文体―第二十章 万葉集・巻三(人麻呂のつづき)
全体の目次→2004-12-17 - caguirofie041217
(2005-01-28 - caguirofie050128よりのつづきです。)
第二十章 万葉集・巻三(人麻呂のつづき)
自然本性をどのようにうたうか
《自然》には 始まりがあった。(ビッグ・バン?)たぶん 終わりもあるのだろう。人間にも 初めがあって終わりがある。わたしたちは そのような自然本性として 環境自然および環境社会において また これらに対して 同じ自然本性の人びととともに 生きている。
《柿本朝臣人麻呂歌集》のなかから万葉集・第三巻に載せられたうた(244番) 《三吉野の御船の山に立つ雲の 常にあらむとわが思はなくに》は ただ 上のことを 言っているにすぎない。人間は 生まれ やがて死ぬ また そういう人間として 生きる と言ったにすぎない。もしくは 《立つ雲のごとくに》というその《立つ雲》が 《経験行為としてなされる文体》のことだと解釈すると この文体が過程的(それは 動態であり また 可変的)だというわたしたちの第一原則を語ったにすぎない。
しかのみならず 実際のところ わたしたちが 観念的なうただと評した243番つまり《王は千歳にまさむ 白雲も三船の山に絶ゆる日あらめや》も 作者・春日王は わたしたちの自然本性の歴史過程性(つまり有限性)・あるいは 文体行為のそれを しかしながら 概念的にではなく なにやら観念的に 確認しようと勇みこんだものである。
弓削皇子が 《山の上の雲》と《下に流れ落ちている滝》とを対照させて なにやら自己の 基本主観ではなく 経験領域つまり情感・情念のわだかまりを 見つめている そのように こころが沈んでいる ところへ 春日王は 上のうたをもって 答えたのだから つまり勇みこんだようなのだから そのような観念・念観の或る種の鬼は 互いに あいまって 帳消しにされるであろうゆえ 罪はないと言う人が いるかもしれない。つまり 気休め・なぐさめの一手段だと評価する見解である。
わたしは この見解は あきらかに まちがっていると言ったのだ。なぜなら 人麻呂歌集のうたのように 自己の認識・いな自己の到来を 語っているようでいて ただ観念的に確認しようというにすぎないからだ。そのこころは 応答者・春日王は 自分も じつは 心にわだかまりがある でも 自己を自然本性として 《白雲も絶える日がないであろうように 千年も生きつづけるであろう》とかんがえ 元気づけているのだと 答えたにすぎないからだ。ここでは 自己の経験領域の或る停滞を ただ そのような観念として確認し そのような観念の放射線に乗せて 輸出しているにすぎない。はじめに 弓削皇子から輸入してきた観念(情念)と 今度 逆に 輸出した観念との差額を 自己に有利にもたらそうと(つまり 自己保身をしようと)しているにすぎない。したがって これは 重商主義のデーモンなのである。
あるいは 別様に こう解釈すれば 人は納得するであろうか。つまり たしかに 弓削皇子も春日王も 人麻呂歌集の中の歌がうたうような 人間の自然本性ということについて 知っているし 思ってもいる。しかも 知解および意志のあり方は 観念的なのであると。そのこころは 文体が 過程的であっても その過程に《わたし》は流されるものではないのが 第一原則であったが つまり言いかえると わたしの自然本性は おおきな自然のなかで 他者や環境と 絶対的に関係しており 相互依存的な生活共同のなかにあると言っても こう把握するわたしは おのおの 独立主観である そうである のに 弓削皇子や春日王は 文体の相互の貿易・あるいは なぐさめあい これによって 生活共同が成り立つと 知解し意志しているということである。早くいえば 人間は 自己が一個の自然本性の主体として 自己を自乗していくのであるのに かれらは この人間が二人あるいは三人と集まって初めて 自己到来する主体だと考えているということである。これは 世に言う《甘え》であるが 観念のデーモンのもたらすこころの情態に相違ない。よく言われることは 人間は互いに支えあって生きていくといったことである。その《確認》というものは ほとんど要らない。
わたしは ここでは 通念に挑戦しているのであるが この・あとの別様の解釈でも 事は同じであって 《人間は支えあって生きている》という見解は 第一の解釈例と同じように そのことを ともかく 文体として言い出す当の本人が 他者に対して 主導的な――果ては 支配的な――位置を占めるために ただ経験現実の事象をとらえ 念観しているのにすぎない。身分が一定のかたちで決まっている場合には だから 自己保身のことばなのである。これが 積極的になると その甘えの観念の放射線が たれながされていく。その社会(生活共同)は 観念共同の王国となり わづかに この鏡の国のアリスが その中で〔のみ〕 文化し また この文化をもって自然環境に対処していくようになる。消極的には なぐさめ 気休めというまやかしの人間関係である。
観念の念観によって強くなることは出来ないが これは そう出来ないという人間の能力である。
いづれにしても 春日王や弓削皇子のうたう文体では 公害が発生することは まちがいないのである。わたしたちは そんなに〔念観共同によって〕強くなるというようには なれない。能力によって なれない。能力によって なれないのである。だから
皇は神にしませば真木の立つ荒山中に海を成すかも (巻三・241)
と《或る本》によると人麻呂の反歌だとされるうたは 文体したのである。たしかに そういう《神》なら神という概念が 観念となって その念観の共同性は 環境自然を 人間のちからの文化的に 変えていくほど 有力になっている そうなのかも というのである。
- 〔観念の資本 という捉え方も わたしたちは すでに 提出している。〕
人麻呂は 積極的に何も言わないのであるが わたしたちは あえて図式的にとらえようとするならば これは まさしく 観念のデーモンのなせるわざなのであって 概念=ことばが 念観されるようにはなるのは そのことじたい 文体の無効であり デーモンの有力は この無効が実効性をもったのだと 見たわけである。
そう見たとしても やはりわたしたちの文体は 無力である。わたしたちの自然本性――その自己到来の自乗過程――が 無力でも有効性をもつ 無力でも 自由であると 空想している。
わたしたちは 観念のデーモンによって そんなに 強くなれない。それは 上の自然本性の能力によって なれないのである。かつ そのような観念のデーモンのいきかう夜から わたしたちは歴史を始める。また ことばの自由化を言うからには ただ観念が内に向かってうずくまるよりは 弓削皇子や春日王の場合のように ことばで歌う文体が出されてくることのほうを よりましだと考える。
わたしたちは 目覚めなければならないと言わなければならないというのである。人びとよ 墓場から出て来なさいと。
この高慢は べつに 環境自然および――および――環境社会の 文化的な開拓そして破壊が事実であるとすれば破壊を 将来してきている自然本性(そのときにも この自然主体であることに変わりはない)が そうだと見れば 高慢であるから これに対抗し その意味で 両者あいまって 帳消しにされるであろうと言ってそう(高慢に)なるのではない。迷惑に対して 怒っているのである。しかも 敵は 《否定する精神》・墓場の墓堀り人たる観念のデーモンである。だから 人びとよ 目覚めようと さけぶ。ドン・キホーテでよいわけである。夜から始める。つまり限りなく夜に近づいて 可変的なことばをあらわしていく。
〔持統〕天皇 志斐(しひ)の嫗(おみな)に賜ふ御歌一首
不聴(いな)と言へど強(し)ふる志斐のが強ひ語り このこと聞かずて朕(われ)恋ひにけり (巻三・236)
〔聞きたくないというのに 語り続けてくる話だが しばらく聞かないと 聞きたくなった。〕志斐の嫗の和(こた)へ奉る歌一首
否と言へど語れ語れと詔(の)らせこそ 志斐いは奉(まを)せ 強ひ語りと詔(の)る
(237)長忌寸意吉麿(ながのいみきおきまろ)
大官の内まで聞こゆ 網引きすと網子(あご)調ふる海人(あま)の呼び声 (238)
〔大宮の中まで聞こえてくる。網を引くとて網子に掛け声をかけて整えている海人の声が〕
もちろん現代では 《天皇》とか《大宮》とかは その社会情況がちがうのである。というにすぎず この万葉集・巻三のはじめの数首のうた(235−244)を 前章から とうぜん 政治の問題として よんで議論したことになる。歴史的・社会的な諸条件を異にしながらも この万葉集 (ここでは巻三)の編集者も わたしたちと同じ問題を同じ文体で 議論していると 強引に読み込んでの結果なのである。
巻三の第一のうた・《おほきみは神にしませば・・・》(235)という柿本人麻呂をかかげて 編集者は 基本主観の精神の政治学を 問うた。つづく三首の上にあげたうた(236−238)で この人麻呂の文体がうたうところの実践政治学を わたしたち(編集者?)は 文体論として ことあげしていく と言ったのである。つづく人麻呂の《やすみししわご大王・・・》以下の三首(239−241)で 観念の政治学を 批判した。その具体例は さらにそのあと続く弓削皇子(242)および春日王(243)の 観念共同へ傾く文体に対する批判である。批判だけではいけないから 《三吉野の・・・》(244)のうたを 人麻呂歌集から取り出して いわば手本として かかげた。このような文体論なのである。
わたしたちは 自己の連乗積を限りなくおこなっていくように この種の議論を――或る意味で 金太郎飴のようでありつつ―― 無限になして進む。ここでは もはやすでに わたしは この愚かなわたしは いっしょにおこなおうとさえ 呼びかけている。けれども 信教・良心・思想・表現の自由 これは 経験領域でも すでに うたわれている。これを活用しないことのほうが 罪である。つまり 人間的・あまりにも人間的で きわめて神秘的である。
人麻呂は ほんとうに 観念のデーモンから自由か。
万葉集に・そして人麻呂に もう少し こだわろう。同じ巻三がよいと思われる。
244番まで取り上げたのであるが つづく四首(245−248)は 大宮人が筑紫に遣わされたとき詠んだうたとして あげられている。そしてやはり さらにそのあとに 人麻呂の《旅の歌八首》が つづく。可変的で有限だが それとして 手本を 編集者らが 示したのである。これらはいま 詳しくは述べない。
つづくうたは 《鴨の君足人の 香具山の歌一首(長歌257番)ならびに短歌〔二首(258・259)〕》および《或る本の歌に云ふ》ところの 長歌257番の類歌(260) これらである。《今 案(かむが)ふるに 都を寧楽(なら)に遷(うつ)しし後 旧きを怜(あはれ)びてこの歌を作るか》との説明書きがつけられてある。文体の過程的であることを あらわすように 言おうとしていると読める。
ところが この次に また 人麻呂の長歌および短歌の一組みがかかげられていて これを読むと これらは あの春日王のうた(243)のように まるで観念的ではないかという疑いを 避けることはできない。
柿本朝臣人麻呂 新田部皇子に献る歌一首 并に短歌
やすみしし わご大王
高輝らす 日の皇子
栄えます 大殿のうへに
ひさかたの 天伝ひ来る
白雪(ゆき)じもの 往きかよひつつ いや常世まで (261)
反歌一首
矢釣山 木立ちも見えず 降りまがふ雪にうぐつく朝(あした)楽しも (262)
《うぐつく(驪もしくは驟)》というのは 《馬を速く走らせる》こと。
旅のうたうた および その後 都が 香具山の飛鳥から 奈良の平城京に遷されたことにまつわって歌われた歌をもって 文体の過程性というわたしたちの第一原則を 議論した編集者は 文体の主体・つまりわたしたちの自然本性が なぞの自然のもとにあることに言及したかったのであって このなぞは 《常世》とか《楽しい》といった概念で 論じようとした。
いや それは 今度はあまりにも 人麻呂へのえこひいきだ ではないのである。《おほきみは ちとせにまさむ》という春日王の観念的な気休めとのちがいを 明らかにしなければならない。
長歌(261)は 《・・・大空から降って来る真っ白な雲のように しきりにこの御殿にかよい いよいよ年久しくいつまでもお仕え申しあげたいものです》と言っている。新田部皇子(にひたべのみこ)の大殿に《かよう》ことは 文体の過程性として 自己の無限の自乗過程のことを 言っている。そういった通念・経験事実にも かこつけて 語ろうとしている。おそらく 人麻呂が意図したのではなく 事後的な結果として そう読めるように なっている。このような過程性なら 文体行為は 可変的(移ろい行くもの)であって 主体も 時間的(有限である)なのであるが しかも そこに そこをとおして・なぞにおいて 人は《常世》を見ている。このような訪問者つまり人麻呂その人をむかえた新田部皇子 かれが この使者の なぞの自然本性の ある種の仕方で 永遠を 見て よろこんだのである。不可視的なものを つまり不在のものを 現在するものとして 見たのである。これを 使者の側つまり人麻呂のほうから 詠んだ。春日王のうた(243)とのちがいを 人は 知らねばならない。そこには 観念の放射線は ゆきかっていない。ゆえに 白雪の降りしくように 常世を見たのである。少なくとも 常世の概念で ことばを発した。もっとも 常世とは 《床(とこ)》=基礎→基本主観 の《世》つまり 社会関係というにすぎない。つまり ふつうの自然関係の生活共同。《木立ちも見えず降りまがふ雪にうぐつくあした楽しも》と。《矢釣山》は 観念のデーモンの《矢を 釣りあげた》とも言ったのであろう。
見よ 人麻呂の文体は 観念の放射線から 自由である。しかも その夜から 始めている。夜から 始めていなければ わざわざ《常世まで》とは言わなかった。
夜 夜にあって 《それにもかかわらずdennoch》《王は千歳にまさむ》(243)というのは 夜から始めるのではなく 夜の彼岸に 観念的に 《常世》をもとめたのである。いわゆる《夕鶴(つう)》の世界。つまり ありもしない世界。
つづく二首一組みづつの歌うたは 《近江の国より上り来る時 刑部垂麿(おさかべのたりまろ)の作る歌一首》(263)と《柿本朝臣人麻呂 近江国より上り来る時 宇治河の辺に至りて作る歌一首》(264)の一組みと そして《長忌寸奥麿の歌一首》(265)と 《柿本朝臣人麻呂の歌一首》(266)の一組みとである。それぞれの後者が 人麻呂の歌であり これらを それぞれ 手本として やはり文体論がつづけられていく。
(刑部垂麿)
馬ないたく打ちてな行きそ 日(け)ならべて見てもわが行く志賀にあらなくに (263)
(人麻呂)
もののふの八十氏河の網代木にいさよふ波の行くへ知らずも (264)
前者は 《なん日見ても見尽くせる滋賀ではない》とその風光の美しさをうたっているらしい。それに比べると 後者は いわゆる《無常》を こんどは まるで絵に画いたように 詠んでいるかのごとくである。それは 次の一組の中の人麻呂の歌にも 現われているかのごとくである。
(長忌寸奥麿)
苦しくも降り来る雨か 神(みわ)の粼 狭野(さの)の渡りに家もあらなくに (265)
(人麻呂)
淡海(あふみ)の海(うみ)
夕波千鳥 汝(な)が鳴けば
情(こころ)もしのに
古(いにしへ)思ほゆ (266)
ただし ここでの前者は 《雨宿りする家もなく降り来る雨に 困っている》。風景を見て楽しもうというのではない。264番の《もののふの・・・》は 《宇治川の網代木に 停滞する川波のように どこへ行ってよいか わからない。どうしてよいか わからない》と人麻呂が 言っているのであり 《淡海の海》(266)では 《夕波にとぶ千鳥が鳴くと 心もうちなびき 昔のことが思われ しみじみとする》と言う。
これら二組み四首の歌うたの文体論は なにを言おうとしているだろうか。
人麻呂は ここで 左遷されている ないし 予想される左遷を待つ情況だとも言われる。だが この点は別として 文体論で 考えてみたい。わたしたちの理論から行けば 社会から追放されれば むしろよろこぶべきであるから。
けれども 常世を見させうべき自然本性の 〔デーモンの発動に対して おそれのない かつ デーモン自体に対しては きよらかなおそれを持つ〕主体にとっても とうぜんこの主体は 無感動ではないのだから〔――情念にたいして自由であることと 感覚のないこととは ふたつの別のことであるから――〕 悲しみもよろこびも そして 怒りも もちろん 持つ。むしろ ただ これを言いたかったのである 編集者は。
編集者の観点から また その観点を わたしたちは ここでは 論じるのである。配列の順序にしたがえば 《常世》(261−262)のあとの そういう意味での《無常観》である。つまり 基本主観じたいは 何もしていないし まだ 何ら変わりはないわけである。
ところが 人麻呂は つまり言いかえると少なくとも その文体の核としての基本主観は 常世をも無常観をも 突き抜けている。こう見うるとすれば これら二組みのそれぞれの前者の歌うたは よろこぶ(263)にしろ なやむ(265)にしろ じっさい その場の相手ないし第三者に 寄りかかっている。甘えている。二人や三人が集まって始めて 《自然本性》の動態過程が 成立するとうったえているかのようなのである。
よろこびは 二人なら余計たのしいし かなしみは 二人なら 分かちあえる と言われる。これをわざわざ どうのこうのと言おうとは思わないが そうだから初めて 一人ひとりが 自然本性の独立主観だということにはならない。この間の経緯を 四首二組みのうたは 示そうとしている つまり この一歌群で編集者は 〔そのような経緯を〕議論したと考えるのである。人間的な論法で言うならば 人麻呂の精神の政治学の実践を 見よと。ただし ここには 精神の政治学の一連の過程(単純には 人の一生涯)を 方程式ふうにえがくゲーテの文体もなければ スミスの 思考形式を客観認識しつつ 主観〔共同〕的に議論し また政治経済過程への政策を論議する経験科学の文体もない。しかも 三者には 同じひとつの基本主観の動態を わたしたちは 見るであろう。個性がない 顔かたちが皆まるで 同じだとは 見ないでほしい。時代も社会条件も ちがう。
人麻呂を 文体の上から持ち上げるという今の主張は まだ もちこたえると思うのである。そして ここまでであるが つまり巻三の初め=235番から この266番までであるが 万葉集本巻の編集者らは かれらが このように 精神の政治学したと思うのである。うたの楽しみ方・味わい方は ほかのかたちでも あると思われるが 文体論としては こうだというひとつの解釈。
そして まだまだ 文体の原則に沿って ほかの別様の解釈が それにまた 万葉集は 巻三には限られないのだから あると思われる。ことばの自由化を言いたかったのである わたしたちは。また スローガンとしては 万葉集の現代におけるルネサンスと わたしたちは 言っている。人麻呂のように完全な人になりましょう。なぜなら 《網代木にいさよふ波のごとく 行くへを知らない》のは ほんとうは 人麻呂の悲しむすがたを見た《もののふの八十氏》たちなのであるから。かれら つまり そういうふうにして 観念のデーモンの支えがなくなるとき 甘えが それではいけない・甘えたままでは 自分自身でも おとなげないと思われるようになって 人びとは 時にひとつの拠りどころとして 《いにしへを思いうかべ》 しかも 悪いことに さらに《こころが沈み》 夕波の千鳥に《おまえよ 鳴かないでくれ》といってなお甘えていくにすぎないのだから。
わたしたちは 日本における政治(また女性論)を論じている。
(つづく→2005-01-30 - caguirofie050130)