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哲学いろいろ

第八章a

全体のもくじ→序説・にほんご - caguirofie050805

第八章 生成形式としての基本文型:《AハBガC》の一般性――かんたんな言語類型論――

第八章のもくじ
§26 検討課題について
§27 定義文をめぐって:以上→本日
§28 存在現象文をめぐって:以下→2005-09-18 - caguirofie050918
§29 所有・属性文ないし習慣経験文
§30 まとめ

§26 AハBガC これを言語一般についての基本文型であると仮説する。これを検討していこうと思う。
26−1 この文型は 基本成分・すなわち 主題成分(Aハ /Bガ)および論述成分(〔Bガ〕C)を含むゆえ 文の成立にとって必要十分条件を満たす。
26−2 第二主題Bを再分節していくなら それによってさらに必要な主題を追加して 文を詳しく完結させうる。関係第二主題Bから 関係副次主題(B1/ B2/ B3/ ・・・・)が分節されてくる。

Aハ←T1:第一中心主題
Bガ←T2:関係第二主題

  • →B0ノ=T0 副次関係主題化(ノ格・属格)
  • →B1ヲ=T3 副次関係主題(賓格主題;ヲ格・対格)
  • →B2ニ=T4 副次関係主題(賓格主題;ニ格・与格)
  • →・・・・・・・・・・・

C‐ナリ。 / ‐スル。←Tn=P 論述主題(用言とその法活用)

26−3 しかも これら主題提示層が 文の理解にとっていま一つ別の論述収斂層を そのまま兼任するゆえ そこに 主格‐賓格‐述格の基軸(つまり S‐V‐O構文)やその他の必要な格関係を 示すことができる。たとえば 
Bガ(主格)‐B1ヲ(対格)-B2ニ(与格)‐Cスル(述格)。
などのように。
26−4 すなわちかんたんに 
S(Bガ)‐V(Cスル)‐O(B1ヲ).
の構文を含むことができる。もしくは AハBガCの基本文型が S−V−Oの構文を派生させうると言えるのではないか。
26−5 たとえば英文などは このS−V−O構文を主要な基礎としてその文法を成り立たせていると考えられる。これは 主題提示層の特に第一中心主題(T1→Aハ)が  省略され すでに消滅してしまった場合であると 簡単には考えられる。ほとんど論述収斂層(主‐賓‐述の格関係=S−V−O)の一本で 成り立っていると捉えられる。
26−6 このような単一層の構成による英文ないしその文法と そして二層(重層)構造の日本文との対比を一つの軸に仮設して それをめぐる文の生成の事情を明らかにできればと思う。
26−7 なお このように仮設すると 文型や文の構造が 二層から成る日本文から単層にもとづく英文類型へと 史実として 変化・進展したと言っているように聞こえるが そこまでの内容は 想定していない。それは わからないし 必ずしも考えようとしていない。このような説明の形式を採ると わかりやすいと思うからであるにすぎない。
26−8 このような課題をもって 次章にまで進めるつもりである。

§27 まず 定義文(AハBガCナリ。)の場合を取り上げる。
27−1 いわゆる他動詞文のばあいには 日本文でも その論述収斂層に主‐賓‐述の格関係(つまり S‐V‐O構成)を当然の如く含むことになるので これを初めには避け いわゆる自動詞文について検討してみたいと思う。
27−2 英文は 自動詞文でも S‐V もしくは S‐V‐Comp(補語)という文型になると思われるが このときにも 一般的に言って S‐V‐O構文につながっているものと考えられる。
27−3 このことをまず 論述収斂層が 定義主格‐定義述格なる関係をつくる定義文について 見てみよう。
27−4 文例として 

〔2−JPN〕我レハ やはゑナリ。(旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)6:2)

聖書の文章から例を取るのは 言語どうしの間で 文の内容を共通のものとすることができるからである。

基本文型 Aハ Bガ Cナリ。
〔2−JPN〕 我ハ 〔名ガ〕 やはゑナリ。

27−5 もし ナリが ニ‐アリの約だとすれば 〔B(名)-ガ〕B1(やはゑ)‐ニ C(アリ)から派生してきている。述格Cの用言・アリが支配する与格(B1ニ)は その支配を受ける相認識のあり方から この副次的な関係主題(B1=やはゑ)を 定義相・指定相に置いた結果である。

  • この場合 B1ニの与格は 賓格からさらに再分節して 処格・指定格のような役割に移っている。

27−6 別様の分析としては もともと 

絶対提示: T1 T2 T3=P
無格名辞: やはゑ

の如く絶対表出されている。論述主題(T3=P)が 文字どおり 体言主題(やはゑ)によって提示されたわけである。断定法の補充用言・ナリが 補充されていった。
27−7 この場合 韓国文でも ほとんど同じ文型である。

〔2−KOR〕: 나는 〔이름이〕 여호와로라
na-nün 〔irum-i〕 Yöhowa-rora.
文型の分析: A(私)‐ハ 〔B(名)‐ガ〕 C(やはゑ)-ナリ。

27−8 上の文例において -ro-ra(ナリ)の -ro- が 与格活用→方向指定格(ニ)/ 資格格(トシテ)であるとすれば 副次的な関係主題格(B1=やはゑトシテ)が そのまま論述主題(Tn=P→C)となった。とも見られる。
27−9 中国文では Aハが 絶対格(=T1のまま)による提示である。つまり A=我 という提示のままであって 明示的な(有標の)格活用はない。

〔2−CH〕: 耶和華。
并音: shì Yēhuòhuá.
分析: ナリ

27−10 あるいは《我(A)ハ 是レ(B)ガ 耶和華(C)》の如く提示し生成させているかのようでもある。つまり 活用格(ハ / ガ など)がなくとも AハBガCの文型は成り立つとすれば=すなわち もともと 主題(Ti)の絶対的な提示から文が生成してきているとすれば そのように解釈されうる。
27−11 さらにあるいは Cのほうが 全くの絶対格提示に従うものであると見るならば

我‐是 耶和華。
A‐ハ C(←Tn=P)

の如く 中心主題格(是=ハ)が現われて来ている。そう見てよいのかも知れない。
27−12 インドネシア(マレー)文も 同じようである。

〔2‐IN〕: Aku-lah TUHAN.
分析: A(我)-ハ C(《主》)

27−13 次の三つの言語のばあい 中国文・マレー文と形態的に同じようであるが すでに主題格(Aハ)は 論述収斂層での 主‐述の格関係に発展しているのではないかと考えられる。

〔2-HBR〕 יְהוָה אֲנִי*1
'Anī Yahweh.
分析 Aハ C. :S-Comp(=Sの補語).の構文
〔2‐GRK〕 ΄Εγω κυριος.
Egô kurios.
分析 Aハ C(《主》) :S-Comp.
〔2-RUS〕: Я Господь.
Ya Gospod'.
分析 Aハ C(《主》) :S-Comp.

27−14 A(我)という無格名辞ないし名格体言は 上の三例のうちヘブル語を除いて 存在しないゆえ すでに 主‐述の格関係に発展していると言うべきであろう。ギリシャ語のエゴーやロシア語のヤーは 《我ハ》もしくは《我ガ》という一塊の語であって 名格体言のワレと主題格のハとに分かれていないからである。

  • ちなみに ヤーは エゴーから発音が変化したに過ぎず 同じ語である。

27−15 露文でも 対格形 menya(我レヲ)や与格形 mne (我レニ)などと分かれている。希文・露文では 《A(ワレ)C(主)》というような一語づつの絶対格による提示では すでに ありえていない。
27−16 主格補語(Comp)にかんしては 日本文でのように C(やはゑ)ナリという形式であるとも B1(やはゑ)ニC(アリ)という形式から来ているのであるとも 考えられるのではないか。後者の点は 露文で 現在時制ではなく 過去や未来時制においては 補語(Comp)が 資格格(造格=やはゑトシテ という格活用)になることを要求されるからである。
27−17 ヘブル語のA('Anĭ)は 絶対提示されうる名格(つまり ワレ)として存在しているが ほかにやはり賓格形(ワレヲ/ ワレニなど)が別に存在するから その点では すでに 主題提示層をじゅうぶんに保つ文型から 論述収斂層を独立させるそれ(つまり S‐V‐OのS‐としてのあり方)へ移行しかけている。

  • ただし 一般にセム語族の言語では 主題格提示=Aハの形式は 保たれていると言われる。

27−18 なおこれら三つの言語では Cナリのナリという述格(いわゆる繋辞copula)は 現在時制(非時相)で 必要とせず 一般に用いない。
27−19 次の言語での文例になると すでに論述収斂層=S-V-O構文の一種として S-V-Compの文型から成り立っている。

〔2-ENG〕 I am Yahweh.
〔2-FR〕 Je suis Iahvé.
〔2-GER〕 Ich bin Jahwe.
論述収斂層: S- 〔S-〕V- Comp
(↑単層化)
基本文型: A(我)ハ 〔B=Aガ〕ナリ C(やはゑ)
  • I も Je も Ich も 露文の Ya と同じように 希文・羅文のエゴーと同一の語である。それにしても 訛ったものである。

27−20 述格用言Vの am / suis / bin はすでに《我有り》あるいは《我ハ‐ナリ》という確定した意味内容を持った形態であり 主格語S(我ハ)を含んでいる。ゆえに 主‐賓‐述の格関係を基軸とした文法(論述収斂層の一本化)に従っているようである。
従って 主格語( I / Je / Ich )にも 《我ハ》という主題提示の性格は もはやあまり ないようである。
27−21 ただし S-V-O構文の文法においても 主題提示または主題としての取り立てが できないわけではないようである。

〔2’-FR〕: Moi, je suis Iahvé.
分析: Aハ(我ハトイエバ 我‐ナリ やはゑ
〔2-SP〕: Yo 〔yo〕 soy Yavé.

西文では 普通は Soy Yavé. と言えば済むわけであるから。これら Moi / Yo (我ハ)は 中心主題格(T1→Aハ)の如くである。
27−22 取り立て主題の提示(≒Aハ←T1)はできるとしても さらに遡ってみるならば 主題提示層としての 中心主題格(Aハ)+関係主題格(Bガ)といった成り立ちは もはや影が薄いと言わざるを得ないと思われる。
27−23 のちに この関係主題格の存在も もしくはその影が 残る構文を見てみる予定である。それが 能格構文と言われるものである。
27−24 たとえば日本文・韓国文が 
〔2-JPN / KOR〕私ハ 名ガ やはゑデアル。
というように 関係主題格〔B(名)ガ〕をはっきり表示したばあい このときのAハBという部分は

文型 Aハ
文例 私‐ハ
分析(含み) 私‐ノ

のように 格の解釈が 自由に行なわれうる。中心主題格(Aハ)が属格(Aノ)に 語の形態をそのままにして 受け取られうる。
英文などの言語では もはやそのようには(=主題格提示としては)表現し難いと思われるからである。別様の文を絶対的に必要とする。

〔2’-ENG〕: My name is Yahweh.
分析: S- 〔S-〕V -Comp
〃: Mod
基本文型: Aノ Bハ 〔Bガ〕ナリ

27−25 こうだとすると まず第一に AハBガCの文型は 主題の絶対提示(T1+T2+T3〔=P〕)をなお保つと見られる。第一主題格(Aハ)がそのままで属格(Aノ)の格活用を 内容として含むというのは 初発に絶対格(Ti)が 不定相としてさえも内容を決められていない自由度を持ったからである。
しかも そこには 文意の問題として論述述格の内容に収斂していく格関係(つまり S-V-O構文)も とうぜんの如く宿している。
これに対して 極論していえば 主題提示層に対するもう一方の文意の筋としてのいまの論述収斂層を それだけを 主格(S)‐賓格(O)-述格(V)の構文として独立させた文法の言語が出現したと考えられることになる。総じて言えば そのように単一層の直線的な基軸としての格関係が ほとんどすべてを支配する。
27−26 よくぞこの論述収斂層を 独立させ得たとも見られる。
27−27 主題提示層を さらに再分節させることができる。たとえば
私(A)ハ 名(B)ヲ やはゑ(B2)ト 言ウ(C)。
つまり 関係第二主題格・Bガを B1ヲB2トへ分節しうる。繰り返すならば 論述収斂層の格関係(ここでは ガ・ヲ・ト)をそのように変化・発展させうるのは 初めの絶対格表出という生成形式から来るものであろう。
けれども むろんこの格関係の再分節・内部発展は S-V-O構文でも じゅうぶん可能である。得意である。

〔2-FR〕: Je m' appelle Yahweh.
分析: S O S-V O.Comp
意味: 我ハ 我ヲ 呼ブ やはゑト



27−28 要するに端的には文の初めに AもしくはAハと言い出したとき そこには 中心第一主題(T1)としての相認識が 生成しており しかもこれが保たれているのだと考えられる。これが すべての初めだと確認しておくことができる。
27−29 この絶対格として提示された主題は 中心第一主題の相を持ちつつ しかも これにつづく文の意味内容にかんして どの位置関係にあるかは まだ確定していない。不定という相にも決められていない。
さらにしかも 話者がわざわざ自己表出した思想は 文表現において 意味内容が決められたものとなる必要がある。とうぜんその文意は 結論というべき論述主題によって締めくくられる。その意味で 文意としての格関係は 論述述格に収斂する。用言述格が 他のすべての格活用を支配する。
ここから 論述収斂層を基軸とする文の構成は起こりうると考えてよい。中には これをまったく独立させて 論理上の格関係からのみ成る(論述収斂層一本の)新しい文法も生まれたのだと考えられる。S-V-O構文の格関係は 一般に 直線的でなければならない。
27−30 ただし しかも――ただし しかも―― その新しいS-V-O構文の文法でも 論述成分(Tn=P)の中の論述格が 要の役割を果たすだけではなく 当然のごとく もともとの論述主題(結論)であることを止めたわけではない。法判断の内容やありかの表明を止めたわけではない。
27−31 言いかえるなら 文外の話者の統括作用としての格が 依然として 控えている。なくなるわけではない。なくなるわけには いかない。言外に[我ハ言ウ]なる表現主体の存在を示しつつ 法判断をおこなおうとしている。それは 用言の法活用・その形態の選択に現われる。

  • 法活用の形態にかんしては すでに決まっているものの中から 選ぶ余地を残すのみであるかも知れない。あるいは さらに 新しい法判断を表現しうる活用形態を 作り出してくるかもしれない。

文外の話者格と文内の論述主題格における法活用との微妙なつながりを 表現の奥に(あるいは 行間に)見てとらえねばならない。

〔2-ENG〕: [I TELL]: I am Yahweh.
分析: [話者格]: am =論述主題格:存続平叙法(断定・現在時相など)

27−32 すなわち 論述主題(Tn=P)は 用言の法活用x述格というかたちで いわば常に二層構造であると言ったほうがよい。
27−33 定義文(AハBガCナリ。)をめぐって その基本文型の普遍性について 以上のように考える。
お能格構文は 定義文では ちがいが現われにくいので つづく議論(特に次章)に従って欲しい。