caguirofie

哲学いろいろ

#10

――ポール・ヴァレリの方法への序説――
もくじ→2006-07-07 - caguirofie060707

ζ‐2

平田清明は 先にあげた水田と同じく 第四の意識と明確に 縁組みの成立を見て 対峙する地点にある。すなわち 認識・客観分析と 批判・主体的意欲との統合を見ることによって そもそも《時間》が衣替えされるという方向にある。
ただそこで もし強いて水田との相違をあげるとすれば 平田のばあいは 第四の意識と同等な位置に ぼくたちの情感の共同性をおいて――その点はぼくたちの認識と同じである――出発をなすという色彩を持つ点である。両者(水田および平田)とも 繰り返して述べれば マルクスにおいて 社会思想的実存と社会科学的認識との統一を見る方向にあるが 一方で水田が いわゆる神話といった幻想領域を脱ぎ捨てて進む《時間》的色彩を持つのに対して 他方で平田は そのような情感の共同性を合わせ持つ・少なくとも無視できないとするという色彩を――少なくとも日本において・段階的には――棄てない。
この平田の色彩は おそらく 同じマルクスの中にも 平田が キリスト教の《時間》の系譜部分を省みるという点にかかっているであろう。言いかえれば それはまず 西欧市民社会の正統の系譜であるところのものであり 従ってまたその中から 資本家的市民が形成した社会じたいに対する客観分析であるところの第四の意識は そのままでは 日本における《時間》としては 定着しがたいことを説くということである。
平田は そのぼくたちの中心点における縁組みが そのままでは成立しがたいという根拠を 積極的な意味でも消極的な意味でも スミスやマルクスにおける婚姻の成立が かれらの個人としても社会としても 大きな意味で キリスト教における《時間》の系譜の中にあることに求める。従って その婚姻が 非キリスト教圏の日本においてそのままでは成立しがたいというのが その根拠を示す消極的な意味であり 逆に その積極的な意味というのは 日本的に受容されたキリスト教的《時間》の系譜を省みるならば ぼくたちのあいだにおいても 縁組みは十全に成り立つはずだということになる。
日本的に受容されたキリスト教の《時間》というのは

  • キリスト教は 本来 父性原理において行為(言葉を含む)へと出発するというのが その基本的な《時間》である。父性原理とは ここでは 自然法とその思想に則るというほどの意味であるが

簡単に言って やはり情感の共同性の中に摂取されたそれ(時間)であろうと思われ それは その点では 先の遠藤のばあいと背中合わせに重なる部分を持っているのである。
平田の・キリスト教的《時間》の点で 遠藤と重なる部分は 後に見ることにするが 平田が マルクスにおいても キリスト教の系譜を見るというのは――もちろん そのときのキリスト教というのは 個体の理念の領域へと・従って 社会的に 揚棄されたキリスト教信仰をいうのであり 従ってそれは 非キリスト教キリスト教といってもよいのだが―― それは たとえば 次のようなマルクス自身の文章の文面にも・そしてその背後にもあると信じられる理念のことであろう。

ヘーゲルは国家から出発して人間を主体化された国家たらしめるが 民主制は人間から出発して国家を客体化された人間たらしめる。
宗教が人間を創るのではなく 人間が宗教を創るのであったように 体制が国民を創るのではなく 国民が体制を創るのである。
民主制と他のすべての国家形態との間柄は キリスト教と他のすべての宗教との間柄のようなものである。キリスト教は勝義の宗教 宗教の本質であり 神化された人間が一つの特殊な宗教としてあるあり方である。同様に 民主制はあらゆる国家体制の本質であり 社会化された人間が一つの特殊な国家体制としてあるあり方であり それと他の国家体制との間柄は 類とそれのもろもろの種との間柄のようなものである。ただしかし 民主制においては類がそれ自身 実存するものとして現われる。
マルクスヘーゲル国法論批判(城塚登訳)(ヘーゲル法哲学批判序論―付:国法論批判その他 (国民文庫 30)))

言うまでもなく ここにおいては 認識と《批判》とが統一されている。そして 最後の一文において 《類》――すなわちここでは客観分析と読めば――は 《民主制において・・・それ自身 実存するものとして現われる》と言われる。すなわちぼくたちの第四の意識の側からの 結婚の成立である。
そして 平田の言うキリスト教の系譜というのは ここにおいて 単に 幻想領域における宗教であるのではなく しかも 《根源的自己》として 正しく 社会の現実としての第四の意識を捉えるべき本質的な理念を言うのであろう。

この点は ひとまず措いて ふたたび遡って このような平田のばあいを 水田との相違を見ることによって追ってみよう。
水田は 一言でいって マルクスの中から そこにキリスト教の系譜があったとしても 特別に それを取り出すことはしない。むしろ自然法思想ないし神学として 理念的に一体となっていると結果的には見る。従ってこの点は かれの文章の背後に 明確な視点となって存在すると言える。しばらく水田の文章に触れることにしよう。
先に断わっておくならば いまかかげるものは昭和二十年代後半の文章であり 従って 時代の色彩に関しては捨象し 水田自身の色彩および方向を読むべきである。

・・・一般的には 社会観=社会思想は社会科学にたいする主観的な障碍ではなくて 逆に その成立のための主体的な(しかも社会的な)根拠なのであり この実践的契機なしには 理論としての社会科学じたいが成立しえないのではないかと わたくしはおもうのである。

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歴史学において 民族の英雄時代や民族的文化遺産の継承

  • たとえば 情感の共同性の問題を思うべき。――引用者。

が 問題になったのは 現在の民族的危機において 歴史学はなにをなすべきかという切実な反省からであったと かんがえていいであろう。・・・
けれども その反面では 民族の英雄(たとえば日本武尊)が無条件にたたえられ あるいは ほろびゆく民衆の文化(民謡 民芸)の発掘とようごが 歴史家の唯一のしごととされ 歴史学はすべて現代史に結集しなければならないとされた。・・・わたくしは これらの傾向が生じた根拠を 否定するつもりはない。しかし これらの傾向そのものには おおきな疑問をもつ。
では 歴史学

  • もちろん これは 固有の《時間》を志向するぼくたちの立ち場と変わりはない。

は どのようにして 現実の社会的実践に参加しうるか。歴史学の任務は 歴史の継承をあきらかにすることによって 歴史を継承する人間をつくりだすことである。・・・歴史じょうの人物は そのとき かれにあたえられた歴史的社会的諸条件と対決し また おなじ条件への人間の対決のしかたについて 同時代人と対決した。そのような対決の成果が あたらしい歴史をかたちづくり その歴史はさらに つぎの世代が対決すべき歴史的社会的条件となる。
このような 歴史的諸条件のさいごの段階にわれわれはたっている。《さいごの段階》といういみは 二重であってたんにわれわれがもっともあたらしいということのほかに われわれが資本主義の歴史の終点にたっていることを いみする。
(水田洋:近代人の形成―近代社会観成立史

長い引用になったが ここから・つまりこの文章の背後からは 重ねて 水田が 初発から 自然法思想にのっとり・もしくは神学の次元において マルクスによるあの中心点における縁組みを継承する方向にあるのを見ることができるであろう。
それに対して 平田も 初発に やはり同じ地点にあるというべきかも知れないが 平田が もしこの縁組みを ぼくたちの社会においては 必ずしも手放しで 順当なものと見てはいないとするなら そのことにおいて平田は 水田と色彩を異にする。そしこの色彩の相違は 重要なものであると考える。そしてしかも この平田に固有の《時間》の色彩を明らかにすることは――すでにその色彩は輪郭的に述べてはきたが―― 実はかなり難しいように感じられる。
まず初めに これまで述べたその輪郭の点については平田自身が 直接 文章にしているところ――それのみでは 例証としてむしろ無味乾燥に陥る恐れはあるのだが――を 少し引用してみよう。

・・・かれ(マルクス)は 資本家社会の生成発展の論理的=歴史的諸モメントを取り出してきて それを体系として整叙展開したのである。段階と展望を異にするが スコットランド的知性のスミスが かれ自身の歴史の眼で 眼前の事実を選びとり 市民社会の普遍的理論像を提供したのと 同じである。
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・・・マルクス経済学は・・・西欧市民社会に対する批判的理論であることによって ひろく資本主義体制の普遍的な批判理論である。しかしマルクス経済学は 日本でそう考えられてきたように 日本をふくむ非西欧的諸国に直接妥当するものだろうか。・・・
(平田清明市民社会と社会主義

平田は もちろん基本的な方向としてマルクスによる縁組みの成立を見る地点にあるが しかしかれは ここに引用した最後の一文の疑問を たとえばマルクス自身が 自らの客観分析の直接的妥当範囲が西欧に限定されることを認めている点であるとか その他何点にもわたって 西欧市民社会と非西欧的社会との――実存ないし時間の方向性の――ちがいを指摘することによって 裏付けをする。
この裏付けも ただ要約してここに紹介するのでは あまり興味を引くことではないと思われる。が その中から一点について 議論を進める上で触れておきたい。それは 日本における国家(または国)と西欧の国家とのちがいに易しく触れた箇所であるが それは ぼくたちの議論においても 情感(→情感の共同性→国)と意識(→意識の対立とその均衡→国家)との問題として引用して無益ではないだろう。

・・・人為的に作りあげた国 ペイ( pays )のうえに同市民関係として人為的に作りあげた人間生活の一状態 それが 国家としての国なのである。フランス語では国家は État と言うが そのもとの意味は状態である。国家を このような人為の一状態とみることは 国家を統治の機関あるいは形態そのものとして把握する第一前提であるはずだ。・・・
人為的な一形態としての国家には 超越的な国家理念なるものは 発生する余地がない。・・・ヨーロッパと比較してアジアの諸国を考えれば それぞれがいわば独自の家族的構成であって・・・われわれの日本は このアジアの東の端 しかも太平洋の一島嶼である。地理的隔絶性のうえにたつ家族的構成の国であり国家である。・・・
そこに形成される家族的社会構成は 国家と社会との範疇的区別を拒否するものである。そこには この区別どころか 両者の混同の上にたつ超越的国家理念が積極的に形成されやすい。・・・
市民社会と社会主義

以上である。確認のため ぼくたちのこれまでの認識との照合をしておくなら ここで《社会》ないし《国》は 第二・第三の意識ないし実存であり――そういうぼくたちの《時間》の領域であり―― 現代の《国家》=資本主義の社会は 従って 第四の意識であり また《超越的な国家理念》は 《時間》としては 情感の共同性もしくは共同幻想という私的・個別に一般的な実存の領域である。それは 最初のほうの《同市民関係》が 意識による対立と均衡という私的な時間の所有で個別に一般的な《時間》の領域であるのと同じような様式においてそうだと考えられる点については 留意すべきだと思われる。なお 情感の共同性の存続が 一つには 言われているように 《家族的な社会構成》によって 顕著に現われるものであることは言うまでもない。
なお ここで一言 この点について水田のばあいに触れておこう。もはや引用することは差し控えるが かれが この認識から離れているわけでは無論なく 水田は 自然法思想によるかたちで たとえば超越的な国家理念ないし共同幻想を 神話と規定するであり それはおそらく 家族的な社会構成におけるばあいでも 《時間》は 神話を脱ぎ捨てて十全に流れうるとみる方向にあるというものである。
それに対して――同じく そのような《時間の衣替え》の軌道の上にあるが―― 平田は 先に マルクスにおけるキリスト教の《時間》の系譜をも 日本的に受容していると述べた。そして実は 平田についてかれの時間の方向を望み見ることの困難さは この点にあるのだった。
その方向および色彩としては ちょうど遠藤のばあいと対比することによって 衣替えによる時間ではなく 時間の衣替えとして規定してはいたのだが その内容をさらに具体的に望みみることは 必ずしも容易ではない。が いまいくらかを試みてみる。
やはり一つの引用から始めるのがよいと思う。なるべく短く一つにまとまった文章をと願うのだが たとえば平田は その著書《市民社会と社会主義》に 《〈夕鶴〉の名古屋公演をみた。一〇年ぶりに見た夕鶴は 明るい夕鶴であった。・・》という書き出しの《〈夕鶴〉とマルクス》と題した小随筆を《序にかえて》掲げている。この中から 任意に一節を拾ってみることにする。

つうが去ってしまった後〕残された与ひょうはどうなるか。
むろん 残された布を 二枚とも売らないだろう。もはや一枚も 売る気にならないだろう。(現代っ子ならあっさり売るかもしれない。)与ひょうは 布に残ったつうの肌身のあたたかみを抱きしめながら生きていくだろう。と同時に かれはすでに(ヨーロッパ流にいえば)罪の毒杯をあおいだのであり 商品経済のなかに生きていくだろう。・・・
市民社会と社会主義

平田は 実はこの小品では 他の箇所でもっと直截に たとえば《与ひょうの自然(=つう)喪失は 与ひょう自身の人間喪失である》というふうに述べて ぼくたちの第一の意識が 第二・第三の意識へと転化し 単純に第四の意識の中に飲み込まれたかに見える日常的な事象のことに触れている。しかし むしろここで 上にあげた一節を引用した意味は ほかにある。
平田は 述べるまでもなく もとより かれの固有の時間としては いわゆるマルクシストである。しかしたとえば この引用文のなかで ぼくたちが かれについて注目すべき点は かれが 《残された与ひょう》のその後について思いをめぐらしているそのことである。
ぼくたちは そう述べたからと言って 何も 単に資本主義社会の情感の共同性の破談を批判して ヒューマニズムを標榜するといった気持ちを披瀝しようというのではない。そうではなく 平田が ここで 《与ひょうが罪を背負い 商品経済のなかに生きていくであろうとき その出発の一過程に つうの残した布を抱きしめる事実》を 思い描くという点に注目するのである。
まだ単純な類推であるかも知れないが このような方向および色彩において想像される《つう》のイメージは たとえばあの遠藤のばあいの《無力であったイエス しかも後に残った弟子たちに同伴者として生きつづけるイエス》として描かれるイエスの像――それによる時間の発進――と重なるのを 見ないであろうか。――ぼくたちがいま見ようとしている点は 別の角度から述べれば 次のようである。 
(つづく→2006-07-04 - caguirofie060704)