それは 桐壺帝の次に立った朱雀帝の治世=弘徽殿大后・右大臣方の専制のもとで わが子冷泉院の春宮(とうぐう)としての地位さえも危ぶまれたことによるのだが 藤壺は―― その唯一の後見役として 源氏を頼み そして自身も必然的にそのような政治的行為者になること すなわち 観念の出世間成就者というある種の仕方での罪の主体としてのアマテラス者に なることを選び(ただしまた 実際 かのじょは 出家する) そこで 二人のあいだの対関係(エロス)の継続を 断念するといったことと 表裏一体の関係にある。
ここでは オホクニヌシ‐スセリヒメ および オホクニヌシ‐ヌナカワヒメのそれぞれの類型を いづれをも含んで持ち しかもいづれをも共に 別の次元において展開するその泥くさく動態的な過程を 見る。
もとより 《婚姻締結の自由》の理念は 時代(生産行為様式)の違いから言っても またある意味でその理念じたいから言っても ここでは もはや大きく後退する契機があると言わざるを得ない。しかしまた この対関係としての一つの革命的な過程が 市民社会全体の理念(ある意味で 自然法)から 遠いものではない。藤壺‐源氏論の総論は まず以上のようである。

補注

ここでは 少し対関係の次元を 過大視したかも知れない。
ただ言えることは 自由(自立的発展)の課題は 社会形態の革命の次元に 直截にはなく それは わが存在の再生産(つまり対関係・家族)および その再生産のための《質料‐形相》的資糧(価値)の生産行為の場面にこそ たえずつきまとうということである。
何度も繰り返すが ここでは 社会形態次元の政治経済学 あるいは 生産態勢次元の経営学を 不問に付して 考察している。この点に なお固執して考えるなら たとえば 一つの権威を借りることによって言えることは 次のような視点の提示である。(今では もはや権威ではないかも知れない。)

・・・人間の人間に対する直接的な 自然的な 必然的な関係は 男性女性にたいする関係である。・・・
この関係のなかには 人間にとってどの程度まで人間的本質が自然となったか あるいは自然が人間の人間的本質となったかが 感性的に すなわち直観的な事実にまで還元されて 現われる。・・・
マルクス経済学・哲学草稿 (岩波文庫 白 124-2) 私有財産共産主義

さらに《観念の資本》主義として現われる・民族ごとに自己制約的な歴史の部分的局面(また系譜)については この上の引用文に少し先立って 次のように表現される箇所がある。

共同体はただ労働の共同体であるにすぎず また共同体的資本 すなわち普遍的な資本家としての共同体が 支払う給料の平等であるにすぎない。この関係の両側面は 頭のなかで考えられた普遍性にまで高められている。すなわち労働は 各人がそのなかに置かれている定めとして 資本は共同体の公認された普遍性および力としてある。
(同上)

《頭のなかで考えられた普遍性》という指摘が有効だと考えられる。《観念の資本》主義という概念にとってである。これが じつは 《うたの構造》だとも言っている事態である。
何故なら

・・・宗教的疎外

  • 観念の資本によって惹き起こされる疎外のことである。個人的な信仰ではなく 慣習・文明としての宗教というときには 共同体総体のうたの構造を言うと取るとよい。

それ自体は ただ人間の内面の意識の領域でだけ生ずるが しかし経済的疎外は 現実的生活の疎外である ――だからその止揚は 〔意識と現実という〕両側面をふくんでいる。この〔止揚の〕運動が さまざまの民族において どのような最初の出発をするかは その民族の一般に認められている本来の生活が意識内(情感)と外的世界(質料関係・つまり物をめぐっての意識)とのどちらでより多くおこなわれているか その生活がより多く観念的であるか実在的であるか にしたがって決まることは おのずから明らかである。
(同上)

から。《ただ人間の内面の意識の領域でだけ生ずる》疎外であるものの これが蜃気楼閣を形作り 人びとのあいだに観念の運河を穿ち水路をつなげ あたかも抜き差しならぬ現実としての《うたの構造》を現出している。すでに《空気》と呼ばれている。
以上のような総合的な文脈を 念頭において いくらか 各論を次に見ていこう。 
(つづく→2006-08-02 - caguirofie060802)