caguirofie

哲学いろいろ

第一部 人間の誕生

もくじ→2005-06-20 - caguirofie050620

第十八章 アマガケリゆき 非存在をよそおう(天の石屋戸に身を隠す)存在に声をかけよう

――滅びる者には 死に至らせる死の香り すくわれる者には 生命を得させる生命の香り――
われわれも モノから成り立っているなら 《香りの量子数》を こころの眼で見きわめてモノゴトを判断してゆくべきである。すなわち モノの木と善悪を知る木と生命の木と。
今回は 日本書紀からの引用である。

一書(あるふみ)に曰はく。スサノヲノミコト(素盞嗚尊)の曰(のたま)はく
――カラクニ(韓郷)の嶋には 是れ金(こがね)・銀(しろがね)有り。若使(たとひ)吾が児の所御(しら)す国に 浮宝(うくたから=船)有らずは 未だ佳(よ)からじ。
とのたまひて 乃(すなは)ち鬚髯(ひげ)を抜きて散(あか)つ。即ち 杉(すぎのき)に成る。又 胸の毛を抜き散つ。是れ檜に成る。尻(かくれ)の毛は 是れ胊(まき)に成る。眉の毛は是れ櫲樟(くす)に成る。已(すで)にして其の用ゐるべきものを定む。乃ち称(ことあげ)して曰はく
――杉および櫲樟 このふたつの樹は 以て浮宝とすべし。檜は以て瑞宮(みつのみや)をつくる材(き)とすべし。胊は以て顕見蒼生(現しき青人草=人びと=つまり根子たち)の奥津棄戸(おきつすたへ)の将(も)ち臥(ふ)さむ具(そな)へにすべし。その噉(くら)ふべき八十木種(やそこだね) みな能(よ)く播(ほどこ)し生(う)う。
とのたまふ。時に スサノヲノミコトの子(みこ)を 号(なづ)けてイソタケルノミコト(五十猛命)と曰(まう)す。妹(いろも)オホヤツヒメノミコト(大屋津姫命)。次にツマツヒメノミコト(枛津姫命)。凡(すべ)て此の三(みはしら)のカミ 亦た能く木種を分布(まきほどこ)す。即ち キ(紀伊)の国に渡し奉る。然(しか)して後 スサノヲノミコト クマナリ(熊成)の峯(たけ)に居(ま)しまして 遂にネノクニ(根国)に入りましき。
日本書紀〈1〉 (岩波文庫) 神代上 第八段一書第五)

木種(こだね)つまり根子が 心根の香りであり 精神の光り(それは曲がりうる)であったり 情感の放射線であったりするわけである。根の国にいるスサノヲに対して タカマノハラにいる天照大御神は 香りの規範つまり 善悪の木の主宰者 そのオキテの欽定者として 木の国の上をアマガケル。種子の種子つまり生命の木に それによってたとい小部分であっても 触れ得たからである。ウクタカラ(浮宝)の船頭であることにおいて 八十木種からの木の実をじょうずに管理するとされる。
したがって 続けて次のように うわさされた。

一書(あるふみ)に曰(い)はく。
オホクニヌシのカミ(大国主神) またの名は
オホモノヌシのカミ(大物主神) または
クニツクリオホアナムチノミコト(国作大己貴命)と号(まう)す。または
アシハラシコヲ(葦原醜男)と曰す。または
ヤチホコノカミ(八千矛神)と曰す。または
ウツシクニタマノカミ(顕国玉神)と曰す。
その子(みこ)すべて一百八十一神(ももハシラ余りやそハシラ余りひとハシラのかみ)有(ま)す。かのオホアナムチノミコトと スクナヒコナノミコト(少彦名命=スクナミカミ)と 力をあはせ心を一つにして アメノシタ(天下)を経営(つく)る。また ウツシキアヲヒトクサおよび畜産(けもの)のためは その病を療(おさ)むる方(みち)を定む。また 鳥獣・昆蟲(はふむし)の災異(わざはひ)を攘(はら)はむがためは その禁(まぢなひ)厭(や)むる法(のり)を定む。ここを以て 百姓(おほみたから) 今に至るまでに ことごとくに恩頼(みたまのふゆ)を蒙(かがふ)れり。むかし オホアナムチノミコト スクナヒコナノミコトに謂(かた)りて曰はく
――吾らが所造(つく)れる国 あに善く成せりと謂(い)はむや。
とのたまふ。スクナヒコナノミコト こたへて曰はく
――或るは成せる所もあり。或るは成らざるところも有り。
とのたまふ。このものがたり けだし幽深(ふか)き致(むね)有らし。その後に スクナヒコナノミコト 行きてクマノ(熊野)の御崎に至りて 遂にトコヨノクニ(常世郷)にいでましぬ。また曰はく アハノシマ(淡嶋)に至りて 粟茎(あはがら)に縁(のぼ)りしかば 弾(ひ)かれ渡りまして これより後 国の中に未だ成らざる所をば オホアナムチノカミ 独り能く巡り造る。遂にイヅモ(出雲)の国に到りて すなはち ことあげ(興言)して曰はく
――それ アシハラナカツクニ(葦原中国)は 本(もと)より荒芒(あらび)たり。磐(いは)草木にいたるまでに ことごとくに能く強暴(あしか)る。然れども吾すでに摧(くだ)き伏せて 和順(まつろ)はずといふこと莫(な)し。
とのたまふ。遂に因(よ)りて言はく
――今この国を理(おさ)むるは 唯(ただ)し吾一身(ひとり)のみなり。それ吾と共にアメノシタを理むべき者 けだし有りや。
とのたまふ。
時に 神(あや)しき光 海(うな)に照らして たちまちに浮かび来る者有り。曰はく
――もし吾あらずは 汝(いまし)いかにぞ能くこの国を平(む)けましや。吾が在るに由りての故に 汝その大きに造る積(いたはり)を建つこと得たり。
といふ。この時に オホアナムチノカミ問ひて曰はく
――然らば汝はこれ誰ぞ。
とのたまふ。こたへて曰はく
――吾がこれ汝がサキミタマ・クシミタマ(幸魂奇魂)なり。
といふ。オホアナムチノカミの曰はく
――唯だ然なり。すなはち知りぬ。汝はこれ吾が幸魂奇魂なり。今いづこに住まむと欲(おも)ふ。
とのたまふ。こたへて曰はく
――吾は日本国(やまとのくに)のミモロヤマ(三諸山)に住まむと欲ふ。
といふ。故 即ち宮をかしこに営(つく)りて ゆきて居(ま)しまさしむ。これ オホミワ(大三輪)のカミなり。そのカミの子(みこ)たちは 即ち
カモノキミ(甘茂君)たち
オホミワノキミ(大三輪君)たち また
ヒメタタライスズヒメノミコト(姫蹈鞴五十鈴姫命)なり。
また曰はく コトシロヌシノカミ(事代主神) 八尋熊鰐(やひろわに)に化為(な)りて ミシマ(三嶋)のミゾクヒヒメ(溝樴姫) 或るに云はく タマクシヒメ(玉櫛姫)といふに通ひたまふ。しかうして児(みこ)ヒメタタライスズヒメノミコトを生みたまふ。これを カムヤマトイハレビコホホデミノスメラミコト(神日本磐余彦火火出見天皇)の后(きさき)とす。
日本書紀〈1〉 (岩波文庫) 神代上 第八段一書第六)

これを見ると 縄文の社会に農耕(植樹を含めよ)が入り 粟の時代に《スクナヒコナの神》として 稲と鉄の時代(つまり徐々に弥生時代)に《オホクニヌシの神》として――両者ともにまだカミであるゆえに――のちの三輪のミマキイリヒコ政権でのオホタタネコ原点の淵源の歴史知性が 始められていたことを知りうる。
葛城のカムヤマトイハレビコたちは この淵源を享けて 邪馬台国との対立関係の中から オホタタネコ原点の確立に その仕方で 先駆けたと見られる。このことは すでに述べた。
オホクニヌシのカミの《幸魂奇魂》が 《吾は日本国のミモロヤマ(三輪山)に住まむと欲ふ》と語るのは またあるいは 三輪山なのだというふうに――日本書紀のこのあとの註解が――その場所を特定するのは 歴史知性の呪術性を残していることを示す。葛城の根子日子の理念 そして 三輪のそして河内のミノ(美努)の村出身のオホタタネコなる原点の確立によって 大国主神は オホクニヌシの《ミコト》と捉えられていくであろう。《日本国のミモロヤマ》は 各地のそれでなければならず また 自然のモノとしての《山》ではないことが 明らかに把捉されてゆくであろう。
これらのなお先駆けとして 《素盞嗚尊》たちが 存在したと考えられ 時に同時にそれは逆に 《須佐之男命》として 三輪ミマキイリヒコ・オホタタネコ社会以後の《アマテラスオホミカミ》マツリゴトによる国家形成と確立の時点で そう呼ばれていったものと見られる。
つまり スサノヲという名の人びとが 遠い昔 いたであろう。それは オホタタネコ原点の淵源として 素朴に《素盞嗚尊》とその意を汲んで表記されるようになった。その反面で 国家の段階では すでに 天照大御神のマツリゴトに対立する意味で 《須佐之男命》という漢字表記へ意を汲み直して 移ったのではないか。
現実の人間社会の動態は 歴史知性として 

ヨリ原始心性 / カムロキ・カムロミ / ヒルコ・ヒルメ→
スサノヲ→
オホクニヌシのカミ( ヤチホコのカミ/ ウツシクニタマのカミら)→
ネコヒコ→
オホタタネコ原点およびイリヒコ=
オホクニヌシのミコト(クニツクリオホアナムチ / アシハラシコヲら)→
スサノヲ(須佐之男

という歴史的な系譜の中にある。

  • スサノヲのスサは 荒(すさ)ぶなどのそれであり もともと 始原の時と状態に当てはめられていたかと思われる。
  • では アマテラス(天照)も 太陽の神の信仰として 始原の時代にさかのぼるであろうと言われれば おそらく そうだと考えられる。問題は この神にそのまま統一第一日子(日女)を同一視させるそのときのマツリゴトなるウタにある。

上のかんたんな系譜の中で ミマキイリヒコのイリヒコなる歴史知性からワカれて 日子の能力をもっぱら頼んで 天使の能力を欲してのようにアマガケリする超歴史知性は そのウタが 幻想的となると考えられた。
とは言うものの このスーパー歴史知性なるアマテラスオホミカミのマツリゴトも 考えてみれば オホタタネコ原点に立ってオホクニヌシらが国作りをするその現実社会という鏡(――カガ(影)ミ(見)――)に映った影を現わしている。カミとの共食としてのマツリを そこに見て この映像を 日子の能力によってもっぱらメタフィジカルに実現させようとしたもののようである。オホタタネコ原点に立つオホクニヌシらが作るイリヒコ社会は そのマツリにおいて カミ(オホモノ主=ヒトコト主)は見えないが 存在すると信じられている。これを 見えるかたちに描いたのが アマテラスオホミカミのマツリゴトであるようだ。統一第一日子(この場合要するに天皇)が 見えるかたちで オホモノ主=ヒトコト主の神だという画像である。アニメーションのごとくに。
だが この《影》と本体との倒錯 《影》のアマガケル精神的固定は 死の香りである。永遠の今なる宗教である。善悪の木による自己規制であり  自己の憧憬であり――これによって 一方では 人は ますます人間的な人間となるのだが―― 心理学的にナルシシズムであり(自己規律の中への自己陶酔のごとくであり) 民俗学的に現世利益のトコヨガミ(常世神)信仰であり つまりオキナガ永遠の現在である。
肉体ないし本体を映した《影》そしてそれを認識しようとする精神 これのアマガケリ この倒錯した精神主義は とどのつまりは 肉体主義にほかならないと議論される。《影》はまた 分析学的に(つまり 反省的意識によって) 貨幣物神であると命名された。貨幣は モノそのものではなく そうではないが モノ(価値)の普遍性を表わし その限りで人びとによって三輪山のオホモノヌシの神として錯視されるのだと思われる。いわゆるマルクシズムの物象化論は言うのである。
この主張は モノに内在するオホモノヌシ または根子(主体)に内在する日子――この影(=光)が アマテラス・マツリゴトでは カミとされてゆく――を把握しているので 《科学的》だと考えられている。われわれの考えでは それは ふたたびあの《根子日子》の理念そしてさらに《カムヤマトイハレビコ――現実の人間ではあるが なお〈カミ・カムヒコ〉として――》という歴史知性の一形態であって 反措定として有効であるかも知れないが この反省的意識の科学は それが敵対するアマテラス・マツリゴトの崩壊とともに 連れ立って解体する動きであると見られる。
《影》――その主義――の崩壊とともに もはや要らなくなると思われる。はじめに この物象化論は 影もしくはその影に対する反措定であることを表明したようなものであり その自己解体をみづから そのままの行き着く先(終わり)として 予表している理論だと考えられる。まだ 疎外論のほうが それを 知解真実(資本関係を知解するそれ)としてではなく 意志の現実(資本関係の中で資本を推進しようとする意志の)として衣替えさせるならば まだ 有効なもののように思われる。
ただ われわれも少々誇るなら このように論議(井戸端会議)してゆくわれわれの理論も 論理的な形式によって分類し定義づけようとおもえば 《物象化論》のような一つの構成をとっていると思われる。本体(人格)の物象(影)化などのテーマを たしかに扱っている。しかし そのような人間の反省的意識による知識・学識が ほんとうに人間に必要なものかどうか わからない。それにのめり込まなければ 有効な感じを抱く。
これらの思惟すべてが 生きた歴史知性の動態であって われわれのたたかいの内容なのである。このように――あるいは 同じ基本のウタの構造に立って ありうるであろう別の解釈をもって―― 日常生活の中でうわさし合っていくということ していこうと言うのが 古事記の史観だと考えられる。
日本書紀では データが豊富だが また個々のデータではそれなりに史観が現われているようでもあるが 断片的であり 古事記の史観がそれらの資料をよく用いうるであろう。また 古事記の史観は つねに全体として――また 言外の意味を持たせて―― 語られているもののようである。もしわたしも ここで狂った者のように言うことを許されるとするならば――前章でも言ったように―― これが われわれ日本人のこころなのであろう。この古事記という一個の木種(こだね)に縁(のぼ)って 弾(はじ)かれ常世郷に去って行ってしまうかどうかは われわれの愛のちからにかかっている。
《クサカ(日下)》と《タラシ》の問題について 続考しなければならない。 
(つづく)