caguirofie

哲学いろいろ

#7

もくじ→2005-11-28 - caguirofie051128

第七章 ルウソへの物言いの補論

例によって 長い文章の引用をゆるされたい。ルウソは言う。

生まれたとき 子どもが一人まえの人間の身長と体力をもっていたと仮定しよう。ちょうど パラス(女神アテネ=ミネルヴァ)がゼウスの頭から生まれたように 母の胎内からいわばすっかり武装して出てきたものとしよう。この大人とも子どもともつかないものは 完全に無能な人間であるにちがいない。自動人形か 身うごきもせずほとんどなにも感じない彫像のようなものにちがいない。
かれにはなにも 見えず なにも聞こえず 人をみとめることもできず 見る必要のあるもののほうへ目をむけることもできないだろう。自分の外にある対象をなにかひとつ知覚することができないばかりでなく それをかれに知覚させる感覚器官になにひとつ伝えることもできないだろう。目に色も見えず 耳に音も聞こえず 触れる物体も体に感じることもできず 自分が肉体をもっていることさえわからないだろう。手の感触は脳のなかにあることになる。あらゆる感覚はただ一つの点に集まることになる。かれはただ《感覚の中枢》に存在することになる。ただ一つの観念 つまり《自分》という観念をもつだけで あらゆる感覚をそれに結びつけることになる。そしてこの観念 むしろこの感情が ふつうの子どもにくらべて かれが余計にもっているただ一つのものということになる。
エミール〈上〉 (岩波文庫)pp.69−70)

そしてルウソの文脈から離れて――わたしには思われるのだが―― こういう《武装して生まれた知恵の女神アテネを 観念の子として もっている父親ゼウス》の像 これは 多分に 現代の《社会人》――とくには知識人――を描いている部分があると考えるのである。父親ゼウスのほうとしては その《社会人》どうしのあいだで 《完全に有能な人間であるにちがいない》。学業成績の偏差値は高く 社会に出ては もちろん教師をふくめて 指導者の地位に立つのである。
こういう一つの――誤読に近い派生的な――議論(この場合は 多分に 批判であるが)は 自然人確立の《往きと還りと》の考え方であり実践であると思われる。批判的な調子(だから形式)だけでは 《往き》っぱなしの実践におちいらないとも限らないけれど すでにわたしたちの自己あるいは 判断がそれにまかされているところのわたしたちの自由な意志のことを 垂直観念の形式(イデア)においてではなく 水平的な・生活態度として 教育過程のうえで とらえ したがってそれを新たなものへよみがえらせたいという方向へ かたちづくっていくなら わたしたちの普通の実践である。
けれども この引用文じたいの文脈は別としても 書物の全体として見ればルウソも たとえば《自然人と社会人との 二重の人間》のことを言っていたのであるから こういうわたしたちの誤読した普通の実践に 触れていないのではない。もう一つたとえば あの《第四篇》での《サヴワの助任司祭の信仰告白》のところで 書物の著者すなわちルウソのことばとしてでは直接にないが――つまりその助任司祭のことばとしてだが―― 《還り》の実践を次のように記している。

哲学者たちのところでは大胆に神をみとめ 不寛容な〔信心家の〕人々に、むかっては大胆に人間愛を説くのだ。おそらくあなたの味方になる者は一人もいまい。しかしあなたは 人々の証言をもとめなくともすむようにしてくれる証言をあなた自身のうちにもつことになる。人々があなたを愛してくれようと憎もうと あなたの書いたものを読もうと軽蔑しようと それはどうでもいいことだ。ほんとうのことを言い よいことをするのだ。人間にとってたいせつなことはこの地上における自分の義務をはたすことだ。そして 人は自分を忘れているときにこそ 自分のために働いているのだ。わが子よ 個々の利害はわたしたちをだます。正しい人の希望だけがだますようなことをしない。
エミール〈中〉 (岩波文庫) pp.219−220)

すなわち 自然人確立のあと社会の中にあって 最先行する中軸としては 自然の教育(自然の歩み)が第一だが そのとき 人間の教育・いいかえるとわたしたちの意志の自由な選択行為が 排除されているというのではなく しかるべき価値判断をおこない しかるべき意見の表明をおこなうというものである。女神アテネたる知恵と知識とを獲得した神々のなかの神ゼウスを自認するような知識人――または現代社会人――すなわち《哲学者たち のところでは大胆に神をもとめ》 その学業の観念の《武装》を解きなさい 感性の鎖国政策を解きなさいと言いなさいと 語っているのだし 他方では こういった人間の教育の到達しうる最高形態たる神々を自認する哲学者たちとは違って たしかに《自然の教育の創造者たる神をみとめ信じ しかも あやまったかたちで信じるので こりかたまり したがって神をみとめないというよりはその神を説く自分をみとめない他者に対しては 不寛容になる人びと これらの人びとに向かっては 大胆に 人間愛を説くのだ》と語った。むしろこのときには哲学者たちのことばで ふつうに実践しなさいと説くのだと。こういう《往きと還り itus et reditus 》の自然人実践を たしかにルウソの議論は含んでいる。それでも わたしたちは物言いをつけた。そのわけは もう少し補足して議論しなければならない。
このわけを 単純に説明するならば 直前の引用文にあるごとく――その最終の箇所で―― 《わが子よ 個々の利害はわたしたちをだます。正しい人の希望だけがだますようなことをしない》といった調子の表現を つけ加えるところがそれだ。ここで《わが子よ》と語りかけられたのは 放浪の生活を余儀なくされ 《社会人》への恨みで固まりかけていたその当時の少年ルウソその人であるが だからこれは直接にルウソ個人の意見ではないのだが それにしても この例からいけば もし《正しい人》とは どういうふうに決まるのかといったちゃちな質問を別にするなら その《自然人(自然法主体たるわたし)》が やはり いちど《還》ってきても ふたたび《往き》の路線にもどっていくことを示すからである。――これは 単純な説明である。

  • ちなみに この《個々の利害という事物の教育を受けて それの利用においてあやまる・つまり 利害の観念にだまされる ことがあっても もし自然人確立(あるいは同感の人)という基本実践にもとづいているのなら かれは 社会的に経済的に 大筋で自然の歩みにみちびかれていくであろう》と考えたのは ルウソの同時代人であるアダム・スミスである。スミスは かれも 《正しい人の希望だけがだますようなことをしない》と そういう文句で 語ってさえいるようである。

わたしたちも このサヴワの助任司祭の言うような《往き》の側面を 排除せず それに同意するものであるが どちらかというと 《還り》のほうを 前面におしだす。スミスが この《還り》のほうを 自然人(同感人)が 社会の中で生活基礎の面で 経済人として 実践していくと言ったのだとしたなら ルウソは――その経済学を別としても―― サヴワの助任司祭の語るところとしての限りで はじめに言ったこと・すなわち《哲学者たちのあいだでは これこれ 不寛容な人びとにむかっては それそれ》という表現のしかた・実践のしかたで 主張した。同じことなのである。
ほとんど同じことなのである。経済活動という生活基礎に対する見方 つまり社会的分業つまり社会制度つまり社会人の人間教育に対する見方が もし出発点において スミスは肯定に立ち ルウソはあまりにも批判的な調子のゆえに 明確には肯定に立つことができなかったとするなら 具体的な方式において 両者は 《還り》の実践のしかたが ちがってくるかも知れない。だがいまは 方法として 同じものであるだろう。
経済に触れるかいなか それは問題が大きいではあろうが 方法を別のものとしないと考えられる基調がある。じっさい ルウソも 哲学者たちや不寛容な人びとにむかって 経済生活の中で(それを基礎として) 意見表明(対話)するのである。そうでなければ 《個々の利害がわたしたちをだます・だまさない》は どうでもよいことになる。
ルウソがもし いうならば自然経済の一本やりであったとするならば(これは 微妙である。議論が争われている) 話はかなり別のものとなるであろうが 方法(基本の実践形式)において持ちこたえると考えなければならないときには たとえ社会経済をくわしく分析していなかったとしても 人間としては・またその教育としては 自然人は スミスの同感人(また 《幸福の人》)であり たとえば上にみたかたちで 実践するものであると言ってよい。
知恵の女神を武装させて頭にいただいたゼウスたる哲学者たちの あるいは不寛容な人びとの それぞれ観念の帝国 これを指摘し それと対決し そのような教育が成功して かれらから 帝王・帝国の観念が吹き払われるならば 生活基礎の経済活動は そういった政治的な偏向(たとえば 重商主義)のちからに左右されないようになって ふつうの同感人の社会形成をのぞむことができるだろうから ほとんど同じなのである。
ところが ここで――ここに到ったあとでは――スミスとルウソとの比較という観点からではなく ルウソ個人のやはり特に《還り》の実践形式を なお問題にすることができる。なぜなら もし言うところの一例として《哲学者たちのあいだでは大胆に 人間愛を説くのだ》ということが そこに 基本的には 社会人から自由な自然人の確立という第一実践を宿しているとしても もしこれが これじたいとして提案され 固定的な一つの形式となるのならば 明らかにこの実践形式は 個別的な方式にしかすぎないものであるのに 《この地上における自分の義務》であるとして 固定されることは 一つの社会人制度そのままの実践にしかならなくなる。
すなわち 既存の現行の社会人制度の方式に対抗するもう一つの(そしてそのときには裏返しの)社会人制度にのっとる実践方式が できあがった恰好となるからである。
往きの実践は 基本的な方法であるが 還りの実践は 単なる制度方式であってよいわけにはいかない。《ほんとうのことを言い よいことをするのだ》は 自由な実践形式(基本方法)を宿すが それじたいではない。制度形式・だから個別方式にすぎない。往きは 自然人の自由 還りは 社会人の制度方式に対抗するためのいまひとつ別の固定方式をとることは 自然人には できない。
《人々があなたを愛してくれようと憎もうと あなたの書いたものを読もうと軽蔑しようと それはどうでもいいことだ》は 固定しない。だから 《あなたは 人々の証言をもとめなくともすむようにしてくれる証言(良心)をあなた自身のうちにもつことになる》というのは まだ《往き》――つまりふたたびの往き――の実践に属する。

  • ちなみに スミスも 《良心 / 内なる人》を言っている。言っていた。それをのりこえて かれの《還り》の実践は ただし 人間を 生活基礎たる経済活動の側面で――またこれを どちらかというと 個人の思想としてではなく 個人個人のおこなう社会に対する経験科学の問題として――解き進めていくところにある。
  • スミスが 個人的に 経済学者であるだけではなく 経済人であったなら――あるいは単純に言って道徳感情論と国富論とを融合させるなら―― この所謂る自由放任の還りの実践は とうぜん 往きの実践に裏打ちされたものとして 表現(行動)されたことであろう。つまり ことを生活基礎の側面に限定しない実践は――あるいは 個人的な生活行動に限定せず 全体の社会科学の観点からする実践は―― その萌芽としてでも基本的には ルウソのほうにも 格闘されつづけてうかがえるように感じられる。
  • それゆえにかどうか――あるいは 当時のそれぞれの社会の経済的な発展情況とからんでかどうか―― そのルウソは 良心や自然人確定の《往き》のほうに 固執する。

同感の理論で 同感人としてこれを 自然人にあてはめてみたことは すでにスミスの場合の道徳哲学と経済学とを融合させたことになっているが それは ルウソの視点でもある。スミスが だから この視点を持たなかったということではなく この視点からさらに 国富論では 経済学つまり社会科学の視点へ その限りで 移っている。社会を総体的にとらえ それとして 自然人実践するのは 自然および人間の教育と もちろん同じ視点なのだが 対象領域がちがうし――つまり 経済学で 個々の人間を対象とするのは 間接的になる―― 経済学のばあいは その実践領域としては すでに(=まったく)《習慣・社会制度》そのものである。もちろん それべったりではなく 経済学ないし社会科学は その意味で 同じくすでに 《還り》の実践そのものであるが それは 《人間の教育》そのものだとはいえない。
議論のしかたの少しずるいことを認めつつ 一つの物言いをあらためて確認した。すなわち《往きっぱなし》である その意味は 《還》ってこないのではなく ふたたび・みたび 往きを重視して主張するという一つの傾向である。スミスとの比較は まだ半端途中である。きわめて図式的に確認するならば われわれのいう《還り》の実践とは まだ 社会総体の観点や立ち場での社会科学的な実践にまでは進まず――もしくは 進んだあと 逆にふたたび 個人の観点に戻ってきて―― しかも もう自然人(同感人)教育という基本形式の《往き》には 戻りきらないところの社会人としての一つの実践領域 これである。