caguirofie

哲学いろいろ

#5

――ポール・ヴァレリの方法への序説――
もくじ→2006-07-07 - caguirofie060707

δ ‐1

次に ここでふたたび大岡のばあいに戻ってみよう。かれが 四つの意識もしくは 幻想領域をも容れたさまざまな側面をもった《自己》が それぞれ収斂して現在する情感に就いて その共同性を平面的に一般化する視点を形成したという点を受けて さらにその後の作品を取り上げてみよう。
かれのその後の方向で 取りあえずここで関心を持ってながめたいものとしては 次に掲げる二つの方向ないし色彩をあげることができる。それをなるべくかれの現在(1980)の時点に近い作品から拾って述べるとすれば まず第一に顕著に見られる方向は すでに《告知》という作品の中でも 括弧を付して若干触れていた方向である。たとえば

     1
ほのかにぬくい蛆のたぐひ
割れ目ある木の実のたぐひをあさるため


雀は枝から下枝へ滑る
澄んだ空気を尻で押さへ腰でたたいて


     2
人の視力は霞んでゐる
雀たちがついばむ土中に砂利と泥しか見ることができぬ


だが ぼくにはできる このてのひらに
夜たつぷり降る月光を溜め きみをそこで泳がせることは


     3
沐浴しつつ きみへの哀歌をうたはう
夕暮れが夜の方から近づいてきて冬の午後を染める


沐浴しつつ われを忘れて言ひ寄れば
きみは震へ 地球を震ふ嵐の舌に変つてゆく


     4
きみはそこで溶けてゐなさい 何万年も
きみは融けて風の光 地の響と 通じてゐなさい
・・・
大岡信:稲妻の火は大空へ 1978年1月)

と述べるときである。これは その後 第十節まで続くものであるが その前半のここまでの部分は 明らかに たとえば《告知》の中の《しかし触覚は別の眼ではないのか / この暗闇の旅にあって》という一節を引き継いでいると見られる方向である。
これに対して ただちに結論らしきものを出すとするなら ここには あの情感が 特に その内へと・感性へと向かっていく動きを見ることができる。そしてこの方向についてはぼくたちは 少なくともまだ あの《時間》の誕生の瞬間に固執するからには いまはそのものとしては深く立ち入らないことにしたい。――もっとも ここには その後半の部分で 次のように述べてやはり 日本語としての情感の世界を対象として見る視点が ないわけではない。つまり

きみは曠野で御しがたい牝馬となり 喃語(なんご)を唾棄した
・・・


きみがゐると 熱も知識も水も夢も
吸はれてゆくのだ ひとつのるつぼの中心へ 深く


だからぼくの火事も字も心のダムも宇宙樹の葉も
噴きあげるのだ るつぼの外へ 兇暴にも結ばれ合つて

というように ここでの《きみ》は 前半の睦み合っていた《きみ》であり 《ぼく》は その《きみ》との乖離をも うたっている。やや乱暴に解釈すれば この乖離は 大岡のばあい すでに触れたヴァレリの意識の方向とのそれであり 今ぼくたちの議論に引き寄せれば あの第四の意識との乖離とも取れなくもない。もしそうだとすれば この点を受けて 次にかれの第二の方向を見ることができる。
大岡のその後の第二の方向というのは いまあげた作品とは時間的に前後するのだが 次の作品にむしろはっきりとこの乖離とその距離が しかも情感ゆたかにうたわれていると見られるからである。すなわち詩人は同じように《きみ》に語りかける。

きみは描けるといふのかい ありつたけの
絵具をつかへばこの空に 絵が


きみは乾かすことができるといふの ありつたけの
枯草を集めて燃やせば この濁流が


おお きみは照らせるのかい ありつたけの
夕暮れ雲をころがせば このぼくの夜の芯が


美しい娘 きみはどこにもゐないから
こんなにもぼくに近い入江となつて


朝焼けにゆらゆら融けて ぼくに囁きつづけるのかい
数へて! 数へてよ この肉の館でとび散る星くづを!


おお きみは刈りとることなどわけないといふの
悟性と知性の噴きあげで育つた庭など


むべなるかな ぼくらの世紀は絵かきたちさへ形而上の瞑想に溺れ
揺籠よりは墓石の上に愛(かな)しい光が溢れてゐてさ


おお きみはやがて誕生するまでの久しいあひだ
霜に鞭がこだまする暗い地上で馬具をまとつて繁つてくれ


ぼくらの皮膚はささくれのきた 鞣し皮 口づけは膿を吸ふさま
友だちの姿もふいに見えなくなつて


それでもきみは描けるといふの ありったけの
絵具をつかへばこの空に 絵が


それでも照らせるといふ ありつたけの
夕焼け雲をころがせば このぼくの夜の芯が


美しい娘 きみはどこにもゐないから
ぼくはきみとどこでもいつしょに暮してゐるよ


美しい娘 ぼくにきみが見えるやうには
きみにはぼくが見えないので ぼくにはきみがいつそうよく見えるのですよ
大岡信:馬具をつけた美少女  1977年8月)

作品は全編である。そして ここまでこの詩人の軌跡を追ってきた推移からいけば そこにはもはや特に付け加えるべきこともないように思われる。ここには 同時代人のひとりとして大岡信が 第四の意識とも向かいあって 十全にかれ自身の《時間》を見出している姿勢がうかがわれる。従って ぼくたちはここに 現代日本に固有の《時間》の方向性の一つを見ていいように思う。ただ そこでぼくたちは 立ち止まることもならないようには思われる。
それは すでに水田洋という一日本人の《時間》も その一端ながら ぼくたちの前には存在していたと言わなければならないから。
しかしぼくたちは たとえばここで この水田と大岡の両方向の融合などといったことを目指しているのではない。何故なら 現代では 水田の指摘するように ぼくたちの出発の時点ないし出自というものは 必ずしも簡単には確認できないような地点にあると言わなければならないし この後 追って 他のいくらかの日本人のそれぞれの時間を見てみるように ぼくたちは いわゆる《モラトリアム人間》よろしく いわば十一面観音であるかのごとく さまざまな《時間》の方向を模索しつつそのそれぞれの色彩を重ねるかのように帯びていると思われるからである。
その意味では 現代では ぼくたちのあいだで 芸術家が それぞれその固有の時間を ぼくたちに提示して個別性を発揮し 市民はそのそれぞれの中から 自己に固有のと思われる方向を 複数において摂取し むしろ普遍性を表わしているかのごとくである。いや ふたたびそこから 芸術家は たとえば大岡の先ほどの《馬具をつけた美少女》におけるように そのような市民の情況にある普遍性を 自己の個別性に摂りいれ 固有のものとし 表現を試みているかのようである。
これは おそらく 水田の指摘を俟つまでもなく 資本主義社会の変貌という現代の危機情況を反映したものであろうとまず考えられる。
が能書きめいたことはこれくらいにして 次にふたたび 大岡のあとを継いで 新しい文章をここに登場させ それについて触れこの章は 終わることにしたい。


それは
(つづく→2006-06-29 - caguirofie060629)