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哲学いろいろ

――シンライカンケイ論――

もくじ→2005-04-07 - caguirofie050407
ヘイ!ポーラのもくじ→2005-02-06 - caguirofie050206

第一部 ヘイ!ポーラ物語――ポールの手記――

第一章〜第十六章→本日
第十七章〜第二十三章→2005-04-02 - caguirofie050402
第二十四章〜第三十二章→2005-04-04 - caguirofie050404

第一章(1994/11/01)

この四十八歳の秋 わたしは みづからの生き方を振り返ってみようと思った。
この歳にさして意味はない。振り返るといっても それは これからの生き方をあらためて考えるためである。この夜 ちょうど真夜中を過ぎた頃 ふと あらためるべきかも知れないと思った。
この疑いは かなり厳しい思索の作業をわたしに強いるかも知れない。ほんとうにこの数十年間の生き方を改めるということにでもなれば 恐るべき悔いを伴なうはずである。その時には 厳しい反省とともに天地をひっくり返すようなその生き方の転換が待っている。もし反対に これまでの生きる作法が諾われてよいという結論を得たときには そうだとしても その振り返りの作業とともに その再構成した考え方のもとに これからに向かって新しく旅立っていくのがよい。この作業に 意義がある。――なにも 法に触れるような過去として改めるべきことがあるわけではない。まだ それを確立すべきものとしてあるとすれば たしかに確立されるに至っていないのではないか ひとまずこう思われた。
主題としては これまでの生の過程を 考え方の上で 再形成することである。それは ひとえにこれからの過程に向けて再出発するためである。ここに立って したためて行こう。

第二章

わたしの人生で最大の転換点となっているのは アウグスティヌスに出会い それまでよそよそしかった聖書の文句が わたしのからだに入って来たときのことである。それまで疑わしかったキリスト信仰が わたしの感性に根づいたと意識された時のことである。三十歳前後の数年を通じて起こり その時ひとまず固まった。
この転換はその時点でも・それ以降でも 考えてみれば 何か新しいものがわたしの背骨をまっすぐにし わたしの体の中に根づいたという・常ならぬ出来事だったにもかかわらず――考えてみれば――その時までの生き方の個々の経験に対しては 言ってみれば承認のようなものを与えていた。きわめて図々しく自分に都合のよいものだったのである 考えようによっては。そこにいまの問題がある あるとすれば。何か知らないが その何ものかはわたしに全く新しい自分を見出させていたと同時に 現実的なその時までの経験に対する部分に限れば その生き方にむしろ承認を付与していた ここに 問題が隠れうると考えられた。
わたしは その新しい信仰とそれにもとづき振り返ってみたそれまでの過去の経験に対する承認という結果とについて それでよいと考えたし その後これまでも それでよいと思って生きてきたからである。これは ひょっとすると ひょっとするかも知れない。独善的であったかもしれない。ないかもしれないのだから あらためて振り返ってみるに値するであろう。

第三章

文学は おおむね 愛の問題を主題とする。そこに人間の自己の 自由で・それゆえ責任を伴なう意思決定が 単純なかたちで・それゆえ自己の表現としては生まのかたちで 求められるからである。従って ここで振り返るべき過去の経験についても この愛の問題を具体的な主題内容としよう。赤裸々な自分がそこに表わされるであろうし ここでは意識的にも 赤裸々な自分がとらえられるように そのためにこそ振り返る必要があるだろう。
それとして過去の再形成を 考え方の上で 執り行なう。

第四章

ポーラ(仮名)という一人の女性との関係過程を さらに具体的な話題とする。そのほかの話題がわたしの人生の中で 決して 付け足しであるというわけではなく このポーラとの関係を中心として 話を進めることにした。そこでわたしは どのように自己を表現して生きてきたか これを再構成してみる。
早速始めよう。
ポーラに出会ったのは 中学一年生の時である。入学して間もなく 一学期が始まって間もなく ポーラは それほど遠くないところから転校して来て わたしたちの学級に入った。さかのぼれば ここから話は始まる。ただ 転校生としてかのじょが担任の教師から紹介され かのじょも自己紹介したのだが わたしは その時の印象は 薄れている。初めて出会ったと思えるのは その後一ヶ月か二ヶ月経った頃 かのじょの習字の作品が 皆のものと並んで 教室の壁に張られているのを見て わたしは その時初めて 個人的にかのじょの存在を知ったという記憶からである。
おそらく記憶の限りで そのとき習字の作品を見たわたしは――それは 休み時間だったと思われ――教室の中で かのじょがわたしからは机をいくつか隔てて立っているのを見たはずである。かのじょも わたしを見たかもしれない。見なかったかもしれない。この時わたしは ポーラという女性がいるということは 頭に残った。――その習字が上手だったとか かのじょがすぐれて魅力的だったからとか そういうふうには記憶していない。その人は こういう字を書くのかといった単純な思いを通して――しかも 今では その字の恰好も思い出さないが―― その一人の女性の存在が 身近に具体的にわたしの前に現われた。
そうは言っても かのじょのことを知りたい・話をしたいという思いは のちに述べるように 中学三年になってからである。そのときの出会いから遡って 記憶が 上のようにたどれるという性格の出会いであった。

第五章

ほんとうの出会いが 中学三年生の春にあった。
それまでの間 個人的な関係としては ほとんど覚えていない。二年生のときは 学級が別であったし 一年生の時もその後 秋に・つまり二学期に伊勢湾台風が起こり その被害を受けて われわれの学級はそれぞれ数人づつに分かれて他の学級に編入されていき わたしとポーラとも 別々になったからである。
三年生の一学期が始まると その時も学級は別々であったのだが 英語の授業に限っては 同じ教室で一緒に在席することになった。この時 同じ教室の中でわたしは 明らかにポーラという女性の存在をとらえるようになった。かのじょのほうも かのじょ自身の意識の中に わたしの存在がはいるようになったと思われた。ここから話が始まる。
意識関係がなぜ始まったか これは なにもきっかけはない。そういうたぐいの物語である。そして 要するに はっきりと 異性を意識したのである。

第六章

わたしには その時までに異性として意識する女性が ほかにいた。わたしの通っている私塾で いくらかは離れて机を並べる同学年の一女性であった。この件では わたしは ついぞそのかのじょと話をしたこともなく来ているので かんたんに触れることで 話を先へ進めうる。
その学習塾で いつも講義の始まる前に来て女生徒としては ただ一人われわれ男子生徒から離れて坐っていたので そのかのじょに わたしは 友として・仲間として・また男子として かのじょの存在を受け留めたいという気持ちを抱いていたというのが それである。これは 二年生の一年間をたっぷりかけて かなり長く続いた。他校の生徒が 異性に気軽に声をかけるというときには いい加減な男であると見なされるということであった。それを受ける女性も 同じように見られるというものである。
三年生になっても その塾の女性に対する気持ちは続いていた。そこへ ポーラとの出会いが起こった。ポーラとの間では 直接会って話しをし 時間をいっしょに過ごしたいという気持ちに 急速に発展していった。
ここで わたしの生き方にかんするひとつの事件が起きる。
まず 週に何回かある英語の授業で同じ教室にいるのであるが わたしはそのたびにその異性に近づきたいという気持ちが増していった。それでも 一ヶ月は経っていたろう その頃には気持ちが募って 声をかけるという実行を わたしは結論づけねばならなくなった。ちょうどそのとき 事件が起きた。
ところが どこからか誰からか わたしは ポーラが かのじょと同じ学級の男子生徒と友だちどうしであって かのじょはかれを自分の家にまで招んで 共に遊んでおり しかも――わたしの耳を疑ったことに―― かのじょは かれの前で 下着(スリップといったと思う)をつけただけの恰好で応対していると聞いたのである。まず ひじょうに感情的に わたしはなった。ちょうどこれからという時に なんでこんな噂*1を聞かなければならないのか。

第七章

これに対するわたしの生き方としての事件は こうであった。
この噂を聞いたことに対するわたしの自己表現の仕方 これが 初めからわたしの頭にあった問題のことがらである。わたしは 結論としては かのじょから引いたのであるが このことを再検討したい。
噂に驚き 噂を疑い しかし噂をどう取り扱ったうえで わたしは自分の気持ちを実行に移したものかと考えたわけで その結論は 意外な時に意外なところから 出す結果となった。
その前に実際にこの噂を前にしてあれこれ考えたことは つぎのようであった。ほんとうにいろんなことを考えめぐらしたのであるが ① まずは ともかくその噂の真偽を確かめなければいけない。② しかしながら これは噂なのであるから――つまりわたしは 自分の目で見ていないのであるから――噂を耳に入れた張本人に尋ねてみたところで その内容をその人間が否定しようと・あるいはふたたび肯定しようと その答えじたいを最終的に信じてよいとは思われない。③ つまり 問うても 無駄である。なぜなら その人間が 何か自分自身の意図があってそのことをわたしの耳に入れたのかも知れず その意図のいかんによっては 噂を肯定しようが否定しようが それはむしろかれの意図じたいにかんする詮索に終わるのが落ちである。
④ したがって問題はわたしが そのような噂がたとえほんとうであっても なお かのじょとつきあう意思があるのか・ないのか そのほうが重要である。それについてわたしは 心を決めなければならない。⑤ ちなみにわたしは 頭の問題としては もしその噂のようなことがほんとうに起こっていたとすれば そのような女性とは つきあっても しかたがないと考えていた。⑥ また一方で そのような反応が頭のなかだけではなく 感覚的にもあって わたしはその噂のような行動に出る女性をいやだと思っていた。と同時に――と同時にであるが――他方で その異性つまりポーラを実際に会って話してみて知りたいという気持ちも その感受性の領域一杯に起こっていた。⑦ 頭の理性は別として 感性じたいが 拒否と受け入れとの両極に広がって動いていた。
そこでどうしたか。

第八章

なおまだ実行以前の段階として 次のことも考えた。⑧ 噂の張本人にではなく ポーラと友だちであるという男 その男に会って尋ねてみよう。この場合には 噂の問題ではなく 事実とすればその当事者本人であるのだから たとえどのような返答がかえって来ようと それを確かめてみておくことは するに値する。その上であらためて決心をつけ しかるべき対応をとろう こう考えた。
さいわいその友だちという男は 小学校がわたしと同じで ほとんど話らしい話をしたこともなかったが まんざら知らぬわけではない。聞いてみるのに たいして面倒にも億劫にも思えない。実際かれの自宅を目指して それを実行しにわたしは出かけた。初夏のころだった。ある晴れた日で 不思議とわたしの中に気負いも動揺もなく歩いていった。もうほとんどかれの家も目の前だという所で わたしは ふと立ち止まった。というよりは この件にかんするわたしの考えが・またはむしろ何か覚悟とでもいうようなことが 不意にわたしの中に起こり いったいそれは何かと これを確かめようとして立ち止まった。
おかしなことに 立ち止まって その晴れた空を仰ぐようにして頭をもたげていたと思う。さいわい人通りはなかったが その一瞬 ちがう! というように心が決まっているような感覚を覚えていた。今おこなおうとしていることは 違うのだ!! と思った。それでもなおも いまのポーラに対する関係が かのじょに声のひとつもかけずに・何も起こらないままで 終わってしまうのは受け容れがたいという気持ちも 蠢き出しているのを知っていた。
ところが 心が決まったのである。その逆の いやちがわないという気持ちを もはや抑えることもなく 頭の先から爪先まで すっきりと 自分の意思が意思であるという感覚を持った。その数日あとの考えとしてなら こうも思った。(鄯)ともかく今 声をかけなくとも 何も自分に反するようなことはない。(鄱)さらにあとでまた何かが起こったにしても それはその時のことだ。(鄴)このように数日あとの考えでは すでに精神の統一はなっていないのだが・かなり未練がましい思いが紛れ込んでいたのだが その時その場で この男友だちという人間への訪問を取りやめにしたことを悔いたわけではない。かのじょとの関係をつくることも しない。こう決めたことに変わりはなかった。――問題は べつのところにある。

第九章

けれども何故そのように心が決まったのか。どのようにしてそう決まったのか。これは その時も・その後も・そして今も わからないままである。何の手がかりも――あるいは 言うとすれば 何の啓示(?)も――ない。ただ このような事実経過とその経験を あとで受け容れざるを得ず 記憶にとどめておくということになっていた。実際その後三十歳前後になって さらにみづからこの事件を肯定し承認するようになっていた。――問題があるとすれば ここなのだから これを振り返り これを吟味しようとしている。
わが生き方にかんするひとつの事件だと言おうとしている。もし仮りに いまこうして思い当たったこのことが 問題の前提として見込み違いだったとするならば そのことじたいをも 吟味し検討していこう。その後 かのじょとは 次のあらたな出会いがあったと言っておこう。

第十章

ポーラとのあらたな出会いは 高校一年生のときに起こるのだが その前に中学三年生の時に なお接触と呼ぶべきことが どこからか やって来た。わたしの外から 一度――その一度のみ――やって来た。

第十一章

その前に 気持ちが動いて 出会いを持ち ただその出会いだけに終わったときのことで もう少し考えておきたい。要するに この場合には その評価がむづかしい。吟味・検討といったが むづかしいとだけは言っておかねばならない。
それは わたしの感受性や考えやがいろんなふうに展開し それはそれとしていくつかの一定の内容を心の中に表現したのだが そのわたしの内面での表現内容と そして実際にとった行動とのあいだには どこかつながりの切れている部分があると思うからには 必ずしも批評を与えてその評価を決めるには やさしいとは思われない。難しいところがある。
あるいはむしろ 評価するにはなじまないところがある。事前の気持ちや考えとそして事後の行動とは いづれも自分の意志のもとにあったが それら両者を結ぶものとしては 自分の意志や意識を超えた部分があった。事前と事後とのあいだの まさしくその時点での決心 これも確かに自己の思いと意志とが関与している。けれどもその決心がどこから来たのか 不思議である。不思議であることはその後も一貫している。頭で考えた内容どおりになったといっても その頭(理性)で自己を律したことは まるでなかった。そしてそのこともむしろ基本的に わたしに一貫している。(感覚人間とでもいうような一種の性格が強い。)
それとは別だが その頃一般に 頭で考えたことの何分の一も わたしは口に出して人に話せる人間ではなかった。あるいはかんたんに言えば この空を仰いで立ち止まったとき一種の覚悟が決まったという事件は 思いや考えよりも先に実際の行動に出たということかもしれない。ただそれだけのことかもしれない。行動の内容としては 消極的なほう(何もなさないほう)を採ったわけだが ただ単に 《考えるより先に行動を》というにすぎなかったかとも思われる。実際にはあれこれ事前に考えていたのだから 矛盾した言い方ではある。
けれども結局その決意(あるいは覚悟のようなもの) その決意のもとに事はすべて推移した。

  • おかしなことを言っているようだが こうである。空を仰いだというとき このポーラとの絡みはすべて取りやめにするという結論は むろん事前に悩んだ考えの中にあったことだが わたしは その事前に考えた選択肢を選んだというつもりが どこにもない。
  • 考えてみれば もともと噂を聞いた最初から わたしは その件で なお進めという感情を落ち着かせるために あらゆる手だてを採っていたのかもしれない。やっと その効果が 空を仰いだときに 実ったということかもしれない。
  • わたしのひそかな感触と考えは 現在(2005年)では こうである。それは 出会いの時から 相手との関係で その気持ちのつながり具合いといった内容を 細心の注意を払って 推し測っていたのだと。取りやめうると そのとき 結論づけたのだと。
  • 言い換えると これは 意識しないところで 潜在意識において 注意を払うというある種の活動をしていたと解せられる。ブディスムでは 第六識の意識のほかに マナ識およびアラヤ識*2を立てている。これらに相応するかは わからない。また 無意識の問題もあるが わたしとしては 必ずしも こちらの方面に持って行きたくない。いづれにしても 意識しないところで 精神の活動があるという仮説において とらえた。
  • ただ もしこの仮説が通用するとなると いまわたしがおこなおうとしている吟味・検討は もはや必要なくなったとも考えられる。いまは この1994年の手記を掲げておこうと思う。(2005年) 

第十二章(1994/11/05)

高校性になって出会いが起こる前に 中学三年のとき 一回だけ接触があった。
県の範囲で英語の弁論大会(と言っても暗誦を競うもの)に かのじょとわたしと二人が参加することになった時のことである。この時 どういうわけか 話という話を ふたりの間に持つということなく 過ぎたので 接触ということにした。
考えてみれば その後出会いがあって 口を聞くようになってからも 取り立てて話をするというまでに至っていないとすれば そのようなおかしな話が これからは 主題となる。ほとんど常に一定の距離をおきつつ 関係がつづくという物語の始まりである。つまり それから 四十余年経ったという話のことである。

第十三章

スピーチ・コンテストというからには 一ヶ月か半月前から準備し練習をおこなう。このとき ポーラと接触があるにはあった。
担当の教師もそれまで会ったこともなく その教師を含めて三人とも互いに 初対面どうしであった。そして 話が飛ぶようであるが 飛ばしてもよいと思われるごとく 三人あるいはわれわれ二人の間に 個人的な話は 結局さいごまで なされずじまいであった。これが 事実経過である。――放課後三十分ほどだったろうか 暗誦したスピーチを何度も繰り返す練習が つづく。やがて本番のコンテストの日を迎える。その日も すべて何事もなく過ぎていった。
接触あるいは挨拶だけということ*3だが 以下にいくらか考えるところをつづってみる。

第十四章

わたしは 出会いになりかけた中三の春から初夏にかけての事件があったので――あるいはつまり 例の噂のことがあったので―― 挨拶を除けば 自分からはかのじょに声をかけることもなかった。けれども このわたしにしても もはやわだかまりが残っていたなどと言う意味ではない。こちらから=自分のほうからは 一たん控えるという考えが先行した。
けっこう気をつけていたのだが 結局とくべつに気を配って話しかける必要もないように思えた。基本的に 無言がその場を支配した。一度は その無言があまりにも気にかかって 感覚を集中させ 思い切って会話の発端をわたしが開くべきかと 先生との会話を含めて 二人の様子をうかがったことがある。その時には ポーラは 軽く一種毅然とした様子を見せたのだった。ほかからの働きかけの何ものをも 受け付けないといったメッセージであるとわたしは受け取った。

第十五章

何もなかったという事実の中にも 心理の動きぐらいはあるもので それでよければさらにつづろうと考える。
ただし 矛盾した言い方になるが かのじょの心理については なにも触れない。たとえば実際その時わたしは 表情や 担当の教師に対するかのじょの受け答えにかんしては いくらかでも注意を向けて受けとめていた。と同時に かのじょの心理については なにも憶測することはない。そのことは 今でも あまり変わっていない。というのも わたしの考えでは 心理というものは まだ他人の関与する領域でも段階でもないと思っているからである。心理の動きにかんしては ほとんどは気休めに終わる同情を寄せるか あるいはいわゆる潤滑油としての社交辞令に終わるかするような対処しかできないと思うからである。――それでも 心理の動きをめぐって 述べておこうと思ったのは このポーラの人となりが ひょっとして明らかになるかもしれないと見られるゆえ。
大会の当日 わたしは かのじょと二人で電車に乗って その会場へと向かう。(先生は 自宅に近いその会場付近で待っている。)そして帰りの電車のなかでも 他の乗客とともにだが もう一度二人きりの時間(小一時間)を過ごす。
この日のわたしは こうであった。さすがのわたしも このように電車に乗って二人でいくとなれば とうとう世間話のかたちででも 個人的な会話が 避けられないだろうとあらかじめ踏んでいた。ところが――すべてわたしの主観として感じたことに基づくほかないかたちであるにしても―― その時かのじょは わたしから話しかけるということに対して それは控えなさいとでも言うかのごとくである。わたしは 取りあえずにでも その感覚を信じるほかなく ためらわずにいられない。
表情・仕種すべてが 終始と言っていいくらい そのようにわたしがためらわざるを得ないような様子を見せている。そのまま電車の時間は過ぎて行った。
これは わたしにとって驚きであった。その時まで続いていた放課後の練習の時間では――確かにそこで 一度同じような出来事があったが―― ただ話をしないというふうにだけ感じさせていたというものである。この時(電車の中)では すでにあなたとは話をしたくないと言っているというふうに感じられたのである。
ところが すでに述べたようにわたしは 心理を詮索しようとは考えない人間で すべては 無言の行が貫徹されることとなった。従って 上に言ったことは わたしに思わくなどということが もはや何も起こらなかったということについての思わくのことなのである。
勘ぐれば――今では――あの春の出会いになりかけた時のことが(つまり 男ともだちの噂の問題にぶつかってそれでも声をかけようかという時ただ心の中での動きの段階ですべてその動きを中止したというその何も起こらなかった事件が) かのじょの中に むしろ何らかのかたちで受け止められていて それがわだかまりとなって残っていたのであろうかということになる。これは 奇妙な憶測なのだが そういう意識が・つまりは二人のあいだの意識関係が 案外のうちに かのじょのほうにあったのかも知れない。つまり勘ぐればである。そしてわたしの思わくは これだけである。
大会ではわたしは六位に名を呼ばれたのであるが かのじょは三位であった。わたしは このわたしが人前で口を開いてそういう結果になったことについて そういうものかなぁと思った。かのじょに入賞おめでとうとも 時宜を得て明確には 語りかけそこねている。大会終了の時点では なんらかは言ったであろうが 電車の中では そう言えば 語りかけていないはずだ。従って 行きの道のりとは違って この還りの道では そのような成績結果のことが さらになお かのじょの思いの中にあったであろうか。このもう一点の思わくを付け加えて おしまいである。
わたしは もう口の端にまで言葉が出てきていたのだが 様子をうかがっていたのであるから はっきりかのじょの反応が分かったからには 何もなし得なかった。そのさらに前に 様子をうかがう前に 先に声を出すという芸当はわたしにはなかった。

第十六章

これで いまの小さな接触の話はおしまいである。このような一方的な単純な報告で かのじょの人となりが明らかになるというのは あまりにも愚かに見えるかもしれない。これはこれで わたしの真実の一端として差し挟んでおきたい。
推測を交えてさらに一点わたしの考えを付け足しておこうと思えば つぎのようである。
上で愚かな報告と言ったが 逆に 人の気持ちに精通しているということが仮りにあるとして そういう人ならば すでにかのじょの状態を察することができているかも分からない。ただわたしの考えというのは この時かのじょは 自分のなんらかの考えを大事にしようとし それを守り通そうとしたのだと思うということである。しかもわたしには その中身はわからない。知りたいとも思わない。そのことを知るという一事じたいを欲してはいないし 憶測を及ぼそうとも思わない。以上に尽きる。かのじょの個人的なことがらに介入しようという気がなかったからである。
一言多くてよいとするならば いわゆる女性心理の問題の前にも 人間にとっての一般的な交通の問題があると思って(つまり この当時は漠然と感じて)いたからである。わたしの立ち場は 言葉に出して表現しなければ何も始まらないというものであった。二人のあいだに何らかの意識関係は成り立ったとしても 心理の動きだけでは 意思表示がないのならば まだ何も始まっていないということだった。
高校性になっての出会いに移ろう。

第十七章

おかしな話が始まったようである。だがこのあと ポーラとポールには 出会いが起こったのである。なんとも中身のはっきりしないものながら・・・。
(つづく→2005-04-02 - caguirofie050402) 

*1:この噂については→《ポーラの述懐》第一章3〜4節2005-03-25 - caguirofie050325

*2:マナ識・アラヤ識→もう一人の私との出会いー唯識の世界

*3:英語スピーチ・コンテストの時のことについては ほんの少しポーラが触れている。→《ポーラの述懐》第一章5節2005-03-25 - caguirofie050325