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哲学いろいろ

――シンライカンケイ論――

もくじ→2005-04-07 - caguirofie050407
ヘイ!ポーラのもくじ→2005-02-06 - caguirofie060206

第一部 ヘイ!ポーラ物語――ポールの手記――

第一章〜第十六章→2005-03-27 - caguirofie050327
第十七章〜第二十三章→本日
第二十四章〜→2005-04-04 - caguirofie050404

第十七章

おかしな話が始まったようである。だがこのあと ポーラとポールには 出会いが起こったのである。なんとも中身のはっきりしないものながら・・・。
われわれは――ポーラとわたしは――同じ高校に進み ほどなく出会いのきっかけが成り立った*1
学級は別であった。
朝の登校の時 わたしの学級からはその教室の在る校舎へ向かって外から登校生の歩いて来る姿が望み見える。この時 かのじょより早く来ていたわたしは その教室の窓越しにかのじょの登校して来る姿が見える。始業前の時間 同級生たちと時々窓越しに外を見やっていた。一年生の一学期が始まって間もない頃 その日も見やっていたし その日もかのじょの歩いて来る姿がわれわれの視界に入っていた。
同級の友だちの言うことには わたしがかのじょのことを知っているかと尋ねる。同じ中学の出身である。(友だちは違った。後で わかったことだが かれらは ポーラがわたしの中学に転校してくる前にいた学校で知っていたわけである。)ところでかのじょポーラさんをおまえは好きかと訊く。わたしは――なぜ突然そんなことを尋ねるのかとも問い返すことなく――悪く思うことはないという思いと意味とで うん と言ったか あるいは軽くうなづいたかと思う。もう少し色をつけて言えば あの中学のときの噂の事件もスピーチ・コンテストの電車内での無言の行も もはや忘れてよいという思いが作用したのである。あるいは もはや忘れたという何かあらためての決意となって表われた。
胸を張って 過去を振り返りつつ これからに臨んだ。
ところが ここから わたしはかのじょのことを憎からず思っているとの噂が ほどなくわたしの知らぬ間に学校中に流れわたることになった。こうして 出会いの口火が切られることとなったのである。

第十八章

ひとつの実際としては わたしも そのことに満更でもなかった。その噂の広まることはどうであれ――これも 心理と同じで それほど気にかけなかったのだが――噂の内容じたいについて わたしも不本意ではなかった。なぜかと言って 一般的にもいわゆる男女交際を望んでいたし その相手としてかのじょポーラを意識していたのだと思う。
要するに そうは言っても あの英語大会の時のことが・つまり電車の中の無言の一時間のことが どこか気になっていたのであろう。しかも ひとつには その今の窓越しのかのじょの姿に その昔の中学時代とは違った様子をわたしは感じ取っていた。いや おそらくこのことが いちばん大きい要因だったはずである。もはや中学三年・春の出会いになりかけた時のように気持ちが募る思いも必ずしもなく と同時に  単純に言ってあらためてかのじょのことを知りたいという思いも 芽生えるようになっていたのではないか。
まわりの同級生の誉めそやしや からかいの言葉もそれほど気にかけることなく 噂は噂でそれが広まるにまかせた。(広まってくれと思ったわけではない。)やがてこの噂をかのじょも知っているということを わたしは知った。遠くから見ての素振りによってさえそう認めざるをえないことになったか あるいはそうとすれば風の便りによってである。

第十九章

ただし わたしには ひとつの考えがあった。この学校では おおむね男は男どうしで 女は女どうしで それぞれ友だちになっていたとしても 男女間ではふつうの話し合いもなかったのである。(少なくとも 校内では見かけなかった。)どうしてか というのが わたしの疑問であった。その習慣を わたしとかのじょとの関係の話で破るというのが わたしの考えていたことだ。学内の情況がその程度であったと言わなければならないかも知れないことが ひとつ。わたしの考えもその程度であったかというのが もうひとつ。そしてただし それらとは別に 個人的にかのじょポーラと話してみたいという思いも 実際に出てきていたことになる。

第二十章

またわたしは いわゆる明け透けである。好きかと尋ねられて なんら否定しなかったことによって 噂は固まり ついには特定の男と女との関係であるというまでに 広まったらしい。(この点は わたしは 高校卒業後に知ったのである。)そうとすれば・考えてみれば かのじょに対して 否が応でもそのような噂をわたし自らが流し それによってかのじょの選択にどこか枠組みをはめるということまで 結果としてわたし自身が招いたということになる。
その後わたしは いつ実際に初めてかのじょに声をかけ話をすることになったか そのきっかけの事を覚えていない。電車通学の駅のプラットフォームでであったか あるいは ある教会が開いていた日曜学校(英語教室)でであったか そんなところだろうと思うが 思い出せない。(この時 信仰はなかった。)学校で話をしたことは全くなく やがてかのじょはわたしの通っていた私塾に同じく通うことになった*2のだが そこで話をしたこともなかったから。しかも話をするようになり ともかく知り合いになったのも もう二年生の時だったのだ。その時は 互いに同じ学級に入っていた。
要するに――と言っても あまり要していないが――こうして互いに口を聞くことがありうる間柄になる出会いが成り立った。その後ずっとつづく関係の始まり。

第二十一章

わたしはポーラに初めて声をかけた時のことを いま思い出した。上に思い出さないと書いたが これを その箇所では訂正しないままに話をすすめようと思う。なぜ思い出さなかったのか そのことをも考えることができるかもしれない。
その前に補うことがひとつある。わたしがかのじょを好いているとの噂の流れた時からの経過で わたしには もはや気持ちの募ることはなかったと書いたが 感情が動かなかったということではない。その点について 但し書きを補う。
実際わたしは この感情の問題としては 時の経つにつれて自分の内に 好きだという表現を得てもいたし 友だちにもそう話したことがある。もしこれ(感情の問題)がすべてではなかったとすれば そのような好悪の思いの問題に ことさら触れなかった。事実そうだった。それゆえ 一日も早く何かその心を告白しようという気持ちも起きなかった。早い話が 心理は心理で動いていたのである。それをそのまま相手にぶつけようとは思わなかった。ひとつには それは旧い考えなのかどうか まだまだ責任の取れる年齢ではないと考えていたのが理由であるし その内容はわたしにとってわざわざ議論すべき問題を残しているとは思えなかった。少々荒っぽい言い方をすれば 心理で人と人とがくっついたり離れたりすることに関心を抱かなかった。これは 誰とでも友だちになれればよいという考えのことでもあれば まじめな言い方をするなら 信頼関係が先だということでもあった。これは わたしの周りの友だちがそうであったし そういうことにむしろ感受性が向かって行っていた。
まだ助走の段階であるが 始まろうとする出会いにおいては この信頼関係が二人の間に ふつうの友だちとの間と同じように・あるいはその延長線上に まず確立しうると思われたこと ここから話は始まっている。理論的にではないが 感受性が理論していたのだと思っている。周りの友だちがそれを支えた。
朝 登校して来るポーラの姿を見て その様子に昔と違った香りがとらえられた。あたらしい世界が 将来に待っていると思われ 期待に胸がふくらんだ。

第二十二章

一年生のほぼ初めの頃 一種の和解が成り立ってのように 出会いのきっかけが整った。二年生になって 口を聞くようになる。じつはまだ 信頼関係の確立に自信が持てなかったのだが どこからか 出会いの実現する機会がやってきた。
つぎのようであった。きょう思い出した部分である。
教会の日曜学校は 土曜日にも開いていて 午後に共に通っていた私塾を後にして そのあと引き続きこの土曜の教室に向かっていた時のこと――。その全体で十五分ほどの道のりを歩きながら わたしは同じ行き先のかのじょに 途中で追いついた。どちらも一人であった。この時わたしは たしかに まだ自信がなかった。(自信があったなら もっと早く接するようになっていただろう。)様子を じつはまだまだうかがっていた。最終の結論を持っていない。将来に希望を託し これを大事にしたいと考えていた。
このような中途半端な思いで まだわたしは声をかけようとは考えなかった。だが同じ道を歩いていて わたしの速度がいくらか速い。うしろからかのじょに追いつきその姿が見えるようになると 徐々に距離が縮まっていく。声をかける意思がなく しかもこのまま追い越すことになれば 決して知らない者どうしではないのだから 非常におかしなものである。
おそらく まだ 相当な警戒心のようなものがわたしに 感受性の中にとらえられたかたちで つよくはたらいていたと思わざるを得ない。そこで こう考えた。ここでは 人為的に何もなさないがよい。たとえば 別の脇道を通って会わないようにすることも またそれとは逆に おおげさに やあっと声をかけてみるといったことも よそう。わたしは そう決めた。
ところが ちょうど傍らを歩いてかのじょを通り過ぎようという時 かのじょは大変な――声にも出さず目にも見えないながらも はっきり知覚できる大変な―― 一瞬の反応を見せたのである。わたしはその意識の動きがわかったのである。いや判らせられたのである。その瞬間 わたしは何の考えのまとまりもなく かのじょに声をかけていた。要するにそれは(かのじょのほうの動きは) 無言で通り過ぎるとは失礼な!!というべき内容の反応だった。この一瞬の反応にわたしは あたかも自動機械のように条件反射のように口が動いた。

第二十三章

こんにちはから始まって なおも挨拶ていどのことを話したのであろう。いまでは覚えていないのだが ただそのあと 残りの道のりをしまいまで二人並んで歩いたと記憶している。この時から実際の知り合いになった。――このことを今日思い出した。
信頼関係の問題は どうなったか。感情の問題はどうなったか。
感情はと言えば ここからは曲りなりにも二人の間のそれになるが どうなったか。
これらについては いづれも どうにもなっていなかった。というのが 結論である。前者の可能性が実現を見たとは 思えなかった。それについての考えがまとまることも まだ なかった。信頼関係の可能性が かといって 消えもしなかったが 他方で 後者の内容(感情)が深まりもしなかったと同時に やはり消えもしなかった。
このここで初めて成り立った知り合いどうしという関係が その後もつづいた。

  • 一難去って また一難。と同時に わたしには どういうわけか 将来に対する希望があった。悪くなるとは 思えなかった。根拠はなかった。*3

きょう思い出した事件の中では わたしは自分の側に あたかも条件反射のごとき反応を持ったのであるが そのことをも含めて かなり不思議な成り行きだったと言ってよいはずだ。この出会いについてわたしは もうこれ以上詮索したくなくなっている。これが 初めての出会いなのであって 覚えていてもよさそうなのに それなのに一昨日まったく思い出さなかった。誇張すれば その事件には 不可抗力のような力が与っていたわけで それだから思い出さなかったとしても 問題ない と妙に納得がいった。だから分析もほうっておく。

  • 《ポーラの述懐》によれば 《同じ年頃の男の子は もの足りなかった》*4というのだから 進展があるというほうが おかしいとも見られる。ただ それなら なぜ 続いたかである。同じくポーラはこれについても 触れているが わたしから言わせれば どうでもよいことを吐き出しているにすぎない。
  • わたしは 高校卒業後の二人の関係については あいまいが続く中にも はっきりと責任を持って 関係じたいを引き受けた。(一度別の女性との関係におちいりかけたので その後は 慎んだ。)この高校時代には 出会いが具体的に始まった限りで これを引き受けていたが 去っていく気配もいくつかあった*5ので その点は 楽だった。ということは いわゆる損な役が初めから わたしに巻きついていた*6。もし人には それぞれ愛の使命があるとすれば それは 解凍役である。感情を巻き込んで むしろ感情を先立たせてのように 互いの解凍作業をおこなうという過程が進められるやもしれぬ。相手は 自分が選んだと同時に それこそ不可抗力によって選ばれるやも知れぬ。――ほうっておかれた分析を少しでも補わねばならぬと思いつつ・・・。

(a suivre→2005-04-04 - caguirofie050404)

*1:この高校生になっての出会いについては ポーラが触れている。→《ポーラの述懐》第一章6節=2005-03-25 - caguirofie050325

*2:この私塾は 中学の時にわたしが意識した異性のいたところである。さいわいというべきか その頃には その異性は止めて いなくなっていた。

*3:この箇条書きの項目は 原則として 2005年現在の心境である。

*4:ポーラの述懐→第一章1節=2005-03-25 - caguirofie050325

*5:去っていく気配:具体的には述べないが 要するに気が多いという表現で説明できるたぐいのことである。

*6:損な役回り:このすぐあとの文章とともに これについては のちに信仰の立ち場から いくらかの感慨がある。それによると むしろ今では その弱さを誇っている。たとえば→《左のほほをも向けてやった。》=2005-03-15 - caguirofie050315/パウロの《すべての人に 奴隷としてのように仕え すべてとなった。》=2005-03-14 - caguirofie050314/あるいは《侮辱されては祝福し・・・》=2005-03-08 - caguirofie050308