caguirofie

哲学いろいろ

第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第三章 余論――資本推進力としての生命の木――

――かみを知る すなわち 社会を知る――

話の出鼻をくじくようであるが この章としてひとつの余論を差し挟んでおきたいとおもう。
まずさらに前二章の整理から――。
すでに少し触れたように 人間の明らかなかたちでの歴史のほぼ初めの時代である狩猟・採集・漁労の社会は 日本では 縄文人の段階である。

  • 新たに 縄文時代のかなり早くから 稲の栽培が行なわれていたとの報告が現われている。農業という新たな文化の段階である。原始時代も続いていたと見て 話をすすめる。

縄文人も 木を木と呼んだであろうと思われる。また たしかに モノとしての木だけではなく 生命の木――つまり取りあえず かれらが《かみ》とよんだところの霊的存在――をも表象していたであろう。ただこの場合 かれらの社会では 《歴史》が始まらなかったといったほうが よいかもしれない。というのは 言いかえて 《時間》の観念が始まらなかったであろうというのは おそらく かれらの生活とその思惟にあっては 《自然》と一体であったのであって その言うところは 《モノ(木)》と《オホモノヌシ(原理)》とがおそらく 未分化であったろうことである。
木や石や山やそのモノじたいを オホモノヌシの神と考えたかもしれない。神のよりしろ(憑代)としての神木・石座(いはくら)・神座(かみくら)また 神な霊山(かむなびやま)=神体山などというようにである。

  • 縄文土器が現代のわれわれの目を見張らせるのは そのことのゆえではないか。つまりむしろ歴史が始まっていなかった・時間の感覚が きわめて始原的であったゆえではないだろうか。

その後 この自然との一体が解けて行ったのである。呪術心性がいくらかはゆるんだ。《ヨリ(憑・依)としての歴史知性 つまり あたかも歴史知性以前の知性)》がゆるやかに開けてくる。モノの貯え ほんの非常時のための貯えが 《食糧・生活必需品あるいは 奢侈のためであれ呪術的な権威を示すためであれ 必要を超えた品物》の蓄蔵・増殖として――そのように考え方に変化が起きて―― 行なわれていった。
これは 《時間》の観念の芽生え もしくは 《時間》の観念の――すでにあったであろうと思われるそれの――《わたくし化》である。呪術心性・原始心性が 世界のうちに時間過程を見出して・従って《わたくし》を見出して・つまりあるいは《モノの余剰(これは 剰余のための剰余である)》を見出して 解けていく。このとき 《モノとしての木》と《オホモノヌシなる生命の木》とが分かれ また時に 後者・生命の木から 時間行為の主体がその自由意志によって離れ 前者・モノの木を対象化し これの私的な所有が発生したのである。
この過程にはたらく観念(はじめは 概念とその思考)は 根子なる人間の内にある日子の能力つまり精神によると考えられるのは 言うまでもない。
すなわち モノをわたくしするとき 各人がそうするとき 生命の木(オホモノヌシ)の信仰によってではなく 時間的な生産・所有・交換・消費の過程つまり《こと》にかんして この《こと》に対する人びとの判断の基準として 《善悪を知る木》が立てられたのである。社会が始まる。ことがら=社会的諸関係の総体として 共同性がたしかなものとなっていく。つまり 罪の共同自治である。
《時間 また 歴史》の生起と この《善悪を知る木》の生じたこととは ある種の仕方で 一体なのであろう。各自《わたくし》が 《日子=精神》をもっぱらはたらかせることによって 《むさぼり》また《盗み》が 生じたのである。さらに 人間の性関係としてのむさぼりは 姦淫であるなら この《姦淫》という概念が――善悪を知る木の樹立とともに―― 生じた。恥ずかしくなって いちじくの葉で そしてむしろこころを あいさつとか言い訳とかのいちじくの葉で 覆い隠さなければならなくなった。したがって 《むざぼるな / 盗むなかれ / 姦淫するなかれ》。善悪を知る木の規範 その具体的な形態であり 《おきて・律法》である。
オキテは 根子にとって かれの日子の能力の規範であるというほどに 生命の木に関係づけられた。しかし 《律法が 〈むさぼるな〉と言わなかったなら わたしは むさぼりを知らなかった》*1と聞くように 日子の特質の規範であるオキテは 先に根子が 善悪を知る木から採ってその実を食べた(または 食べることに同意した)歴史的経緯にもとづいて 植えられたものである。
《〈わたくし〉たれ》または 《自己の時間を知れ。時に もっぱら自己の時間のみを知れ》という誘いに応じたことが 善悪を知る木からその実を採って食べるということである。言いかえると 人びとは はじめ 生命の木によって生活していた。そのことが分からないままに そうであったかもしれない。縄文人は これを 生命の木に自己の自然本性そのままに――その《大地の子=根子》であるがままに――寄り憑いて おこなっていた。この呪術の園の中から 時間・わたくし・モノ(価値)の剰余が生じてきたのである。それは 根子の日子性に関係づけられる善悪の木によってである。この時間的存在となった人間のモノ・コトの関係の中に 貪りを生じたから 貪るなというオキテを立てた。オキテは 生命の木に関係づけられる。なおかつ モノとしてのオキテ もしくは このオキテを守る・守らないというコト これらは 一般に 善悪を知る木の領域に対応すると捉えられるかたちなのであろう。
一般に 善悪を知る木(人間の日子の能力)によって生じた貪りを 善悪を知る木によっておこなわないようにすることは 至難のわざである。縄文人も これを 生命の木への《ヨリツク》歴史知性によって・だから 原始心性の無自覚のうちに 守っていたか あるいは――まだオキテを持たなかったなら―― 守る・守らないとは別の次元で生活していた。
ここで すでに見たオホタタネコの出現は その自己を《根子‐日子》の連関者であると見出すことによって――その自己へ再到来することによってのごとく―― 《モノ(木)‐オホモノヌシ(生命の木)》連関から成る世界の中で 上のようにそこに介在してきた《善悪を知る木》を対象化し また《オキテ(律法)》をしかるべきところに位置づけ得てのように 人間の第二の誕生を獲得したと仮説した。
稲がもたらされ 縄文時代が新しい弥生人の社会となり また 生産性が上がったことによって この《善悪を知る木》の 人間のうちにおける能力すなわち日子が モノとしての田とともに 内的に耕されていった。オホタタネコの 《根子‐日子》連関者としての自己の再発見という歴史的な出来事は この弥生人の時代の成熟とともにであろうと考えられる。

  • オホタタネコの出現は 古事記に従い 一つの見当をつけて見ると 弥生人の社会の完成=終結 つまり 次の古墳時代の開始の時期にあたると 大雑把ながら 考えられる。

時間が生起し わたくしが生じてからは そのような罪なる人(むさぼりに陥りうるその本性)のひとかたまりとしてのように人びとは 社会的にこの罪の共同自治を試行していった。ここでも しかしながら はじめの世界原理が有効であったと言うかのごとく 人は 自己を意富多多泥古(古事記の表記)・大田田根子日本書紀のそれ)として自覚し 《モノ(木)‐オホモノヌシ(生命の木)》連関世界の中で そこに《善悪の木》を介在させて――これの介在をさらに止揚して―― 社会生活をいとなむこととなった。このオホタタネコが オホモノヌシの子(子孫)であると捉えられたことは オキテ(律法)が 善悪の木としての日子の能力によってよく理解され また 思索されるのであるが(そしてさらに 人間の手によっても 法律として立てられるのであるが) これを守ることは 善悪を知る木によってではないと帰結されたことを意味するであろう。単純な言い方では 人が善行をおこなうことは 善悪を知る木の日子の能力によってでは適わないと人びとは知っていた。これが 人間の第二の誕生に関係づけられる。

  • 善悪を知る木の介在を止揚するという問題は 法の問題・法治社会の問題である。この法の問題が 真正面から 人間の誕生の問題になっているとも考えられる。
  • ここでの切り口は かんたんに たとえば貪るなという法を知っていればよいということではなく また 貪るなという法を 自己に・人に指摘して教えればよいということではないと言っていくことである。
  • このような・日子の能力以上の問題点が 法学や法律の制定や裁定の領域からは つねに はみ出していると思われることにある。その意味で 生命の木というカミの想定で 議論をすすめている。

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この第三章で 次の議論が固有に 余論となる。上のように前二章を復唱した内容をもしさらに裏づけしようとおもえば 余論としてではあるが 次のように。――
一般に 第一の人間(アダム)が 生命の木から自分勝手に離れるという所謂る原罪をおかしたあと 時間的・経験的な生活としての《こと》の中で 自分の精神つまり《日子》の能力によって 《善悪を知る木》を介在させて あるいは 善悪を知る木の介在に自己のすべての拠り所を求めて 日子性をもっぱら自己のもとにおいてむさぼることに走る。これによって モノのむさぼりが始まる。とともに このわたくし化による根子(身体ないし人間じたい)と日子(精神)との分裂も始まる。わたくし化した日子のむさぼりは 贈与と盗みとを混同したかもしれない。あるいは 盗みを 善い盗み(利潤の想定)と悪い盗みとに扱い分けしたかも知れない。これを 法律・オキテによって制度化する。人気のある人が よいように 善い盗みを合法化していく動きに人びとは従ったのかも知れない。個人の信仰(まつり)は そのような制度が個人を制約する宗教(まつりごと)になったかも知れない。
新しい社会と生活様式への回転と進展の中で いわばアダムにつづく第二の人間として その初めの世界原理にのっとった自然本性(賜物としての自然本性)を回復するためには じっさい 生命の木そのものが人間となって ヒトおよびカミとして――ヒトと同時にカミとしてである―― 人間が失ったはじめの世界原理を指し示すという歴史も必要であったかもしれない。すべてがオホモノヌシの法則に従っているその中に ネコが位置しているという世界の回復のためには さらにこのヒトとなったカミの子が いけにえとなって死ななければならないという歴史が仲介することを必要としたのかも知れない。
この一議論は 余論である。
しかるに オホタタネコは このことを なさなかった。かれは 処女であるイクタマヨリビメ活玉依毘売)が オホモノヌシのミ(霊)によって身ごもり そこに生まれた人(その子孫)であったが かれは 生命の木そのものであったのではなく その原理を証言したのである。

  • ちなみに オホハツセワカタケ(雄略天皇)も かれが ヒトコトヌシのカミその存在であったのではなく その原理の証言に――葛城の山で――立ち会ったと書いてある。そう読める。

はじめの世界原理の回復のために人間が カミの子として死ななければならない(もしくは カミの独り子が人間として死ななければならない)という歴史は 関連するような形で わが古事記にも たとえば ヤマトタケルノミコトの物語によく表現され伝えられている。ただし ヤマトタケルが オホモノヌシまたヒトコトヌシの独り子つまりカミであったとは 書かれていない。かれは 結局 犠牲となって死ぬという歴史を生きたと伝えられ また 死後 《ヤヒロシロチドリ(八尋白智鳥)と化(な)りて 天(あめ)に翔ける》というように天使に等しい存在となったと うわさされたのであるが それは オホタタネコの言うならば宗教改革(自己到来という信仰の確立)つまり オホモノヌシなる神の存在を証言したことを 〔ヤマトタケルは〕再確認させたのである。

  • オホタタネコの宗教改革とは モノ(コト)とオホモノヌシ(ヒトコトヌシ)との未分化の状態なる自然的呪術から 人間の自己認識が 《コト(現象・行為・コトバ)‐ミコト(人)‐ヒトコトヌシ(神)》のごとくその世界における位置づけを得たことが ひとつの段階である。
  • もうひとつは この第一段階から ミコト(人)の光(根子の持つ日子の能力)にものを言わせて 善悪を知る木を立てたときから むさぼりを開始し堕ちつつも ふたたびその日子の能力のなしうるかぎりでだが 一般に罪の共同自治を始めていった。この自己還帰・自己到来を言う。 

ゆえに この人間の復活としての誕生にあたっては――時間の世界で 時間の根源が 内なるオホモノヌシとして回復され 時間(必然の王国)に勝利するというにあたっては―― じっさい生命の木の存在そのものの出現が 歴史しなければならなかった。というのが 現在までの人間の思惟のもっとも普通の形態だと考えられる。
光の速度を超えている人は 歳をとらない・つまり時間の必然に勝利すると考えられるとすれば この科学も そのような自然本性の復活を証言したのである。したがって 生命の木その存在とは 現在までの世界史では キリスト・イエスと呼ばれている。

  • この余論は ひとことだけは触れないでは 話が成り立たないと思われた。表現の問題であると考える余地はある。
  • 余論ではあっても 別論ではない。次章以降でも 仮説すべてを検証しつつ すすめていかねばならない。

古事記の言葉に合わせたかたちで この余論をひととおり述べておきたい。
かれが 父なるヒトコトヌシまた 聖霊なるオホモノヌシと同じひとつのカミであり 生命の木の原理として 人間が この生命の木とモノの木との間に あたかも中間的存在としての根子みづからを位置づけ あるいはみづからの日子なる能力によって 善悪を知る木を介在させた(もしくは この木をもっぱら自分のために用いるようになった)ことを見守っている。やがて人は 一方ではもっぱら日子の能力を駆使する《もっぱらの日子(のちのアマテラス)》として むしろこの地上でアマガケリをほしいままにする。他方では 同じくもっぱらの泥古(腐敗する根子)としてのように 隠れては あの蛇のように地を這った。善悪を知る木は あたかも善悪を使い分けする木を開発した。ために もはや取り戻せないようになったあの初めの世界原理を 生命の木そのものが 人間として 死ぬことによって――すなわち 生命の木なる父が 生命の木なる子を いけにえの十字架じょうに見捨てるというコトによって―― 回復させたのである。
死ななければ その自身すなわち生命の木の告知が なしきれなかった。根子が もっぱらの日子の能力によって その中間性によって 膨れ上がっていたからである。人は 善悪を知る木だけでじゅうぶんだと うそぶいていた。つまり 去ることが もっともふさわしい告知の方法であったと考えられた。
人は 善悪を知る木――《むさぼるな / ぬすむな》のオキテの精神的な理解と判断――によって じゅうぶん人間的となったとき このもっぱらの日子の能力によってますます人間的となったそのことにおいて 善悪の木そのものによってあの中間性の内に閉じ込められることになった。善悪を知る木が いやしくも原理である生命の木に関係づけられるとするなら それは 聖なるチカラであり霊のハタラキにかかわると考えられる。だから オキテの示す内容は 一方でこれを守って立派な人間になると同時に 他方で完全な人間はいないゆえその人間的となったそのこと自体が虚しいものとなってくる。完全に守っている者はだれもいないのである。それゆえ この善悪を知る木あるいは智恵の木の中間世界に人は 閉じ込められてしまった。
むさぼらない人は 隠れたところを見れば 誰もいない。法律をつくって盗みを共同自治のもとに管理するのも 日子の能力によるのであれば この法律の網をくぐるのも もっぱらの日子の能力によっている。
智恵の木への一辺倒が 問題である。閉じられた善悪を知る木のみの世界にむしろ死ぬために 生命の木は むしろ根子のこころの根の中に住まわるということが成就しなければならなかった。それには カミでありヒトであるイエス・キリストが この世から去るというかたちが いちばんふさわしかった。去らなければ――なぜなら オホタタネコや 雄略オホハツセワカタケや ヤマトタケルなどのように 人間として去っただけでは―― あるいは 生命の木をただ日子の能力において――精神における知識と想像と学問の世界において――のみ告知するというように去っただけでは 人間にカミから来てカミであるオホモノヌシなる霊がやって来ない。それゆえ 十字架の歴史が出現した。

  • オホタタネコや雄略ワカタケらも そうは言っても 智恵の木のほうではなく 生命の木の証言をなしたことになるのである。

イエス・キリストは 人間の貌(かたち)としては ヤマトタケルと同じように あるいはそれ以上に 涙して大声で叫びながら 十字架じょうに去ったのである。しかし カミの貌としては みづから欲して去ったのである。かれが 愛と呼ばれた。愛の推進力であるとうわさされた。
この余論からは 次のように。――
人間が善悪を知る木を旗に押し立てて もっぱら日子として存在する根子(《もっぱらの日子》と言うことにする)となって 上手に《むさぼり 盗む》ことを介在させていようといまいと――ただし歴史をつうじておおむね介在させている(とは言っても これももちろん共同自治の一方式なのであろう。それは 人間のひとつの栄光であろう)―― この根子たちは そのように大きく《資本(資本関係)》を取り結ぶ。貪りと盗みとそれらの止揚とのモノ・コトの諸関係である。象徴的に言って そのような木の実の再生産である。
もっぱらの日子のものであれ・つまり従って 隠れてもっぱらの泥古のものであれ 一般に普通の根子のものであれ この資本関係は そのように人間の愛から出発している。この場合 おおくは 愛着・愛欲・所有欲 あるいは時に支配欲などといった愛である。言いかえると この愛の社会的な関係が 資本である。日子の能力は モノに対して管理し このモノの管理関係としての社会全体の資本に対しても管理する。この人間的なモノあるいはコトとしての資本関係のなかに そうとすればオホモノヌシあるいはヒトコトヌシつまり キリスト・イエス(生命の木としては霊である)がはたらく。繰り返すと 人間の愛と資本のなかに 愛の推進力がはたらくと考えられたのである。
この意味で 原理・真理・生命の木つまりカミは――この議論の限りで―― 人間にとって資本形成の推進力であると言うことができる。《もの》の根源 その原理が オホモノヌシであり カミのチカラであり 人間も この《もの》から成り立っている。
この資本(モノの関係でもあり これを介してのコトである人間の行為関係でもある)つまり社会的諸関係の総体のなかで この資本の推進力を隠れたところで問い求め 歴史を点検し これを経験的な理論・主張・また政策として 明るみに出すという作業が われわれのモノであり コトである。

  • 推進力は 目に見えない。こころの根に宿ると考えられた。
  • こころの内なる眼も 推進力なる愛を見ることは出来ない。コト・モノをとおして コトガラ(カラとは 関係の意)・モノゴトをとおして 理性的に予感し これを観想する。また 理論する。
  • こころのこの推進力の信である思念は 見られうる。

自然呪術宗教としての歴史知性(だから 非歴史知性)が 資本関係を結んでいた縄文人の世界が 時間的存在として自覚した歴史知性の弥生人の登場した社会としての資本関係へ映り これがさらに 古墳時代の 歴史知性をオホタタネコ原点として確立した人びとの新しい資本関係へと進展していった。古墳とは 明らかに 時間(価値)の剰余である。もっぱらの日子に従う強引な愛の剰余また剰余の愛である。
この資本の推進力を――もちろんその一方で 歴史知性たる人間の自由な意志としてのチカラを同時に認めなければならないが―― 古代市民らにしたがって ヒトコトヌシまたオホモノヌシと呼んで その史観のあり方を問い求めようというのが ここでの趣旨である。
この章で余論として述べたことは 新しい歴史知性として自己を確立しその主体となった《オホタタネコ》は ヒトコトヌシまたオホモノヌシが人間となったキリスト・イエスを 自分たちの長子としたということである。キリスト・イエスは 父ヒトコトヌシまた聖霊オホモノヌシと同じカミであり――父に対しては 子であり―― オホタタネコは 資本推進力すなわち自身を告知した生命の木を 告知にもとづいて分有するカミの子である。
人間キリスト・イエスが オホタタネコらの長子となったというのは 資本推進力・愛の推進力が かれらに回復された つまり人間が誕生したということである。この意味で 愛の・または資本の推進力を この古代史の世界に その隠れたところで問い求め点検し われわれにとって有益となると思われることがらを 明るみに出してゆく――井戸端会議してゆく――というものである。

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余論のしめくくりとして。――
ふたたびこの資本の推進力が 生命の木であり――物理的なモノおよび社会経済的なモノの関係のなかに はたらくゆえ――われわれはこの 生命の木によって 生き動き存在している。このとき モノの木(資源)そして善悪の木(つまりおのおの自分である)をよくわれわれは用いることが出来る。この歴史知性の原理から 外へ出かけてはならないのである。そのとき 自由に外へも出かけているであろうというのが 主張の骨子である。
ちなみに はじめに立てた表現じょうの問題に限るという禁を――早くも――破って この余論をなしたとするならば ここに付け加えるべきは こうである。キリスト・イエスが生前《わたしは この世(資本関係また社会的諸関係の総和 あるいは そこにはたらくところの・もっぱら善悪の木に寄り頼むもっぱらの日子らのちから)に対して勝利している》*2と言ったコトが われわれ根子の現実的な動態だというそれである。
オホモノヌシすなわちヒトコトヌシの子であるオホタタネコの――古事記に見られるような――歴史的社会・社会的歴史は 人間(つまりオホタタネコ)の見地から言うところの この生命の木についての証言の歴史であり また この限りで われわれの原点であると見ることができよう。こう見ることが 《わたしはすでにこの世に勝利している》という歴史を見ようとしているのだが  それと 《この世で 現実には 時間的・経験的な善悪の木に寄り頼む世界が支配しているではないか(善悪をうんぬんし 道徳を持ち出すことなど無力だというほど 善悪の木があたかも二重原理となってのように支配しているではないか)》ということとは 別のことである。
われわれの言いたいのは この両者をまず見ること したがってはっきりと前者をも言っているということ これでないなら こころ根の内なる世界が ただ観念となって 外なる経験世界と分離している もしくは 単なるそれと同じものとなっているということだ。むしろそうなのであって こう主張するひとつの根拠を 古事記という書物をとおして そこに示された日本の古代市民たちの歴史社会のなかに ここでは問い求めようとしている。カミを言うときには表現じょうの問題に限るという禁を破ったのは そうすることによって もっぱら善悪の木(智恵の木)に縁って 当然のごとく《科学的》になしうるわれわれへの批判に ひとつの道を開けておこうと思ったからだ。舞台はととのったというべきか。
(つづく)

*1:律法がむさぼるなと言わなかったら・・・ローマ人への手紙 (新聖書講解シリーズ (6))7:7

*2:すでにこの世に勝利している日本語対訳 ギリシア語新約聖書〈4〉 ヨハネによる福音書16:33