caguirofie

哲学いろいろ

第二部 歴史の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第三十章 間奏曲――ガ格の起源――

ガ格の起源について迷っている。
体言+ガ+体言(たとえば 我ガ国)という用法 これが 基本であり ここに起源がある(大野晋説)というのが 定説である。また このこと自体が間違いということもない。
前章でわたしは 一旦この説に屈したのであるが 気を取り戻して 主格を含む提題格でもあったという考え方を明らかにしていきたいと思う*1
まず基本用法としてわたしなりに整理すれば

《我が思ふ妹》について 《我(体言)+ガ+・・・妹(体言)》という基本の用法としての枠組みがある。だから 《思ふ》という用言を 連体法の形にして挟んでいても 連体法ゆえに 《思ふ=妹》という一塊の語句を形作っている。そのあとで 《我》と《思ふ》との論理上の意味関係を捉えたときには 主格‐述格の連絡をなしているというものだ。

「が」は 奈良時代にすでに「我が思ふ妹に逢はぬ頃かも」(万葉集3650番)のような用法を持っている。「が」は本来連体助詞であったから この場合も「我が」はもともと「思ふ」にかかるよりも「妹」にかかるもので 「我が――妹」のつもりであったのだろうと思われる。

岩波 古語辞典 補訂版

岩波 古語辞典 補訂版

(p.1487)

これに対して ガ格は 主格の用法を含む主題提示の活用格であるという考え方は 次のようである。

  1. まず例文を掲げる。

ひさかたの天照る月は 見つれども 吾が思ふ妹に逢はぬ頃かも
(・・・安我母布伊毛尓・・・)

万葉集 全訳注原文付(三) (講談社文庫)

万葉集 全訳注原文付(三) (講談社文庫)

( p.313)

例にとったこの歌の中で ガ(漢字表記で《我》)の格が用いられていることに間違いはない。
2.そもそも 主題提示の格を ハ格から始めてガ格・ノ格・ヲ格・ニ格等々として捉えるというのは 文を 語ないし名辞を 格活用させずにそのまま並べて つくると見るところより始まる。活用しないままで文に置かれた語の格を 絶対格という。

ひさかた 天 〔照る〕 月 〔見る〕 吾 〔思ふ〕 妹 〔逢ふ‐無し〕 頃

3.絶対格において表出された語の・したがって主題の 提示が 次に――文の統括者である話者によって――確定されてゆく。基本の主題提示として 第一中心主題を示すハ格と これを承けて 関係第二主題を打ち出すガ格と さらには これら二つの主題について 論述する内容を示して文を締めくくる論述主題である。
現代語で基本型を示せば

話者の表出: 絶対格+絶対格+絶対格
〔我は言う〕 A・・・・・・・B・・・・・・・C。
文: →日本文の基本型→
話者格: 第一中心主題+関係第二主題+論述主題
〔我は言う〕 [定義・状態文]Aハ Bガ Cナリ。
やまと‐ハ 〔やまと‐ガ〕 真秀ろばナリ。
この御酒‐ハ 〔この御酒‐ガ〕 我が御酒ナラズ。
〔我は言う〕 [動作・現象文]Aハ Bガ Cスル。
八雲立つ出雲八重垣〔‐ハ〕〔我ら‐ガ〕妻籠みに八重垣つくる。
大君‐ハ〔大君‐ガ〕神にし座せば 〔大君‐ハ〕〔大君‐ガ〕天雲の雷の上に廬らせるかも

4.今の例文をこれに基づき分析するなら 次のごとくなる。やや 基本型から変型しているが 問題ないであろう。

話者 Aハ C1 Bガ C2
〔我は言う〕 月‐ハ 見つ 吾‐ガ 頃〔ナリ〕。

ここから 《C1=見つ》に 逆接の連絡のかたちが付いた:《見つれども》。《C2=頃》には その具体的な内容として 《思ふ妹に逢はぬ》という表現が補われた。

  • この論述主題は――つまり文の結論としての論述は―― 頃ナリではなく 《頃かも》という推量法の活用(法とは 話者の気分・気持ち・判断のことであった)に置かれている。文にとって一般に法活用がいちばん大事だと考えられるが いまは ガやハの主題格のほうに注目する。

第一の論述(C1)が――《見つ》として 完了法=実現法におかれたことも 然ることながら―― 《見つれ‐ども》として 逆接に置かれたことに合わせて 第一主題(A=月)には 《ひさかたの天照る》という条件句がついた。
これは 中西進氏の解説によると 《〈遥かな月さえ見られるのに〉の意で下句(妻を見ない)と対応》(前掲書p.313)するという。
5. 従って 第一中心主題A(月)を承けるハ格と 関係第二主題B(吾)を打ち出すガ格とは 論述(C1およびC2)に対する論理的な意味関係においては それぞれ主題格とはまた違った別の意味内容を持つことになる。《月ハ》と主題を提示していると同時に 《見つ》との関係では 《見る》の対格(ヲ格)をも担うことになる。

第一中心主題 論述主題
月‐ハ 見つ
主題提示の格(=月ハトイエバ 論述(見た) :主題提示層
対格(=月ヲ) 述格(見た) :論理上の格関係(論述収斂層)
  • まず 話者が 月なる語を表出し これを 文として(認識・判断なる意思表示として)表現するために ハ格に活用させた。→《月‐ハ》。
  • このハ格が もともと 主題提示の活用格であって それと同時に 論理上の格関係をも 担うことになるというものである。この場合には 対格(ヲ格)を兼ね合わせている。→《月‐ヲ 見ツ》。主題提示の格・ハが 対格(ヲ格)を兼ねる。
  • 日本文として AハBガCという基本構文に関する限り ハ格も ガ格も それぞれともに 重層的に文を構成する仕組みのもとにある。主題提示層と論述収斂層との二重性である。
関係第二主題 論述主題
吾‐ガ 思ふ妹に逢はぬ頃
主題指定の格(=吾ガドウカトイエバ 論述(・・・頃ニアル) :主題提示層
主格(吾ガ) 述格(思ウ) :論述収斂層
属格(吾ノ) 体言主題(妹) :論理的な格関係〔のみ〕(述格は無いゆえ層ではない)
主格(吾ガ) 述格(逢ハヌ) :論述収斂層
関係第二主題格としてのガ格

このガ格は――基本文型の《AハBガC》が 古代では 固まっていない状況にあり―― 初め 潜在的であったと捉える。
たとえば ノ格は――属格としてのガ格同様に 体言+ノ+体言という枠組みの中で 主格をになう場合も 少なからず 見られたが―― 結局 現代に至るまでにおいては 終始 属格であった。

この御酒は わが御酒ならず        許能美岐波 和賀美岐那良受
酒(くし)の司(かみ) 常世にいます   久志能加美 登許余邇伊麻須
石立たす 少な御神の           伊波多多須 須久那美迦微能
神寿き 寿きくるほし            加牟菩岐 本岐玖流本斯
豊寿き 寿きもとほし            登余本岐 本岐母登本斯
まつり来し御酒ぞ               麻都理許斯美岐叙
あさずをせ ささ                阿佐受袁勢 佐佐
古事記歌謡・40)

《少な御神‐の(属格)‐・・・御酒》という枠組みの中で 《少な御神‐の(主格)‐まつり来し(述格)(かつ連体格)御酒》という主‐述の格関係をつくっている。
同じく上の歌に答える歌に ノ格があたかも独立して主格のごとくある姿が見られる。

この御酒を 醸(か)みけむ人は   許能美岐袁 迦美祁牟比登波
その鼓 臼に立てて          曽能都豆美 宇須邇多弖弖          
歌ひつつ 醸みけれかも        宇多比都都 迦美祁礼加母     
舞ひつつ 醸みけれかも        麻比都都 迦美祁礼加母    
この御酒の 御酒の          許能美岐能 美岐能
あやに うただのし ささ       阿夜邇宇多陀怒斯 佐佐
古事記歌謡・41)

《御酒‐の‐うた楽し》は 《御酒‐ガ(主格) 楽しい(述格)》という表現に見える。ただ そうだとしても この主格としてのノ格の用法は 発達しなかった。けれども ガ格は それとして発達した。
現代語において いわゆる終止形は もともと連体形であったのだから なお結局 《体言+ガ+体言》という形式を背負っていると言わなければならない。つまり 上の例文の《楽しい》という述格用言の形態は もともと《楽しき》という連体形であった。その連体形が みなし体言となっている。

  • 体言(御酒)+ガ+体言相当(楽しき〔連体形=《楽しき‐モノ・コト》〕というかたちで 基本の枠組みにおさまっている。

それにもかかわらず 主格の用法が ガ格には 生まれて来た。しかも それとともに・あるいはそれ以上に 潜在的であったと考える《AハBガC》の構文が じゅうぶんに立ち上がって来た。
それは 初めに――あたかも初めに―― 潜在していたと捉える性質のものである。

Aハ Bガ
この御酒は 〔この御酒が〕 わが御酒ならず
やまとは 〔やまとが〕 国の真秀ろば
この御酒を醸みけむ人は 〔その人が〕 ・・・醸みけれかも
〔われわれは〕 この御酒の(が) あやにうただのし
久米の子ら‐ガ・・・

以上を捉えた上で 具体的な議論に入りたい。
やはり 記歌謡を取り上げるのであるが たとえば九州から東征して来た神武カムヤマトイハレビコの軍勢は 初めトミのナガスネビコに敗れたが 力を整え 別の道をとおって これを討つことになった。このとき うたったと言う。

みつみつし        美都美都斯
久米の子らが       久米能古良賀
粟生には         阿波布尓波
韮一茎          賀美良比登母登
そ根がもと        曽根賀母登
そ根芽つなぎて      曽泥米都那芸弖
撃ちてし止まむ      宇知弖志夜麻牟
(記歌謡・12)

  • ちなみに 古事記では 地の文章が変則的な漢文で書かれており それを訓読しているのであるが 歌謡の部分は 上のようにいわゆる万葉仮名で書かれているので 一字づつその日本語が分かる。ガ格やノ格というとき その存在がはっきりしている。

定説は 《久米の子ら(体言)+ガ(属格)+粟生(体言)》と読む。これ自体を否定するためにではなく その基本の枠組みを保ちつつも 主題格の活用としてのガ格の潜勢力がはたらいているのではないかという見方を取り上げたい。 
神武イハレビコ軍は はじめ日下の盾津に上陸したとき 生駒の山々を越えた地の登美からナガスネビコが待ち受けていて その兄の一人を殺されてしまった。その後回り道をして 軍勢をととのえつつ来て 再びトミビコと決戦をする。久米の連中が大伴氏とともに軍事を司っている。《久米の子ら‐の‐粟畑には 臭い韮が一茎生えている》という。すなわち トミのナガスネビコのことを言っている。《その根は根こそぎにし芽は摘み まとめて〔抜き取るように〕》と言う。
だから ここで もし主題格としてのガ格が生きているとしたなら まず《このいくさに当たってわれわれは》という第一中心主題格が捉えられる。次に これを承けて中でも 《つわもの達・久米氏の人びとが》という関係第二主題格が言い出されてくる。だから この《久米の子らが》が 連体格として次の《粟生》にかかっているとしても 構わないわけで ということは もし主題格としての潜勢力がはたらいているなら 当然のこと 論述の《撃ちてし止まむ》にも あたかも かかって行っているという見方である。この場合は 主格としてである。
そのように見るときには 《そ根‐ガ‐もと》という表現にも注目できる。まず連体格の用法としては 《その根の根元》と指定して 《その根も芽もひとまとめにして》のごとく言おうとしている。別の見方では トミビコを念頭において 《我らの間に・我らの前に立ちはだかる韮》と言い出し 《その根‐ガ(主格) われらがマツリゴトにとっての悪の元である》と指摘しているかにも疑われる。
この潜在的なガ格の用法から見ると 歌は次のような構成だと見られる。

Aハ 〔このいくさ‐ハ〕
Bガ みつみつし久米の子ら‐ガ(主格)
〔挿入句〕:〔我ら‐ガ(属格)‐〕粟生に‐ハ かみら(韮)〔‐ガ〕ひともと〔有り〕。
〔挿入句〕:そ根‐ガ(主格) もと(元凶)〔なり〕。
〔挿入句〕:そ根芽つなぎて〔の如く敵に対して〕
撃ちてし止まむ。

言っておかなければならないことは この時代には このようなガ格の例はほとんどないということである。
ちなみに 同じ場面での同じ趣きの歌をも見ておこう。

みつみつし 久米の子らが      美都美都斯 久米能古良賀
垣下に 植ゑしはじかみ(山椒)   加岐母登爾 宇恵志波士加美
口ひひく われは忘れじ         久知比比久 和礼波和須礼志
撃ちてし止まむ              宇知弖斯夜麻牟
(記歌謡・13)

《口がひりひりする山椒を植えた者》は 《久米の子ら》でなくても構わないのではないか。
なぜなら 先ほどの《韮》の場合は それが 自分たちの社会としての《粟畑》に 厭なものとして 生えていると言わなければならないから 《久米の子ら‐の‐粟生》と読む必要がある。けれども これに対して 《はじかみ》の場合は 《口ひひく》とは言え 《自らの垣もとに 自分たちが植えた》とするのには 無理がある。敵として根絶やしにする韮と同じような《はじかみ》だとしたら なぜそれを自らが植えたのかと言わなければならない。
だから もしこの見方に傾くとしたなら 次のように読むことになるかも知れない。

Aハ 〔このいくさ‐ハ〕
Bガ みつみつし久米の子ら‐ガ
〔挿入句〕:〔一般に人びと‐ガ〕垣下に植ゑしはじかみ‐ハ〔はじかみ‐ガ〕口ひひく〔ものなり〕。
〔挿入句〕:〔そのはじかみの口ひひきを〕われ‐ハ〔われ‐ガ〕忘れじ。〔その念のごとく〕
撃ちてし止まむ。
  • なお念のために言えば 《久米の子ら‐ガ(主格) 撃ち(述格1)てし止ま(述格2)む》と解するときにも 体言+ガ+体言の基本枠組みは 生きている。
  • 論述の《止ま‐む》のムは 推量法よりはむしろ意思法の補充用言で その連体法だと考えられる。つまり連体形で 体言相当だと考えられる。
  • すなわち 体言(久米の子ら)+ガ+体言(・・・止ま‐ム〔‐コト〕(=止むであろうコトよ))という枠組みのもとにある。
もし ガ格が関係第二主題格としての用法を潜在させていたとしたなら・・・

仁徳オホサザキと吉野の国主とのやり取りで その歌の中に 《まろ‐ガ‐父》という表現があった。どちらが どちらに向けて《わが父よ》と言っているのかとわれわれは いぶかっていたが あるいは この例は 的外れであるかも知れない。我が妹(→わぎも)のごとく成句となっているものを いじくらない方がよい。
ただ 問題は やはり 名の取り替え ウタの構造の交換 果ては 人格の交換といった社会慣習にある。ガ格が――イリ日子歴史知性の確立と自立は 表現の問題でもあるのだから――この慣習に あるいは 関わっているのではないかという疑いも まだ捨て切れていない。
ちなみに 《撃ちてし止まむ》の補充用言(助動詞)ムが 意思法を表わすとすれば 自称(一人称)で語っていると考えられる。《われわれが 撃って出てこそ止むであろう》。そのときには この歌の詠み手は 自らを他称(三人称)で《久米の子ら》と名のっていることになる。もしそうだとしたら このような人称の取り替えも ウタの構造におけるウタウタの錯綜と交換にかかわっているかと推し測られる。

  • 早い話が たとえば自称の《じぶん》という言葉を代名詞に用いて 対称(二人称)に充てるならわしがある。相手に向かって 《おのれぇっ!》と呼びかける場合のようなたぐいである。
  • 《撃ちてし止まむ》についてのいま一つ別の解としては 歌の述べ手が 神武イハレビコなる司令官の側の者であるかも知れない。その場合は この詠み手が 久米の子らに成り代わって 詠んでいる。《久米の子らが・・・》と切り出すところでは 相手である久米の者たちに語りかけているのであるが 最後で 《止むであろうことよ》という締めくくりは 《われは / われわれは》という自己の意思として 表現するかたちを採っている。

今の議論が これで 少し動き出したかも知れない。
(つづく。)

*1:日本語の文の構造について[序説・にほんご]あらまし 序説・にほんご - caguirofie050805を参照されたし。