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哲学いろいろ

アマエチカ(甘えの哲学)

https://oshiete.goo.ne.jp/qa/9260170.html

1. 《甘え》の歴史をとおして。

2. エワは 光が陰の部分にも入り込んでいるのを見て 光も曲がると思っていたとこ
ろ或る日 夫アダムのつくった料理に対して なぜか遠慮してまづいのにおいしいわと言
ってしまった。

3. その以前では アダムもエワもそれぞれ互いのつくった料理に対して 遠慮なくお
いしいとか・まづいとかと思ったとおりを言っていた。甘えていた。

4. だが まづいものをまづいと言うのを遠慮することも 甘えではないか。勝手に自
分の考えで遠慮する。
5. ふたりは わが自由意志はその自由度がまさに縦横無尽に自由自在だと知った。光
も曲がるのだと。曲がり得るということは まっすぐに行くこともあるということだ。

6. 子どもたちの内 弟のアベルは 兄のカインから見て そのアマエについては遠慮
しないタイプであった。少しは遠慮せよと何かにつけカインは思っていた。

7. カインのつくった畑の野菜は 羊を放牧しその肉を食べるアベルにはまづい食べ物
だった。

8. 或る日カインは ついに頭に来て弟アベルをなぐり殺してしまった。

9. 甘え合戦の結果 ついにここにまで来てしまった。

10. かれらの子孫でアブラハムは まっすぐ行くのも曲がるのも同じ光だと思った。
遠慮のあるのも無いのも 同じ甘えだと。

11. その後さらにモーセは 人びとのあいだでこの《甘え》について共通の取り決め
をするのがよいと考えた。世の中の秩序のためである。

12. 《なんぢ ころすなかれ》と。そして遠慮するにせよ・しないにせよ《いつはる
なかれ》と。

13. 甘え合戦についての交通法規であり交通信号である。

14. 自由意志の自由な想像力の問題であるとも考えられる。《甘え》ということがで
ある。

15. のちにイエスという男は ふたつ言った。アブラハムの《同じひとつの光》はそ
の同じはらから(同胞)の内に閉じ籠るのではなく そうではなく 外に開くのだと。そ
うして モーセの交通信号を 人びとそれぞれの心根の中に植えつけた。

16. 世界の人びとよ。自由に互いにあまえたまえ。自己チューをつらぬきたまえと。

17. もっと自由に! もっともっと自由に! もっともっともっと自由に! と。

思いっきり自由なご見解をどうぞ。