caguirofie

哲学いろいろ

#4

――源氏物語に寄せて――
もくじ→2006-07-08 - caguirofie060708

序・補 対関係の光源氏類型 (4)

――市民社会の基軸概念として――
ここでさらに序論の場所を設けて 序に引用した源氏物語の一節・すなわち帚木・冒頭の部分をめぐって 必要な限りあらかじめ考察をくわえ この原論の前提事項として検討しておきたいと思う。


はじめに この一節は 一般に 主人公・光源氏の人となりを明らかにし また作者の前口上を述べるというふうに 解されている。この帚木の巻では 源氏は 十七歳(数え年)の青年として登場する。そしてこの冒頭の部分は 前巻つまり巻一・桐壺の後半で 十二歳の少年に到るまでの主人公を述べたくだりを 年月の開きにかかわらず 直接 承けている。

  • 帚木の巻が ほんとうの第二巻であるのかどうかは いま保留する。

また 当時の慣習から言って――桐壺の巻では――すでに元服を終え 葵の上(正妻)との結婚にも入っている。そしてさらに 少年ではありながら 個人にとっての対関係の原形ともいうべき愛(対なる幻想)を――妻・葵の上に対してではなく―― すでに 藤壺というひとりの女性に見出している。それは かれの父・桐壺帝が かれの亡き母・桐壺の更衣をしのんで この藤壺を伴侶として見出したということから 源氏は かれと亡き母とのあいだの対関係に似た愛情の関係をはじめに求めたという構想になっている。
これら桐壺の巻の叙述を承けて この帚木で まず あらためて 十七歳の青年としての主人公の人柄が 作者の眼から見て明らかにされ 加えて これから展開する物語りの前口上を述べるというところである。
まず 前口上であるからには その後の展開にも少し触れておくのがよい。それは 言うまでもなく 帚木の前半部分における雨夜の品定めに受け継がれる。すなわち 言われているとおり 言わば作者による学 disciplineとしての女性論を成すくだりである。またそれは――対関係論にのみ限られるという制約はあるが―― 一種 作者によるその当時の市民社会学を成すと言ってよいであろう一節である。
さらに このような対関係論を超えて いま問題の前口上の直接の展開であると見てよいのは この帚木の後半と 巻三および巻四とを合わせて その中に 空蝉と源氏 および夕顔と源氏のそれぞれ対関係を語る部分である。
すなわち 夕顔というひとりの女性は 雨夜の品定めの中で 頭の中将という男の口を借りた対関係論の相手であり その具体的なイストワール(物語り)を その後 源氏という別の男とのあいだのそれとして 前口上を受け継ぐかたちである。そして 空蝉という女性は かのじょが 主人公から見て・あるいはかれに対して その対関係の形成を断乎拒むという相手であることより 言わば上の女性論総論をはみ出した存在の女性として――言いかえれば 互いに負の方向の対関係形式の例として―― 語られるものであり その意味で この前口上および紫式部市民社会学一般を とりあえずやはり直接 受け継ぐ部分であると言ってよい。例外のほうが 重要でもあるだろう。
さて このような前後の脈絡の中にあって この源氏の人となりを叙した前口上の文章は いかなる内容を語ったものであるのか。
われわれが 序の一に記した考察と直接かかわるこの箇所の解釈は 必ずしも既存のそれとは 同じでないと考えるので その点をあらかじめ明らかにしておかねばならない。


まず第一に指摘されるべきは この二つのパラグラフから成る短い一節(帚木・冒頭である)は そこに明らかに 物語りを述べる作者が出ているという一点である。この点は ただ確認のためのものでしかないが たとえば 最初の巻・桐壺では その記述は あくまで 物語またはフィクションとしての作品ということに徹した叙述であるのに対して この帚木の巻に移ると――すなわち すでに 第二巻において―― その物語の基調は 転移している。あるいは 新たな・作者という一視点が 加わって そこに新たな一次元拡がった構造を呈している。このことは 重ねてまず銘記しなければならないと思われる。

  • このことは つとに 一方で 帚木以下の三巻と 他方で 桐壺(巻一)からあたかも直接に若紫(巻五)につながれていく物語り基調の系譜とが 明らかに異質であると指摘されているとおりのものである。すなわち 五十四帖全体(その所謂第一部)としても 後者・桐壺系と 前者・帚木系とに 二分されると言われているとおりのものである。
  • ただ ここでは たとえば 

この二巻(帚木以下の)に語られる女性たち――空蝉・夕顔――と光源氏との交渉の物語には かれの藤壺へのあの強烈な恋愛の心はまったく影をおとしていないことなども加え どうしても桐壺巻の光源氏像とはそのままには つながらない。
秋山虔源氏物語 (岩波新書 青版 667) 1968)

  • とは見ない。それは いまここで一言でいってしまえば たとえば 対関係という時間形成(剰余のそれをも生みうる熟成)は 単に 固定的な一対の愛情の関係の過程からは 導き出されがたいという――悪魔の一視点――を 提出できるかと考えるからである。源氏にとって 藤壺ひとりに向けての対関係思慕に固定することも むつかしい。このことは 重要であると思われるので 以下の行論においても 触れていきたい。

整理してみよう。まず第一の事項としてここで挙げた点は 帚木と桐壺とのあいだに――または 玉鬘(帚木)系と紫上(桐壺)系とのあいだに―― 物語り展開の基調として変移はあるが おおむね 市民社会学としての物語りには 一貫したイストワール(ヒストリア)の構造があって それは特に いま課題の帚木冒頭部分など 作者がみづからその視点を かなり明示的に述べる箇所において よく表わされ またわれわれにもそれを捉えうるといった点なのである。
次に そこで この第一の事項から帰結されるべきことは そこに おのづから言わば
《〈私的二項関係(登場人物たち)〉‐〈自称(登場人物たち)‐他称(作者)の関係〉》
といった構造の連関が導かれ そのことを論じる道が開かれるとも思われる点である。しかしながら おそらく そのように 物語りの中で 《対関係‐共同体関係》にも比すべき連関構造が捉えられるというのは 普通のことであるし それを抽き出して それについて論じるといったことはあまり興をそそるものでもない。市民社会学の形成を 失敗に導かないためには むしろ 基本的には どこまでも 対関係の局面に または それとしての物語りの叙述そのものに 分け入っていくことが 肝心となるであろう。
そこで 次に いま課題の帚木の一節じたいに関して焦点をあてて見ることにしよう。


はじめに――原文あるいは英語訳を 重ねて掲げる愚を嫌って―― 次の現代語訳を ここでは引用しておこう。

光源氏 光源氏と 評判だけは仰々しくて 一面には非難をお受けになるような失錯も多いことですのに その上にもこういう好色事(すきごと)どもを後の世までも伝えられて 軽々しい人間のように言われるのではあるまいかと 努めて人目につかないようにしていらっした内証事をさえ 明るみに出して語り伝えたとは さても口さがない人々もあることです。とはいうものの 実は非常に人目を憚って 真面目らしく慎んでおられましたので そうなまめかしい面白い話などはありませんので あの名高い交野(かたの)の少将には笑われていらっしたかもしれません。
まだ中将などでいらっした時分には 内裏(うち)にばかり気楽に伺候しておいでになって 大殿(おおいとの)へはたまにしか退(さが)っていらっしゃらないのでした。《しのぶのみだれ》ではないのかと あちらの女房たちなどは気を廻すこともありましたけれども そんな浮気っぽい 露骨でありふれた出来心の色ごとなどは お好みにならぬ御本性で ただ時たまに その御本性とは反対に 強いて苦労の種になるようなことに打ち込み給うあやにくな癖がおありなされて 似合わしからぬおん振舞いも交じるのでした。
〔以下は 参考に 続きの部分を掲げる。つまり 雨夜の品定めの導入部分である。〕
五月の長雨が降りしきって晴れまのない頃 内裏のおん物忌みが引きつづいて 常にもまして幾日も侍うていらっしゃるのを 大殿には待ち遠しく恨めしくお思いになりましたけれども 装束や何やかやと 珍しい品々を取り揃えて届けてお上げになり またご子息の若者たちも もっぱらこの君のおん宿直所(とのいどころ)へ出仕なされて お相手を勤められるのでした。・・・
谷崎潤一郎 新新訳。)

  • ひょっとすると 雨夜の品定めの始まる部分と その前の前口上の部分とは この帚木じたいにおいても 明らかにその基調を互いに異にしているかも知れない。基調がちがっていなくても つながりが必ずしも 必然的だとも思えないかも知れない。

ここでは いまは 前口上の一節と その前後の文章に 執筆の視点の上で何らかの違和感があるといった点には それほどこだわらずに 読んでいくことにしたい。
まず ここでのわれわれの関心は いうまでもなく 光源氏のエロスの形式という一点にある。その好色者の過程が どうあるというのか。他の人びと―― 一方で いわゆる好色者の典型として引き合いに出される《交野の少将》であるとか あるいは他方で いろいろと源氏について噂するまわりの人びとであるとか――のその好きものであることの質と 同じであるのか違うのか この点が いま課題の原点にかかわる。
話は ヲコもしくはビロウの領域に入ろうとするのであるが このことを取り上げないでは 観念の資本もしくは市民社会学については何も論じられなくなり 一般に 政治経済学が 人および価値の交通形態を 政策として扱う意義もなくなるであろうとは思われる。ともかく前置きはこれくらいにしよう。
第一に 事は――明からさまに言って―― 源氏の好色者であることの度合いまたは質に収斂する。作者――紫式部と呼ばれるひとりの日本人女性――は それをどのように捉えていたのか。
具体的には このひとまとまりの部分の最後の一文 すなわち 

・・・稀には あながちに引きたがへ 心づくしなる事を 御心に思しとどめる癖なん うちまじりける。

といった箇所の解釈に 集中するであろう。結論から先に言って われわれは ここでこの文章を これまでの一般的な解釈の例には従わない。

・・・お心に思いつめなさる一風変ったところが あいにくとおありで かんばしくないご所行もないではなかった。・・・
石田穣二・清水好子

とは解釈しない。どういうことか。
まず 何ごとも 基礎工事が 肝心であるので 簡単に 語句の基礎的な解釈をすませておこう。《あながちに》および《引きたがへ》の二句について 検討したい。われわれは次の視点に拠りたい。

あながち[強ち](名詞・副詞)(アナは自己 カチは 勝ちか。自分の内部的な衝動を止め得ず やむにやまれないさま 相手の迷惑や他人の批評などに かまうゆとりを持たないさまをいうのが原義。自分勝手の意から むやみに程度をはずれて の意。)
(1)・・??衝動を止め得ぬさま。

稀には ――にひきたがへ(人ノ予想ニ反シ)心づくしなることを・・・(源氏・帚木)

ひきたがへ[引き違へ](動詞下二段活用)当然の成行きと思われることと違った態度を取る。期待を裏切る。予想を狂わせる。
(出典は 上の《あながち》と同じ)
大野晋岩波 古語辞典 補訂版

ここで もしこのような認識に立つとすれば ただちに考えられることは 文章の中の主語が《引きたがへ》るその内容(対象)は われわれの言葉で 対関係の行為過程の中の事柄である。もしくは その外延として 一定の限られた範囲でとしてもそういった共同観念=《大方の予想》である。また その《引きたがへ》が 同じく主語の《自分勝手》な・むしろ《衝動》的な行為として 行なわれるということになる。
これを たとえば上に掲げた石田・清水注は 

強引に無理を通そうとする〔気苦労の多い恋を・・〕

と解している。あるいは すでに引用した谷崎訳は 

強いて〔苦労の種になるようなことに打ち込み・・・〕

とする。後者では 《引きたがへ》の語が 実は どこかへ抜けてしまっており 前者では この《引きたがへ》るその内容が あいまいである。
ここで なるほど 対関係もしくはその外延としての一定の対関係複合(あるいは ゆるやかな三角関係錯綜)は 時に 幻想領域を形成し 時間(現実)を結ばないのであって 《引きたがへ》る対象は あいまいであってよいというのは 一見解である。しかも そのような幻想としてであってもの第三者による《期待・予想》は 実は時間の領域に それとして 力強く闖入してきているのであって まず これを《裏切る》・これに《反する》という一過程は はっきりと 外化(表現)するべきであるというのも 別の見解として取り上げるべきだと思われる。
一般に それを引きたがえる場合には その対象である対関係幻想なり共同観念なりの一局面は 必ずしも明らかにされない。そして同じく それに沿って 対関係過程が推移して行く場合には――言葉として明示的でなくとも―― 一たん明らかにされて共有された当のものが 都合によってなかったことにされるのが 共同観念の情況の一側面である。
いま この形而上学的な指摘は 別にしても 物語りにおいて 源氏は 明らかに それを《引きたがへ》たのであり まずこのことをめぐって 考察しておく余地があると思われる。
その前に サイデンスティっカー訳は こうであった。つまり

〔a way of sometimes 〕turning against his own better inclinations

  • =(あながちに) 引きたがへ

and causing unhappiness.

  • =さるまじき〔御振舞い・・・〕

とする。

  • ちなみに この訳では 途中の《心づくしなる事を 御心に思しとどむる癖なん あやにくにて》の部分は 上の訳文の箇所に収められたかたちである。

ここでは はっきりと  その《引きたがへ》る内容が 明示されているのを見る。ここでは 必ずしも 《対関係》の概念もしくは相手や第三者たちとの関係としての見方に拠ってはいないが それを 

〔against 〕his own better inclinations

  • =自己の好ましき性向(エートス)〔に反して〕

と明示する。こう見てくるなら このあたりの事柄は くだくだしいことのようだが 重要であると考えられてくるはずだ。
そこで いまわれわれの関心は この《 one's own better inclinations 》とは何か という問いに代えられるであろう。そしてそれは 対関係の現実の微妙は一過程に 目をとめることになる。
ただし それは もはや われわれには 明らかなことで すなわちそれは 《当事者および周囲の期待・予想〔として現われた個人個人の性質・意向〕》といったものであった。つまり 異なった言い方をすれば――そしてやや仰々しく言えば―― 西欧的社会体系の中においては 自然史過程(その意味での成り行き)において 人が その中の一般に予想された一進路を《引きたがへる》ないしそれに従うといったときのその対象は 感性にしろ意向にしろその内面的価値( one's own inclinations )であると考えられる。他方のアジア的な社会体系においては 《期待・予想》といった外形的な時間である。
このことは 新しい発見であるというのではないが しかしこのような事情から帰結されうるこの源氏の一文をめぐっての解釈に対する見解の相違は 必ずしも小さなことではない。
そこで いま結論は こうである。つまり作者・紫式部の視点は 次のことにあるというのが われわれのあらかじめの視点であった。すなわち 

源氏は その対関係の場にあって その相手の意向に逆らってでも あるいは それを見守る人びとやそれに立ち会う大方の人たちの期待を裏切ってでも その場の女性に対して やさしい言葉をかけることや その女性の心を包むような語りかけを なさなかった。どうしても できなかった。
(その意味で 《寅さん》ではなかった。)

これである。これが 源氏の人となりである。かれの対関係一般に対する個人としての原形式なのであると。
この倫理または価値観の当否は別としても ここには 愛の関係――その外化(表現)の形式――として おおきく市民社会学にかかわる基本的な構造および過程が 横たわる。こう考える。
(つづく→2006-07-13 - caguirofie060713)