第八章b
全体のもくじ→序説・にほんご - caguirofie050805
第八章b 生成形式としての基本文型:AハBガC の一般性――かんたんな言語類型論――
第八章のもくじ
§26 検討課題について
§27 定義文をめぐって:以上→2005-09-17 - caguirofie050917
§28 存在現象文をめぐって:以下→本日
§29 所有・属性文ないし習慣経験文
§30 まとめ
§28 次にAハBガCの基本文型は 定義指定文(〔2〕の文例)が 存在現象文となっても 変わらず 有効である。
28−1 たとえば 次の存在現象文。
基本文型: | Aハ | Bガ | C | |
---|---|---|---|---|
〔3-JPN〕: | 明日 | コノ徴ガ | 現ワレルデアロウ。 | (出エジプト記 (新聖書講解シリーズ (旧約 2))8:19) |
主題提示層: | 主題格 | 関係主題格 | 論述主題格 | |
・ | ↓ | ↓ | 法活用X | |
論述収斂層: | 時格 | 現象主格S | ‐述格V | |
〃 | →論述条件Mod | → | ↑ |
28−2 これが 次の二つの言語で A/B/Cの要素をあてはめようと思えば 当てはめうる形で 表現される。
〔3-CH〕: | 明天 | 必有 | 這神蹟。 |
---|---|---|---|
・ | míngtiān | bìyŏu | zhèshénjì |
基本文型: | A | C | B |
〔3-HBR〕 | ・*1 | ||
・ | Lemāhār | yihweh | hā'ōt hāzeh. |
・ | (明日) | (現われよう) | (徴‐此の) |
28−3 まず 語順にはこだわらなくてもよいであろう。もしくは T1+T2+T3(=P)→AハBガCという絶対提示の形式が薄れて たとえば語順も自由になり 別様の文法を形成していくにつれ この語順(つまり 各主題の順序)も 別様の形式に変化し一般化するなら一定のものとなっていったと考えられる。
28−4 ちなみに ヘブル文やゲーリック文(アイルランドなど)では 論述の述格用言Cが 文頭に来るのが 一般である。その次に 主格語がつづく。すなわち V-S‐Oの語順形式である。
28−5 文例〔3〕にかんして 中国文とヘブル文とのちがいは 前者が三項(A・C・B)とも 語順を別にすれば なお絶対格提示に近いのに対して 後者は すでにS-V-O(ないしV-S-O)構文として一定して来ていることにある。
28−6 ヘブル文例〔3-HBR〕での C( yihweh )は すでにそれ自体の内に 主(S)‐述(V)の格関係が 形態的にも 表されており確定している。 yi- が三人称単数の主格代名詞(彼ハ・其レハ)であることを示し -hweh が 有リ・現ワルの用言である。その法活用形である。
それに対して 中国文例〔3-CH〕のC(必有)は そうではない。《有》という用言は あたかも絶対格提示されているのに近い。《有》という述格は 主格語(這‐神蹟〔=此のしるし〕)とのつながりを そのままでは持たない。それぞれが ほとんど無格のまま 並列されているにすぎないと言ってよい。
ヘブル文でのC( yihweh )の中の yi- (三人称代名接辞)は 主格語(《この徴ガ hā'ōt hāzeh 》)と確かに連絡している。この連絡が 中国文には ない。(日本文にも ない。)
28−7 また yi-hweh (=he / it is.; he / it will be. )という論述述格は 未完了相の存続平叙法を担って しかるべく法活用している。しかるに 《必有》のほうは それすらもほとんど ないかの如くである。ただし 文であるからには当然の如く あたかも文の外から 話者格による統括が作用して その法判断が下された格好である。それによって初めて B(這神蹟)とC(必有)とが 主‐述の格関係にあると見なされる。
28−8 文生成の形式として絶対格提示のあり方を保つか あるいは それが崩れて もはや文意を論理的にはっきりと指示するため論述収斂層としての基軸の格関係を規則づけていくか この点に焦点をあてつつ もう少し検討しよう。
28−9 中国文〔3‐CH〕での《此ノ》という主題条件は 単に《コレ(這)》と言っているだけである。その語の位置から――そして話者格による統括によって―― 《神蹟》という体言にかかる属格活用であると理解される。ここでも 絶対格提示の形式である。言いかえると 明天 / 必 / 有 / 這 / 神蹟のすべての語について そう(絶対格提示)であるだろう。
28−10 〔3‐HBR〕で コノ徴ガにあたる hā'ōt hāzeh は hā がいわゆる定冠詞で 次のように成り立つ。
〔3‐HBR〕部分: | hā | 'ōt | hā | zeh |
---|---|---|---|---|
意味: | 其レ | 徴〔ガ〕 | 其レ | 此レ〔ガ〕 |
28−11 これについて 二つの見方ができる。《ソノ-徴 ソノ-此レ》の如く つまり体言主題(徴と此レ)どうしの同格関係で 互いの属格と主題体言の関係(此ノ‐シルシ)を意味させているとすれば まだそこには 絶対格提示の名残りがうかがえる。中国文での 這(コレ)神蹟(シルシ)という並列とそれほど変わらない。ただし にもかかわらず 文の内部で 語順の上から 《ソノ‐シルシ‐ガ ソノ‐此レ‐ガ》の如く すでに主格活用であることを 取り決めてしまっているものと思われる。しかも yi-hweh hā'ōt hāzeh として hā'ōt hāzeh (シルシ‐此レ)が yi-(其レ)と対応して 明らかに 〔S‐〕V‐Sという直線的な格関係を成り立たせている。もはや単なる主題の並列提示としての《Cスル Bガ》の有り方にもとどまっていない。
わづかにこのhā'ōt hāzeh を ソノ徴( hā'ōt =A)ハ 此レ( hāzeh =B)ガ のように解してみるとき 文生成の始原的な様子を見せるかに思われる。
28−12 それとも やはりそうではなく ソノ徴(Aに相当)と此レ(B相当)は 互いに同格関係の形式を採っていたとしても すでにまとまって 主‐述の格関係の中の主格語(S=コノ徴ガ)として 確定していると言うべきであろうか。
28−13 なお文全体としては
〔3-HBR〕: | 明日 | ニ | 其レガ | 有ル | ソノ | 徴ハ | ソノ | 此レハ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
要素ごとに: | māhār | Le | yi- | hweh | hā | 'ōt | hā | zeh |
と言っているとして読める。
28−14 ここで 次の一つの特徴を取り出すことができる。論述Cの中の述格用言が その法活用にあたって 人称の標識を含んで形成されることである。
C: | yi- | hweh |
---|---|---|
分析: | S(3.sg)- | V |
意味: | 其レハ | アルダロウ |
すなわち述格をなす用言の法活用形態の中に 主格(S)を表わす標識が埋め込まれ すでに それじたいで 主(S)‐述(V)の格関係基軸を形成している。この特徴は S-V-O構文の文法に一般的なものである。
28−15 言いかえると 論述Cじたいに 主(S)‐述(V)の格関係を含むようになるとき 基軸の格関係――つまり S-V-Oの一筋なのだから――が独立していくきっかけを持つというように思われる。それは 中心主題格(T1)の提示(すなわちAハ)という始原的な様相が ほどけていく・自由になることと同時であるように考えられる。
論述C(現ワレルデアロウ)→yi-hweh ( S-V)〔=he is / it-will be / it-shall-appear 〕の形態を確立させたなら 主題格提示(Aハ)の形式は 自由になり崩れてしまってよいと考えられたものと思われる。
28−16 片や日本文/ 韓国文 片や英文などを 互いに両極とすれば その中間に 文の構造にかんするいくつかの形態があるというように考えられる。
28-17 現象文をもう一例 かんたんに取り上げておこう。
28−18 次の日本文も 始原的な基本文型にのっとっているものと思われる。
〔4-JPN〕: | ソノ茨ハ | 燃エ尽キルコトガ | ナカッタ。 | :出エジプト記 (新聖書講解シリーズ (旧約 2))3:2 |
---|---|---|---|---|
基本文型: | Aハ | Bガ | C |
BガCという形式ではなく それらをまとめて 燃エ尽キナカッタと簡単に表わせば この現象文は 定義指定文(AハC)の如くである。いづれにしても 主題提示層を保っている。
28−19 英独仏文では この文例〔4〕を 一つの始原の相(つまり 《ソノ茨(A)ハ》という主題提示の相)を いくぶん意識してなのか いづれもいわゆる受動態の文で表わしている。
〔想定上→〕 | A(ソノ茨)ハ | C(燃エ尽キナカッタ) |
---|---|---|
〔4-ENG〕: | it(=the bush) | was not being burnt up. |
〔4-FR〕: | il(=le buisson) | n'était pas dévoré. |
〔4-GER〕: | 〔dass〕der Busch | von der Flamme nicht verzehrt wurde. |
分析: | S | V |
28−20 とは言うものの もはや明らかに S-V〔-O〕の格関係による文法で ほとんど押し通すかのようでもある。だとすれば もはや 主題格の提示(Aハ)といった始原相には こだわっていないのであろう。たとえば 論述Cの一部つまり述語部Vの中核としての was / était / wurde は was = it-was(すなわち S-V)であるというように いづれもその用言の法活用形態じたいの中に 主(ソレハ)‐述(デアッタ)の格関係を形成しているのだから。
日本文例のC(燃エ尽キナカッタ)には そんな構成はない。また 逆に B(燃エ尽キルコト)ガC(ナカッタ)というような表現形式は 英独仏文にあっては 作りがたいか 作る必要がないのであろう。
仮りに無理に 英文例を
基本文型 | Aハ | Bガ | C |
---|---|---|---|
〔4-JPN〕: | ソノ茨ハ | 燃エ尽キルコトガ | ナカッタ。 |
仮りの〔4-ENG〕: | it | being burnt up | was not |
の如くあてはめたとしても そのような主題格提示による解釈は すでに文法によって 許されがたいのであろう。
28−21 前項の英文についての仮定は とうぜんその言語じたいの文法にのっとって S‐V-Oの基軸格関係に従わねばならないと思われる。英文は 仮想としての始原相から離れた。
〔4'-ENG〕: | The fire | did not burn | the bush. |
---|---|---|---|
基軸格関係: | S- | V- | O |
§29 所有・属性文または習慣経験文と見られる文例をめぐって。
29−1 次の文例を 議論のつごうに任せて AハBガCの文型に合わせて考えてみたい。
〔5-JPN〕私ハ話下手デス。(旧約聖書 出エジプト記 (岩波文庫 青 801-2)6:30)
↓
〔5-JPN〕: | 私ハ | 話ガ | 下手デス。 |
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基本文型: | Aハ | Bガ | Cナリ。 |
29−2 韓国文はやはり同じくAハBガCの文型を保っている。
〔5-KOR〕: | 나는 | 입이 | 둔한 자이오 |
---|---|---|---|
・ | na-nün | ib-i | dunhanja-i-o. |
逐語直訳 | 我ハ | 口ガ | 鈍感者‐ナリ。 |
基本文型: | Aハ | Bガ | C |
29−3 この文例を インドネシア文がどう表現しているかは 面白い。
基本文型式: | A1ハ | C1 | {A2(=C1)ハ | C2 | B2ガ | A2ノ} |
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〔5-IN〕: | aku ini | se-orang | yang | tidak petah | lidah- | nya. |
逐語直訳: | 我‐此ノ | 一‐人 | ソレハ(関係代名詞) | ナイ‐雄弁デ | 舌‐ | ソレ(自ラノ) |
↓
基本文型式: | A1ハ | {A2ハ | A2ノ | B2ガ | C2} | ナル | C1 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
逐語式: | コノ我ハ | {ソレハ | ソレ(=自ラ)ノ | 舌ガ | 雄弁デナイ} | トコロノ | 人 |
または
基本文型式: | A1ハ | C1ナリ。 | A2(=C1)ハ | A2ノ | B2ガ | C2 |
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逐語式: | コノ我ハ | 一人ノ者ナリ。 | ソノ者トイウノハ | 自ラノ | 舌ガ | 雄弁デナイ。 |
29−4 さらにまた 次のごとく解釈してみる。
基本文型式: | Aハ | Bガ | Cナリ。 |
---|---|---|---|
〔5-IN〕の和訳例: | コノ私ハ | ソノ舌ガ | 雄弁デナイ者デス。 |
和訳例(2): | 此処ナル私ハ | 人間デスガ | 話上手デハナイノデス。 |
- (註)和訳例(2)は petah という語が 《能弁。コーランの正しい言葉使い》を意味するアラビア語からの借用語で それゆえ lidah=舌という固有語が その petah というアラビア語をただ補っていると見た場合の解釈となる。
29−5 つまり面白いというのは このように ある程度 AハBガCの形式による始原相での解釈を許し その痕跡を残すかのように見えながらも 中で yang という語は ほとんど欧文の関係代名詞のごとく機能すると見られることである。その見方ではすでに 直線的な単一層のS-V-Oの基軸格関係によって 文表現を規則づけていると解せられるからである。つまり仮りに英文で表わすなら 次の如く成り立っている。
- 〔5-IN〕の英直訳例
(1) I, here( you see ), am a man who is not eloquent at his tongue.
(2) To be sorry, I am a man whose tongue is not fluent.
すなわち
- yang = who
- lidah-nya = tongue-whose
の如く成り立っている。そう解釈しうるようである。だとすれば もはや S-V-O構文の文法に移行したかに見られる。
29−6 S-V-O構文に拠る言語のばあい この文例にかんして いづれも S-V-Compの文型となり その補語Compは 《口下手〔ナ者〕》で表わしている。
〔5-ENG〕: | I | am | a halting speaker. |
---|---|---|---|
〔5-GER〕: | Ich | bin | ungeschickt im Reden. |
分析↑: | S | V | Comp |
分析↓: | S | Comp | V |
〔5-GRK〕: | ΄Εγω | ΄ισχνοφωνος | 'ειμι. |
・ | Egō | iskhnophōnos | eimi. |
〔5-RUS〕: | я | несловесен. | ・ |
・ | Ya | neslovesen. | ・ |
29−7 この上のような文型にほとんど同じとなる中国文例が見られる。
論述収斂層式: | S‐ | V‐ | Comp |
---|---|---|---|
〔5-CHN〕: | 我 | 是 | 拙口笨舌的人。 |
・ | wŏ | shì | zhuó kŏu bèn shé de rén |
主題提示層式: | A‐ | ハ | C。 |
(註)中国文は そもそも 基本的にすべてが絶対格提示の形式の内にあるので その形式に関するかぎり 日本文のように 主題提示層を含むと分析しうると思われる。
29−8 ここで文例〔5〕の原文であるヘブル文は あたかも――それは 例外だろうか―― AハBガCの文型に従うかのようである。
〔5-HBR〕: | ・*2 | ||
---|---|---|---|
・ | 'Anī | ‘aral | sefātaim. |
直訳: | 我ハ | 無割礼〔ナリ〕 | 両唇〔ガ〕 |
主題提示層: | Aハ | C | Bガ |
《割礼を受けていない( ‘aral )》というのは 《浄化されていない》という意味らしい。
29−9 仏文では このヘブル文に忠実な訳が見られる。ただし もうS‐V-Compの構文で成り立っている。
〔5-FR〕: | Je | suis | incirconcis | des lèvres. |
---|---|---|---|---|
直訳: | 我ハ | デアル | 無割礼 | ニツイテ←両唇 |
分析: | S‐ | V- | Comp | ←Mod |
29−10 上(§29−6)の独文の《不器用 ungeschickt 》は 《〔話すことにおいて im Reden 〕神の摂理に与っていない》の意に解せられる。
29−11 他動詞文ではそのまま S-V-O構文となるのが一般的であるから 以上のように 自動詞文の中でも 定義文(§27)・現象文(§28)・習慣経験文(§29)といった・S‐V‐O構文になりにくい文例を取り上げて考えてみた。
しかもそのときにも S-V-O構文を基軸とする言語においては すでにその文法がほとんどそのまま貫かれているように思われる。英独仏語をこの場合に先頭とするいわゆる印欧語族にその傾向が すでに規則づけられて 著しいと考えられる。かんたんにそのような対照を見た。
§30 この第八章をかんたんにまとめたい。次のことがらが明らかになった。
30−1 そもそも始原的に主題をそれぞれ絶対格提示していく文生成の形式〔T1+T2+T3(=P)〕を仮説するならば そのときそれに最も近い言語は――いまの限りで―― AハBガCの文型を保つ日本文と韓国文であるように思われる。
30−2 逆に最も遠いのは 英文だと見られる。その文法にあっては ここで必ずしも触れなかったけれど 主題格としての提示はおろか 論述収斂層での格活用を じつは形態としては ほとんど無くしてしまっている。
- 主語と言われるSの主格も そして賓格としての目的語の対格(D.O.)も与格(I.O)も その格活用をすべて 体言(名詞)じたいの形態変化として 失くしてしまっている。
たとえば 〔 a halting 〕speakerという語句は そのままの形態で この文例のばあいでの補語( Comp )にもなることができれば あるいはほかに 主格(S)や対格(D.O.)にも与格(I.O.)にも それぞれ立つことができる。つまり体言(名詞)が 代名詞に残る格活用をしなくなっている。
- 主格 I (我ハ・我ガ)
- 属格 my (我ノ)
- 対格 me (我ヲ)
- 与格 me (我ニ)
- 属格活用は 前置詞 of の活用形式のほかに たとえば speaker's というように 体言じたいの活用形態を残している。
30−3 これまでの英文例において たとえば name / tomorrow / bush / fire / man / tongue などなどの名詞が 実際には S-V-Oの基軸格関係をそれぞれの文の中で与えられるというのは 一つには 語順としての文法規則によっている。前置詞という格活用の用法もある。
そして これらを 当然のごとく 文外の話者格が統括しているゆえだと見られるが 考えてみれば このような文形成つまり表現形式のほうが あたかも主題の絶対格提示に むしろ近いとも思われて来る。見た目の問題なのであろうとは思われる。
30−4 無活用ないし絶対格提示といえば 中でも 中国文が 特徴的である。したがってこれを言いかえると 英文は一度 歴史的に 主-対-与格などの格活用を持った上で それらを失くしてしまった結果 絶対格提示の様相を持つことになっているが 中国文は 一般的に言って もとから一貫して そのような様相であったのだと思われる。
30−5 そうするとこの中国文は かえってそれゆえ 日本文などのAハBガCの文型と英文などのS-V-O構文との両極いづれにも あてはまるというような幅広い柔軟性をもって 独特な文法として成り立っているようである。
30−6 だとすれば この点も 主題(Ti)の絶対提示という文生成の始原相にかかわっているように見られる。
30−7 片や日本文・韓国文 片や英文 これらをそれぞれ両極とすれば 中国文を独特としつつ それらの中間に さまざまに入り組んだかたちを見せつつ その他の言語の文型・文法が 位置づけられるように考えられる。
30−8 この限りで 仮説としては AハBガCの基本文型が おおよそ一般的であると推定される。それが 生成形式にのっとっているであろうと。
中間段階の文型・文法は AハBガCなる基本文型からの変形として あるいは すでに脱皮として さまざまに形成され発展してきたと捉えられる。
30−9 英文と日本文との中間に 別種にかつ固有の意味で 位置する構文および文法を持つ言語を次章で取り上げ さらに検討していきたい。能格構文のばあいである。
あらかじめ注目すべきは 中国文のように 幅広く両極それぞれと部分的に相い通じるという状況ではないことである。別種にかつ固有に 一定の文法体系として まさに中間の段階を形成し それとしては 揺るがないように思われる。
*1:לְמָחָר יִהְיֶה, הָאֹת הַזֶּה. Exodus 8 / Hebrew - English Bible / Mechon-Mamre
*2:אֲנִי,עֲרַל שְׂפָתַיִםExodus 6 / Hebrew - English Bible / Mechon-Mamre