caguirofie

哲学いろいろ

#6

――源氏物語に寄せて または 観念の資本について――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

序・補 対関係としての光源氏類型 (6)

――市民社会学の基軸概念として――
《歌をうたう》という表現・行為の一形式は  古事記全体のあの最初のうたにも認められるように きわめて素朴な自己表出だと考えられる。やはりスサノヲの物語りであるが クシナダヒメとの関係において歌われた。

八雲立つ 出雲八重垣
妻籠みに 八重垣つくる
その八重垣を


Demandez la paix pour Jérusalem !
Que soient tranquilles ceux qui t'aiment.(Psaume 122:6)

《ウタ(歌)は・・・自分の気持ちをまっすぐに表現する意(大野晋)》という視点において捉えられる。

  • もう少し詳しくは――

《拍子を打つ》のウチの旧い名詞形ウタから起こったとする説〔類例:ナヒ(綯)・ナハ(縄); ツキ(築)・ツカ(塚)など〕があるが アクセントを考慮すると ウタ(歌)とウチ(打)とは起源が別。(大野)

  • ここですでに源氏の中の《ウタガヒ》にも飛んでおくなら 次のごとく。

ウタは アクセントなどを考慮すれば ウタ(歌)・ウタタ(転)などと同根。自分の気持ちをまっすぐ表現する意。カヒは《交ヒ》の意。従ってウタガヒは 事態に対して自分の思う所をまげずにさしはさむ意。

さて いま一つ別のオホクニヌシの対関係を見てみなければならない。上にとらえたヌナカワヒメとの対関係をさらに規定する上でも 重要だと考える。その第二の形式に移ろう。
この《オホクニヌシ‐スセリヒメ》形式についても もはや最初からの詳しい経歴については差し控え ただ二人のやはり歌のやり取りの場面に焦点をあてたいと思う。またそのことによって ここでの必要はみたされるであろう。
まずその文脈は スセリヒメの嫉妬に始まる。それに対してオホクニヌシが詫びる歌をおくり それにスセリヒメが返し 最終的にふたりの第二次のハッピー・エンド(=スタート)となるといった過程である。そしてこの形式については特に 古事記の記述をそのまま引用してそれに代えることができるほどである。
その前にひとこと なぜ このような日常茶飯の事柄についてこまごまと述べるかといえば それは オホクニヌシの第一の対関係形式であったヌナカワヒメとのそれとを対比させれば わかりやすい。ここで要約して言えば ヌナカワヒメ関係は 社会形態(国家)次元における共同観念(ナシオナリスム)の未発達の段階においての殊に類型的に 政治的な《Amaterasu‐Susanowo》連関を映すものだと考えられた。ここで《Amaterasu》は むしろスサノヲの系譜にあるオホクニヌシであり 《Susanowo》は ヌナカワヒメないしその高志の国であった。これに対して いま第二の対関係であるスセリヒメ形式は このような政治的な連関を止揚したかたちを――萌芽においてもしくは素形において―― よく表現していると思われるからである。しかも同時に 源氏との対比から言えば ナシオナリスムの未確立の段階を映して 双方にナシオナリテ(その意味での公民=市民権)が確認されないままの対関係もしくは対幻想を 典型としてよく表わしていると考えるからである。
もっとも それが 愛の関係であるからには やはり日常茶飯の事柄に属すことは言うまでもない。ただ 古事記の表現(その形式)と 現代人のそれとの間の 通底性とその距離を 推し測っておくことは 一つのナシオナリスム確立後の源氏の対関係を見る上で 最重要の事柄に属すと言わなければならないであろう。市民社会学の基軸を そういった点に見出していきたいと思う。
スセリヒメの物語り。

またその神(=オホクニヌシ)の嫡后(おほきさき)スセリヒメノミコト 甚(いた)く嫉妬(うはなりねたみ)したまひき。故(かれ) その夫(ひこぢ)の神わびて 出雲より倭国(やまとのくに)に上りまさむとして 束装(よそひ)し立たす時に 片御手は御馬の鞍に繋け 片御足はその御鐙(あぶみ)に踏み入れて 歌ひたまひしく

ぬばたまの 黒き御衣(みけし)を
まつぶさに 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
はただきも これは適(ふさ)はず
辺つ波 そに脱き棄(う)て
鴗(そに)鳥の 青き御衣を
沖つ鳥 胸見る時
はただきも 此も適はず
辺つ波 そに脱き棄て
山県に 蒔きし あたね舂(つ)き
染木が汁 染め衣
まつぶさに 取り装ひ
沖つ鳥 胸見る時
はただきも 此(こ)し宜(よろ)し
いとこやの 妹(いも)の命(みこと)
群鳥(むらとり)の 我が群れ往(い)なば
引け鳥の 我が引け往なば
泣かじとは 汝は言ふとも
山処(やまと)の 一本薄(ひともとすすき)
項(うな)傾(かぶ)し 汝(な)が泣かさまく
朝雨の 霧に立たむぞ
若草の 妻の命(みこと)
   事の語り言も 是をば

とうたひたまひき。ここにその后 大御坏(さかづき)を取り 立ち依り指挙(ささ)げて歌ひたまひしく

八千矛の 神の命(みこと)や 吾が大国主
汝こそは 男(を)に坐(いま)せば
打ち廻(み)る 島の崎崎
かき廻る 磯の粼落ちず
若草の 妻持たせらめ
吾はもよ 女にしあれば
汝を除(き)て 男(を)は無し
汝を除て 夫(つま)は無し
綾垣の ふはやが下に
むし衾(ぶすま) 柔(にこ)やが下に
たく衾(たくぶすま) さやぐが下に
沫雪の 若やる胸を
たく綱の 白き腕
そだたき たたきまながり
真玉手 玉手さし枕き
百長に 寝(い)をし寝(な)せ
豊御酒 奉らせ

とうたひたまひき。かく歌ひて すなわち 盞結(うきゆひ)(酒杯を交わして心の変わらないことを結び固める)して うながけりて今に至るまで鎮まり坐す。

以上が オホクニヌシ‐スセリヒメの対関係の形式である。
きわめて煮つめたかたちに要約するならば こうなるであろうか。

男であるあなた・オホクニヌシには 行く先々で ちょうど異郷のヌナカワヒメとのあいだに起こったような対関係が 待っているであろうから わたしは 嫉妬の気持ちを抱くけれど 生涯の対関係をあなたと結んでいるので その形に生きる。 

それは 根の堅洲国において互いに第一次に発進したそれの その後の基本的な過程であるようだ。言ってみれば 他愛もない一過程なのではあるが それは すでに 素形としての《うたの構造》を示すとも思われる。うたの構造は ひろげて 観念の資本という。
現代から それが 他愛もないという点において 通底性を持っており その反面で 同時に へだたりの方が大きいとも感じられる。そのへだたりが感じられるとするなら 問題は むしろ このスセリヒメに対するようなオホクニヌシの特定的なエロスの一形式が 源氏物語の当時においても すでに そのままでは――物語の扱う範囲から行けば――見られがたく その意味で やはりへだたりを持って受け止められていたのではないかと いま推測されるという事情のうちにある。
どういうことか。
ヌナカワヒメとの対関係が 村どうしの対立と均衡の関係に連動しているといった側面 これは 源氏や現代人にとって あまり現実的ではない。他の家系や異族あるいは競争相手(たとえば会社)との間に 対立と均衡をもたらすための オホクニヌシ‐ヌナカワヒメ形式が なお存続しているとしても オホクニヌシらは そのような政治的な対関係の問題を あたかも国家次元の社会形態的な秩序を求め それの確立のために 扱い 追及していったと捉えられる。それは 国家次元への上昇の過程にある。ところが 源氏にしても 現代人のわれわれにしても その点 大いに異なる。もはや 上昇の過程は 必要ないからである。村(つまりは 市民社会なのであるが)から国家への上昇過程にかかわった運動は 要らない。
だから さらに そのつてで言えば スセリヒメの愛が あたかも一夫一婦の対関係形式を示唆しているとしても それは まだ 情況や局面が 現代人や源氏とは ちがっている。特に現代人にとっては スセリヒメ対関係(一夫一婦)は 相手のオホクニヌシをも――愛において―― 支配している。その愛における理念は 法律において 実現されている。
したがって いまの点に関して 源氏のほうの物語の世界は 総じてすでに 現代とも通じる対関係論や市民社会学を宿すと 仮説的に見られるとまず考えられる。
光源氏の対関係は もはや国家次元へ上昇していく過程でのオホクニヌシ‐スセリヒメ形式の大団円なる物語性からは 自由である。しかも その国家の成立もしくはさらにその安定的な秩序体制の確立ののちにあっても じつは おそらく いまのオホクニヌシ‐スセリヒメの対関係形式は ひとつの基軸となっているように考えられる。市民社会とその学のみなもとのごとく その類型としての対関係が 経験され示されたというように捉えられる。
その限りで うたの構造と言い また 観念の資本となづけて 今後 追求したいと考える。ちなみに ヌナカワヒメの対関係においては 一般的に言って 《うたがひの構造(うわさの構造・共同観念また幻想)》が その内容として動いているように捉えられた。
ウタの構造も ウタガヒの観念共同も 現代にまで その母斑を残している。あざや ほくろのごとく われわれは 共同観念の右へならえを 大事にしているかのように生きている。

  • ちなみに その対関係の形式が なんらかの形で傷つけられ その後 あたかも上昇の過程をたどるかのように 対関係の晴れて成立あるいは身の潔白の承認といった大団円を迎えるという物語は 現代では 裁判過程に もしそうとすれば 見出されるのかも知れない。つまり これも まだ国家以前のオホクニヌシ類型を 個体の次元では 学習・復習しているということなのかも知れない。

整理することができる。三つの形式を 新たな別の視点から捉えた内容についてである。
市民相互の対関係 その自己表現であるウタの構造と過程は 国家という社会形態を前提とした新たな視点において捉えたオホクニヌシ-スセリヒメの類型 これが 基本的なものとして獲得されている。これは ウタの構造であり 市民にとっての財産・観念の資本である。
すでに国家の段階にあるというのに なお 自己表現を実現するためには――もしくは もっと簡単に言って 互いにその意志疎通を通じて分かり合えるためには―― あたかも真実性なる階段が控えていて この階段を上って行かなければならないという共同の観念なる壁があるとするなら そのような上昇の過程をたどって大団円に達する(または失敗する)形式は その限りでの・その旧い視点におけるままのオホクニヌシ‐スセリヒメ形式である。その場合は スセリヒメのほうが 基本的に 忍耐をもって臨んでいる。
そのようなあたかも忍耐を強いられねばならないかのような情況 それは ウタの構造ではなく ウタガヒの楼閣と言う。しかも 実際には 蜃気楼閣である。すでに あたかも なんでもかでも真実を疑うという観念が共同化されている。幻想であるのだが 実効性を持っている。口をひらけば ただちに――特に 政治的に弱者の立ち場にある者に対しては―― その疑いの噂が飛び出して来て 人が真実性に固執すればするほど その噂は 激しく飛び交ってくる。ウタガヒの蜃気楼閣は 不信の構造といえるかも知れない。ウタの構造の中に 不信の構造は寄生していると思われる。
光源氏が 好色者であろうと・そのことを慎んでいようと 周囲の者たちの中には ウタガヒの合唱が起こったと言っている。その情況その社会のなかで 源氏は どう生きたか。いちおう触れるとするなら かのオホクニヌシ‐スセリヒメの対関係形式は どうなったか。現代のわれわれにとって どう考えるか。
対関係の理念――人格行為としての愛・そして人格の尊厳―― あるいは 生産の二角関係の自由および平等の理念――だからその成果の価値・特にあらたな第三角価値の所有における理念―― これらを 源氏の社会に求めるのは 酷であろうが 逆に考えて すでにオホクニヌシの社会において 対関係理念の萌芽が歴史的に現われたとするなら 潜在的に その対関係の類型を かかわらせてもよいであろう。一夫一婦の考え方 あるいは 生産と所有の自由制 これらを 杓子定規に当てはめようとも 説教としてのように説こうとも思わないが いま光源氏の対関係形式が 理念としては限られていて しかも そのような有限性(もしくは此岸性)における範囲で 或る種 革命的な変遷をたどるという物語 これは 現代の市民社会学にとっても その一つの淵源を辿る意味で 検討してみるに値すると思われる。これで 長い序を終えよう。
(つづく→2006-07-15 - caguirofie060715)