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哲学いろいろ

中国、強制技術移転を禁止=対米譲歩、法制化に着手

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中国、強制技術移転を禁止=対米譲歩、法制化に着手

12/23(日) 18:28配信

時事通信

【北京時事】中国は23日、外国企業に技術移転を強要することを禁止する法律の制定に着手した。

 ・・・

 中国では、外国企業が新規に進出したり事業を拡大したりする際などに、提携先の中国企業や地方政府から技術移転を強要されるケースがあるとされる。政府高官の法案説明によると、「行政手段を用いた強制技術移転を禁じる」と明文化する。

 

ヨブの結論は 《義無きを以って義とす》(親鸞)

1. ▲ (Job 42:6 )  עַל־כֵּן אֶמְאַס וְנִחַמְתִּי עַל־עָפָר וָאֵֽפֶר

 ▲ (KJV)
Wherefore I abhor myself, and repent in dust and ashes.
 
 

 

▲ (口語訳 1955) それでわたしはみずから恨み、ちり灰の中で悔います

▲ (新共同訳 1987 ) それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し/自分を退け、悔い改めます。 

 

2. 《 abhor myself //  みずから恨み / 自分を退け》と訳された語(動詞)《 מָאַס》(マーアス)について《等閑(なおざり)にする》と採るほうがよいという研究に接した。

 

△ 山吉智久:ヨブ記42章6節をどう解すか――ヨブ記におけるヘブライ語מָאַס)をめぐって―― 日本聖書学研究所:聖書学論集 47 2016 所収

 

3. 詳細をはぶくならば 《自分をしりぞける》(新共同訳)というのは 《人間たる自分が 人間の義を・そしてましてや神の義を 認識しようとし 詮索し忖度し議論するといった意志行為を なおざりにする》ということのようだ。(山吉氏の意を勝手に採ったもの)。

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心のゴミをきれいに処理する《アース役》とは?

1. 人びとは おのおのその自然本性を見よ。
 
2. 《全ての悩みからの解放が成った存在》として 同時に 《全ての
悩みを背負い得る存在》として ひとは生まれて来る。自然本性だ。

3. きみの悩みは すべて過去の人びとや現在における周囲の人びとの
悩みを――なぜなら そのような人びとは うそをつくという精神のゆが
みによって悩みをたくわえるようになった そのような他人の悩みを―― 
内面に引き受けて 成り立っているものなのだから。

4. 自分もウソをついたなら 自分の悩みをも負っている。



 
5. 世界中の人びとのあらゆる悩みを引き受けて生きた人たちも いた
のではないか。

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あやまつなら われあり。わたしは存在である

1.  ――われがあるだって? そんなものはあるもんか。あんたは 
そういう言葉の遊びで騙されている。まぼろしを見ているだけだ。
目を覚ませ。

2.  と言われて反論する言葉です。:

2-1.  
もし あなたの言うように わたしは欺かれているとしよう。
そうしたら
その欺かれていると気づいたわたしは 存在している。
われに還っている。
存在していないなら 欺かれる気遣いがないのだから。

2-2.
わたしは欺かれることを欲していない。
このように宣言するわたしは
たとえ誰かに具体的なものごとで欺かれていたとしても 
けっきょく 存在としては何ものによっても欺かれていない。
われありということは 欺かれ得ない。
    
   
3. あやまつなら(欺かれるなら) われあり。
   ( Si fallor, sum.  ≒  If  I  err,  I  am. )

4. わたしは 存在である。



5. 思考と想像のつばさを思いっきり伸ばしてみて思い浮かぶあな
たご自身の見解をどうぞ。

第1次日韓会談における「旧条約無効問題」について 藤井 賢二 (宇山卓栄)

http://repository.hyogo-u.ac.jp/dspace/bitstream/10132/2674/1/AA112829850150007.pdf

 

 

 ・・・この問題は1965年2月の椎名悦三郎外務大臣訪韓時に妥協が図られ、1965年6月 22日に調印された日韓基本条約(正式名称は「日本国と大韓民国の基本関係に関する条約」)では日韓併合条約等はrもはや無効である」と記された。

 

「もはや」の語句を挿入することにより日韓併合条約等はかつて有効であったが韓国の独立により現在は失効したと日本は解釈し、一方、韓国は「もはや」と強調してある以上過去に遡ってすなわち当初から無効であると解釈した。

 

これは日韓併合条約等の失効時期をあえてあいまいにして日韓の対立を避ける工夫であった。

 

一般および個別絶対性理論 ならびに 特殊絶対性仮説 または 宗教の絶対的批判::普遍神とは何か

oshiete.goo.ne.jp

0. 神は 人間がいかなる座標を設定して捉えようとしても 必ずその座標
や場を超えている。ゆえに 神は神として想定していざるを得ない。



1. 特殊絶対性とは 《われ 神を見たり》と言い張る主観を 傍(はた)
から否定も肯定も成し得ないというとき その神観としての主観を言っている。

1-1. 独り善がりであっても 特殊に絶対性だと見なすことになる。これ
は・そしてこれが じつは信教・良心の自由に見合っている。

2. 言いかえると 《われ 神の声を聞けり》と言う主観は 主観の外へ出
かけるなら意味を成さない。意味を成すとすれば 神を人間の認識しうる概念
としてのみ扱った場合に限る。

2-1. 人間の言葉をとおして主観の外に出かけたならば 思考や想像の産
物としての《観念の神》でしかない。或る種の信念を形成するかも知れないが 
《神》としては 実質的な意味を成さない。成すかどうかが どこまで行って
も 人間には決められないのである。

3. ゆえに 宗教は それがもし神を他人に向けて心に受け容れなさい(つ
まり 信じなさい)と説くのならば ただの譫言(うわごと)である。
――主観の外に出かけているから。

3-1. 特殊絶対性は 外出無用である。つまり 神なる概念の弄びである
に過ぎなくなる。

3-2. 組織宗教に 存在理由は無い。主観のおままごとは せいぜい一個
人の内面にとどめなさい。





4. 《絶対》とは 経験事象としてのものごとが有るか無いかの問いを超え 
ており 因果関係からまったく自由である場ないしチカラである。《非経験の
場》とよび そう想定する。

5. 非経験の場は それをどう認識するか? ――《非知》である。

  経験事象(相対世界について経験合理性にて認識する)

    可知(認識しうるものごと)

      既知(間違いだったと分かることもあるが 知ったとする)
      未知(いづれ既知になるであろうと推察されている)

    不可知(未知のうち知り得ないと証明し得たものごと。証明が間
      違っていたということもあり得る)

  非経験の場(絶対性)

    非知(知り得るか知り得ないかが知り得ないナゾ。不可変である)


6. 非知なる非経験の場 これを――《神 またはその一定の名》において
――無条件でわが心に受け容れたとき(つまり 信じたとき) わが心には
《非思考の庭》が成る。

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神を言葉で説明する

1. 神は 絶対性である。

2. この世に――限りがあり移ろいゆかざるを得ない経験的で相対的な
この世に―― 絶対性があり得るとしたら それは あなたのこころの中
だけである。

3. 神は――神の世界においてはいざ知らず この世の人間にとっては
――  あなたの・わたしのそれぞれ主観の内にあって そこにしかあり
得ない。

4. あなたとわたしとが 同じひとつの神を共有していると分かったと
したなら それは 相対的な概念としてのみである。言葉を共有するのみ
である。

5. なぜなら 絶対性なる神を ふたりの人間が共有し得たとしたなら
それは 相対性のもとに従う概念としての神でしかない。矛盾である。

6. 或るひとりの人間の主観の内面において〔のみ〕 神は――従って
――《特殊絶対性》としていだかれ得る。



7. あとは 神が いかなる名で呼ばれようと・そして《有る神》だけ
ではなく《無い神》としてあろうと それは 同じひとつの普遍神である
しかない。

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