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哲学いろいろ

全体のもくじ→2005-02-06 - caguirofie050206

統一理論の物語――ポーラの述懐――

第一章(1〜8)→本日
第二章(9〜10)→2005-03-29 - caguirofie050329
第三章(11〜12)→2005-03-31 - caguirofie050331

1.わたしは ませていました。

ポーラと申します。仮名です。思ったとおりに 語ってしまうことになるかもしれませんが いくらかの感慨がありますので 要望に応えて お話ししてみたいと思います。
さっそくですが わたしは ませていました。いろんな小説を読んでいましたが 中学生のころから 映画にも興味がありました。世の中がよくわかった気持ちになっていました。
映画館へ行って見ることが――学校の規則で――できなくても 紹介する雑誌などを読めば 見た気分にもなります。恋愛ものが わたしの心をとりこにしました。登場人物のこころの動きが 手に取るようにわかったと思ったものです。
親戚には すでに大学生になっている人たちもいたので その人たちと 映画や恋愛のことで 議論をしていました。同じ年頃の人たちは ですから 物足りなくて 学校は 退屈でした。

2.神秘的な男の子が好きでした。

ボーイフレンドが欲しかったのですが そして 生徒会の正副の会長どうしとして話をするとか いろんな機会に多くの人と接触はありましたが みんな帯に短し襷に長しでした。
そんな中で ひとり 快活そうに見えるとともに どこか ぼうっとしているところもある同級生がいました。不思議な感じで 気になったのですが 考えてみると 学業の成績が 決してわるくはないのですが 飛び抜けてよいとも思われない。そして そのうち クラスも別れて しばらく あまり学内でも 会う機会がなかった。もう一度 気になるほどに その存在に気づいたのは 三年生になってからです。

3.その前に わたしの《男性経験!?》についてです。

小説と映画をとおして 恋愛について 学んだことは 男はみんな狼であって かけ引きが重要である でした。けれども わたし自身は かけ引きをしようとも あまり思わなかった。恋愛は 一度はしてみたいと思うものの 実際では その結末が見えているようで それほど 乗り気というものではなかったです。
ただ そのように学んだことについて 実際はどうかということにも 関心があって 確かめたいと思います。そして すぐに実行に移しました。たとえば まず ほんとうに男が 女に興味があるのか。はっきり言えば おんなのからだに興味を示すのか どのように・どの程度に 関心があるのかです。
同級生のおとなしい男の子を 家に呼んで わたしは 下着だけの恰好で 応対するという試技に出ました。はっきりわかりました。

4.接触に失敗しました。

神秘を感じる男の子に 三年生になったとき 接触しようと考えて したことは 上に述べた秘密のエピソードを人を遣って その神秘おとこに 伝えるということです。このおとこが どう反応するかを見たかったのです。
自信がありました。この天然ぼけプラス快活おとこ(――これから後は ポールとよぶことにします――)が わたしに 靡いてくることにも。このポールなる中学三年生が 女に興味を示し 男が女に興味を示したという話にも関心があるはずだということにも。要するに 不思議な感じを漂わせていても 中味は 女に対してなら 狼なのだということにも。
伝えに行ってくれた人に聞くと このポールは 何も返事をしなかったと言う。その噂を聞かせられて しばらく考えている様子だったが けっきょく何も言わず ただ分かったという様子を見せて去っていったとのこと。
ますます変に神秘的になったが 結果は ポールからのはたらき掛けは なにもなかった。

5.接触の機会を いま一度つくりだした。

なんの反応もなかったということは それだけのことだと割り切った。もし 尾を引くことがあったとすると それは 狼理論が いくらか 不確かとなったことである。じつは たしかに この点だけが わたしに 響いた。世界の恋愛理論が 傷つくわけにはいかない。
知り合いの英語の先生から 弁論大会(暗誦を競うもの)に出てみないかと言われたとき 策を思いついた。ポールと二人で出られるようにと 先生に頼み込んだ。放課後の暗誦とスピーチの練習は 大会のひと月ほど前から始まり じゅうぶんに接触の時間がつくられた。
どうなっているのか ポールは まったく動かなかった。
大会が終わっても なにもなかった。わたしのほうから 声をかけアプローチするわけには行かないのだ。
ただ 行きと帰りの電車の中で かなり気をつかってわたしのほうに注意を向けていたようだった。片道小一時間を つり革につかまって 並んでいたのだから よくわかった。憎からず思っているということは分かった。同級生とのエピソードを 噂として かれの耳に入れたそのことが 影響しているのかなと思った。
しばらく 様子を見るしかないと考えた。

6.高校性のとき。

スピーチ・コンテストのあと しばらくして 担当の先生に頼んで 大会入賞*1カップと賞状とを持った写真を校内で写すという機会を持てた。ポールは 依然として 変わらなかった。
同じ高校へ進んでから 進展があった。朝 登校のとき ポールのいる教室の窓から 生徒たちの登校の様子が見えている。その行列のなかにいたわたしにも その窓から人が見ていることがわかる。ポールだと認識できたとき わたしは 信号を送った。中学の同窓生で いっしょにスピーチ・コンテストに出た仲ですよねといったかんたんな内容を 気持ちとして送った。
一週間ほどで 視線にちからがあるように感じた。互いの目の動きのことです。気持ちが届いたと思った。そのあと ほどなくして 校内に噂が立った。ポールがわたしのことを好いているという噂。
これで 接触のきっかけは出来たと思った。部活動で 同じ部にいたから 事務的に話をする機会はあったのだけれど その後ポールと口を聞くという間柄になったときは もう二年生になっていた。

7.話は飛びますが・・・。

途中の話*2は 端折りたいと思います。わたしから思えば冗長です。
結論に飛びます。
二点 両極というべき印象を もたらしました。
まず いわゆるデートのごとくの経験を持つには持ちました。これは 週に一度か二度 夕方 英語教室からの帰り道で その七・八分ほどの時間を二人で共有したのですが けっきょく正直にいって わたしには わたしをエスコートしてくれる相手としては もの足りないという思いを禁じえなかったのです。当時わたしは 銀幕をつうじて マクシミリアン・シェル*3が 理想の男性でした。そのおとなに比べるなら なんとも 青いという感じは どうしようもないのでした。
ただ 一点 逆にわたしは 自分の不明を知らされ 唸らせられるという体験も持ちました。それは まだまだ こう言ってよければ幼いポールだったのですが それでも かれは あの狼理論にかんして 驚くようにあざやかな態度を示すということがあったのです。

8.つまり その結論は・・・。

かれは 狼であるという素振りを ひとかけらも見せませんでした。でも それは 幼く純粋で 世間の色に染まっていないからというよりは かれは つぎのような態度を つねに示していたのです。わたしが 少しでも OKの言葉や仕種を示そうものなら ただちに かれは 襲ってくるというその意志のあり方が はっきりしていたということです。
もちろん おそってくるというのは わざとそういう表現を用いたのですが 平俗に言えば 油断も隙もあったものではないという・こちらの思いのことです。

  • 狼の素振りを少しも見せないことと その油断も隙もないと思わせることとは 決して矛盾していません。その配合は まさに妙でした。言いかえれば その後ずっと この油断のあってはならない紳士の態度がつづきました。狼にはならないと暗に宣言した狼紳士のポールです。

このわたしの思いは 途絶えることがなかった。別れるという思いの起きたとき 最後の一線で 突き放すことが出来ずに 結局ずるずると 十年つづきました。何事もなく 言いかえると 付かず離れずに です。
十年のあとは どうか。もう 会うこともなかったのですが あいまいなままに経過してきています。わたしは 一歩しりぞいていますが それでも わたしの気持ちをあいまいにしていることは あいまいではないのです。
その点は わたしは ポールにわるいことをしたという気持ちが あります。もっともポールは そのような《後遺症》を もともと 見通していて 分かっているとも思ったのですが・・・。必ずしもそうではなかったようにも あとで 聞きました。でも ポールは《池に落ちて 水に濡れずに 上がって来た》と言ってもいる*4ようですので そういうおとこだとは わたしは 思っていましたよ。
こうして 四十余年 それは いろんな感慨があります。追い追い 話すべきは 話していくことにしたいと考えるようになっています。
 (つづく→2005-03-29 - caguirofie050329)  

*1:この英語弁論大会については わたしに ひとつの憶測があります。県の範囲でおこなわれたのですが 各市町村もしくは各中学校ごとに 英語教師からの推薦があったのではないかと疑われます。さいわい わが校の先生は わたしを推薦してくれたわけですが そうでない場合には 参加賞としての問題になります。県下で おそらく五人つまり五位まで あらかじめ――よほど当日の発表具合が悪いというのでなければ――決められていたのではないかと推測されます。そうでなければ ポールが わざわざ五位入賞の枠外で 一人だけ六位として名前を呼ばれることもないと考えられるからです。・・・ここで この点に触れたのは のちにわたしが あらゆるプロフェッショナルの世界について 疑いを持ったこと しかもさらに わたしは その点では絶望するに至ったことが 関係していると思うからです。わたしは 三十歳ころ修道院に入ったのですが このような世の中への失望が 多少はかかわっているのではないかと思うゆえです。

*2:いつか 必要なところは 話したいとは考えています。

*3:Maximilian Schellhttp://www.rainbowfilms.com/max.htm

*4:2005-03-21 - caguirofie050321